6-7 致命的な見落とし
巻き上がる土埃に、辺りを立ち込める血の匂い。
戦場を包むは、似つかわしくない静寂。
「アァァァアアロォォオオンッ!!!」
―― それを絶叫が引き裂いた。
絶叫の主は、胸元と腰元が開く煽情的な紅いドレスを纏う、鮮やかな赤髪を振り乱した可憐な――、痩せ細った青白い肌に目の下に蓄えた深い隈が無ければ多くの者を虜にするだろう、女。
覇国軍 “五大傑” の一人。
“流星紅姫” サブリナ・フォン・アースド・エンザース
その表情は、憤怒に染まっている。
帝国軍に、そして突撃命令を下した覇国軍が入り乱れる混戦地帯。
サブリナが発動しようとした魔聖の奥義・ミーティアは、バーモンドが掛けたバフスキル “狂天” の効果により、その有効攻撃範囲は直径200メートルにも及ぶのだ。
降り注ぐは、百の燃え盛る隕石。
両軍合わせ、1,000人以上の死者を生み出せたはずだった。
―― それをこっちの世界でも阻止された。
サブリナの瞳に映るは、その元凶。
黒と銀の全身鎧に覆われた男だった。
その男の身体からは悍ましいスキルと殺意が溢れ出ている。
“気に入らない”
多くの死者を得る機会を奪った挙句、何故、そのような殺意を向けてくるのか、サブリナには全く理解が出来ない。
……その姿を眺めるだけで、腸から湧き出る憎悪と憤怒で身が焦げ付きそうだ。
―― 同じだ。
前世ファントム・イシュバーンで何度も切り伏せられた屈辱が、脳裏にフラッシュバックする。
屈辱が、重なった。
「てめぇぇえ、かぁ!? また、私ぃのぉ! ミィーーーーーーティアを、ブチ破ったぁのはッ! てめぇかぁあ糞鎧野郎ぉぉぉおおおお!!」
口腔内を切ったのか唇から血が滴る。
しかし、サブリナは気にも留めず再び絶叫した。
黙っていれば扇状的かつ魅力溢れる女性なのだが、半狂乱で取り乱す姿を目の当たりにした周囲の兵は、余りの恐怖に震え上がってしまった。
しかし、アロンは動じる事は無かった。
「……そうだ。お前らの愚策などとうの昔に攻略済みだっただろう? むしろ向こうの世界の方が厄介だったな。」
冷静に。
しかし皮肉を込めて紡ぐアロン。
その言葉で、更にサブリナは怒髪天だ。
「言いわせておけばあああああっ! ブッッッ殺すッ! テメェはぁ、絶対、ここでブチ殺す! 何度もッ、何度も何度も何度も何度も何度も何度もッ、デスワープがぁッ、トラウマにぃなるまでッ、ブチ殺してやるうぅぅぅぅ!!」
つんざく金切り声で叫びながら、腰に帯刀していた魔石付きの片手剣を掴もうと腕を動かした、が。
「ッ!!」
―― 普段は気にも留めていなかったが、サブリナの身には “狂天” の効果が継続中だ。
凶悪なバフ効果の裏で発動する数々のデメリット。
その一つ “『鈍足』の強制発動” により身体が鉛のように重く、動きが鈍い。
『鈍足』
“状態異常の一つ。移動速度、通常攻撃速度が緩慢になる。時間経過で解除される”
ファントム・イシュバーンでは、嫌がらせ程度の状態異常だ。
解除方法やレジスト方法は多く存在するため、この状態異常が日常で発生しても初心者ですら困ることは余り無い。
しかも20秒経過すれば自動的に解除されるので、回復手段が無い場合は大人しく過ごすのがセオリーだ。
