6-13 混乱
陽が落ちる前の、黄昏時。
赤と橙に染まる霊峰の空の下、“邪龍の森” の霊樹で組まれた堅牢なラープス村の入口に明かり灯された。
揺らめく火に照らされるは、漆黒の仰々しい5台の軍用馬車、そして馬車から降りた豪勢な装備品に身を包む18人の冒険者たちだ。
まるで戦場へ向かうかのような装いだが、ラープス村は聖国軍との戦場 “ウァサゴ渓谷” とも、覇国軍との戦場 “アガレス平原” とも離れており、帝都から進軍したとしても立ち寄るような場所ではない。
主要街道から外れる農業と畜業が盛んな一介の村。
その村が他所と違う点を挙げるとすれば、ここ最近は好景気に恵まれ裕福であること、そして、“超越者は帝都で暮らすこと” という半ば強制的な徴兵令を固辞する、―― 帝都での優雅な暮らしに全く興味を示さない変わり者の超越者が住み着いていることだ。
冒険者、それも上位の者と分かる屈強な面々が田舎の農村に臨戦態勢で押し寄せるほどの事態となると、“村の改易” だろう。
改易は、村を装いながら実体は盗賊共の根城として使われてしまっている場合、村民が全員グルになって帝都への謀反を企てた場合、多額の所得隠しや帝国税の度重なる未払いなど、帝国として放置が出来ない事態において輝天八将や有力な隊長格が自ら兵を率いて、罪を主導した者たちを捕らえ断罪し、帝国主導で村の新たな指導者をすげることを指す。
事実上の村のお取り潰しであり、他の町村への見せしめの意味もある。
だが、ラープス村はそのような不正は一切無い。
むしろ健全な村営で帝国に貢献しており、逆に以前 “超越者の勧誘” に託けた不要な財務調査を押し付けた帝国側の非により6年間の財務調査免除の特例が適用されている最中だ。
しかも、村人の一人がどういう理由でそうなったのか不明だが、帝国の第一皇太子と輝天八将を率いる大帝将の両名と、“ラープス村には関与しない” という取り交わしまでしてきたというのだ。
それにも関わらず、もはや暴挙としか表現出来ないこの事態が起きてしまった理由は、一つしかない。
―― その理由は、冒険者の一人が声を荒げて告げた言葉が如実に表していた。
「おいっ! いつになったらアロンの嫁は来るんだよ! 待たせてるんじゃねえよ、モブ共が!」
短い茶髪に、隆々とした筋肉。
武闘士系上位職 |“拳王” の男が、入口に設けられていた丸太を切り取って作られた長椅子を乱暴に蹴り上げた。
霊樹で出来ていない、普通の樹木から加工された長椅子は抵抗なく、『ベギッ』と乾いた音を立てて粉々に砕け散った。
「お待ちください! 今、確認しております!」
入口の騒ぎを聞きつけ、素早く駆けつけた村の護衛隊長は必死に取り繕う。
焦る。
恐怖で身体が竦む。
それ以上に、彼は “混乱” しているのだった。
―― 訪れた冒険者たちの目的が一体何なのか、当然理解している。
村を守り、村に富を齎す青年。
“超越者” アロンを狙っての蛮行だ。
アロンは、超越者たちから一目置かれる上位者の一人だと聞かされている。
そんな彼を手中に収めるため、輝天八将の一人 “魔戦将” ノーザンが異常に執着しているというのだ。
しかし、正攻法ではアロンは靡かない。
だからこそ、アロンの家族―― アロンが溺愛している妻のファナや、妹のララを狙ってくるという事だ。
それが遂に現実となってしまった。
しかし、この蛮行に対する手筈は整っている。
その対処法は単純明快。
村の最大戦力であるアロンを筆頭に、リーズル、ガレット、オズロン、村長アケラにアロンの妹のララ、さらに彼らの目的であるファナ自身が迎撃するというものだ。
……しかし現在、アロンは不在。
尤も、その隙を狙ってきたのは言うまでも無い。
(本当に大丈夫なのか!?)
