眠り姫の見る夢は
非常に短い、思い付きのお話です。
魑魅魍魎が蔓延る茨の森の中央に、高い塔のそびえる城があった。
堅牢な城壁で魔物の侵入を防がれた城内は荒らされる事も無く、品の良い見事な調度品で設えられているが、誰一人城内を歩く者はおらず、まるで寝静まったように静寂に包まれている。
城の象徴といえる塔の最上階には、繊細な装飾を一面に施されたレースの天蓋とベッドがあった。
ここは、魔女の嫉妬から呪いをかけられ、何十年も眠り続けた姫の寝所であった。
だが、今はそのベッドには誰も横たわってはいなかった。
数十年前、一人の王子が茨の森の主である凶暴な竜を退治し、さらにここに眠っていた姫を助け出したのだ。
二人はめでたく結ばれ、新たに建てられた王城で仲睦まじく暮らし、今やその孫も生まれている。
『眠り姫』の伝説は美しい姫が呪われたという悲劇故かあっという間に大陸中に広まったが、その後姫が目覚めたという結末は何故かあまり伝わらなかった。
茨の森がまだまだ魔物が彷徨くような場所で、俄かに姫が助け出されてたとは信じがたかったせいかもしれない。
塔の中に螺旋状に伸びる長い階段に足音が響いた。
「ふぅ……この階段、やはりドレスのままでは上りにくそうだわ。ワンピースが一番」
背中に大きな布袋を背負った娘が、愚痴を言いながら、それでも慣れた足取りで階段を上ってきた。
町娘が着るような綿の地味な茶色のワンピースに頭巾を被ったありふれた格好。普通の娘と異なるのは、腰のベルトから提げられた一振りの剣。
これはお付きの者達から逃れる変装。彼女はこの国の第三王女、パトリシア。『眠り姫』の孫で、今年で16になる。
最上階の寝所に着くと、背中から布袋を下ろし、空気の入れ替えに窓を開ける。
「うん、いい風」
人があまり行き来しない城内は空気が淀みがちだ。例え眼下の森に魔物がいようとも、外の空気は気持ちが良いものだ、とパトリシアは大きく息を吸った。
茨の森の更に向こうの街や森、国境の山脈をも見える。この景色を見られるのは王族の特権、と自分の生まれに感謝した。
窓辺から離れると布袋からドレスや装飾品を出し、ドレッサーの前でワンピースからドレスに着替えた。頭巾を取った頭に小さなティアラを載せれば出来上がり。
元『眠り姫』である祖母から、「パティは私の若い頃にそっくり」と言われる程儚げな印象の姫君が鏡に映し出された。
後ろで髪を結っていたヘアピンを外すと、カールした輝くばかりの金髪が流れ落ちる。指で毛先のカールを幾筋か摘まんでは絡めて蒔き直した。
「ふむ……こんなものかしら」
鏡でメイク、髪型、服装を入念にチェックすると、脱いだものや布袋と護身用の剣をクローゼットにしまい、ベッドに向うと掛け布団の上に横たわった。
「ああ……今日こそは誰か来るかしら。私の未来の旦那様……」
頬を少し上気させながら胸の上で手を組む。
目を瞑ると、祖母に幼い頃から繰り返し聞いた『眠り姫』の話を思い浮かべた。
目覚めてみれば、目の前には魔物達と戦って傷だらけになった騎士。
姫の目覚めに嬉しそうに笑った騎士の笑顔に一目惚れし、また相手も頬を染めた姫に一目で心を奪われたという……。
もう数十年も前の出来事に、未だに照れて「またその話か」と言う祖父と、頬を艶々とさせながらうっとりと語る祖母。
パトリシアは何度も話してくれと祖母にねだり、目を輝かせながら聴いていた。祖父母の幸せそうな姿に、自分もいつか必ず同じように伴侶を得たい、と夢見るようになった。
自分も祖母と同じように茨の森の城で待てば、素敵な人に出会えるのではないだろうか。
非常に良いことを思い付いた、と思ったのだが、問題はその舞台となる城へどうやって行くかだった。
茨の森の外側の森に、城へと続く王家専用の秘密の地下通路の入り口があるのだが、最近はその辺りまで魔物が出てくるようになっていた。