しかしそんな嫌がらせ状態異常も、ギルド戦だと話が変わってくる。
もし、掛かってしまった場合はすぐさま解除しないと危険極まり無い。
動きの鈍いアバターなど、恰好の的だ。
最強のバフスキルと呼べる “狂天” を掛けられた者は強制的に鈍足が発動することとなる。
しかも20秒経過で解除されず、狂天継続中はずっと鈍足のままなのだ。
そのことを理解したサブリナはさらに表情を歪め、アロンを睨む。
“狂天” のデメリットは鈍足だけでなく、“効果継続中に発動したスキルのチャージタイムが3倍となる” という厄介な仕様があるおかげで、虎の子のミーティアも再度発動するには、アロンに発動を阻止された瞬間からカウントして、3分必要となる。
スキル遅延だけは、“狂天” の効果が切れても継続されるから始末が悪い。
動きが鈍い。
ミーティアもしばらくは発動出来ない。
その事で内心に焦りが宿るサブリナの精神を読み取ったのか、アロンは剣先をサブリナへと向けた。
「油断が死を招く。それだけは、あのゲームもこの世界も同じ事だ。確殺だの、打つ手無しだの豪語していた貴様らの戦法など所詮その程度。覚悟しろ。」
身体を焦がす憎悪と、背筋を凍らせる悪寒を同時に感じたサブリナは、チッ! と一つ大きな舌打ちをしてから再び叫ぶ。
「バァァァァモンドォォ! こいつら殺すぞ! ここでッ、ブチ殺すぞオラアアアアアアアアッ!!」
「ちょっ!? 冗談止めてよ、サブちゃぁあん!」
バーモンドは全身に切り傷を受けながらも、必死でオルトの攻撃を避けていた。
“自分からは攻撃出来ない”
攻撃をしたら、せっかく国境内に設置してきたディメンション・ムーブの瞬間移動効果が消えてしまう。
当然だが、それを熟知するオルト。
薄く笑いながら、見下す。
「おいおい王子様よぉ。お姫様がオレ達の首を御所望だぜ? そのまま尻尾巻いてあのお姫様置いて逃げるか? チキン野郎?」
明らかな挑発。
揮われる黒刀の刃の檻をギリギリ回避し、バーモンドもまた表情を歪めた。
「そんな安い挑発に乗るかよ、バァカ!」
―― ファントム・イシュバーンならサブリナを置いて逃げただろう。
だがこの世界では、行動出来ないよう四肢を落とされ、自害出来ないよう厳重に拘束されてしまうと死に戻りが出来なくなる。
もしもこの場でバーモンドが一人逃げてしまえば、サブリナはアロン・オルトというファントム・イシュバーン帝国陣営のトッププレヤーを同時に相手しなければならない。
“勝ち目無し” と判断し、すぐさま手に持つ剣で自ら首を掻っ切ればデスワープによる死に逃げも可能だが、サブリナの性格を考えるとまず無い。
(あとで……サブちゃんに叱られるなぁ。)
方針は、変わらず。
サブリナに触れて瞬間移動で逃げるのが最善手。
バーモンドはオルトの攻撃を躱しつつも、脳裏にディメンション・ムーブの移動先を必死で設定し続ける。
狙うは、サブリナの真後ろだ。
―― アロンがディメンション・ムーブですぐ後ろに現れたのは、間違いなく “攻撃判定による瞬間移動” だと確信する。
そうでなければ、ディメンション・ムーブで移動してきたばかりのサブリナとバーモンドを狙い撃ちするなど、不可能だからだ。
“では、いつ攻撃を受けた?”