アロン曰く『リーズル達は普通の超越者では手も足も出ないほど強いですよ』とのことだ。
彼の言葉を疑うつもりは無いが、正直信じられない。
仮にそれが事実だとしても、アロン不在でリーズル達がこの大人数の冒険者、しかも見た事もない上位者揃い―― 全員が “超越者” という可能性もある中、楽観視は出来ない。
もしも、リーズル達が敵わなかった場合。
“奥の手” がある。
その内容は、護衛隊長のみ聞かされた。
だが、その内容こそ護衛隊長の “混乱” の理由だ。
何故なら、その内容は荒唐無稽で、御伽噺のようなものであった。
しかし、ファナもララも “実際に会った” と証言している―― が、信じられないのは事実なのだ。
そして、その “奥の手” が発動する条件。
“敵を、村の中に招き入れること”
……意味が分からない。
本来、屈強な防護塀で囲まれた村に入れず、外で対処すべきだ。なのに、わざわざ危険を村の中へ招き入れる必要があるのか?
混乱が頭をかき乱しながらも、護衛隊長は当座の時間稼ぎを必死で遂行するのであった。
「おーい、ちょっとは落ち着けよー。噂の美人若妻ちゃんを早く見てみたいのは理解出来るけどさー。」
ただの農村の入口には似つかわしくない、立派な防護塀に触れたり叩いたりしながら一頻り感心していた男―― 獣使士系上位職 “従魔師” の男が、長椅子を蹴り壊した拳王の男に笑いながら告げた。
「ちげーよ! 早く仕事を終えて飲みたいだ! 今更モブ女にどうこう言うかよ、ボケ。」
「へー、言うねぇ! でも、どうせ村で捕まえた美人どころを囲って、スッキリしようって魂胆だろ?」
「オメーに言われたくねぇよ!」
拳王と従魔師のやり取りを聞きながら、丸太椅子に腰を掛ける白ローブの女が「ふぁ~~」と大きな欠伸をし、「バーカ」と呟いた。
「男って、結局ソレが目的じゃん。キモいわー。」
「悪いかよ!?」
白ローブ――、僧侶系上位職 “司祭” の女の言葉に拳王と従魔師だけでなく、周りの男性冒険者たちもこぞって反論した。
「てか、テメーもどうせ村のイケメン捕まえるつもりだろ? 知ってるぜー、さっきベーティとそんな話していたじゃねぇかよ。」
小柄だが、2メートルは超える大盾を背負う男――、重盾士系上位職 “盾将” の男がヘラヘラと笑い、司祭の女に告げた。
「そりゃベーティの趣味よ。“スタンボム” で一網打尽だ~、ってね。ま、アタシは可哀想なモブ男君を癒して上げるのが役目よ。アタシ、ほら、優しいし?」
「よく言うぜ。」
「は~あ。本当はアニーたちと南の戦場へ戻る予定だったんだけど、カイエンさんと一緒に残って正解だったな。こっちの方が危険が少ないし、何よりむさい冒険者の男を相手にするより、幼気な田舎少年をつまみ食いする方が絶対良いし~。」
「こいつも最低だよなー。」
ケタケタ笑う司祭の女にうんざり顔で大剣を背負った男――、剣士系上位職 “剣豪” の男が茶化し、嗤う。
「ねぇ。マジで大丈夫なん? 本当にアロンさんの奥さん捕らえて大丈夫なん? 絶対、激オコじゃない?」
その中で、一番背の低い赤髪の女――、薬士系上位職 “高薬師” の女が震えながら呟いた。
その言葉に、茶化し合いながら騒いでいた超越者たちは、ピタリ、と止まる。
「な、なんだよ、ルミ。怖いんかよ、お前?」
「そ、そうよルミちゃん。大丈夫に決まっているじゃない! こっちはノーザンさんが付いているんだし!」
超越者たちは口々に取り繕う。
―― だが、実際は高薬師の女、ルミが口にした “恐怖” は拭うことは出来ていない。
狙うは、【暴虐のアロン】の妻の身柄。
いくら帝国軍の最高権力者の一人、ノーザンの後ろ盾があるからと言って、あのアロンを敵に回す事になるのは必至だからだ。
さらに、妻を人質に取られアロンが大人しくノーザンの命令を聞くかどうかは不明。
むしろ転生者たちの価値観では “現地妻など幾らでも替えが利く”、“一人のNPCに拘る理由はない” という考えが大半だ。
“徒に神経を逆なでするよりも、納得してもらった上で協力関係を築いた方が建設的ではないか?”
