6-15 降り立つ者
『ドゴンッ』
軍用馬車内で、酒を煽りながら優雅に寛ぐ “魔戦将” ノーザンの耳に小気味良い鈍い音が入る。
「始まったか。」
ニタリと笑い、呟く。
その正面に座る女――、“嫌われ者” ノーザンにも関わらず妄信するかのように連れ従う超越者の女、重盾士系上位職 “武将” トモエが首肯する。
「作戦ではアロン様の奥方を捕らえた後に襲撃する手筈。すでに手中に収めたのではないでしょうか?」
その言葉に「あっ?」と凄み、飲みかけの酒をトモエの頭に思い切り振りかけた。
「おい。アロン、“様” だとぉ?」
「……失礼しました。アロン、です。」
かけられた酒を拭おうともせず恭しく頭を下げ、空になったノーザンのグラスに酒を継ぎ足すトモエに、ノーザンは「ふんっ」と鼻で笑い、再びグラスに口を付けた。
ファントム・イシュバーンで中堅プレイヤーだったトモエにとってアロンは、敬称に “様” を付けて呼んでもおかしく無い位置にいる最上位プレイヤー。
加えて、ファントム・イシュバーンで帝国陣営に所属していた中堅どころはアロンに “様” を付けて呼ぶ者が多かった。
単純にアロンが絶対者として遥か高みに君臨しているという理由ではなく、ギルド “ワルプルギスの夜” で “姫” という愛称で親しまれていた “魔聖” メルティ―― 自他共に認めるアロンの大ファンがそのように呼称していたことが起因している。
“ギルド戦に参戦すれば負けなし”
“敵対陣営の卑劣な戦法にも屈せず、どんな状況でも勝利を齎す”
“ファントム・イシュバーン、最強”
アロンに対する “様” 付けは、ある意味嘲笑も含まれていた。
“最強” という事は、それだけ長時間―― それこそ寝る間も惜しんでファントム・イシュバーンにのめり込んでいる証左であり、さらにそこに掛ける金銭も莫大と分かるからだ。
人生を捨てた筋金入りの廃人。
それがアロンに対する大半の印象だった。
それでも “転生者” となればその価値は計り知れない。
敬愛するノーザンが執拗に狙うのも頷ける―― トモエはアロンが転生していると聞いた時、硬直状態と言える三大国の戦争は帝国陣営の圧倒的な勝利が齎されるのだと歓喜に打ちひしがれた。
だが、当のアロンは帝都での豪華な暮らしには目もくれず、何故か田舎の農村でのんびりスローライフを満喫しているというのだ。
“あの、アロン様が!?”
耳を疑った。
確かに転生者の中にはライトノベルのような華やかなサクセスストーリーの体現よりも、より現実的な暮らし―― スローライフで悠々自適な人生を選択する者も僅かではあるが存在する。
まさか、【暴虐のアロン】がそれらと同類とは夢にも思わなかった。
死なない身とは言え、リアルな戦場で日々戦いに没頭し、聖国・覇国の両敵対陣営としのぎを削る転生者も居るというのに、【暴虐アロン】と謂われた絶対者が何を呑気に過ごしているのか? と、呆れ異常に怒りを覚えた。
だからこそ、ノーザンから “アロンの現地妻を捕らえて手中に収める” という、普通に聞けば卑劣極まりない手段を告げられても非難せず賛同したのだった。
―― そうでなくとも、トモエはノーザンの命令には必ず従う。
前世、帝国陣営ギルド、“再生と破壊”
そのサブギルドマスターであったノーザンとギルドメンバーであったトモエは元々旧知の仲。
しかし、ノーザンは所謂 “地雷プレイヤー” だった。
敵対者に当たり散らすだけでなく、ギルド戦などでの結果が悪ければその矛先は診方や同じギルドメンバーに剥くため、彼の周囲の空気は常に最悪の状態。
もちろん、トモエもノーザンが苦手だった。
―― むしろ、生理的嫌悪感を覚えるほど嫌っていた。
しかし、転生後にその感情は反転する。
トモエが生まれ育ったのは聖国との国境近くの貧しい農村で、戦争の災禍に巻き込まれ家族含め村人は全員虐殺されるという悲劇に見舞われたのだった。
当時10歳だったトモエも易々と殺害された。
だが、トモエは転生者。
死してもデスワープが発動し、翌日決まった時間に目が覚める。
―― 焼け払われ、瓦礫と化した自宅の上で。
幼いトモエにとって、そこは “地獄” だ。
聖国の残党やモンスターに殺されるのはざら。
そうでなくとも食べる物が得られず餓死することも、弱り切った体力がたたり坂や崖から転落死するなど、彼女はほぼ毎日死んでは生き返るを繰り返していた。
死んで生き返れば、体調は万全。
空腹も収まる。
しかし、あくまでも一時凌ぎ。
“死ねない”
それこそ、トモエの地獄だった。
その壮絶な体験は、前世で “この辛い世界で生きるよりも、憧れたゲームの世界に転生した方がずっと良い” と願っていた想いを簡単に打ち砕き、心を容易くへし折ったのだが――