疑問は尽きないが、ディメンション・ムーブを扱えるのなら覇国本陣営の大砦へ潜入するなど雑作でも無いだろう。
恐らくだがバーモンド同様に敵陣へと忍びこみ、何かしらの攻撃をサブリナに当てたと考えるのが自然だ。
だが、バーモンドにもサブリナに気付かれず攻撃を当てるなど、それこそ不可能なはずだ。
バーモンド自身もディメンション・ムーブの使い手である以上、最も警戒するのは同じ “ディメンション・ムーブ” なのだ。
しかし、その仕様を知っていれば戦場以外で警戒する必要は無い。
狙われるとすれば寝静まる夜間だが、バーモンドもサブリナも、戦場では国境内の砦や要塞の総大将私室か、貴賓室を使う。
当然、入口には見張りをガチガチに固めているため、強行突破しようとしても騒ぎや物音ですぐ気付き、臨戦態勢を取れるほど、二人は鍛えている。
また、万に一つもあり得ない事だが、入口を無視して私室内にディメンション・ムーブで侵入してくる可能性も無いとは言い切れない。
―― だが、侵入出来る者は、ファントム・イシュバーンでその場に足を踏み入れている者だけだ。
それこそ、あり得ない話。
ファントム・イシュバーンとほぼ同じ構造、同じ世界観であったとしても、戦場の要である要塞や大砦の、そんな “何も無いところ” へわざわざ足を運んだ酔狂な奴など居るわけがない。
大体そんな場所へ足を運べるのは最上位プレイヤー。
そして、最上位プレイヤーはそんな意味の無いことはしない。
ましてや、“移動補助スキル” のディメンション・ムーブなど習得はしない。
だから、あり得ない。
想定外など、起こりえない。
―― それを、【暴虐のアロン】は超えてきた。
それだけでは無い。
疑問が、バーモンドの脳裏に過る。
(アロンは確か、ディメンション・ムーブなど習得していなかったはずだ!)
帝国陣営との攻城戦――、敵対陣営大人数ギルド戦で、帝国陣営にサブリナ戦法を破られた時は、必ずと言って良いほどアロンが絡んでいた。
そして、アロンは自身がディメンション・ムーブを習得していなかったため、別の習得者を中心に組んだ一時的なパーティーで、サブリナ・バーモンドの両名を追いかけ回してきたのだ。
アロンは、単身ギルドで有名。
余程の事情が無い限り他のアバターとパーティーを組みたがらない、所謂 “ボッチプレイヤー” だったはず。
もしもアロンがディメンション・ムーブを扱えるなら、ギルド戦という混戦状態の中、手間のかかるパーティー設定など行わずに単身でバーモンド達を追いかけまわしてきたはずだ。
―― 認めたくはないが、足手纏いが居るよりもアロン単身の方がずっと厄介で、強かった。
同時に、“コイツがディメンション・ムーブなど習得していたら本当に手も足も出なくなる” と何度も想像しては震えあがったのだった。
それがまさか。
この現実世界のようなゲームの世界に転生したアロンが、何故かディメンション・ムーブを扱っている。
まさに、悪夢。
「おわっ!?」
「チィッ!!」
ディメンション・ムーブの移動先をサブリナの背後へと脳内で設定しつつも、オルトの攻撃を紙一重で躱した。
その刃はバーモンドの首筋を捉えていたのだが、咄嗟にしゃがみ込まれたため切れたのは僅か髪の先だけ。
オルトは思わず舌打ちし、間合いを取り直した。
「小賢しいっ!」
躱される。
それでも、手数の多い攻撃で掠り傷は負わせられる。
しかし、転生者特典である “時間経過のHP自然回復” でその掠り傷すら徐々に目立たなくなる。
バーモンドは、“逃げ” の一手のためにオルトへは攻撃を仕掛けて来ない。
攻撃が軽くでも当たれば、その瞬間にディメンション・ムーブの “攻撃対象者への瞬間移動” がオルトに設定されてしまうため、逃げる事が叶わなくなる。
“バーモンドが攻撃に転じれば、やりやすいのに”
相手が幾ら極醒職だろうと、薬士系職業は所詮、後方支援職なのだ。
どの職業をジョブコンプリートし、その職業のスキルを選んで習得しているかは分からないが、それでも近接特化の自分とこうして接近して戦っている以上、バーモンドの不利は覆らない。
だが、こうして逃げの姿勢を取り続けられるのはさすがに骨が折れる。
自然回復が追い付かないダメージさえ与えられればいつかは決着が付くのだが、そのイメージが湧かない。
―― “奥義・鬼獄八極” といった大技スキルは当たれば致命傷を与えられるが、躱されてしまうと発動後の硬直時間という大きな隙を与えてしまうことになる。
武闘士系のスキルは、どれも発動までのチャージタイムが短い。
反面、発動後の硬直時間が他職に比べ目立つため、対処された場合に大きな隙に繋がる事が多い。
だからこそ手数の多い通常攻撃を放ちつつ、スキル発動のチャンスを狙う事が武闘士系に求められる技術なのだ。
攻撃を放つオルト。
避けるバーモンド。
攻防を繰り広げる二人の視界の隅に、映る光景。
それは、禍々しい剣を振り上げたアロンが立ち竦むようなサブリナに斬りかかる姿だった。
「サブリナ!」
思わず声を張り上げるバーモンド。
(今だ!)