その時。
「よぉー、ルミ。何をビビっているんだ?」
怯えるルミの後ろからカイエンが腕を回し、肩を組んできた。
「ひゃっ! だ、団長!」
「お前さん達もだ。この作戦に何一つ問題は無ぇよ。調べじゃあのアロンは、ファナっていう現地妻にぞっこんで、他の女には目もくれず、一筋だって話だぜ? はー、健気なこった!」
ニヤニヤ笑うカイエンは、そのままルミの身体を引き寄せた。
ルミの全身が嫌悪感に包まれるが、相手はルミが所属しているギルド “蒼天団” のギルドマスターなのだ。
むしろ、この程度のセクハラでアレコレ言っていては身が持たない。
「心配ない。今度こそノーザンの野郎が音頭を取っているんだ。恨まれるとすりゃノーザンただ一人さ。」
―― 以前のラープス村での失態について、釈放されたカイエンにはノーザンから賠償という名の多額の裏金を手渡された。
内心はそれで納得した訳ではないが、割の良い裏の仕事を回してくれる取引相手なのだ。長い目で見れば縁を切るほどの事でも無かった。
そして、今回についてはノーザンが全面的に責任を負う、という話であったため同行を決めたのだ。
カイエンは当初は渋っていたのだが、覇国の戦場で【メテオボマー】サブリナのミーティア戦法に巻き込まれデスワープで戻ったタイミングの良さと、戻ってもどうせまたミーティアに巻き込まれるかもしれないという思い、そしてノーザンから多額の謝礼が支払われるという美味しい仕事だ。
メンバーは蒼天団の転生者たちに加え、他のギルドでカイエン同様に裏の仕事に精通する変わり者ばかり。
もっと言えば、転生者特典を利用してこの世界を好き勝手に生きる自由人ばかりだ。
「ルミぃ。お前さんの役目は分かっているよな?」
「ひっ!」
カイエンはルミを抱き寄せたついでに、彼女の豊満な胸を掴んだ。
ゾゾゾ、と悪寒が走るが、抵抗することが出来ない。
薬士系、しかも高薬士すらジョブマスターにしていないルミは、自他共に認める “転生者最弱”であった。
転生して22年、レベルはまだ100に達してなく、冒険者ランクも下から2番目のEだ。
そのため、転生者だけでなくNPCであるはずの他の冒険者にも舐められてしまうのが、彼女の現状であった。
それにも関わらずギルドへ快く受け入れてくれたのがカイエンであり、ルミにとっては恩人でもある。
だから多少の “おいた” は目を瞑るしかなかった。
(セイルが……居てくれたら違ったんだろうなぁ。)
蒼天団でルミの味方は同じ女性転生者でギルドメンバー、“司祭” セイルだけだった。
ただ彼女はルミと違って僧侶系上位職 “祈祷師” をジョブマスターにした上に、転生職業の司祭もジョブマスターに辿り着いていた中堅だ。
しかも、僧侶系は戦場に治療院にと引っ張りだこ。
セイルは、あれよあれよと人気者となり、その美貌と東方系の美しい黒髪から “癒しの黒天使” という二つ名まで付けられるようになった。
『恥ずい二つ名じゃん。中二病か!』
自分よりも後に転生をしたためセイルは年下だったからこそ茶化す事もあったが、ルミにとって、唯一そういう態度を取れる相手でもあった。
だが、セイルは裏切った。
カイエン曰く、アロンを後一歩で獲得できるところでセイルはカイエンの情報を売り、逆にカイエンを追い込んだとの事だ。
“セイルがそんな事をするはずがない!”
