6-8 "嫉妬"
「いい加減にしろ糞鎧野郎ォォオオッ!」
発動しようした流星魔法を潰され40秒が経過した。
“狂天” の効果終了まで、残り20秒。
今だ『鈍足』の効果により身体が鉛のように重いが、目の前で成す術も無く黒銀の全身鎧野郎こと、【暴虐のアロン】に切り刻まれるバーモンドを助けるべく、放てるスキルを発動した。
サブリナが選択したスキルは、剣士系覚醒職 “修羅道” の “狼牙羅刹” だった。
カタパルトで発射されたような豪速と高威力の突きは、例え鎧を纏っていたとしても、まともに受ければ鎧ごと肉を抉り、骨を砕いてバラバラに引き裂くほどの凶悪なスキルだ。
しかし。
「“シールドオブイージス”」
『ギョインッ』
僅かに後ろを振り向くアロンが揮った剣により、簡単に弾かれてしまった。
「あああああ!! 糞ッ、クソクソクソ!!」
ズザザッ、と土埃を巻き上げながら滑る足に再び力を籠めて、地面を蹴り上げると同時に次は剣士系上位職 “剣闘士” スキル、“ストームファング” を放った。
これもまた、チャージタイムを必要としない速攻攻撃だ。
―― 『ジョブマスターに辿り着いた職業のスキルは、他職へ転職する際、一つだけ選んで扱う事が出来る』というファントム・イシュバーンの仕様において、サブリナが選択したスキルの殆どが、所謂 “速攻系” の攻撃スキルばかりで、人気のある補助系――、“剣士の心得” といった、装備品の種類や特定スキルによって効果が及ぶようなものは一切習得していない。
何故なら、魔法士系の覚醒職2職をジョブマスターに達してしまえば、それこそ必殺とも言えるミーティアやダークネスホールといった凶悪な魔法が備わるからだ。
それ以外のスキルは、いわば手数重視。
これらは全て、“サブリナ戦法” を軸にしているためだ。
“狂天” で、どうしても『鈍足』は免れない。
だが、スキルは普通に発動できる。
……発動後、再使用までのチャージタイムが3倍に伸びてしまうが、そこに要する時間が短いスキルならば、サブリナ戦法が不発となってもある程度は戦える。
“狂天×ミーティア” という一の矢が外れた場合、次の殲滅手段は魔法士系覚醒職 “冥導師” のダークネスホールこそ、二の矢となる。
威力はミーティアに比べれば低いが、それよりも素早く発動できる。
尚且つ、放てば必中とも言えるほど回避が難しい。
ただし、発動後のチャージタイムがミーティア同様1分。
もし、“狂天” の効果継続中に放ち、それで相手を倒しきれなければ同じく3分もの長時間、ダークネスホールを放つことが出来なくなってしまう。
だからこそ、二の矢であるダークネスホールを今放つわけにはいかない。そのことを想定した、手数と瞬発を活かしたスキル構成なのだ。
それでも、狂天の本来の効果であるスキル威力増加も相まっているため、実際には弱いわけでは無い、はずだ。
だが、サブリナは今になってそれを後悔している。
相手が【暴虐のアロン】だと、そんなスキルなど小手先にもならないのだ。
『ギイィィィンッ』
サブリナの剣から放たれた五本の青白い剣閃は、バーモンドを相手取るアロンの胴を穿つはずだったが、またしてもアロンの左腕の、見えない何かに阻まれた。
何かのスキルなのか、サブリナには理解出来ない。
その攻撃は確実にアロンを捉えたはずにも関わらず、まるでダメージを受けずに平然とするアロンの姿に背筋が凍る。
それだけでは無かった。
『バキンッ』
「ッ!?」
自身の剣が、粉々に砕け散ってしまった。