その地獄からトモエを救ったのが、ノーザンだった。
“滅んだ村に妙な娘がいる”
“村で死んだ怨霊かもしれない”
初めて “総大将” として聖国との戦場を指揮していたノーザンは、それは怨霊や化け物の類ではなく、村で生まれた転生者では無いか? と考え、廃墟と化した村へと足を運んだ。
そこで、ノーザンとトモエは再会を果たした。
ノーザンからして見れば “転生者という駒を手中に収められた” という打算だが、トモエは違う。
彼は、地獄から救い出してくれた “神” だ。
そうした背景から、トモエはノーザンに対して狂妄と言えるほど崇拝と恋慕の情を宿すのであった。
―― 村が滅んだ理由が、ノーザンが指揮した杜撰な戦略のしわ寄せだった事も知らずに。
◇
「行きますか? ノーザン様。」
最初の戦闘音を耳にして5分ほどだろうか。
ノーザンが飲み干したグラスを馬車内の簡易テーブルに置いたタイミングで、トモエは尋ねた。
「ああ。あいつ等が調子に乗ってアロンの現地妻に手を出したら元も子も無いからなぁ。」
そう言い、胸ポケットから “アロンの妻” の写真を取り出した。
それをまじまじ見つめ、ノーザンは更に嗤う。
「…… 確かに美しい娘だ。これでNPCで、しかもアロンの妻…… “傷物” じゃ無けれりゃあ俺様の愛人にでもしてやったがなぁ。」
その言葉に、今まで表情を一切崩さなかったトモエの眉がピクリと動いた。
その反応を見逃さない、ノーザン。
「……なんだ?」
「いいえ。ご興味が無いそうですが、美しい娘には違いありません。もしノーザン様がお望みであれば、その娘を奴隷にでも夜伽の召使いにでも、この私がいくらでも調教いたしますが?」
平坦に告げるが、瞳孔が僅かに震えている。
―― 転生後の幼少期の壮絶な体験によりトモエの感情は希薄となってしまったが、それでもノーザンには分かる。
トモエが、自分にどういう感情を抱いているか。
―― だから、御しやすく、扱いやすい。
ノーザンにとって、トモエは都合の良い駒なのだ。
「ふん。必要ない。」
その言葉で、再びトモエの瞳孔が揺れる。
“必要ない” という言葉で、彼女の僅かに残る “喜” の感情が動いたのだ。
しかし。
「必要なのはアロンの現地妻が平穏無事に人質の役割を果たすかどうかだ。あとはララとか言うモブの妹に、村の女子供。人質として価値のある奴だけ捕らえ、適当に壊せば良い。調教と言うのなら、この俺様に歯向かうとどういう目に遭うか、アロンは身を持って調教される必要があるなァ! ハハハハハハハハ!」
目的はあくまでもアロンを手中に収めるため。
それが、この世界で覇道を進む事に必要不可欠なのだ。
「おい。」
ノーザンはそれだけ告げ、トモエに目線を飛ばす。
トモエは立ち上がり、恭しく頭を下げて馬車の扉を開けた。
「どうぞ、ノーザン様。」
その言葉にノーザンは一瞥もせず、全てを見下すような表情で馬車から降りる。
続けて、トモエも後に続く。
が。
「……ノーザン様?」
降り立ったノーザンは、すぐに立ち止まってしまった。
周囲は、すでに暗闇。
村の入口に灯された多くの松明の明かりで、視界は良好。
―― 一瞬、村に火が投げ込まれ、焼けているかのような錯覚を覚えるトモエだった。
それは幼き日に自身が見た絶望の光景――、だが、人の感情の大半を失っている彼女はどこか無関心で、フィルター越しに客観視しているような感覚しか無い。
だが、それはあくまでも “錯覚” だった。
村は、燃えていない。
松明の揺らめきと、多くの屈強な転生者たちによって一介の農村が――、アロン不在で抵抗空しく蹂躙される哀れな村人を想像しての錯覚だった。
―― が。
“何か、様子がおかしい”
トモエがそう知覚した、瞬間。
「これはッ! どういう事だぁあああ!!?」
ノーザンの怒声が響く。
感情の乏しいトモエでもその怒声にギョッと身体を強張らせ、急いで村の方へと目線を飛ばした。
「……え。」
その視線の先は、ノーザンの代わりに作戦の指揮を執っていたカイエンの後ろ姿と、その僅か前方で腰を抜かしたように地面に座りこむルミ。
問題は、その先にあった。
村の開かれた入口の前で、横たわる4人の男女。
―― それは襲撃の犠牲になった村のNPCではない。
帝都から、この村を襲撃するために1週間もの道程を軍用馬車で共にしていた転生者たちであった。
「そんな馬鹿な……!」
トモエは思わずノーザンの前へ駆け出し、盾を構える。
不測の事態に備えてだが、目の前の光景そのものが不測の事態なのだ。
倒れる4人の先には、さらに倒れる3人の男。
その先には、今回の襲撃のメインターゲットであるアロンの妻、ファナという女の姿が確認できたが、その足元にも倒れる2人の男の姿。