“何か、カイエンがやらかしたに決まっている!”
心ではそう思うが、カイエンに同調する他無かった。
「はい。アタシの役割は……この村に潜んでいる転生者の洗い出しっすね。」
しつこく胸を揉まれ続けられるルミは、震える手からクリエイトアイテムスキル “上級鑑定薬” を取り出した。
「そうだ。これからやり合う奴等をお前さんは片っ端から鑑定するんだ。ノーザンの見立てじゃアロン以外に転生者が2、3人は潜んでいるんじゃないかってね。……そんな大人数が、あの鑑定の儀を潜り抜けたってのも妙な話だが、アロンが絡んでいるなら何があっても可笑しくない。」
「はい……。」
「心配すんなって言っただろ? お前さんはこの中で一番弱い。前線に立たせる真似はしねぇよ。オレの大切なギルドメンバーなんだからよ。」
「…… は、い。」
その時。
「お! 来たぜ!!」
拳王の男が叫んだ。
夕暮れの太陽、そして松明の灯に照らさせながら村の入口へと歩みを進める数人の男女。
その中の一人。
高位の神官が纏うような白のローブで身を包む、金の髪飾りを付けた美少女。
その美しさ、何より大きめの服でも隠し切れない煽情的な肢体に、男たちは思わず息を飲みこんだ。
「お前さんが、アロンの奥さんのファナさんかい?」
ルミをパッと放し、代表してカイエンが尋ねた。
しかしその答えを聞く前に、カイエンはその女の後ろに佇むもう一人の、既視感ある女が視界に入り思わず怒声をあげた。
「て、てめぇは! セイル!?」
「お久し振りです、カイエンさん。」
その女―― 元蒼天団所属の転生者、“司祭” セイルは丁寧にお辞儀をするも、冷めた目で睨んでいる。
「てめぇ! よくもオレを、蒼天団を裏切ってくれやがったな!? てめぇの所為で、てめぇが抜けてどれだけ苦労したと!?」
叫ぶカイエンに、セイルは溜息を一つ吐き出した。
「そんな事を言いに来ただけなら、お引き取りいただけませんか? 今、私はラープス村の村長補佐官を仰せつかっております。私は職務として、貴方たちが一介の村民であるファナさんを呼びつけた理由を確認するために同行したまでです。関係無い話をされるようなら、すぐお引き取りいただけませんか?」
激高するカイエンに、冷たく言い放つ。
火に油の状態だ、ますます顔を真っ赤に染め上げ怒鳴ろうとするカイエンだった、が。
「はいはいはいはい、ちょっと落ち着こうぜ、団長。よぉセイル! 久しぶりー。」
「……副団長。」
憤るカイエンの身体をグイッと押し出し、にこやかに声を掛けたのは、蒼天団のサブギルドマスターの武闘士系上位職 “忍者” ナックだった。
「今聞いた話は、マジな話? 蒼天団抜けて、アロンの居るラープス村に勤めているの? 君は修行の旅に出るって事で高等教育学院を休学しているわけだけど、あれって嘘だったの? 学院で教員もやっているオレとしては、さすがに看過できないなー?」
ナックは口早に捲し立てる。
だが、それでも平然とセイルは首を傾げた。
「副団長、いえ、ナック先生。おっしゃる意味がわかりませんね? 私は “退学” したのです。それを、私が超越者だからと勝手に休学扱いにしたのは学院側の都合ではありませんか?」
「おいおい。“転生者は帝都で豪華な暮らしをする代わりに高等教育学院に通って、有事の際は帝国軍に従事する” ってルールあんだろ? それを君の都合で破っちゃダメだろ? だいたい、退学したって君は帝都在住。豪邸に、多額の給金。両親だってそこに……。」
「引き払いましたが何か? 両親は元の町に戻り、元気に過ごしております。元々、帝都暮らしは肌に合っていなかったみたいで、両親共喜んでおりましたよ。」
うっ、と言葉を詰まらせるナック。
そのタイミングで、ファナが口を開いた。