その一瞬を待っていた。
オルトは踏み込んだ右足に、更に力を籠めて地面を蹴り上げた。
音が。
姿が。
オルトの残像だけを切り取り、その全てを置き去りした。
“縮地法”
オルトが扱える、書物スキルの一つ。
ファントム・イシュバーンで、“次元倉庫” に次いで最も習得者が多いと言われる瞬間ダッシュのスキルだ。
全8種の職業全てと相性が良いとされる。
しかし、その中で最も相性が良いのが武闘士系であると、オルトは確信する。
超近接特化職業。
得意とする間合いを一瞬で詰められるのは、まさに武闘士系必須と言えるスキルであった。
オルトは、一気にバーモンドの懐へと姿を現す。
そして、渾身の力を籠めて二本の刃を交差するよう振り抜いた。
この攻撃が当たれば、すぐさま奥義を放つ。
それで、バーモンドは終わる。
後は “狂天” の効果が無くなる前に、サブリナの両腕両脚を千切り、自害しないよう捕らえてしまえば、この世界からサブリナ戦法と呼ばれる恐ろしい攻撃手段が消える。
―― はずだった。
「なっ!?」
空を切る、二本の剣。
斬ったはずのバーモンドの姿が、またもや消えた。
オルトの背筋が粟立つ。
見たのだ。
消える直前。
バーモンドの口元が歪むのを。
◇
「覚悟しろ!」
激しいオルトとバーモンドの攻防を視界の隅に収めたアロンは、“ヒューマンキラー” こと “聖剣クロスクレイ” を強く握り、立ち尽くすようなサブリナ目掛けて駆け出した。
憤怒に顔を歪めるサブリナは、もはや悪魔のよう。
だが、所詮は凄んでいるだけである。
その身体を襲うは、“狂天” の『鈍足』。身体の自由が利かず、歯痒い思いをしているのだろう。
ここでアロンがサブリナを斬り殺せば、“永劫の死” によってデスワープは発動されず、不可避の死を与える事が出来る。
凶悪なミーティアを生み出す狂天こそが、サブリナの命を奪う元凶となろうことは、何たる皮肉か。
しかも、動きが遅いだけではない。
防御性能はゼロ。
被ダメージ2倍。
アロンが握る剣はファントム・イシュバーンから持ち込んだ伝説級武器、聖剣クロスクレイ。
小手先など不要。
剣士系のスキルのラッシュで、事は終わる。
「テメェッ!」
迫りくるアロンを睨みながらも、サブリナは必死に右手で腰に下げた剣を抜き取ろうとする。
だが、動きは緩慢。
完全に剣を抜き取る前に、アロンが先に間合いへと踏み込み、その胴を両断するだろう。
その時。
―― サブリナ!
