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 腹の鳴る音がして、彼は目を覚ました。体中からえた鉄のにおいが漂っている。寝床について、そのまま眠ってしまったらしかった。


 体中の筋肉を引き延ばすように大きく背伸びをしてから起き上がる。あちこちから光の差し込むほどのぼろぼろの木の壁に囲まれ、布団は黒くいたるところが引きちぎれていた。布団から這い出ると腐ってささくれた床材がくずれ、きしんだりたわんだりして今にも壊れそうだった。扉は朽ち果てて外枠のみになり、仕方なしにブルーシートを張って外部から遮断をしていた。外に出る。


 垂直に高く生えた木々の葉の間からゆらめくように日光が降り注ぐ。水の音の鳴るほうへゆっくり山を下りながら、朝の風が通り抜ける音や遠くで鳥のさえずる声を楽しむ。数分進むと急な傾斜になっており、その先に小さな沢があった。


 足が少し浸かるほどしかないような浅さで、日によって水量もまちまちだが、彼にとってはここは貴重な水源だった。ここのところ雨は降っておらず、日ごろ少ない水量も今朝はいちだんと少なく見えた。そのぶん水は清く澄み透明で、小石や砂利がよく見えた。


 彼は服をすべて脱いで沢に寝そべる。体にしみるような冷たい水だった。全身についた血液や体液をしっかり水で洗い流す。髪を洗い、うろこの一つ一つの隙間も丁寧にこする。口をすすいでから、胃に清い水を流しこむ。昨日の食事で多少生臭く感じられた喉も、よく冷えた水ですっかりリセットされるようだった。彼は調子よくごくごくと水を飲んだ。


 そのまま衣服を洗濯してしまうと、彼は裸のまま悠然と住処に帰った。


 水にぬれた衣服を木の枝につるし、戸を開けて家に入る。黒いビニール袋が二つ、目に入った。そういえば帰ってきてそのまま寝てしまったのであれば、こちらもそのままもってきて放置しただけだ。


 彼は血抜きをしなくてもそのまま食べられるかもと一瞬考えたが、それは自分のポリシーには沿わない気がしてきたのでやめることにした。だいいち血を抜いて内臓を別にしなければすぐに腐ってしまうだろう。食味もあまり好みではなかった。


 ビニール袋を開けるとこもって密度の増したにおいが吐き出された。体液をもとに細菌が繁殖している。一日だからまだよかったかもしれない。これよりも時間が経ってしまうとそれこそ処分も選択肢に出てくるので、大変もったいなかった。とりあえず手に取って腐敗のスピードを確認したが、さしあたってすぐに食べられなくなる重大な問題は起きていないようだった。


 もう一つの小さいビニール袋を開けた。袋で外界としっかり遮断したおかげで、さいわい虫が群がっているということはなかった。中身を取り出す。


 異常を感じた。肌が暖かいのである。


 彼はいそいで死体を確認した。もしかしたら日光で暖められたのかもしれない。窓から差し込む日光を確かめるも、その行く先はビニール袋ではなかった。


 性別は男で、少々痩せている少年だった。昨日までは少女かもしれないと淡い期待も抱いていたが、べつに少年だからといって食料にするならば問題はない。性欲を向けるにしても、この年代の少女ではいろいろと彼好みの体つきではなかった。ここにきて、一目散に女を食事にしてしまった自分の強い食欲を、少しばかり後悔した。


 それよりも問題はそこではなかった。血の付いた首許を触ると、確かに開けたはずだった孔がきれいにふさがって、何もなかったかのようになっている。それどころか、少年の首はきれいにつながっており、それは折れた形跡も何もないという事であり、そうなれば血まみれである以外には何ら異常のない健康な少年の体であるという事だった。


 注意深く観察すると、少年の胸は確かに上下していた。息をしている。脈もある。


 彼は冷静な判断力を失った。殺したはずの少年は、確かに死んだはずの少年は、生き返った。


「うう」


 少年の口から喘ぎが漏れた。彼は驚いてそのまま少年を捨てて部屋の隅まで転がり逃げた。少年は床に頭を打ち付けて、小さく痛いとつぶやいて起き上がりながら頭を押さえる。周りを一周見回すと、裸の彼の姿をとらえた。


「うわあ」


 少年は耳をつんざくような大きな叫び声をあげて、慌てふためいた様子で出口を求めて部屋を走り回った。


「うわあ」


 一方の彼は仕方なしに少年が走ってこないほうへ逃げ回った。部屋のものは右へ左へとすっ飛んでいってめちゃくちゃに散乱した。ようやく少年が扉を開けて外へ駆け出すと、彼は我に返って少年を捕えんと一目散に走っていった。


 慣れない山道で少年は転んだり足を引っかけたりして、時々転がるように山を下りていく。対して彼は安定して姿勢を保ったまま飛ぶように追いかけていった。ここらを縄張りにする彼にとっては全く造作もないことで、高い身体能力と土地勘を含む経験によって、確実に彼が有利だった。


 少年が沢のところで激しく転ぶと、もう彼は少年のすぐ後ろにいた。


「ば、ばけもの」


 振り向きざまに少年が叫ぶ。彼は自分の姿をそう呼称されて心底狼狽した。化け物はどっちだ。確実に殺したはずなのに、なぜおまえは生きている。


「ばけもの」


 彼もまた少年に言い放った。低く唸るようなそれはヒトの声というより獣かなにかの声に近かった。


 少年はその辺に転がっていた石ころを拾うと彼に向かって投げた。彼はたまらず咆哮して右腕で少年の頭をはたいた。とっさに少年は避けたが爪の先がかすめ、頬がえぐり取られる。痛みに少年が頬を押さえて絶叫する。彼はお構いなしにそのまま二撃目を加えようと両手を大きく構えた。


 少年はそのまま目を白目にさせると、仰向けに倒れた。


 彼は終わったと思った。ようやくこれで安心して朝食が食える。少年の体を抱きかかえようと彼は早歩きで近づく。


 しかし、今度は彼が動けなくなった。少年の頬肉が、ゆっくり、ゆっくりと、静かに、組織を修復している。抉られてむき出しになった歯はすぐに新しい肉によって包まれ、筋肉が形成され、皮膚でおおわれていく。ヒトの自己修復と比べれば、はるかに異常な速度で、元に戻っていくのだった。


 なんということか。これでは殺しようがない。


「ばけものだ」


 彼は攻撃するのをやめ、少年の事を注意深く観察した。一分ほどもすれば少年の頬はきれいさっぱり元通りになった。彼はそれをみとめると、恐る恐る意識が戻らないことを確認し、おろおろと持ち上げて肩に載せた。あたりを用心深く警戒すると、また林に向かって歩いて行った。

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