「冒険者様。ラープス村の農民アロンの妻、ファナでございます。どういったご用件でしょうか?」
凛とした佇まい。
よく通る美しい声に男たちは「ほぉ」と声を漏らす。
「ぐ、くそ。セイル、てめぇは後だ。……お前さんがファナさんで間違いない、と。噂通りすっげぇ美人だなぁ?」
「お褒め頂き光栄でございます。で、ご用件は? 対したご用で無いのであれば、先ほど村長補佐官のセイルが申し上げた通り、お引き取りください。」
「今は冬なので、冒険者の貴方たちが狩りをするにも旨味も何一つありません。それにご存知とは思いますが、村は冬の間は宿も閉まっています。村内での宿泊はお断りしますが、もし夜営するようなら外の森をお使いください。足りない物資が入用でしたら、高額になりますが多少融通しますよ?」
ファナ、そして続けてセイルが言葉を紡いだ。
二人が言うことは同じ。
“用が無いなら帰れ”、だ。
その言葉で、カイエンだけでなく、後ろで様子を見ていた転生者たちが殺気立つ。
「おいおい、ずいぶんな言い方じゃないか? なら用件を伝えよう。ファナと言ったな。君は皇族及び将軍位に対する不敬の疑いがある。身柄を拘束せよと輝天八将 “魔戦将” ノーザン様からの命令だ。これから帝都へ連行する。悪いようにはしないから、大人しく従うことだな。」
眉間に皺を寄せ、ナックが答えた。
その言葉に、ファナは首を傾げた。
「皇族と将軍位への不敬? こんな一介の村民がそんな大それたことをするはずがありません。」
「しらばっくれるなよ? ジークノート殿下に喧嘩吹っ掛けたって聞いたぜ?」
怒りを治め、ニヤニヤと嗤いカイエンが伝えた。
しかし、ファナは「はぁ」と溜息を吐き出し、手に持っていた筒から一枚の紙を取り出した。
「未だ殿下がそのような事を? 殿下が私たちと交わした約束を反故にされると貴方はおっしゃるのですか? それこそ、皇族への不敬ではないでしょうか?」
その紙は、ジークノート、そしてハイデンと共に躱したラープス村への不介入の念書であった。
「な、なんだそれ?」
「お、おい。聞いてないぞ?」
「あれって……ハイデンさんの署名じゃねぇか!?」
他の転生者たちも騒ぎ出す。
だが。
更に、嗜虐的に嗤うカイエンだった。
「ああ、それか。殿下と大帝将を騙る偽造文書は。自分で曝け出して手間が省けたぜ。…… 捕らえろ!」
冷酷に告げるカイエンに、ファナもセイルも思わず息を飲みこみ、戸惑う。
―― あの文書は “本物である” ことは、カイエンだけ知っている。
だからこそ、“皇族と将軍位の不敬” と言えば、その文書を見せつけてくると想像していた。
そこで出てきた文書は偽物だと断定してしまえば、今回の襲撃について見せかけ上の大義名分が生まれるのだ。
しかしながら、この状況で大義名分を語るなら公文書の真贋判定は必須だ。
そのため、偽造文書があるという情報があれば、帝国の公文書を管理する総務省の役人も引き連れて来るのが筋だ。
だが、それを行わなかったのは元々カイエン達がラープス村に訪れた理由が “実力行使でファナやアロンの妹を捕らえ、抵抗する護衛隊や村人は皆殺し、女子供は可能な範囲で捕える事” だからだ。
つまり、今カイエンが偽造文書と断定して実力行使に走るのは本来は筋が違う。
このような論法が通じるなら、帝国の治世はとっくに終焉しているだろう。
しかし、ノーザンがあの手この手で裏金を使い、子飼いのような役人たちへの懐柔は済んでいるため、今回のラープス村襲撃については、様々な理由をでっち上げて上手く揉み消してくれる手筈なのだ。
―― 問題は、その文書の立会人である“大帝将” ハイデンの存在だ。
今回の件は揉み消されたとしても、実際に皇族との文書を取り交わして署名までしたハイデンの立場を思い切り踏み躙る行為である。