耳に入る、最愛のパートナーの声。
普段の “サブちゃん” ではなく、“サブリナ” と呼ぶ声。
それは、合図だ。
「!?」
剣を振り抜こうとするアロンの目に飛び込んできたのは、禍々しく口元を歪めるサブリナの表情だった。
“何かを企んでいる”
だが、もう遅い。
アロンはサブリナに向けて大きく振りかぶり、剣士系上位職スキル “オーガスラッシュ” を放とうと剣刃に力を籠める。
力任せの渾身の一撃。
唸る、鈍い音。
それは、理不尽に殺された犠牲者たちの怨嗟か。
『ドウッ』
その音はオーガスラッシュの発動音では、無かった。
刹那、まさにアロンがサブリナの胴をその凶悪な剣閃で切り捨てる寸前、サブリナは一足飛びで後方10メートルほど距離を取った。
書物スキル “縮地法”
サブリナもまた、このスキルの習得者だった。
『鈍足』の例外。
“スキルだけは、普通に発動される”
“狂天” の効果継続中だからこそ一度放ったスキルが再度使用できるまでのチャージタイムは3倍にも伸びてしまうが、『鈍足』のみなら普通にスキルが放て、普通にチャージが出来る。
まさか、あのサブリナが逃げの一手を取るとは。
アロンは剣を振りかぶったまま、オーガスラッシュの発動を打ち消したのと、同時。
縮地法でアロンの間合いから逃れたサブリナの後方。
今の今までオルトが攻め続けていたバーモンドが、一瞬で姿を現したのだった。
「じゃ、サブちゃん。帰ろうか♩」
バーモンドのディメンション・ムーブ。
そして、サブリナの縮地法。
VRMMOファントム・イシュバーンでも、長くコンビを組んでいた二人の“ 戦場で窮地となった場合” における離脱方法であった。
合図は、普段呼ばない “サブリナ” という声掛け。
同時にサブリナは縮地法で真っ直ぐ後方へと離脱し、バーモンドはディメンション・ムーブにてその到達位置へと移動する。
この離脱方法を編み出したのは、ファントム・イシュバーンでアロン達にサブリナ戦法が破られたからだ。
“戦闘不能者の比率で、勝敗が決する” というルールのギルド戦で、大量の戦闘不能者を生み出すその戦法が通じなかった場合、態勢を整え次のチャンスを狙う事と敵対陣営のキル数を稼がせない事が重要。
だが、それはあくまでもファントム・イシュバーンの中での話。
まさかそのゲームの世界に転生してまで使う事になるとは、非常に腹立たしい思いだった。
だが、止むを得ない。
今、相対しているのはあの【暴虐のアロン】なのだ。
―― その恐ろしさは、骨身に染み込んでいる。
世界最大のVRMMOファントム・イシュバーンにおいて、“最上位プレイヤー” と呼ばれる者たちの平均レベルは、600。
600を超えると、1つレベルを上げる事が苦行に思えるほど膨大な経験値が要求されるようになる。
“平均、一月に1レベル”
そう揶揄されるレベリング。
だが、大抵の最上位プレイヤーはそこまで達してしまえばレベリングに意味を見出さなくなる。
それよりも、勝ち続けるだけで莫大な恩恵が得られるギルド戦にのめり込むようになるのだ。
そんなファントム・イシュバーンにおいて、前人未到のレベル900超えに唯一辿り着いたのが、【暴虐のアロン】だ。
高レベルということは、どのパラメーターも高水準、……だけでない。
そこに達するだけ、凶悪かつ狡猾な高経験値モンスターを倒したという意味。即ち誰よりもファントム・イシュバーンの広大な大地、迷宮を踏破した証だ。
それは、誰よりもプレイヤースキルが高いという意味も持ち合わせている。
事実、ギルド戦で帝国陣営に【暴虐のアロン】が参戦した場合、聖国陣営と覇国陣営は勝利した事が無い。
たった一人で、多くの最上位プレイヤーを屠る存在。
しかも、アロンに倒された者は立ち上がれなくなる。
比喩でも、何でもない。
書物スキル “永劫の死”
ギルド戦でそのスキルを習得する者の手によって戦闘不能に陥らされた場合、どんな手段を持っても復活する事が出来なくなる。
復活魔法や復活アイテムも無効。
“アロンに斃されたら最後”
そんな最強プレイヤーとまともに戦うなど、狂気を宿すバーモンドですら御免被る話だ。
(ボク等の勝ちだ、アロン!)