―― その内1人は、襲撃チームでノーザン、カイエンに次ぐ第3の実力者である “忍者” ナックであった。
目視できる範囲だけで、先行した18人の転生者の半数が敗北した。
しかも今動いているのは、村の若い護衛隊2人と、カイエンを裏切った “癒しの黒天使” こと “司祭” セイルの計3人を相手に防戦する、従魔師が生み出したアイアンゴーレムのみ。
村の奥に進んで適当な女子供を攫う役割を担うベーティとその取り巻き2人のチームはともかく、残りはどうしたのかと不安に駆られる。
「!!」
僅か一瞬、トモエは考えを巡らせたのだが、決して臆した訳ではない。
だが。
「チッ!」
目の前で守るようにせり出したトモエの行動が気に入らないノーザンは、「どけ!」と叫びながら右手を乱暴に揮い、トモエの左頬を打ち付けて前へ出た。
「ぐっ!? ノ、ノーザン、様!?」
ジンジン痛む左頬と涙が滲む左目の事に構う暇はない。
慌ててトモエもノーザンの後方に付く。
「おい、カイエン……。どういう事だ?」
ノーザンは、怯えるように震えるカイエンの目の前で立ち止まり、凄む。
「ノ、ノーザン。これ、は……。」
「“ノーザン”、だぁ!?」
歯をガチガチと噛み合わせるカイエンをギロリと睨み、胸倉を掴み上げた。
「ひ、ひぃ! ノ、ノーザン、様ぁ!」
「自分の立場を弁えろ! 分かったか!?」
「はいいい!!」
ノーザンはカイエンの胸倉を掴んだ、掲げるように持ち上げた。そしてそのまま、横へ乱雑に投げる。
「ぐあっ!」
「チッ! さっさと起きてあの小僧共を仕留めてこい!」
ノーザンは、自分で投げ飛ばした事など “関係無い” と言わんばかりにカイエンへ吐き捨てた。
全身に鈍い痛みが走るが、カイエンは涙目で立ち上がり、腰に下げていた刀を抜き取って「うわああああ!」と叫びながら村の中へ走り出した。
「おい!」
「ヒッ!」
その様子を確認したノーザン。
次は隣で情けなく尻餅を付く女―― “最弱の転生者” である高薬師ルミに大声を張り上げた。
「貴様の役目はアロン以外に転生者が村に潜んでいるかどうかだったな? 使えねぇ上級鑑定薬しか出せねぇ役立たずでも、その程度の把握は済んだな!?」
脅すように怒鳴るノーザンに震えあがるルミは、言葉を発することが出来ない。
その姿に益々苛立ちを募らせる。
「どうなんだ!?」
「ヒッ! そ、そのっ、それが!」
「さっさと答えろ、愚図!」
執拗に怒鳴り、迫るノーザン。
余りの恐怖に涙を流しながらルミは、震える手を村の入口の方へと向けた。
「あ、あの、男2人、と。セイル、と。」
「セイルは元々転生者だろうが! 馬鹿かテメェ!?」
「ヒッ! も、申し訳ありません! あと、アロンさんの奥さんと、妹、そして後ろの眼鏡掛けた魔法士の男と、この村の村長が転生者です!」
“ルミが誰を指し示したか”
それを確認したノーザンは、ルミを見下す。
「……それで、全部か?」
「は、はい!」
高速で首を縦に振るルミ。
そのまま、一人一人の職業を告げようとした、その時。
「あぐっ!」
突然、ノーザンがルミのサイドポニーを掴み上げた。
「貴様……。アロン、“さん” だとぉ?」
「痛いっ! 痛いっ!」
「この、愚図が!」
痛みの余り答えることの出来ないルミを地面に叩きつけるように放る。
ズガッ、と堅い地面に激突するルミは呻き声をあげながらもがき苦しむ。
ノーザンは、益々気に入らない。
「どいつもこいつも、役立たずめ! トモエェ!」
「はっ!」
地面に転がり、痛みと恐怖で嘔吐するルミを哀れに思いながらも、トモエはノーザンの足元へ跪いた。
「この愚図から村の転生者の職業を聞き出せ。曖昧ならもう一度鑑定させろ! そいつらをピックアップしてアロン共々引き込むぞ! 分かったか!?」
「はっ!」
短く答えるのは、ノーザンが短気だからだ。
“これ以上、機嫌を悪くされたら私も危ない”
癇癪を起し、辺り構わず当たり散らかす。
その戦力は、“帝国最強” と誉れ高いレイザーに次ぐ。
―― 残忍性や躊躇の無さを勘案すると、レイザー以上とさえ噂される。
“帝国最凶”
それが輝天八将 “魔戦将”
僧侶系覚醒職 “魔神官” ノーザンという男だ。
◇
「うらあ!」
『ザガンッ』
『GYAOOOOO!!』
リーズルの剣閃により、従魔師の男がけしかけた召喚獣・アイアンゴーレムの右腕が吹き飛んだ。
「おらあ!」
その攻撃に合わせ、ガレットの倍はあるアイアンゴーレムにタックルをかます。
勢いを抑えきれず、尻餅を付くように倒れた、そこへ。
「“ブラストナックル”!」
セイルの渾身のブラストナックルが炸裂。
無数の光る拳の雨嵐に、アイアンゴーレムは成す術なく消し飛んだ。
「よっしゃあ!」
