こんな世界は
姉が嫌いだった。いつも、両親や周りの人の目を持っていくから。私の邪魔をするから。努力しても、周りの興味は全て姉に注がれていた。
姉が何かをやらかす度に、私の努力は何度も流されて行った。
小学生の時から姉は何度も家出をした。学校の窓ガラスを割ってみたり、友達と悪さしたり。後片付けは全部両親がやっていた。本人はどこ吹く風の知らんぷり。自由で奔放で実の姉ながら大嫌いだった。姉の存在が本当に疎ましかった。
母さんは本当に参っていて、私と目が合う度、弱々しく微笑みながら、
「お前は本当に手のかからないいい子だね」
と言ってきた。
当時はその言葉が嬉しかった。褒められているようで何処か誇らしく感じていたのかもしれない。今となってはその感情がどんなものだったのか全然思い出せないが。
でも、私が自慢に思っていた言葉は一種の呪いのような拘束力を持っていた。私は“いい子”にしなければ母さんから見てもらえなくなるんじゃないか。こっちを見て欲しい。いい子にするから。
少しだけでもいい。賞状をとった時、テストで満点をとった時だけでもいい。こっちを見て欲しい。姉よりずっと“いい子”にしてるから。
そんな願いは小学五年の私の誕生日の日に打ち砕かれた。またも馬鹿騒ぎを起こした姉を追いかけ母親はすがる私の手を振りほどいて睨むようにこう告げた。疲れて冷たい目をした母親はどこか怖かった。
「あんたは“いい子”にしてくれるわよね? 分かってるでしょう?」
するりと抜けていった母親の手。言われたことが頭の中で繰り返し聞こえてきた。
何を分かれと言うのだ。何も分かりたくなどない。
“いい子”ってのは貴方にとって都合のいい子ということですか。それなら私はいい子になどなりたくない。
その日、私は初めて母さんに我がままを言った。どうしても傍にいて欲しかった。あんな問題児の姉ではなく自分を選んで欲しかった。
でも、帰って来たのは平手打ちだった。
「いい加減にしなさいっ!! あんたまで私を困らしたいのっ!? 」
違う。そんなつもりじゃなかった。
呆然と涙を流す私を置いて母さんは行ってしまった。人生で最初で最後にもらった平手打ちはとても、とても痛かった。
そんな私の肩に手を置いて父さんは困った笑顔を私に向けた。
「頑張り屋さんだろう? 悪いがたのんだぞ」
言い残して家を出て行った父さん。
一人になった部屋は寒くて冷たかった。母さんに叩かれた頬だけが熱を帯びていて、酷くむなしかった。
自分は何のために生まれてきたのだろう。姉の影でこそこそ我慢するために生きている訳じゃない。私だって誰かに必要とされたい。私の方が姉より使える。
翌日、姉は帰って来た。
どうでも良さそうな表情をしながら。悪びれた表情すら見せないで。
昨日は私の誕生日だったんだよ、と言いかけた私を制するように姉が口を開いた。
「本当にあんたが羨ましいわ」
その途端、用意していた言葉は私の喉からかき消えた。姉が言った言葉が信じられなかった。訳が分からない。
私の方がそう言いたい。何でよりによって姉がその言葉を口にするのだ。両親の愛情を根こそぎ持って行っておきながら、まだ足りないと言うのか。
心の中でどうしようも堪えきれない衝動が湧いた。
その名前のつけようのない感情を胸の内にしまってもう、姉とは会話しないようにしようと心に誓った。それでも、このどろどろとした感情は広がるばかりでどうしようもない。
その日から私は変わった。他人から頼まれたことも余すことなく引き受け、全てこなした。誰にも文句を付けさせないぐらい努力した。
頼ってもらえることが嬉しかった。
高校に入り、やっと、ここにいてもいいのだと思えるようになってきた矢先だった。
姉が事故を起こしたのは。しかも原因は違法な薬を使っていたかららしい。
その日を境に住み慣れた家も、私が作り上げた信頼もすべて失った。
あんなに頼って来てくれた子も、目を合わせようとすらしない。
「あいつの家、お金持ちだからどんなことやっても財力で何とかしちまうみたいだぜ? 」
「じゃあ、あの子もそうなのかもね」
そんなことない。どうしてそんなこと言うの。
何も知らないくせに、どうしてそんなことを言うの。私が何をしたって言うの。
私が愛されるのはそんなに駄目なことですか。そんなにわたしの存在は邪魔ですか。皆と何も変わらないのに。
嫌いだ。皆、大っ嫌いだ。所詮、人なんてこんなものか。誰の気持ちも分かろうとしないで勝手に押し付けてくるんだろう。
他人の不幸は蜜の味。
ならば、私が不幸をくれてやる。皆、消えてしまえばいいんだ。どうせ報われないのならいっそ清々しいくらいに壊れてしまえ。
壊れろ。消えろ。消えてしまえっ。こんな世界ならいらない。
“いい子”になんか慣れないもの。思いっきり悪くなって壊してしまおう。
「これだから怨霊は面倒なんだ」
短い言葉とともに胸の中に何かがねじ込まれた。痛さに絶叫する。
蹲ってしまいたかった。もう、起き上がりたくない。こんな世界、消えればいいんだ。何で私だけがこんな目に合わなければならないんだ。
暗い視界で目を凝らす。傾いた景色が見えた。
自分が倒れかけているのだと気が付くが、もうすぐそばまで地面が迫ってきている。とても惨めな気分に陥りかける。
その時、私の体を何かが包んだ。何度か感じたことのある暖かい温もり。これは。
驚いてしっかり目を見開いた。