縮地法によってアロンの間合いから大きく逃れたサブリナのすぐ背後に現れたバーモンドは、その背に触れようと左腕を思い切り伸ばす。
僅か、それこそ爪の先だけでも当たれば及第。
ディメンション・ムーブで、覇国本陣営の覇国国境内に作り出した “出口” へ、瞬間移動することが出来る。
その時間は、1秒も要しない。
触れて、逃げれば、勝ち。
どういう手段を用いたか知らないが、サブリナに攻撃を当ててディメンション・ムーブの瞬間移動先に設定しているアロンは、覇国の国境内までは追いかけられない。
―― いや、もしかするとこの瞬間を察し、サブリナの背後か真横にディメンション・ムーブで姿を現して、斬りつけてくるかもしれない。
それで、サブリナは死ぬかもしれない。
だが、それでも構わない。
最も避けるべきは、四肢をもがれ、自害出来ないように拘束されてしまうことだ。
捕らえられても死ぬ事さえ許されないとなると、転生者の特権である死に戻り、デスワープで覇国の自宅へ戻る事すら叶わなくなる。
所謂 “飼い殺し” こそ、死なぬ転生者を殺す、唯一の手段なのだ。
だからこそ、アロンがディメンション・ムーブでサブリナの真後ろ、もしくは真横に姿を現して彼女を切り裂いても問題は無い。
切り裂かれた身体ごと、覇国の国境内へ飛んでしまえば良い。
後々、サブリナに口汚く罵られるかもしれないが、そんな事は最悪を想定すれば些事だ。
とにかく、“サブリナ戦法” は破られた。
だが、その根幹はディメンション・ムーブを駆使した不意打ちだから、今まで以上に注意を払えば、二度と同じ轍を踏むことは無い。
加えて、ディメンション・ムーブが扱える【暴虐のアロン】と会わないよう、避ければ尚良し。
このゲームの世界でどれほど強くなったのかは想像できないが、そんな事はそもそも相手にさえしなければ考えるだけ無駄だ、
―― 明日には、聖国陣営の戦場へまた向かおう。
“帝国へ攻めよ” という覇王の謎の指示など、無視だ。
二度とアロンに会わないようにする事の方が重要。
NPCや他の転生者がどれほどアロンに切り刻まれようとも、知った事ではない。
(良し!)
あと10センチメートルほど。
勢いよく伸ばす左手が、サブリナのドレスに触れる。
その刹那。
バーモンドに、得も言えぬ悪寒が過った。
“何かを、見逃している?”
未だ、アロンはサブリナの後ろや真横には姿を現していない。
いや、ディメンション・ムーブの瞬間移動なのだ。
一瞬たりとも気が抜けない。
しかし、ディメンション・ムーブの瞬間移動の特性上、移動先以外の者に攻撃を転ずるのは上位者でも難しい。
瞬間移動した先は、絶妙な間合い。
だからこそ、移動先の相手に攻撃を当てる事は容易でも、瞬間移動した直後に別の者へ攻撃を当てるのは非常に難しい。
例え、それが【暴虐のアロン】であってもだ。
だから、アロンが移動先であるサブリナではなく、バーモンドに攻撃を当てる事など出来る訳が無い。
無い、はずだった。
『ザンッ』
“逃げ勝ち” を確信したバーモンドの目に飛び込んできたのは、鮮血をまき散らして吹き飛ぶ、自らの左腕。
驚愕に見開いた瞳を、左へ移す。
そこには、禍々しい銀の剣を振り抜き、バーモンドの左腕を切り裂いたアロンが居た。
「な、」
“何故?”