「オーガジェネラルに比べりゃ、大したこと無いな!」
喜びを露わにするガレットに、笑みを浮かべるリーズル。
その時。
「危ない、二人とも!」
構えを解いていなかったセイルが叫ぶ。
「!?」
その、ほぼ同時。
横切る影に、リーズルは全身に悪寒を感じて剣を揮った。
『ガインッ』
響く硬質音。
その相手は……。
「やっとお出ましかよ、ボス猿!」
かつて師匠を無理矢理獲得しようと、卑劣な手で村にやってきた “冷刀” カイエンであった。
「小僧が!」
顔を歪め、手に力を籠めるカイエンの圧にリーズルは押される。
「マジで生き返るんだな、超越者ってやつは!」
驚きと呆れを交え叫ぶガレットは、左手で持つミスリルの槍をカイエンに向けて突き刺した。
『ギン』
しかし、隙を狙った槍の一撃もカイエンは難なく防ぐ。
だが、相手はこの二人だけではない。
「“ホーリーレイ”!」
ガレットの一撃を防いだカイエンの身体目掛け、セイルのホーリーレイが炸裂した。
「ぐぅ!」
それでもカイエンは帝国軍で “万人隊長” も兼任する猛者。
咄嗟に身体を捻ることで、ホーリーレイは僅かに右肩を掠める程度だった。
「セイル! テメェは絶対に許さねぇ!」
激高するカイエン。
憎悪を宿す眼力に思わず後退りするセイル、だが。
「振られた女に拘るってかっこ悪いぜ、オッサン。」
「だいたい、女に大声上げるってどうなんだよ?」
リーズルとガレットが呆れながら、セイルを守る。
さらに。
「もうセイルは蒼天団では無い。この村の大事な村長補佐官なんだ。失せろ!」
珍しく、冷静沈着なオズロンが憤りを露わにしてカイエンを睨むのであった。
「オ、オズロン……君。」
「ノーザン将軍が来る前にこいつを倒すぞ!」
オズロンらしからぬ姿に、思わず息を飲み込む。
だが、今は生死を賭けた戦闘真っ只中。
小さく「ありがとう」と呟き、セイルは両手に付けたミスリル製のグローブを握り直す。
そんな二人の気迫や想いを感じ取ったリーズルとガレットも、カイエンを見据えながら笑う。
「は! 今回はお前に花を持たせてやるぜ、オズロン!」
「明日、飯を驕れよ!」
彼らの間にだけに通じるような会話のやり取り。
意味が分からないが、共に迷宮に籠り、高みを目指した仲間の声にセイルもまた一歩前へ出た。
「貴方を倒します、カイエン!」
その宣言に、更に表情を憤怒に染める。
「やってみろよ、ガキ共がッ、アアアアッ!?」
『ドゴッ』
鈍い音と同時に、凄んでいたカイエンが真横に吹き飛んだ。
「え……。」
唖然となるセイル達だったが、すぐに構え直す。
―― 恐怖に、身体が震えても。
「いつまでガキと遊んでいるんだ、糞がっ!」
カイエンを吹き飛ばした犯人。
それは、この一団の首魁。
「ぐっ、あ。……遊んでなんか、ないって。」
吹き飛ばされたカイエンは、脇腹を抑えながらフラフラと立ち上がった。
カイエン、そしてセイル達の目線の先。
「ノーザン……将軍。」
怪しい光を放つメイスを左手に握る、金髪オカッパ頭の眼鏡を掛けた男、“魔戦将” ノーザンであった。
「テメェらもだ! いつまで寝てやがるっ!? さっさとアロンの妻を、妹を! 捕らえろ!」
―― それは無茶な要求だ。
村の一番奥に辿り着いたベーティ含め3人の転生者、そしてファナの元へ襲撃したナック達3人も、ララの参戦によってすでに意識を刈り取られている。
この6人はアケラ主導で護衛隊により両腕両足を縛られ、猿ぐつわまでされている。仮に意識を戻しても、武器を揮う事も、スキルを放つことも出来ないだろう。
何より、自ら命を絶ってデスワープを発動することも不可能。
―― 以前、カイエンを逃がしてしまった経験と、超越者に対するこの世界の常識により、襲撃者を逃さぬよう素早く処置を行ったのだった。
セイル達の手前には、4人の男が転がっている。
彼らの傍にはカイエン、そしてノーザンが居るため捕らえることは出来ないが、傷とダメージは深いためすぐ意識を戻すことは無いだろう。
唯一、村の防護塀にまで吹き飛ばされた4人は司祭の女が先ほどから全力でヒールを掛けているため、そのうちの目を覚ますかもしれない。
しかし、レベル110の彼女のSPは高く無く、リーズルに腕を切られ出血に酷かった剣士の男の治癒に集中してしまったため4人同時には満足に回復させることが出来ていないのだった。
そして、司祭の女の護衛役であった従魔師の男―― 正確には、召喚したアイアンゴーレムだったのだが、仲間たちがあっさりやられてしまったことに焦り前線に送り出してしまった。
これは悪手だった。
本来、アイアンゴーレムは守備主体の召喚獣だ。
攻めることももちろん可能だが、その真価は守備にある。