烈火の如く怒り狂い、今回に関わった者たちを全て処罰するだろう。
だが、それでも首謀者がノーザンであると、いくらハイデンでも簡単には処罰が出来ない。
同時にカイエン達、実行した転生者に対しても厳罰を科せる事は不可能だ。
それが、帝国の。
この世界での “転生者” の特権だ。
結局、僅かな期間の身柄拘束に、多少の財産没収で終わるだろう。
その分の補填はノーザンが見返りと共に支払うと約束し、実際、すでに依頼金という名の多額の現金が手渡されている。
こんな事で【暴虐のアロン】の抑止力となる絶好の “人質” が手に入ることを思えば、ノーザンから見れば非常に安いのだ。
「ファナ!」
“捕らえろ”
カイエンの号令と共に駆け出そうとする転生者たちの動きを見て、セイルはファナの腕を取り、村の中へと走った。
「ばーか! 逃げられるかよ!」
「村の入口が、がら空きだぜ!」
我先にと、拳王の男と剣豪の男が突っ走り、その後を剣士系の転生者が駆け出した。
「止まれ! 正当な理由と令状について帝都への確認が先だ! これ以上進むなら、村への襲撃と判断し、お前らを捕らえる!」
ファナとセイルを守るように武器を構える護衛隊長。
さらにファナ達に付き添っていた護衛隊4名も、同じように武器を取り出した。
「ははは! 捕らえられるものなら捕らえてみろ!」
剣豪の男は、大笑いしながら背負っていた大剣を抜刀と同時に袈裟切りする。
その切れ味と威力で、NPCの護衛隊など、一瞬で肉塊だ。
―― その、はずだった。
『ガンッ』
右手に大盾、左手に槍を握る大柄の若い男にあっさりと防がれた。
「は?」
「どりゃああああっ!」
掛け声と共に、若い男が力を籠めると『ドウッ』と鈍い音と共に、剣豪の男の身体は軽々と宙を舞った。
「ぎえっ!? う、うわあああああ!!」
『ドズンッ』
10メートルほど打ち上げられた男は、成す術なく自由落下で地面に激突し、くぐもった声を漏らしながら意識を失った。
「……は?」
「余所見していいのかよ、オッサン!」
放物線を描く剣豪の男をポカンと眺めてしまっていたもう一人の剣士系の男に、護衛隊の端正な若者が斬りかかってきた。
「ぐっ、……げっ!?」
『ギンッ』
交差する、剣と剣。
―― だが。
『バキンッ』
淡く水色の光を放つ若者の剣が “ミスリル製” と気付いた時は、すでに時遅し。
剣士の男の剣は、あっさりと砕け散ってしまった。
「村を襲撃した “賊” がどういう目に遭うか……もちろん知っているよな、オッサン。」
刃の欠片が宙を舞う中、若者が冷酷に告げた。
その言葉の意味が頭の中を反芻する、前。
『バズッ』
乾いた音と共に、剣士の男の右腕が吹き飛んだ。
「ぎやあああああああっ!!」
「うるせぇよ!」
『ドゴンッ』
叫ぶ剣士の男の腹に、容赦なくミスリル剣の峰を打ち付ける。
鈍い音が空に響くと同時に吹き飛ばされた剣士の男は、そのまま村の防護塀に激突し、ドクドクと右腕から血を流しながらも意識を失った。
「ちょ、待って! 嘘でしょ!?」
叫ぶ司祭の女。
その一部始終は、あり得ない光景であった。
まさか、単なる田舎村の護衛隊に、帝国内でも上位に位置する冒険者―― しかも転生者である2人の男が、あっさりと破られたからだ。
しかし。
「捕まえ、たぁ!!」
先頭を駆け出した拳王の男が、ファナとセイルに追いついた。
……と言っても、剣士たちの戦闘のわずか10メートル先で彼女たちは立ち止まったからだ。
―― 後ろで戦闘が始まったようだが、女さえ捕らえれば後は好きに村を蹂躙すれば良い。
しかも、ここには蒼天団を裏切ったセイルまで居る。
一緒に捕らえてしまえば良い。
“女には手を出すな”
