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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ツマラナイ

作者: 花南



 二十五歳の冬に人をひとり殺して刑務所に入った。

 禁固十年。まあ殺人罪の割には早く出てきたほうだと思っている。

 俺は刑務所の作業着を脱ぎ、久しぶりにここに来た日の服を着た。なけなしばかりの報酬を受けとり、荷物を持って長年いた場所を後にする。

 刑務所の壁には落書きがされていた。「おかえりなさい!」巫山戯ている。

 街を歩いた。十年経てば雰囲気は随分変わっていた。俺はポケットの中の手紙を握り締める。つい一週間前まで、毎月一通は届いた手紙だ。

「おかえりなさい」そう書かれていた。心の中にまだあった優しさが広がるような気がした。


 古いアパートの階段を上がる。赤く錆びた鉄の階段がぎしぎしと言った。たぶん地震がきたらこの階段はあっさり崩壊し、住人たちは飛び降りるしかなくなるのだろう。何人かは骨を折るだろうな。そんなどうでもいいことを考えた。

 一番奥の部屋があいつの住所だった。俺は弾むような気持ちで、そこまで歩いていく。

 待っていないと思っていた女――十年だぞ? 待つわけがない。それとも相手がいなかったのか。大概につまらない女だったからそれも考えられる。

 あれに溺れる男は、俺くらいのものだろう。

 インターホンを鳴らした。誰も出てこなかった。

 もう一度押した。誰も出てこない。留守だろうかと思った矢先、おじいさんが買い物袋に牛乳だけをぶら下げてこっちに近づいてきた。

「佐々木さんは死んだよ」

 そう言って、隣のドアの中に消えていこうとした。俺は無理やりおじいさんの手首を引っ張って引き止めると、事情を聞いた。

「なぜ、死んだんですか?」

「なぜも何も……歩いている最中に不審者に刺されたらしい」

 近所でも有名なゴミババアだったらしい。太った体でいつ洗ったかもわからない服を着ていたそうだ。歩くと異臭がしたし、誰も近づかなかったと聞いた。

 俺はおじいさんにお礼を言って、階段をゆっくり歩いていった。

 まっすぐ、二十五歳までお世話になることが多かった警察まで向かう。

「俺が佐々木佳寿子を殺しました」

 幾分か年を重ねた、当時の刑事とは違う刑事がため息をつく。

「ちょっと待っていてね……」

 電話で連絡を取る間、俺はずっと逃げもせず待っていた。

 やがて電話は切られて、刑事はゆっくりと告げる。

「犯人は捕まっている。自供もしたし、目撃情報と合致しているよ」

「でも、俺が殺したんです」

「あなた幾つ? もう四十近いでしょう。殺したのはもっと若い男だよ、体格ももっと違うしね」

 刑事は相手にせず、帰っていいと俺に言った。どれだけ殺したと言っても、十年前のあの日のように捕まえてはくれなかった。


 警察からの道を歩いて帰る。

 どこに? 帰るのは、どこへ帰るというのだろう。住所もなく、さまよっていた。

 俺が昔、誰かにとって大切な人の命を奪ったように、俺のことを待っていた女の命もあっさりと奪われた。

 小学生が携帯ブザーで遊びながら隣を横切る。音が耳障りなはずなのに俺は気にせず歩いていた。


 死のうか?

 自分に呟いたのか、もういないあいつに呟いたのかわからない。

 たぶん死のうと言ったらいっしょに死ぬような女だった。考えもせずに「うん、いいよ」と言っただろう。

 生きたい。

 自分を鼓舞するように呟いたが、空虚だった。

 たぶんあいつに言ったとしても、「うん、いきよう」と笑うだけだろう。

 俺の命も自分の命も、おもちゃのように軽く扱う、そういうつまらない女だった。

 立ち止まった。

 俺は死にたいのか? 生きたいのか? 自問自答してみる。

 今の俺にとってはどうでもいいことだった。俺もきっと、つまらない人間になっていたのだろう。


 少し離れたところでまた携帯ブザーの音が聞こえた。

 俺に注意勧告をしているんだ。あなたはまだ生きなさいと。

 生きていても死んでいても、どっちでもいい。俺は再び歩きだす。帰るところもなくふらふらと、十年で変わり果てた街を、誰も迎えてくれる人もいないまま、帰るところもないまま。


「つまらないなあ」

 口をついて溢れた言葉。ああ本当、つまらないなあ。何もかもが、つまらなかった。

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