だが、戦闘向きの召喚獣を追加で召喚できるほど、彼にもSPが豊富にあるはずもなく、冷静さに欠けたためアイアンゴーレムに攻めさせるという愚策に出てしまったのだ。
結果、問題無くセイル達に倒されてしまった。
それは同時に、獣使士系にとって最も避けなければならない “召喚獣の強制退場” が発生してしまったため、召喚獣を呼ぶスキルを発動しようにも1時間もの間、召喚不能というペナルティが科せられてしまった。
そのため、万全に見える従魔師の男は1時間もの間 “最弱のルミ” よりも役に立たない状態となってしまったのだ。
さらに、呆然と立ち尽くす彼の横で仲間たちを回復させ続ける司祭の女も慌ててSP回復薬を服用しているが、全員の回復には時間がかかる。
これで、2名脱落。
つまり、まともに戦えるのは20名中4名。
カイエン、トモエ、ルミ、そしてノーザンだ。
―― “最弱” であるルミが戦力として期待できない以上、実質3名。
襲撃側からすれば壊滅的であり、本来は敗走か降伏かの二択を迫られる状況だ。
「どいつもこいつも使えねぇ! 糞が!」
しかし、まるで戦意を失っていないノーザン。
突然、その右の掌から黒い炎を巻き上げた。
「なんだ、ありゃ……?」
周囲の松明の灯りすら、呑み込む黒い炎。
生まれて初めて見る、悍ましい光景に息を飲み込むリーズルとガレット。
「あれは……まずい!」
セイルだけが、その危険性に気付く。
しかし、すでに手遅れだ。
「“魔神ノ鎌”」
ノーザンの手の平で徐々に膨れ上がってきた黒の炎は、徐々にその形を大鎌へと変貌させた。
「ガレット君! “魔盾” でっ」
「遅ぇええ!!」
この場でダメージ覚悟でも被害を最小限に抑える方法は、重盾士基本スキル “マジックキャンセル” を常時発動させているガレットが、盾将スキル “魔盾” ―― タイミング次第で魔法系スキルのダメージを大幅にカットできるスキルで防ぐしかない、とセイルは判断した。
しかし、それ以上にノーザンの動きが速い。
「させるかぁ!」
―― 相手が偉大な “輝天八将” であろうと、このヘンテコ眼鏡の中年は村を、師匠を狙った元凶。
リーズルは躊躇なく、そして気負いも無く、“魔神ノ鎌” と打ち合うように剣を揮った。
「ダメッ! リーズル君!」
『ドシュッ』
―― それは、走馬灯と言うのか。
酷くゆっくりとした視界の中、師匠が用意してくれた最上級のミスリル製片手剣の刃がバターのように焼けきれ、そのまま燃え盛る黒炎の鎌が、リーズルの右腕を斬り飛ばし、胸から左脇に掛けて胴を切り裂いた。
「あ……、が……。」
巻き散る鮮血に、“斬られた” と自覚するまでそう時間は掛からなかった。
「「リーズルッ!!」」
親友の無残な姿に、ガレットもオズロンが同時に叫ぶ。
そしてその声、その光景に……。
「イヤッ、イヤアアアアアアアア!!」
超越者たちを縛り上げることに協力していたララもまた、絶叫をあげた。
「ま、待ってララちゃん!」
駆け出すララの後を追い、ファナも走る。
そのララとファナが次に目にしたのは、ノーザンが大鎌で、リーズルの首を刎ねようとする瞬間だった。
「“ホーリーレイ”!!」
しかし、それはセイルによって防がれた。
リーズルのすぐ背後から、セイルがノーザン目掛けて速攻魔法ホーリーレイを放ったのだった。
「チィッ!!」
光速の直線を魔神ノ鎌で受け止め、簡単に散らすノーザン。
しかし、僅かではあるが間が出来た。
セイルはリーズルの身体を掴み、強引に後方へ押し込んだ。
それと同時に、間に入るガレットとオズロン。
「ガハッ!」
斬られた腕と胴は黒炎に焼かれたため、出血は無い。
しかしミスリル製の剣、そして鎧でも防ぎ切れなかった魔神ノ鎌のダメージは大きく、一刻の猶予も無い。
「“ハイヒール”!!」
“司祭の心得” で底上げされたヒール、“ハイヒール” を掛けるセイル。
このスキルでは四肢欠損までは治せない。
四肢欠損や内臓損傷といった重傷を治すためには、覚醒職 “聖者” スキル “聖者解放”、しかもスキルレベルを最大とした状態で初めて使えるようになる “エクストラヒール” が必要なのだ。
しかし、セイルの親友であるファナは先日 “聖者” に転職したが、さすがにスキルレベルはまだ低い。
そのため、この怪我を治すためには迷宮への修行に入るまえにこっそり渡された “フルキュアポーション” を使う必要があった。
だが、“次元倉庫” を開くにもタイムラグがある。
即死は免れたとは言え、この怪我ではいつ絶命してもおかしくない状況だ。持ち直すまでは回復魔法をかけ続けるしかない。
―― そういう緊急時に限り、邪魔が入る。
「もらったぁ!」
豪速でカイエンがセイルの背後に現れ、刀を大きく揮ってきた。
「!!」
“斬られる!”
