シスコソフィ 中
シスコソフィは北海道の小さな牧場で誕生した。 父はシスコボーイであり、母はリュウマキタと言う血統。リュウマキタの血統はスタミナ重視の馬を輩出してるので、 子供に期待が高まった。
そして、本馬は誕生した。 仲買人が誕生を聞き付け、見に来て驚いた。
「え! この馬って牡馬じゃないの!? 」 そう、この馬は牝馬だったのだ。 余りにも筋肉隆々と流れていて、 馬体は生まれて半年なのに一回りも大きかったのだ。 その結果なのか、仲買人の半数は買付を辞退したと言われている。 そして、買い取りたいと言っていた馬主が見つかり、一歳でようやく競走馬として登録を受けた。 名前は父のシスコから貰い、 その牧場の近くに住むスイス人一家の娘「ソフィア」の愛称である「ソフィ」を貰い、 「シスコソフィ」と名付けた。
調教育成を掛けて、二歳のデビュー戦に出場。 シスコソフィの馬体はみるみる大きくなっていき、 両隣にゲートインした牡馬よりも大きい体を見せつけた。 観客からは物凄い怪物を見るよう視線を送ったのであった。 レースはシスコソフィの逃げから始まり、 二着とは七馬身を着ける楽勝の逃げ勝ちを納めた。 「今年は化け物の女王が誕生する!」と注目を集めていった。 その後もシスコソフィの快進撃は続き、 四連勝を納めて二歳の競技を終えた。
迎えた、三歳の春に八重桜賞 (G1)に出場する。 ここは昨年の連勝成績を踏まえての一番人気に押された。 だが、陣営はある一頭の牝馬を警戒し、ライバルと疑っていた。 その馬はナグラヤオーと言い、シスコソフィとは直接対決はしていないが、シスコソフィとそっくりな逃げ馬であり、 四連勝をしている。ファン達も「どちらが、快速の牝馬なのか?」と、 このレースに期待したのであった。
ここで、シスコソフィは「私こそが一番!」と謂わしめる様な、圧倒的で伝説になる重賞レースを演じることなる。
レースはゲートが開いた瞬間にシスコソフィとナグラヤオーが好スタートを切った。 第一コーナーを回ると二頭だけが並ぶようにして競り合いを演じ、 他の馬はぐんぐんと引き剥がされていった。 第二コーナーも回り、バックストレッチでレースが動く、 シスコソフィがぐんぐんとナグラヤオーを引き剥がし、四馬身の差を着けていった。 ナグラヤオーも負けずに食らいつこうと足を速めているが、差は縮まらずに第三コーナーに突入。 普通にシスコソフィがくるりと回ると第四コーナーからの最終直線の入った。 2番手のナグラヤオーは必死に鞭撃ちを食らっての追い上げであったが、 シスコソフィは、ただ一発の鞭で一気に爆走に入った。 尻尾をぐるりと回し、 脚は走っているのではなく、地面を飛ぶように悠々と進んでいった。
その実況をしていたアナウンサーは、只一頭の馬しか走ってこないので、 「後ろから何にも来ない! 後ろから何にも来ない! 後ろから何にも来ない!」と三度叫び、時間稼ぎをした。
そして、 シスコソフィは一着でゴール版を通過した。 それから2番手のナグラヤオーがゴールしたのは約2秒後であった。掲示板には一位と二位の差は「タイサ」と表示された。 これが、重賞レースを大差勝ちという歴史が生まれた瞬間であった。 (未だに破られてはない)
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