城に着く前に魔物の餌食となっては仕方ない。
その為パトリシアは、まず己の剣の腕を磨き、魔物を退治出来る術を得ようと練習を始めた。
流石竜を倒した騎士である先代王の血を引くだけあり瞬く間に上達し、12歳になる頃に片っ端から城内の騎士達に試合を挑み続けた結果、将軍クラス以外の騎士を全て倒してしまったのだ。
パトリシアの父である現国王は闘技場に倒れた大勢の騎士を見るや否や、得意気にしていたパトリシアをその場で伸して、あまり思い上がるな、と説教を食らわせた。
それから、城の騎士団が無用な闘いを挑まない事を約束させられた。
だが、パトリシアはあまりそれを残念には思わなかった。
城にいるパトリシアと釣り合う年齢の男達は中で、自分より強い男はいない、と目処が着いたからだ。
どうせなら、自分より強い男に愛されたい。
かつて祖父が腕試しと可哀想な姫君の救出を兼ねて茨の森に入ったようにパトリシアも『強さ』を求めてしまうのは、血筋によるものなのかもしれない。
いや、祖母の男性の好みも似たのかもしれないが。
こうしてようやく茨の森に一人でも行けるようになったのは14歳の頃。
侍女の目を盗んで城を抜け出すと、最初はパトリシア付きの侍女や侍従が慌てふためき、近衛の小隊の一つが後を追う、という事を繰り返した。
だが、王と妃は追う必要はない、と隊を下がらせた。パトリシアの父と母である二人は、娘の行き先と目的に直ぐに気づき、魔物との戦闘で無用な怪我人や経費を出す方が勿体ない、と溜め息混じりに宣った。
宰相以下王の側近や近衛達は一国の姫に何かあってはと心配したのは束の間、儚げでたおやかな外見とは相反する姫の身体能力を思い出し、王命に従った。
王にはパトリシアが新たな『眠り姫』役になろうとしていることを止めない別の理由もあった。
最近、新たな茨の森の主とも言える巨大な大蛇が目撃されていた。
王はそれに対し「退治した者に褒美を与える」と公言した。
その為、茨の森に近い街や村には腕に覚えのある騎士や冒険者達が集まり、武器屋や宿屋や食堂、またそこに品物を卸す様々な店が大変な盛り上がりを見せているという。
「これ、『大蛇景気』と呼ぼうか」
と、王が呟いたか呟かなかったとかという噂もあるが、街に貨幣の流通するならば、多少の出費も良いと王は思っていた。
集まった者達の中にも『眠り姫』の伝説をまだ信じている者も少なくない。
ならば、最後に蓋を開けてみて中身が思ったものと違っていたら、それは不満や不平に繋がる。
娘を景品のように扱うのは心が引けたが、本人は乗り気で自ら茨の城に通うし、このような魔物が湧きやすい領土を治めるには相当の強さを持った者でなくてはならない為、パトリシアの婿探しには最適であったのだ。
パトリシアは腕自慢の男達が集まる……つまり、未来の伴侶候補が集結している、という事態に心躍る毎日を送っていた。
だがなかなか大蛇が退治されたという報は無く、パトリシアの眠る寝所に訪れる者も現れず、既に塔に通い始めて3年が経過しようとしていた。
塔の寝所で『眠り姫』として横たわっている間、いつ誰が上ってきてもいいように、あまり動いたりする事はできないので、パトリシアは昼寝をするか考え事をするしかなかった。
もっぱら思い浮かべるのは、自分の未来の伴侶との出会いの場面だった。
逞しく精悍な佇まいの男が、魔物退治で疲れ傷付いた身体を引きずるようにして塔の階段を上ってくる。
暗く冷たい石の階段の先に、金で装飾された重々しい扉を見つけ、ゆっくりと注意深く扉を押して開いていく。
重たげな音を立てて扉を開けて目に入るのは、開いた窓から入る風に舞い上がるカーテンと薄いレースの天蓋。
幾重にも重なって見える天蓋の下に誰かが眠っているようだと気づくと、緊張した面持ちでベッドに近づき天蓋を掻き分けてみる。