だが、それでも命の危険のあるリーズルが優先。
―― 最悪、自分は死んでもデスワープがある。しかしリーズル達は転職出来たとは言え、超越者では無い。
ならば身を挺して守る。
ギリギリまで回復させる。
―― あとは、ファナが居る。
彼女もまた、アロンからフルキュアポーションを託されているはずだ。
それで、リーズルは無事に……。
『ガキンッ』
想いを巡らせていたセイルの目の前に、白いローブが飛び込んだ。
「ファナ!」
「セイル、お願い! リーズル君をっ!」
カイエンの刀は、拳に付けたミスリル製のナックルでファナが防いだ。
ファナはそのまま、カイエンの胴めがけ拳を突き立てる。
「おっと!」
しかし拳は届くことなく、カイエンは大きく飛び跳ねファナと間合いを取った。
「いやああっ! リーズルさんっ! リーズルさんっっ!!」
血まみれで横たわるリーズルに、半狂乱で声を掛けるララ。
顔は涙でぐしゃぐしゃだ。
「ララさん! アロンさんからポーションは預かっていませんか!?」
「ああああ、リーズルさんがぁ、リーズルさんの腕がぁ!」
汗だくでヒールを掛けるセイルの声は、ララに全く届かない。
「ララさん、聞いて!」
「あああ、お願いっ、お願いセイルさん! リーズルを、リーズルさんを、助け」
「ララさんっ!!!」
それは、温厚なセイルとは思えないほどの怒声だった。
息を飲み言葉を失うララに、セイルは溜息を吐き出してもう一度問いかける。
「ララさん。ここは戦場です。」
「え、でもっ。」
「ここは穏やかなラープス村ではありません。凶悪な超越者たちに襲撃されている戦場です。私たちは確かに強くなりました。しかし、慢心、傲り、そして侮れば自分だけでなく、仲間が、村の皆が、傷付き、死にも繋がります。それが、戦場です。」
戦場を経験したことのあるセイル―― とは言っても、後方で怪我人の治療に当たるのが彼女の役目であったので、セイル自身も真の意味では前線を経験したことは無い。
だが、プルソンの迷宮での修業が。
―― いや、主天使との一件が、彼女を “戦場” に立つ者の心構えが備わった。
“アロンの全力が見たい”
その思いは、慢心、傲りからだ。
結果、アロンやファナを危機に晒しただけでなく、自身も絶命必至の致命傷を負う事となり、その怪我を癒すために貴重なエリクサーまで使わせてしまった。
“強くなりたい”
それは、肉体だけでなく心も。
【暴虐のアロン】と共にするということは、圧倒的戦力たる不死の存在、数多の超越者を相手にすることと同義だ。
そして他の超越者同様に死なない絶対者であるアロンを押さえつけるに、ラープス村の住民は、仲間は、そして家族、妻でありセイルの親友ファナが、恰好の的となるのは火を見るよりも明らか。
“ラープス村は戦場になる”
それは他ならぬアロンの言葉だった。
だからこそ彼は対策の一つとして防護塀を堅牢にし、ファナ達を鍛えたのだ。
その結果、ファナやセイル達は見違えるほど強くなった。
しかし、強くなればなるほど、慢心や傲りは露わになる。
だが、アロンは決して慢心や傲りが見えない。
―― それを抑え込む胆力こそ、真の強者に求められる力だとセイルは知ったのだ。
「ポーションは、ありますか!?」
「わた、しは、持ってない、です。」
セイルと共にプルソンの迷宮へ潜っていたララは、当然ながらアロンからポーション類は預かっていない。
“怒られる!”
一瞬身構えるララに、セイルは穏やかに頷いた。
「わかりました。それなら、貴女もポーションシャワーを掛けてください。何としてもリーズル君を、貴女の大切な人を助けましょう!」
「は、はいっ!!」
涙を拭い、ララは素早く両手からクリエイトアイテムスキル “ポーションシャワー” を作りだし、リーズルの全身に振りかける。
―― ララは、後悔している。
先ほど、アケラ達を守るため、敵の女が放った “スタンボム” を身を挺して防いだところまでは良かったが、その後、効いた振りをして敵の女を欺いただけでなく、ファナまで驚かせようとしたことを。
あの時、ファナが何故あそこまで怒ったのか?
“戦場なのに、ふざけたからだ”
もしララが無事であることをファナが気付かず、動揺して敵の攻撃を受けていたら?
それだけでなく、恋人同士になったリーズルが我を失い、無鉄砲な行動を起こしたら?
戦場において自ら犯した迂闊な行動は、仲間の命にも関わる事なのだとララは深く理解した。
“リーズルさんが負った怪我は、その罰だ”
“私が調子に乗った所為だ”
(お願い神様……。私は、どうなっても良い! リーズルさんを、助けて!)
後悔しても遅い。
今出来る事は、仲間が抑えてくれている間にリーズルを回復させることだ。
しかし、状況は一転した。
『ギャインッ』
「ぐっううううううう!!」
ノーザンの魔神ノ鎌の執拗な攻撃を辛うじて防ぐガレット。
“マジックキャンセル” は敵の魔法攻撃を一定確率で無効化するスキルだが、AGI依存であり、AGIが上がりにくい重盾士のガレットでは運試しも良いレベルだ。
有効なのは、“魔盾” だが……。
“帝国最強” レイザーと肩を並べるノーザン相手では、焼け石に水だ。
たった一撃でガレットのミスリル製の盾は大きくひび割れ、それどころかガレット自身も相当な負荷が掛かってしまった。
「舐めているのか小僧ォ!」
『ズギャッ』
「ぐああああああああ!!」
それでも、攻撃の手を緩めるほどノーザンは甘くない。
二発目。
たったそれだけで、ガレット自慢の盾は真っ二つに割れ、その勢いのままミスリルの鎧に深く切り傷が付いた。
―― 防御力の高いガレットだからこそ二発目も防げた。しかし、あと一撃、同じように食らえば胴体は分離するだろう。
「ガレットさん!」
異変に気付き、入口前まで駆け出したアケラが声を張り上げた。
「村長! “瞬雷” を!」
そこに、魔力を練り上げるオズロンが指示を出す。
「“瞬雷”!」
条件反射のように、アケラはノーザン目掛け瞬雷を放った。
だが。
「効くか!」
それも、魔神ノ鎌が斬り割く。
「嘘だろ!? “ラージフレア”!」
“雷を切り裂くなんて!”