まともな武器が手に入らないこのゲームの世界で、覇国随一と呼び名の高い刀鍛冶師の手によって鍛え上げられたミスリル銀の片手剣が易々と折れたことに驚愕するサブリナが次に見たのは、再びアロンに身体を斬られる最愛のパートナーの姿だ。
サブリナが攻撃を仕掛けたことで、アロンの揮った剣閃は僅かに掠り傷を負わせる程度だったが、焼け石に水。
左肩から腕を失い、全身のあちらこちらから血を流すバーモンドは、かつてないほど追い込まれている。
―― 残り、10秒。
それで “狂天” は切れる。
そうしたら、不可避のダークネスホールを放つ。
それがアロンに命中すれば、勝利は確定。
……の、はずだが。
勝てるイメージが、全く湧かない。
確かに、相手は【暴虐のアロン】だ。
だが、ここはファントム・イシュバーンではない。
リアルを突き詰めた、ゲームの世界。
ファントム・イシュバーンの世界だが、成長も、武具も、そして迷宮攻略もままならないセカイ。
そんな世界では、“最強” だったアロンですら足踏みをしているはずだ。
だからこそサブリナは、湧いて出てくるこの世界のNPCを殺戮してレベルアップに勤しんでいたわけだ。
現在のレベルは474。
この世界に転生して22年、適正職業の儀を経て “魔聖” を始めとした習得スキルが解放されて10年が経過し、ファントム・イシュバーンよりもずっと長い時間をこの世界で過ごしているにも関わらず、今だレベル400台というのは何とも歯痒い思いだ。
それでもレベル450オーバーは、覇国ではサブリナただ一人。
サブリナの次にレベルが高いのは同じ転生者で五大傑の一人、“大渦のスフィート” こと “聖獣師” レザートで、それでも370である。
この世界では、レベル270を超えた当たりから途端にレベリングが厳しくなる。
逆に言えば、それを乗り越えてレベル300オーバーに達した者は間違いなく “上位者” と言えよう。
―― 恐らく、アロンは上位者だろう。
それは間違いない。
だが、“それ以上” という事は、信じたくない。
サブリナは、アロンを目の当たりにしてから震えが止まらない身体に喝を入れ続けている。
それはかつて、ファントム・イシュバーンで散々蹂躙された【暴虐のアロン】をと相対しているトラウマ―― では無い。
戦士系覚醒職 “竜騎士” スキル。
“ドラゴニックオーラ”
『使用中、SPが1秒毎1,000減少するが、ATK、MATKが20%上昇し、自身より低レベルの敵対者に対し “威圧”、“恐慌”、“怯み”、“咆哮”、“鈍足” の効果を与える。』
アロンが、戦場に降り立ってから絶えず発動させている、このスキルの所為だ。
サブリナが装備しているマジックアイテム、“真紅石の首飾り” の効果により、威圧、恐慌、鈍足、そして咆哮といった状態異常効果はレジスト出来る。
ただ、“怯み” だけは効果範囲外だった。
それでも、状態異常『怯み』はDEF、MDEFが10%減少、AGIが0になるのみ。
元々、パラメーターではAGIを上げていないサブリナにとって、あまり意味の無い状態異常なのだが……。
問題は、その効果が掛かっているということだ。
即ち、“レベル474” というサブリナよりも、アロンの方が高レベルという証左でもある。
加えて、毎秒1,000もSPを消費するドラゴニックオーラを発動し続けているということは、それだけ多量のSPを有している―― INTのパラメーターが高い、もしくはカンストさせている可能性が高いのだ。
“ギルド戦は、情報戦”
そう表現されるほど、戦闘前、そして戦闘中から得られる敵対者の情報は値千金。それは攻略の糸口にも繋がる。
