シーフェスタ 下
シーフェスタは、3歳の時に新馬戦と300万以下戦を辛勝をした。他にもステップレースなどに参戦したが、殆どが10着以下の惨敗であった。この結果の原因はシーフェスタ自身の性格が原因であると思われた。 調教の時に調教師を振り落とす素振りをしたり、手綱に逆らったりなどの、気性の荒さが際立っていたのである。 それにも負けずに調教師達は、根気強くシーフェスタに立ち向かい、その調教に答えたのか、 シーフェスタはその年の暮れに開かれた、 舞鶴賞 (G3)を2着馬から4馬身の差をつけて、圧勝した。
翌年の始動は、3月のマーチ賞 (G2)であった。 シーフェスタも四歳となり、落ち着きを覚えて、 レースも圧勝。陣営側もこのレースでの手応えを感じ、重賞レース参加に視野に入れ始めた。その後も勝鞍(勝利)を重ねていき、とうとう、人気投票で出走が決まる平塚記念 (G1)に参戦することが決定。 (ファン投票では8万2432票を獲得。これは二位のファストタイヨウに約2万票を差つける人気であった。)
迎えた平塚記念は、 一番人気の内枠2枠から出走し、 二番人気のファストタイヨウとの壮絶なマッチレースを繰り広げた。 結末は残り200m付近で一気に突き放しての勝利となり、 シーフェスタは優勝。 初めてのG1初制覇となり絶頂期を迎えた。
つづくレースは松宮杯 (G1)であった。 ここでも、シーフェスタは平塚記念の圧倒的勝利と重賞二勝目の期待を背負い、 一番人気に押された。レースは、 ここでもブッキングをしたファストタイヨウの先行からスタートとなり、 序盤はしっかりと折り合いをつけてのレース展開。 最終コーナーを回ったとき、 シーフェスタは外から一気に捲りを繰り出してきた。 トップを走るファストタイヨウを難なく追い抜かしたが、 残り150mで悲劇が起きた。そのまま最後の直線に入った瞬間に脚がもつれ前のめりに転倒。競走を中止した。この事故で騎手はターフに叩き付けられて肩甲骨を骨折。そしてシーフェスタは左第一関節脱臼および左第一指節種子骨粉砕骨折を発症しており、競走後に予後不良の診断が下された……
だが、このシーフェスタに残酷な最後が待ち受けていた。
【シーフェスタ事件】
シーフェスタが予後不良を受けた翌日。
松宮杯が開かれた競馬場の所在する××県の精肉市場に【ある精肉】が入荷された。
【 桜肉 本日締め 400㎏ 】
精肉市場なので、桜肉(馬肉)が入ってくるなんて日常茶飯事だが、市場関係者はこの肉を見て、ある噂を掻き立てた。
【あの桜肉は昨日の松宮杯に出ていたシーフェスタの肉だ。】
安楽死を施された競走馬が、何故に精肉市場に流れたのか? この噂を聞き付けた週刊誌がこの事件を調査し始めた。 そして、 判明した事実はこうだった。
安楽死を命じられたシーフェスタは薬物による安楽死を無視され、牧場に送致。 もがき苦しむシーフェスタを屠殺場に送り、 桜肉にされた。
衝撃の結末に、 競馬ファンや動物愛護団体は猛抗議をした。
このシーフェスタ事件を皮切りに、予後不良になった競走馬は即刻の薬物に寄る安楽死を早急にすると決定になった。
―――。
「全部読んだか? そのシーフェスタはとても優秀な馬だったんだ。 まぁ、安楽死も可哀想だけど ……グランプリホースが馬肉されてしまうってのも残酷だと思わないか?」
「 凄い最後でしたね。 レースに勝つように厳しい調教をされて、 やっと勝利を掴んだのに …… 事故は仕方がないですが、あの最後の結末は…」
僕達は今まさに鉄板でジュージューと音を立てながら、踊っている肉を見つめた。
「まぁ、食事中にシーフェスタの事を話してしまったのは悪いと思ったけど、 競走馬っての儚い生き物達だと思ってるよ。」
先輩は持ち直した箸で、肉を一切れ掴んで口に放り込んだ。
「今日はそのシーフェスタいや、 全競走馬に哀悼を向けて …… 馬肉を食べるのはよそうではないか! 諸君!! 競馬で儲けたのだからな!!」
………
僕は先輩に謝らなければいけない。
今、先輩が食べたのは……
桜肉なのだから。