非常識も甚だしいが、オズロンは瞬雷を切り裂いて隙の出来たノーザン目掛け、巨大な火球を放った。
轟々と燃え盛るラージフレアは、ノーザンに直撃するかに見えた。
「俺様を馬鹿にしているのか、貴様等ァァア!」
『ズガンッ』
鈍い轟音と共に真っ二つに割かれるラージフレアは、左右に別れたまま空中で霧散するのであった。
「馬鹿、な……。」
思わず放心状態となったオズロン。
しかし、次に目に映ったのは、大きく振りかぶり、ガレットを切り裂こうとするノーザンの姿だった。
「ガレット!」
「“ファイアボール”!」
『ドンッ』
驚愕するオズロンの隣で、アケラはガレット目掛けてファイアボールを当てた。
その反動で思わず前のめりに転ぶガレットだったが、その甲斐あってノーザンの攻撃は空を切り裂くのであった。
「チィ! 小癪な真似しやがって!」
だが、それも無駄足だ。
地面に倒れるガレット目掛け、容赦なく大鎌を振り下ろした。
「“ホーリーレイ”!」
そこにカイエンと戦い合うファナがホーリーレイをノーザンに向けて放つ。
「ふん!」
しかし、ノーザンはホーリーレイを躱し、そのまま這いずるように逃げようとするガレットの太腿に魔神ノ鎌を刺した。
「ぐああああああ!」
「ガレットさん!」
ガレットの悲痛な叫びを聞き、助け出そうとアケラが駆け出した、その時。
「アケラァ! 死ねぇぇええええ!!」
カイエンが、ホーリーレイで生じた隙に、駆け出すアケラを標的とした。
「先生、ダメ!」
「逃げろ、村長!」
「あ……。」
―― カイエンの凶刃が、アケラの胸を突き刺そうと迫る。
「ぐあっ! “スライドプロテクト”ォォ!!」
『ズガッ』
「ガ、ガレット……さん。」
目を見開くアケラの正面に立つ、ガレット。
“スライドプロテクト” で強引に突き刺さる魔神ノ鎌から抜け出し、アケラを身を挺して守ったのだった。
しかし。
「ぐっ、ふ。」
強引に抜けだしたことで、ガレットの右足はズタズタに引き裂かれており、またアケラの身代わりとなって受けたカイエンの刀が、ガレットの腹から背へ貫通していた。
「チッ! この小僧……前といい、今回といい、邪魔しやがって。」
苦々しく吐き捨てたカイエンは、刀を抜き取る。
「死ね!」
そして、倒れ掛かるガレットに袈裟切りを揮った。
「が、はあ!」
『ギャインッ』
背で守るは、愛する人。
ガレットは右腕を差し出し、割れた盾の残骸でその剣閃を防いだ。
しかし、身に受けたダメージは大きい。
剣の勢いを殺せず、ガレットは後ろへと倒れた。
「ガレットさん!? ガレットさん!」
夥しい血を流すガレットに必死に縋りつくアケラ。
そのガレットとアケラを嘲笑いながらカイエンは刀に突いた血を振るい飛ばした。
「は! どうやらこの小僧はテメェが大事らしいなぁ、アケラ!」
「な、にを!?」
「け。前回もそうだし、今回もだ。よほどテメェに惚れ込んでいるみたいだぜ、この小僧! なぁ、おい!」
叫びながら、カイエンはガレットの左足に刀を突き刺した。
「あああああっ!」
「やめなさい! やめて、お願い、やめて!」
「はははは! 年の差幾つだよ!? こんな若作りの年増に惚れ込むなんて、色気づきやがって。見た目が老けているから、好みもババァってことか!?」
その言葉にガレットの頭に血が昇る。
強引に起き上がり、カイエンの刀を掴んだ。
「それ、以上……せん、せいをっ。馬鹿に、する、な……。」
だが、息も絶え絶え。
全身から流れる血の量から、致命傷を負っていることが伺える。
「ダメ! ガレットさん!」
「は。アケラもこの小僧に惚れ込んでいるんかよ? 冷えたわ。」
表情を能面のように落とし、刀を振り上げた。
「おい。カイエン貴様。殺す気か?」
そのカイエンを後ろから咎める、ノーザン。
だが、カイエンは卑しい笑みを浮かべて首を横に振った。
「ノーザン様ぁ……。こいつら転生者だろ? アケラが転生者だったとは知らなかったけどよ。殺しても生き返る。捕らえるのは明日でも良いんじゃねぇか?」
「……確かに、アロンが戻るまで最低でもあと4日は掛かるだろう。だが、貴重な戦力だぞ!? 貴様の責任で確実に捕縛しろよ!?」
納得した訳ではないが、かつてカイエンはこの村の村長アケラに良いようにやられたというのだ。
その私怨を晴らすために、今回の作戦に乗ってきた。
―― 屑だが、多少の留飲を下げる必要はある。
ノーザンから許可が出たことで、カイエンの表情が凄惨に歪む。
アケラとガレットを見下し、そして。
「じゃあ、死ね。また明日なアケラ!」
再度、大きく刀を振りかざした。
『ガンッ』
その刀を、再びファナが防いだ。
「先ッ生! ガレット君を、連れて……下がって!」
「またテメェか、アロンの女ァ!」
苦々しく顔を歪めるカイエンは、刀を握る力をさらに籠める。
―― ファナも、余裕があるわけではない。リーズルとガレットの大怪我を目の当たりにし、心が乱れる。