覇国陣営の最上位者の一人として君臨していたサブリナは、転生した今でも、戦場に立てば敵対者の戦力分析は呼吸するように行えるのだ。
だがそれは、今となっては裏目に出ている。
―― 時間が経つ程、絶望が心を黒く染め上げていくからだ。
それは、バーモンドも同じだった。
今だ大量の血が噴き出る左肩を抑えながら、必死でアロンの攻撃を避ける。
いや、避けられていない。
サブリナとお揃いで装備している “真紅石の首飾り” の効果で『怯み』以外はレジストされているが、“狂天” の防御性能ゼロに加え、この『怯み』の所為で防御力がさらに10%減、つまりより多くのダメージを受け付けてしまう状態である。
結果、掠り傷ですら喚きそうになるほどの激痛が身体を蝕むのだ。
残り10秒ほどで、多少の苦しみからは解放されるだろう。
だが、ある程度正常になったとしても、目の前の圧倒的強者を相手にどこまで戦えるか。
いや、まだ10秒もある。
それまで、バーモンドが死なずに耐えられる保証はどこにも無い。むしろ、アロン相手に今の今まで命が繋がっている事は、奇跡に近い。
そして、その奇跡は長く続かなかった。
「後ろがガラ空きだぜ!」
書物スキル “縮地法” の連続使用で距離を詰めたオルトが、バーモンドの背後を取った。
「終わりだ!」
オルトが近づいていることも把握していたアロンも叫ぶ。
逃げ一辺倒だったバーモンドの首筋を狙い、横薙ぎに剣を揮った。
―― アロンが考える事は、オルトの刃がバーモンドの命を奪う前に、自分自身がバーモンドの命を奪う必要がある、ということだ。
そうで無ければ、“永劫の死” が発動されないのだから。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”っ!」
まさに、バーモンドの命が奪われんとする光景を目の当たりにして叫ぶサブリナ。
だが、剣は折れた今では剣士系スキルは軒並み発動不能。
魔法? 他のスキル?
“間に合わない!”
バーモンドの戦闘不能は、確定した。
―― かのように、見えた。
『シュッ』
「なっ!?」
「何!?」
空を切るアロンとオルトは、同時に驚嘆の声を上げた。
ある程度、予想はしていた事だが……。
バーモンドは、ディメンション・ムーブの瞬間移動効果によって、逃げだした。
◇
『シュッ』
「え……、バ、バーモンド、閣下!?」
聖国の国境内。
聖国本陣営にて戦況を見守っていた隊長格の男が、驚愕に叫んだ。
何故なら、つい1分前ほどディメンション・ムーブで戦場へ向かった総大将バーモンドが、ボロボロの姿で戻ってきたからだ。
全身血だらけ。
しかも、左腕は肩から、無い。
誰がどう見ても、満身創痍だ。
「ガハッ、ハァッ、ハァッ。…… “聖癒” 」
閃光が走った次の瞬間。
左肩を押さえていたバーモンドの右手に、薄い膜に覆われた拳大の球状の液体が握られていた。
バーモンドはそれを、血がドクドクと噴き出る左肩に押さえつけるように、潰す。
パシャッ、と簡単に破けた液体は、まるで空気中の水分を吸い上げるかのように徐々に膨れ上がってはバーモンドの全身の傷を覆い、さらには失った左肩に取り付き、人の腕のような形を造った。
そして、またも一瞬の閃光。
その直後には、アロンに斬られたはずの左腕は元通りに、全身の傷も殆ど目立たないほど回復したのであった。
薬士系覚醒職 “聖医” スキル、“聖癒”
“ポーションシャワー” 含め、薬士系職業で2種しかない回復スキルの一つであり、同時にほぼ全快させるクリエイトアイテムスキルだ。
