其のころ
私が一人で大冒険をしていた頃。
小雪と対峙していた頃、頑張っている者がほかにもいたことを書いておかなければならない。
時は少し遡る。
私が小雪の作り出した陰に飛び込んだ後の話だ。
「社長! すいません!」
夜中の騒動だったというのに、起きてこなかった社長の部屋を社員が尋ねていた。
誰もが浮足立っているようで、様々な情報が飛び交っている。
「入れ」
そんな中、わざわざ訪ねて来てくれた社員を社長が部屋に招き入れた。
「その、久恩さんが!」
「攫われたんだな」
全てを見抜いているように社長が言葉を紡いだ。
「え? ええ、その通りです」
戸惑った口調で、社員が肯定する。
社長がにやりと口角を上げた。そして、ゆっくり振り向く。月が社長の背後に浮かぶ。
妖艶な雰囲気をまとったまま、社長は社員を見据える。
「その調子だと、あいつもついて行っちまったんだろうなぁ」
「あいつ?」
社長の言葉を理解出来ていない社員が言葉を濁す。不思議な顔を社長に向ける。
社長は左手を軽く振った。
「美姫だよ、美姫。新入りって言やあ、伝わるか?」
右手で煙管を遊ばせながら、社長言う。
「ああ! そうなんです! 止めたのについて行ってしまって! すいません!」
社員が興奮したような様子で社長に報告した。
「まあ、殆ど想定内だな。予想以上に混乱してやがるが」
社長は少し目を伏せた。
長いまつげが揺れる。
「騒いでも仕方ねぇ、行くぞ」
「あ、はい」
社長が目を開き、歩きだす。右手で煙管を遊ばせたまま、ゆっくりのんびり歩いていく。
その後ろを社員がついて行く。
一歩、部屋の外に出たら酷い状況だったらしい。
起きている者たちが混乱し、騒いでいる。そして、後から起きてきた者も動揺し、騒ぎを大きくしている。
場内は混乱を極め、だれの指示も通らない。しかも、勝手な憶測が輪をかけて状況を悪化させている。
「ったく、仕方ねぇ奴らだ」
社長が小さな言葉でつぶやく。溜息とともに吐き出された言葉は殆どの者には届かなかっただろう。
「静まりやがれ」
社長の言葉が会場に響き渡ったという。
その一言で社員の騒ぎが静かになっていく。
おかしな話かもしれないが、社長の言葉にはそれだけの力がある。必要な時に必要な分だけの言葉をかけてくれる。
だが、その多くも少なくもない言葉が胸にすんなりと入ってくるのだ。
私はその場に居なかったけど、社長の様子なら簡単に思い浮かべることができる。とても落ち着きがあって。
それでいて、きっと息をのむほど美しい。
「よし、落ち着いたなら、分かってることだけ報告しろ」
社長の指示のもと、情報が集められた。
久恩がさらわれたこと。私が独断でそれについて行ってしまったこと。久恩をさらったのはどうやら小雪と同じらしいということ。
「久恩さんの部屋には白い藤が置いてありまして……」
その言葉に少しだけ、社長の眉が跳ねたという。
これは宣戦布告を通り越して馬鹿にしているようなものである。同じ、犯人だと犯人自ら名乗っているようなものだから。
社員達が密かに憤りを感じている唐突に社長が笑い出したという。
「まあ、状況は悪くねぇ」
楽し気に笑う社長。現状に似つかわしくない言葉。
疲れで頭が働いていないのだろうかと心配した社員もきっといるはずだ。というか、私がその場に居たのなら、きっと心配したと思う。
だけど、社長はひとしきり、誰の目も気にせず笑い続けたという。
「まあ、あの馬鹿が着いて行くところまで想定内だ」
想定内、との言葉に社員が目を輝かした。
社長が何とかしてくれる、社長がすべてを守ってくれる。
そういった類の安堵感がその場を満たした。
「元々、ここに集まってくるのは過去のしがらみやら、何やらを抱えたやつばっかじゃぇか。久恩に過去のいざこざがあったって、何も不思議なことじゃねぇ。そうだろ?」
そう。
ここは『相談屋』。その社員の多くは行き場を失った者たちが多い。事件を起こし、解決に来てくれた社長の手によって引き取られた。
だから、過去に重い物、辛い物、目をそむけたくなるような物をたくさん背負っている者がいるのだ。
「まあ、だからと言って、久恩をやるわけにはいかねぇけどな」
社長の一言でその場の空気が引き締まった。
嗚呼、社長は本気で怒っている、そんな感想が全員の心の中で呟かれたのではないだろうか。
後で、事件の記録をするにあたり話を聞いたところ、多くの者がそう告げていたから、きっとそうに違いないと思う。
「さあ、反撃開始といこうじゃねぇか」
心底愉快そうに笑いながら、社長が告げた。
表情は確かに笑顔だが、社長の透き通った隻眼の瞳は笑っていなかったという。