“戦場では冷静に”
アロンの教えが無ければ、取り乱していただろう。
だが、ファナが冷静さを失えば、全員が危険に晒されてしまう。
―― だが、現実とは無情だ。
「チッ! そいつがメインターゲットだぞ、分かっているのかカイエン!? そのまま押さえておけ!」
「応よ! って、何する気だ、ノーザン様?」
「俺様を舐めた真似をしたコイツ等に、絶望が何か叩きこんでやる!」
ノーザンは、この有り様が酷く気に入らない。
特に、他人が他人を身を挺して庇う姿。
ノーザンにとって、反吐が出るほど嫌悪する姿だった。
「どいつもこいつも、屑のくせにっ! 俺様の覇道の邪魔を、するなぁぁあ!!」
それは、30秒を要するスキル。
「“召喚”! “バハムート”ォ!」
『グオギャアアアアアアアアアアアアッ!!!』
ノーザンの正面浮かび上がった深緑の禍々しい巨大魔法陣から、漆黒の巨竜が姿を現した。
「嘘……。」
「なに、これ……。」
リーズル、そして重傷のガレットの傷を癒し始めたセイルとララは絶望に顔を歪めた。
それは彼女たちだけではない。
その場に立つ全員が、ノーザンの “絶望” を叩きつけられた。
「さぁ……。転生者のテメェらならこれから何が起きるか分かるよな? こいつの吐くブレス一つで、奥の住宅街は一気に焼け野原だ。さぁ、どうする!?」
バハムートの横に立つノーザンが、恫喝する。
「アロンの妻、そしてアロンの妹! 俺様と共に来い! ……そうすれば、村には手出ししない。」
「ダメ、ダメですファナさん!」
ノーザンの言葉に、ガレットに縋りつくアケラが必死に止める。
“そんな約束、守る人間ではない”
―― 彼ら超越者にとって、いや、特にノーザンにとって、この世界の住民など路傍の石と何ら変わらない。
「……分かんねぇようだな? おい、やれ。バハムート。」
ファナが答えに窮しているなどお構いなし。
ノーザンの命令で、バハムートはその大きな口を開いた。
『ギィィィィィィ……』
硬質音と共に、口の前に魔法陣が浮き上がる。
「やめて! お願い、です、やめてください!」
それが何かを知るセイルが、必死で乞う。
「知るかよ。」
セイルを見下し、無情に告げたノーザンはバハムートを見上げる。
その目は、合図。
“やれ”
『ズガアアアアアアアアアアアアン』
炸裂する爆発音と共に、バハムートの口から真っ赤なブレスが放たれた。
絶望的な赤い閃光は、真っ直ぐ、村の住宅街へと突き進む。
それは、襲撃の報で各戸に隠れる多くの村人の命を刈り取る、死神の光。
閃光が、住宅街の中心部に届く。
その寸前。
『バギンッ』
轟音、爆発音、では無かった。
異様な硬質的な音と同時に、赤い閃光は直角に弾かれ、天へと昇った。
「「……はぁぁあっ!?」」
あり得ない光景に、思わずノーザンが叫ぶ。
それは隣に立つカイエンも同様だった。
その時。
「可愛い子ね? 魔力で生み出した竜の子かしら? ……でも。」
『グシャッ』
ブレスを放ったバハムートが、突然、巨大な鉄板でも押し付けられたように潰れた。
「私の森で、少々オイタが過ぎるわ?」
潰れたバハムートは、さらさらと光の粒子となり消え去った。
代わりにその場に立っていたのは、一人の少女。
異様な長く厚い黒髪をポニーテールで結い、夕暮れの闇に溶け込むような漆黒のドレスを身に纏う、どこかの貴族令嬢のような少女だった。
その瞳は燃え盛る火焔のように赤く、見る者を魅了する深みがある。
だが残念ながら―― 白い肌は病的で、肉付きも骨と皮のような、何とも弱々しい。
しかし。
「なんだ、きさま、は?」
ガタガタと震えるノーザンは、目の前の少女が “人間では無い、とてつもないナニカ” であることに気が付いた。
震えるノーザンを一瞥し、口元だけ歪めた少女は、そのまま後ろを振り向いた。
その目線の先は、唖然と立ち尽くすファナ。
そして、倒れるリーズルとガレットにポーションシャワーを掛け続けるララに、だ。
クスクスと嗤いながら、柔らかな笑みを浮かべる。
「遅くなってしまってごめんなさいね。ファナ殿、ララ殿。貴女たちと、アロン殿との友誼に従い、盟約を果たしましょう。」
そして小声で、「パイ、3枚ね♪」と可愛く告げた。
その姿。
その声。
震えながら涙を流すファナもまた笑みを浮かべ、その名を告げた。
「お待ちしておりました…… マガロ様。」
“7つの大迷宮の守護者の、一柱”
“龍種最強”
“邪龍の森” こと、【ルシフェルの大迷宮】最奥の門番。
“邪龍マガロ・デステーア”
ラープス村を守るべく、降り立った。
次回、3月10日(火)掲載予定です。
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現在、本業の年度末進行で執筆時間がかなり削られてしまっております。
もしかすると1~2日遅れての掲載となるかもしれませんが、御容赦ください。