【暴虐のアロン】を手中に収めるには妻の無事が最低条件となるため、捕らえ、欲情のまま犯すことはご法度となる。
しかし、セイルや村の女たちは別だ。
“オレ達を舐めた真似をした報いは必ず与える。”
この場でひん剥いて、犯してやろう。
その前に、まずはアロンの女の意識を飛ばすのが先決だ。
「うらぁ!」
至近距離の “縮地法”
一瞬で間合いを詰められ、目を見開くファナの腹に、容赦なく拳を突き立てる。
“これで女は終わりだ!”
その確信を持った、一撃。
息を飲む美人の腹を思い切り殴る、という卑劣な行為は男の嗜虐的な感情を昂らせた。
唯一、誤って殺さないこと、それだけが気掛かりだ。
『ドゴッ』
鈍い音が、村の広間と夕暮れの空に響いた。
「あっ、が……。」
腹の底から漏れる、嗚咽。
だが。
それは、ファナの口から漏れたものでは無かった。
「あ、に゛ぃ……?」
拳王の男は、信じられないとばかり目を見開き、呼吸もままならないまま両腕で腹を抑え、一歩、二歩と後ろに下がった。
男の拳は、ファナの腹に直撃する寸前に躱され、逆にファナの渾身のストレートパンチが男の腹を抉ったのだ。
その威力、とてもNPCが放てるものではない。
鎧だけでなく肉の壁にも覆われる男の防御力を貫く、痛恨の一撃だった。
「ぼっ、げっ、が……。」
男は後退りしながら嘔吐し、崩れるように地に膝を着いた。
止まらない嗚咽に、全身から吹き出す脂汗。
そんな状態でも容赦なく突き刺さる殺気に気付き、ガクガクと震えながらも頭を上げた。
そこには、冷たい目で見下すファナが立っていた。
「な、なん、だ、でめ、ぇ……は。」
「アロンの妻です。」
『バァンッ』
ファナはそれだけ告げ、跪く拳王の男の顔面を思い切り平手打ちをした。
だが、響く音は “平手打ち” のそれではない。
破裂するような轟音の次には、『ドゴドゴドゴゴ』とけたたましい音と土埃を巻き上げる地面、そして、
『ドガンッ』
勢いよく転がされた拳王の男は、村の入口の防護塀に激突。
先ほど腕を斬られた剣士の男の丁度となりで、意識を飛ばすのであった。
「な、なんだ!? 一体どういう事だぁ!?」
一瞬で勝負はついた、と思っていた。
いや、実際に一瞬で勝負はついたのだった。
想像とは、真逆の結果で。
我先にと駆け出した3人の転生者は、一瞬で返り討ちにあってしまった。
「……やっぱ、奥様は容赦ねぇな。」
「本当だよなぁ。」
護衛隊の若い男2人が震えながら呟いた。
そこに。
「ちょっと聞こえたわよ、リーズル君、ガレット君! 貴方たちも大概じゃない!」
「「ひええええええっ!」」
ファナの怒声が、響くのであった。
「馬鹿な馬鹿な! お前ら、怯むな! 相手はたったあれだけだ! 全員でかかれぇ!!」
半狂乱で叫ぶカイエンの怒声。
同時に、雄叫びを上げ、武器を手に村の中へ駆け出す転生者たち。
その、後ろ。
「まさか、本当に……。」
ルミは服用した “上級鑑定薬” の効果で、たった今、冒険者たちをあっさりと倒してしまった2人の護衛隊を鑑定した。
上級鑑定薬は1分間 “対象の職業とステータス値、現在HPとSP” を見ることの出来るクリエイトアイテムスキルだ。
ルミのみ見える、鑑定結果が映し出されたステータスウィンドウを、震えながら見つめる。
その、恐るべき結果。
特に、その職業だ。
“リーズル、職業:剣豪”
“ガレット、職業:盾闘士”
「やはり、転生者!?」
“上位職以上は、転生者しかあり得ない”
それが常識である以上、あの2人は転生者だ。
―― だが、アロンの妻は違う。
カイエン達が調べた結果、彼女は “僧侶” だ。
だが、拳王の男を一撃で沈め、さらに平手打ちとは思えない凶悪な張り手で吹き飛ばしてしまった。
“まさか、彼女も!?”