だが、バーモンドの疑問は一瞬で氷解した。
ディメンション・ムーブの特性。
“最後に攻撃を当てた者の真横、もしくは真後ろへと瞬間移動が出来る”
サブリナ戦法を打ち破られたのは、アロンが放ったスキルキャンセル攻撃、“オーバークラッシュ” であったのは疑いようもない。
あの状況で、発動寸前であったミーティアを潰せるのは、チャージタイムがゼロのオーバークラッシュしか選択肢が無いからだ。
だからこそサブリナは余りダメージを負わず、吹き飛ばされただけで済んだ。
しかし、その直後だ。
バーモンドは、アロンの蹴りで吹き飛ばされた。
完全に、失念していた。
その瞬間、アロンのディメンション・ムーブの最終攻撃判定者は、サブリナではなく、バーモンドへと移ったのだった。
この世界で、誰よりもディメンション・ムーブの扱いに長け、誰よりもその特性を熟知していたバーモンドらしからぬ、致命的な見落とし。
破られるはずのないサブリナ戦法が破られたからか。
それとも、自分しか扱う者がいないと確信していたディメンション・ムーブが、別の者が扱ったからか。
それとも、ファントム・イシュバーンで恐れおののいた最悪の天敵、この世界では会うわけがない、居るはずが無いと思い込んでいた【暴虐のアロン】が現れたからか。
バーモンドは、自分の浅はかさを深く悔いた。
「シッ!!」
予想通り、サブリナの危機と合わせてバーモンドはディメンション・ムーブで離脱しようと、息をぴったり合わせた撤退の連携技を発動させた。
だが、その動きは何度もファントム・イシュバーンで見ていたからこそ、容易に予想出来ていた。
サブリナが縮地法で後方へ下がった瞬間、剣士のスキル技を消したのと同時に、アロンもまたディメンション・ムーブの瞬間移動を発動させ、バーモンドの真横に移動したのであった。
そして、サブリナに触れて逃げようとするバーモンドの腕を刎ねる事に成功したのだ。
アロンは、勢い吐き出す息の音と合わせて真横に剣を振り抜いた。
「グッ!?」
パスッ、と乾いた音。
左腕を斬られたバーモンドは、足を滑らせるように後方へと下がり、胸元に僅か数センチの切り傷のみでアロンの一閃を躱した。
滲む胸元の血。
噴き出る、左腕の血。
だが、アロンの攻撃は終わらない。
真横へと振った剣筋を、今度は円を書くように右下へと回し、大きく一歩踏み込む。
無理矢理後方へと逃げ、体勢の悪いバーモンドの胴を切り裂こうとする。
「糞っ!」
だが、バーモンドもまた強者である。
斬られたのは、左腕の肘。
肩を動かし、下から迫りくるアロンの剣閃を開いた脇で受けるように、わざと身体を傾けた。
『ドスッ』
胴目掛けた剣は、バーモンドの脇を捉える。
そのまま肩を削り取り、残った左腕を吹き飛ばした。
「あああああああっ!」
激痛に叫びながら、バーモンドは何とかアロンとの距離を取る。
「バモさんっ!?」
背中越しから伝わる殺気と、バーモンドの叫びから離脱が失敗したことを察したサブリナは、鉛のように重い身体を何とか捻って後ろへと振り向いた。
その目に飛び込んできたのは、いつも自分を抱きしめ、“殺して” と願えば力強く首を締めてくれる、バーモンドの華奢のように見えて意外と筋肉質な腕が、吹き飛んだところだった。
肩から鮮血を吹き出し、あわや倒れる寸前の、パートナーの姿。
そして、容赦なくそのパートナーを脳天から斬り割こうとする、黒銀の悪魔の姿だった。
「テメェ!!」
鈍い身体だが、スキルは発動できる。
『ガンッ!!』