使用SPは、奥義と同じ10万。
高いSPと引き換え、対象は自身か他のプレイヤーか、たった一人だけ。
そして、使用後は90秒ものチャージタイム。
使い勝手は悪いが、“HPが100万回復する” というファントム・イシュバーンきっての回復スキルなのだ。
最大HPが約58万のバーモンドには、やや過剰な回復量であるが、そのおかげか貴重な “フルキュアポーション” か、この世界では入手不可能(と思われている) “エリクサー” でしか回復出来ない、四肢欠損すら治療できる。
全快になったバーモンドは、全身を見渡す。
すると、ふと足元に横たわる女に気付いた。
……先ほど、戦場に出る前に殴って致命傷を与え、ディメンション・ムーブの “出口” となった攻撃判定者だ。
出る前にポーションシャワーを振りかけたが、それでも虫の息。
内臓が潰れているのか、口からおびただしい量の血を吐き出し、弱々しい呼吸音を鳴らしている。
「あ、あのっ。閣下……サブリナ様は?」
恐る恐る尋ねる隊長格。
その時。
「バ、バーモンド様ァ!」
叫ぶのは、別の隊長格。
横たわる女のすぐ脇に居た、初老の男だ。
「どうかっ! どうか御慈悲を! 貴方様たちの出口となったこの者は、わ、私の孫でございます! このままでは、いず、いずれっ! 命の灯が潰えてしまいます! あ、貴方様のその奇跡の力を、どうかっ、どうか! この娘にっ、孫にっ! どうか御慈悲を!!」
ボロボロと涙を流しバーモンドの足に縋りつく初老の男に、同じ隊長格たちは「無礼者!」と叫び、慌てて引き剥がした。
―― 気持ちは分かる。
だが、無駄なことだ。
それで同情したり、憐れむような男ではないから。
むしろ……。
「はあああ。そうか~。お孫さん、かぁ~~。」
空を見上げ、首をコキッと鳴らしたバーモンドは、慈しむように横たわる女と、そして初老の隊長格へと顔を向けた。
今まで見た事の無い、柔らかな笑み。
バーモンドの意外な表情に、全員が固唾を飲んだ。
“まさか、慈悲を?”
その願い、空しく――。
『ドガッ』
バーモンドは、横たわる女を全力で蹴り上げた。
無抵抗だった女は砲弾のように弾き飛び、鈍い音を立てながら土埃を巻き上げながら地面に叩きつけられるように転がり続ける。
停止した女は、手足が人体としてあり得ない角度で折れ曲がり、そして首も正面でなく、背へと180度反転していた。
「あ、あああああああああっ!!!」
慟哭を上げる、初老の隊長格。
余りの無慈悲かつ残忍な行動を取った総大将に、思わず斬りかからんとする勢いだ。
「やめろ!」
「押さえろ!」
それを、屈強な覇国の兵たちが必死で抑える。
その時。
「ごちゃごちゃ五月蠅いッ、モブ共がぁあああ!!」
絶叫をあげる、バーモンド。
総大将の憤怒に、青褪めながら硬直する覇国兵たちであった。
「テメェら、モブ共が何人死のうが知ったこっちゃねぇんだよ! 大事なのは、ボクやサブちゃんだってまだ理解していねぇのかよ、糞モブ共! 死ねっ! 死ね死ね死ね死ね! 今のジジィは処刑、そこのテメェらも処刑! 全員処刑だ!!」
「そ、そんなっ!」
震えあがる兵たちなどお構いなし。
バーモンドは、本気で皆殺しにしようとスキルを放とうとした、が。
『カチッ』
時計の針が噛み合うような、音。
それは、“狂天” の効果が切れた事を意味していた。
同時、憤怒に染まり上がっていた表情を、能面のように落とした。
「あああ~。そうだよねぇ。こんなモブ共に構っている場合じゃなかった。……サブちゃんは、と。」
ディメンション・ムーブの視覚効果で、急いで戦場を探る。