すると現れたのは、男が今まで見た女性の中で最も美しく儚げな姫の眠る姿。
吸い寄せられるように顔を寄せて、幾晩も続いた魔物との戦いで乾いた唇を、つい姫の小さく紅く色づく唇に押し当ててしまう。
魔女の呪いは純粋な心からの口づけで解かれ、温かな唇の感触で目を覚ます。
頬が触れ合う距離で見つめ合う二人。忽ち恋に落ち合い、互いに目が離せなくなる。
その緊張を破ったのは男のほう。
抑えきれない情動に大きく鍛えられた身体をベッドに載せ、先程とは全く違う噛みつくような荒々しい口づけをしながら、姫の呼吸を乱していく。
姫の小さな紅色の唇が息を付こうとして開くと、男は舌でその唇をこじ開けて、姫の前歯を舌でなぞりつつ中へ押し入れ、怯えるように奥へ引こうとする姫の舌を捕らえる。
熱くねっとりとした男の舌が絡まり、執拗に愛撫されると、姫は息苦しさと初めて味わう感覚に喉を鳴らす。
そして男は、剣を振るって豆だらけになった大きな掌を、姫のたわわに揺れる乳房へと延ばし--
「いやぁん、いけませんわ、まだ私達、出会ったばかりで、こんな、あ、あぁん……だめぇ……」
繰り返し思い描いてきた妄想の集大成に、パトリシアはベッドの上で身悶えして身体をくねらせながら悩ましげな声を上げた。
またはしたない真似をしてしまった、と自重しながら目を開けて見れば、驚愕の面持ちでパトリシアを見下ろす男の姿があった。
「え……」
「あ、あの……」
どちらがそのように声を発したのかはあまり重要ではなく、長年パトリシアが妄想、もとい、思い描いてきた未来の伴侶候補との出会い方で実現したのは、「見つめ合う」という点だけだった。
こうして、数年に渡るパトリシアの『新・眠り姫計画』と大蛇景気の幕は閉じた。
国王が目に悔し涙を滲ませたのは、娘を嫁にやる寂しさ故か、それとも好景気の終わりがショックだったからか……。
退治した青年は、山や平野を幾つも越えた国の第二王子・テリシウスといい、年はパトリシアの一つ上の17歳。
背は高く、まだ少しあどけなさも残る顔立ちだが、なかなか凛々しい眉と眼差しで、これから益々精悍なものへ成長するのだろうと思われた。
よく使い込まれて手入れがされた剣や防具は、同じく武芸の腕を磨いてきたパトリシアには好ましく見えた。
王宮にて王族の面々にこれまでの経緯について語るテリシウスの穏やかな声を聴きながら、パトリシアは彼こそが自分の伴侶なのだと、これからの二人の恋の進展を妄想しつつ浮ついた気持ちになっていたが。
「我が国は度重なる水害で食糧難の危機に瀕しておりまして。貴国には、何卒ご助力をお願いしたく。それ以外は一切欲しません」
懇願するテリシウスの目は一点の曇りもなかった。
一方、眠り姫は要らない、と同然のことを言われたパトリシアは、その場で目眩を起こして倒れた。
肥沃な土地に恵まれて農業でも栄えていたパトリシアの国は、大蛇景気でも充分に潤っていたこともあり、パトリシアの父王はテリシウスの申し出に直ぐに快諾した。
早速大使を立てて、蓄えの食糧を積んだ荷車がテリシウスの国へ旅立った。
大使団を見送りながら、父王は娘の嫁入りがなくなったとほくそ笑んだが、それもつかぬ間のこと。
ショックで床に伏せていたパトリシアが大使団出発の直前に復活し、自称『親善大使』と名乗り大使団の馬車に紛れ込んでいたことが、出発後既に数刻経ってから分かったのだ。
生真面目で実直な王子テリシウスは、一途に自国の安寧のみに心を砕いていた。
まさか『眠り姫』が実在していたとは思わず、奇妙な出会い方をしたが、パトリシアはこれまで見たこともない程美しい女性で、テリシウスはどうにも落ち着かない気分となって思い悩む。
そんな彼が、見た目詐欺と言っても良いくらいの破天荒さを発揮しながらも甲斐甲斐しく寄り添い尽くすパトリシアに次第に絆されていくのは、また遠くない未来のこと……。