サブリナは腰の片手剣に手が触れていたことは僥倖とアロンに向けて剣士系上位職 “侍” のスキル、“抜刀術・一閃” を放った。
スキルキャンセル効果は無いが、これもまたチャージタイムゼロで発動できる速攻の攻撃だ。
動きが制限されている今、その攻撃を咄嗟に選択したのは、サブリナもまたファントム・イシュバーンで最上位と呼ばれたプレイヤーだからこそ。
しかし、その剣はアロンの左腕によって阻まれた。
正確には、アロンの左腕僅か3センチ手前。
透明な何かに阻まれるように剣が止まったのだった。
当然サブリナは知る由も無いが、アロンの左腕には不可視の盾、伝説級片手盾 “透導器クラールハイト” が装備されていた。
―― 万が一、サブリナがミーティアを発動してしまった場合、透導器クラールハイトの魔法反射効果および被ダメージ増加効果によって、サブリナ自身に致命的ダメージを与えてやろう、という考えがあった。
尤も、今となっては無為に終わった。
しかし、敵の攻撃を自動で感知し、不可視のシールドで防ぐその効果は、サブリナを驚愕と混乱させるには十分過ぎるのであった。
「なにぃ!?」
驚愕するサブリナに目もくれず、アロンは再びバーモンドへ斬りかかった。
「うわああああああっ!」
今だ左腕の止血、そして回復すらままならないが、バーモンドは “銀刃錬成” で刃を生み出し、アロンに向けてがむしゃらに右腕を揮った。
『スピッ』
その銀の刃の間を縫うようにアロンは剣を揮い、その剣刃はバーモンドの右手の甲を僅かに斬り割いた。
―― 本来は、右腕を完全に斬り飛ばすつもりだったのだが、無茶苦茶に乱舞する銀刃の軌道に阻まれて掠り傷を負わせる程度となってしまった。
それでも問題は無い。
『ドシュッ』
「が、はぁ!!!」
右手の甲が斬られ、焼き付くような痛みで僅かに硬直してしまったバーモンドの隙を狙い、今度こそ胴を切り裂いた。
傷は浅いが、信じられない激痛と倦怠感が全身を襲い、バーモンドはついに地へ膝を着いてしまった。
右手で押さえる右わき腹からドクドクと血が溢れ、止まらない。
「つ、強ぇぇ……。」
数十メートル離れた位置で一人立ち尽くすオルトは、思わず声が漏れてしまった。
本来、サブリナはアロンが狙い、バーモンドの相手はオルトだったはず。しかし気付いたら、サブリナとバーモンドの両方を、アロンが相手取っているのであった。
いくらサブリナが鈍足で鈍かろうと。
バーモンドの身にも狂天のリスクが未だ牙を剥いていたとしても。
あの二人は、ファントム・イシュバーンの覇国陣営で一時期 “最強” と呼ばれたギルド、“満天星” を牽引した悪名高き卑怯者なのだ。
そんな最悪のコンビを、まるで赤子の手を捻るように問題無く相手にしている。
「これが……【暴虐のアロン】」
久しく忘れていた高揚感。
“帝国陣営には、【暴虐のアロン】が居る”
オルト達、帝国陣営から見ればその姿は逞しく、力強く、そして心強い味方。
しかし、バーモンド達、敵対陣営から見ればその姿は悍ましく、絶望を齎す暴虐の悪魔なのだ。
だが。
胸がすく思いのオルトだが、彼は気付いていない。
戦場に立つ前、彼自身がアロンに対してどんな仕打ちと言葉を投げかけてしまった事を、失念してしまっている。
アロンにとって、自分の位置がどこにあるのかを、完全に見落としてしまっているのだった。
だが、あと僅か数分後。
オルト自身がアロンの怒りに触れてしまった事、それが自分たちにとってどれほど危険で愚かしい事なのか、身を持って思い知らされるなど ―― この時は、まだ知る由も無かった。
次回、2月8日(土)掲載予定です。