本来やるべきでなかった、単体離脱を仕出かしてしまった。
全身が、本能が、「逃げろ」と叫び、それに抗えなかったためだ。
だが、あの場で逃げなかったら……。
恐らくバーモンドは残りの四肢を切り取られ、絶命寸前まで追い込まれた上、捕らえられた可能性が高かったのだ、―― と、自己擁護した。
しかし、迂闊なのは否めない。
バーモンドが離脱した瞬間、その対象がサブリナに移るからだ。
“最悪” を想定しつつも、バーモンドは視覚効果を巡らす。
すると。
「良かった! サブちゃんは無事だ!」
今だ、戦場でアロンとオルトの両名と相対するサブリナが見えた。
……だが、どうみても満身創痍だ。
どんな攻撃を受けたか分からないが、サブリナもまたピンチ。
しかし、“最悪” に比べればまだマシだ。
―― 最悪は、アロンのディメンション・ムーブでサブリナの身体ごと、帝国の国境内に連れ込まれてしまうことだった。
戦場でわざわざ四肢を切り取る必要は無い。
むしろ、ディメンション・ムーブで追いかけられるバーモンドを警戒するなら、無理矢理にでもサブリナに触れて、ディメンション・ムーブで帝国内に連れてってしまえば良かったのだ。
そこから抜け出すには、死に戻りくらいしか手段がない。“帝国に連れて来られた” と即座に自害する判断が出来ればだが、好戦的なサブリナが、そのような判断を下すとは到底考えられなかった。
しかし、そうした最悪の事態にはなっておらず、アロンとオルトは馬鹿正直に戦場でサブリナと対峙している。
―― いくら相手が【暴虐のアロン】でも、ディメンション・ムーブの扱いについてはまだ甘いとほくそ笑む。
バーモンドのディメンション・ムーブ連続使用回数は、残り2回。
隙を見て、サブリナのすぐ隣に移動して、そのまま即座にこの覇国本陣営に逃げ込むのが正解なのだろう。
いや、“出口” の女は殺してしまった。
そうするなら、別の出口が必要、か。
バーモンドは、後ろに並ぶ女達へと目線を飛ばす。
「ひっ!」
女達は思わず身を捩らせてしまった。
先ほど犠牲になった女の次は、―― 自分かもしれない。
だが。
「……アロン。」
虎の子のサブリナ戦法を打ち破られた。
左腕を吹き飛ばされた。
まるで雑魚を相手取るように切り刻まれた。
その屈辱と怒り。
この世界に転生して、初めて舐めた真似をされた。
“殺す”
相手も転生者だから、殺しても明日には復活する。
“それが何だ?”
この世界でも、舐められた真似を許して良いものか?
答えは、“否” だ。
転生し、何不自由なく人生を謳歌している。
しかも自分は覇国の中でも指折りの権力者。
その素晴らしき人生に、ケチが付いた。
前世も今世も、プライドの高いバーモンドにとって、それは許しがたい屈辱であった。
「……殺す。」
気付いたら、それは声として漏れた。
それは、決意。
“チキン野郎”
そんな侮蔑を、この転生後の世界でも許してなるものか。
「アロンは……殺すッ!!」
決意は、行動に現れる。
バーモンドは、新たな出口を生み出すことなく、4度目となるディメンション・ムーブで戦場へと飛び立つのであった。
◇
「バ、モ、さんっ!?」
“まさか自分を置いて逃げるなんて!”
アロンとオルトの手で切り刻まれる寸前、最愛のパートナーであるバーモンドが、ディメンション・ムーブで逃げた。
―― 今世、初の出来事。
ファントム・イシュバーンでも、何度か見捨てられたことはある。
ただ、あのゲームは生存率が陣営の勝敗に直結していたため、やむを得ないものもあった。
“では、こっちの世界では?”