恐る恐る、ファナを鑑定しようとする。
しかし、入口側へと近づくファナとセイルの2人の内、元ギルドの仲間であったセイルへと思わず目線を送ってしまった。
―― やっちゃった!
だが、もう遅い。
止む無く、一旦セイルの結果を表示させる。
“セイルは、司祭”
それは、変わらない。
急いで表示させ、アロンの妻を見ようとした、が。
「嘘ぉ!?」
思わずルミは、叫んでしまった。
“セイル、職業:武僧”
(あり得ない!)
セイルは、司祭だ。
一度鑑定させてもらったことがあるので、それは間違いない。
そして、転生後の職業は絶対に変えられるはずの無いものだ。
しかし、表示された職業は司祭では無かった。
“武僧”
それが意味することは、ただ一つ。
(て、転職の書が、あるってことなん!?)
“転職の書は、この世界には存在しない”
それは、遥か昔から存在した転生者たちが求め、世界各地を彷徨い、その上で辿り着いた常識だ。
だからこそ、転生者はファントム・イシュバーンの最終職業のまま不変であり、扱えるスキルも、JP消費でスキルレベルは上げられても、他職のスキルを新たに得る事は絶対に出来ないことなのだ。
―― その常識が、覆る。
(いや、それを考えるのはアタシの役目じゃない!)
物事を深く考える事が苦手なルミは、慌ててセイルから目線を外した。
“自分の役目は確実に熟すこと”
そうしなければ、仲間に、特にカイエンに酷い目に合わされる。
抱き寄せられ、胸を揉まれるのはまだ良い方だ。
何度、身体を求められたか。
……同じ “転生者” なのに “弱い” というだけで、その他大勢のNPCと同じ目に遭わなければならないのか。
そうならないためにも、自分の仕事は熟す。
今度こそ、アロンの妻を見据えた。
彼女は“僧侶”
ただの基本職。
つまりは、NPC。
その、はずだった。
「ッ!?」
表示された内容に、ルミは息を飲みこんだ。
溢れる汗、そして激しくなる動悸。
ガタガタ震える手で、自分にしか見えないステータス表示に触れる。
何度も、触れる。
その結果が “間違い” では無いかと、一縷の望みを掛けて、触れる。
だが、結果は結果。
即ち、“事実” しか表示されない。
「あ、ハハッ、嘘でしょ?」
涙目で自分の頬を抓る。
“痛い”
つまり、夢でない。
「…… 何が、“僧侶”、よ。」
混乱する余り、ルミの瞳からは涙が溢れる。
表示を再度確認し、諦めるように、呟いた。
「…… “聖者”」
それは、転生者の中で最上位に君臨する者達の称号。
アロンの妻は、覚醒職だった。
次回、2月29日(土)掲載予定です。
→ 申し訳ありません、作者体調不良により3月3日(火)掲載予定とさせていただきます。