同じように、敵方を沢山殺した方が勝ち。
だからこそサブリナ戦法が失敗したのなら、すぐさま本陣営に戻り体勢を整えてから再度、別の箇所でも良いのでミーティア爆撃を降らせるべきなのだ。
しかし、彼は逃げた。
「あのッ、糞ヤブ医者野郎がぁあ! 戻ったらブチ殺してやる!」
叫ぶサブリナに気付いたように、アロンとオルトが振り向いた。
対象が自分に移ったが、今避けるべきは――
(あの糞鎧野郎に捕まって、ディメンション・ムーブで糞帝国に連れて行かれることだな。)
サブリナも、“最悪” が何か理解する。
だが。
(狂天は間もなく切れる。ミーティアは……あと2分はダメか。詠唱する隙さえあれば、移動先をガタガタのぐっちゃぐちゃに潰せるけど、あの糞鎧野郎と糞忍者野郎が邪魔だな。)
“自害して逃げる” という選択肢は、無い。
その時。
『カチッ』
サブリナもまた、狂天の効果が切れた。
「……狂天が解除されたな。」
ミーティアを潰して、丁度1分。
アロンもまた、狂天の効果切れを悟った。
「くくく……ひひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! これでぇ、万全だ! アロォン! オルトォ! テメェら絶対ブチ殺してやる! この手でッ、内臓、引きずり出してブチブチブチブチ千切って遊んでやって噛み切ってやるわ、この糞野郎共がああああああ!!」
『ブンッ』
剣を失ったサブリナが両手を宙に揮うと、空中に、血に染まったような赤い刃が、ジワジワと浮かび出した。
「“狂刃錬成” か!」
「げぇっ!?」
叫ぶアロンに、顔を引き攣らせるオルト。
薬士系覚醒職 “狂薬士” のもう一つの奥義と呼べる、スキル。
“狂刃錬成”
上位職 “鍛冶師” の “銀刃錬成” に似ているが、性能は段違い。
発動中、生み出した刃の数×100のSPを毎秒消費する代わりに銀刃錬成よりも高い攻撃力を誇るスキルだ。
加えて、一本一本に異なる “状態異常” 効果が付与されている。
猛毒、麻痺、混乱、睡眠、鈍足、沈黙……。
どれが掛かるか不明だが、耐性が無ければ攻撃を受ける度にあらゆる状態異常に掛かるため、非常に厄介だ。
そして、このスキルにもデメリットが働く。
一つは、自身の被ダメージ2倍。
これは “愚者の石”、“狂天” と同じ。つまり、狂薬師のスキルは発動すると、必ず受ける被ダメージが倍増するデメリットがあると言い換えられる。
そしてもう一つ。
発動中、発動停止から1分の間、状態異常『烙印』が強制的に付与されてしまう。
“烙印”
『HP・SPの自然回復が反転する』
つまり、烙印中は放って置けば徐々に回復するはずのHPとSPが失われていく。これは、上位のプレイヤーであればあるほど、嫌気される状態異常だ。
上位プレイヤーは、大抵は装備品によってこの自然回復量を増加するようにしている。
その分、生存率も上がるし、何より強いスキルを放てばあっと言う間に枯渇するSPを確保できるからだ。
しかしこの “烙印”
その効果自体も反転、つまり時間経過で失って行くこととなるので、厄介さで言えば『鈍足』や『被ダメージ倍増』とは比べ物にならないのだ。
だが、HPもSPも共に100万を超えるサブリナにとっては『烙印』すらも些細な問題だ。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!」
襲い来る赤い洪水。
大量のSPにモノを言わせた波状攻撃。
「はあああああああっ!!」
しかし、これすらもアロンには届かない。
剣を揮い、左手の不可視の盾で一つひとつを打ち砕いていく。
「あああああああっ!」
オルトも負けず、必死で両手の剣を揮う。
―― 厄介なスキルではあるが、出した本数×100ものSPを毎秒失い、さらに烙印の効果でSPを失っていくのだ。
いくら大量の総SPを誇るサブリナだろうと、長く使えるスキルではない。
尤も、サブリナの狙いは、これではない。
生み出した赤い刃は、ほぼ自動で動く。
つまり毎秒失うSPだけで、別のスキルを放つことが出来るのだ。
発動まで、5秒。
必中の、高威力スキル。
「“ダークネスホール”」
サブリナの左手に頭大の赤黒い光球が現れた、消えた瞬間、狂刃錬成を防いでいたアロンが赤黒の光に包まれた。
『ドギュウウウウウッ』
「アロンッ!?」
けたたましい音と共にダークネスホールに包まれるアロンの姿に、思わずオルトは叫び声を上げてしまった。
それが隙となり、一本の赤刃がオルトの腕を僅かに掠った。
「グッ!」
焦るオルト。
同時に、全身に悍ましい悪寒と吐き気が訪れた。
―― “猛毒”
だがそれも、持ち前の気合で耐える。
もしこれで足と腕を止めたら、狂刃錬成の餌食だから。
だが、まだ30本は浮かんでいた刃が、突然消えた。
「ひゃははは! 死んだ! シンダ! アロンが死んだ!」
半狂乱で喜びを露わにするサブリナ。
その眼前には、赤黒の煙を上げる全身鎧、アロンだ。
腕を交差し、防いだままの体勢で微動だにしない、ように見えた。
しかし。
「……さすがに痛いな。」
何事も無かったかのように、交差した腕を降ろす。
そのまま、剣先をサブリナに向けたのであった。
「な、な、何で生きているのよぉぉお!?」
―― サブリナは知る由もない。
アロンが纏っている鎧は、アバター装備。
つまりフェイク。
その正体は、ファントム・イシュバーンの神話級防具だ。
しかも装備効果で『邪属性半減』が備わっている。
ダメージが無いわけではないが、かなり抑えられている。
どちらかと言えば、生身で受けたジンの一撃と、メルティの一撃の方が被ダメージは大きかった。
そして、驚愕するサブリナはさらに驚くべき事態に見舞われた。
「グギャアアアアアアアアア!!!」
突然、サブリナの身体がアロン同様に赤黒い光に包まれた。
耳をつんざく叫びを上げ、のたうち回るサブリナであった。
「え、な、いつの間に!?」
オルトが驚くのも無理はない。
アロンは、動いていないのだから。
これは、アロンの左腕に装備された不可視の盾、“透導器クラールハイト” の魔法スキル反射効果だった。
『邪属性半減』で威力は落ちてしまったが、それでもアロンが受けたダメージの6割がそのままサブリナの身体を襲ったのだ。
膝を着き、吐血しながらアロンを睨む。
「ガッ、グ……。この! 何、を、しやがったぁ!?」
「いちいち攻撃手段をバラす阿呆が居るか?」
「て、テメェえええええ!!」
怒りに身を任せ、立ち上がる。
しかし受けたダメージは大きい。
さらに、“狂刃錬成” の『烙印』によってHPもSPも自然回復しない。
“万事休す”
それでも、再び狂刃錬成を放とうとするサブリナ。
その、目に飛び込んできたのは。
「バモッさん!?」
ディメンション・ムーブで再び、戦場に姿を現したのはバーモンドだった。
しかも、失ったはずの左腕も元通り。
装備はボロボロでも、いつものバーモンドだった。
「!?」
まさか、再び戦場に戻って来るとは。
―― いや、隙を狙ってサブリナを回収しに来る可能性はあった。
“サブリナが回収される”
そうなってしまうと、アロンの潜入からサブリナ作戦妨害まで、そして、サブリナとバーモンド “殲滅” が不意になってしまう。
まさに反射神経。
アロンは現在、攻撃判定のあるサブリナのすぐ後ろに移動した。
“これで、サブリナを殺す”
その首を刎ねるべく、剣を思い切り振りかぶった。
だが、それは間違いだった。
そして。
バーモンドの方が早かった。
「ごめんね、サブちゃん♩」
にこやかに嗤うバーモンドが立つ位置は、サブリナを回収するような位置取りでは無い。
サブリナの対面、そして、サブリナの後ろに姿を現したアロンに向けて、両手を広げるように見せた。
「えっ……?」
無垢な少女のように、呆気にとられた声を漏らすサブリナ。
次の瞬間。
バーモンドは、スキルを放った。
サブリナごと、巻き込むように。
その恐ろしい、スキルを。
「“ジャルーゾ”」
薬士系極醒職 “神医”
グランドマスターに達した者だけが使える、最強のスキル。
【秘奥義・ジャルーゾ】
“嫉妬”
その悍ましき力が、無慈悲に放たれたのだった。
次回、2月11日(火)掲載予定です。
(場合により、翌日になるかもしれません。)
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【補足】
アロンの盾、透導器クラールハイトの詳しい説明は第4章『4-4 準備万端』を御覧ください。