17. まがときにはキャラメルオレンジソースをかけて その④ ☆
イラスト:さば・ノーブ様
なかなか反撃しないマオの動きを「逃げている」と判断したのか、余裕を得た大男は警杖を大きく斬り込んで来た。
彼は上体を後ろに反らす。
その鼻先を杖の先端が猛スピードで通過した。ビュンと、風を切る音。その鋭利さに、こちらの身がすくむ。
マオは涼しい表情で動揺した様相もなく、自然体のまま、視線だけが杖の動きを追っていた。
巧者はマオに不安定な態勢を立て直させまいと、払った警杖を振り切る前に巧みに手首を返し薙ぎ払うと、今度は鋭く突き出してくる。
でも。相手の動きを制しながら、マオの身体は滑るように相手の内側に移動。そして彼の右脇腹の数センチ横を通った警杖を、目にも留まらぬ早さで掴んだ。
驚いた大男。今度は、杖を急ぎ引き戻そうとする。
けれども。マオは杖の中程を掴んだ左手を引きながら回し、上端を掴んだ右手を押し上げ、切り下すようにして相手の巨体を石畳の上に落とした。
それは、もう。一瞬の出来事で、あたしはなにがなんだかよくわからず、唯々ボー然と眺めていた。
恥ずかしいことに、ポカーンと口まで開けて。
見ればベレゾフスキーも顎が外れそうなくらい大きな口を開いてビックリしていた。
ズンッという大きな音と共に街路の上に転がった大男だけど、そこにはさっきあたしが破裂させた街路灯の灯部部分の、本来なら滅多なことでは割れないはずの強化ガラスの破片が散らばっている。
それが背中に刺さったと云うか痛みを与えたのは間違いなくて、大男はくぐもった呻き声を上げ苦痛を訴えた。
それでも起き上がろうと上体を動かしかけたところへ、マオが馬乗りに飛び乗った。細身のジーンズに包まれた両足が仰向けに倒れた相手の身体を抑え、両手で相手のシャツの襟を掴無と、左手を下に引きつつ右手拳を首に押し付けグイと頸部を絞め上げる。
速攻で大男を気絶させちゃったわ。
あたかも俊敏な小型肉食獣が獲物を仕留める時みたいに、彼の動きはしなやか。敏速。見事な絞め技に感心しつつ、ちょっとだけ背中に寒さを感じた。
だって。鮮やかだけど、鮮やか過ぎるから怖い。
裏通りで最初に襲われた際に助けてくれたときも、今も……よ。
(……どうしてマオはこんなことが出来るの?)
彼は16歳の男の子なんだよね。確か。
ああん、また謎が増えた。
(――違う。なにも知らないのよ)
彼はいつも聞き役だった。ここまでの道すがらふたりでお喋りしたけれど、老人の印象、カフェでの出来事やクリスタのことなど、訊ねられるまま喋っていたのはあたしの方。
笑顔と相づちにつられ、あれこれとひとりで舌を回し続けていた。
誰かに頼まれて「隅の老人」に会いに来たことと、名前と年齢、それにエミユさんと何らかの関係があること。
それ以外はマオのことってなにも知らないんだ、と改めて思い知ったの。
ねえ、あなたは――誰?
長い黒髪を揺らしながらスクッと立ち上がると、マオは顔を上げ、人形のような白い顔をベレゾフスキーの方へ向ける。
次の瞬間、大きく跳躍して、高みの見物を決め込んでいたあいつの元へと一気に詰め寄った。
スマートな姿態は足下に散らばる破片をものともせず綺麗に着地を決めると、どこに隠し持っていたのか(……だって大男を気絶させたときは手には持っていなかったもの!)右手に持った伸縮式警杖を再び伸長させていた。
彼が操ると杖もレイピアになるわ。クルリと手首を返し、剣を振る。
フェンシングの構えに似たポーズで、ベレゾフスキーの額の真ん中へと先端をピタリと定めた。
マオとベレゾフスキー。ふたりとも、氷のような笑みを浮かべて見合う。
そして、
「ここを通してくださいませんか」
「指示をするのは、私だ。少年よ」
どちらも引く気が無いみたい。
と言うよりも。マオに急所をピタリと押さえられて、なおもあいつに余裕があるのはなぜ?
ザワザワと波立つ、嫌な予感。
(来ル!)
(なにが?)
頭上から、なにか迫って来る。視えたのは飛行物体。次第に藍色を深めていくクラビエデス通りの空に、光る球体――パトロールポッドだわ!
「マオ!」
あたしの声に彼の身体が反応する。すぐさま危険を察知してくれた。
「テス、動かないで!」
下降するポッドが点滅を始めた。3機目のポッドが狙いを定めているのはあたしじゃない、マオだわ!
(どうして?)
どうしてクラビエデス街の犯罪防止のために巡回する、監視が目的のポッドが、あたしたちを攻撃してくるのよ。
(オメデタイ思考回路ノ持チ主ハ、ソンナコトモワカラナイノネ)
(ぽっどヲ操ッテイルノハ、アノ能力者ヨ)
(同僚ガヤラレチャッタカラ、ナンジャナイノ? カナリ憤慨来テイルワヨ)
ダメよ。彼を傷つけさせない。そんなの、許さない。
そう思ったときには、無防備に身体が動き出していた。
「きゃああ!」
警戒心を忘れたあたしに、敵能力者が放った衝撃波が襲い掛かる。空気が歪み、不連続に変化する圧力の波が身体中に響いて痛手になった。
同時に脳内を大音響で駆け巡る不協和音。
「テリーザ・モーリン・ブロンを傷付けるな。ホルト君」
なによぉ。自分の部下は「君」付けで、あたしは呼び捨てって!
あたしは物じゃないわ! そうムカッと来たとき、ふと、以前マリアが言っていた言葉を思いだした。
(そうよ、あたしたちは実験サンプルとして、ここで飼育されてんの)
(能力者をよりよく飼育するため、よりよく使役するための『実験動物』になったのよ)
あの時はマリアの罵詈雑言だと思っていたけど、急に嫌な言葉が重たくのし掛かってきた。ベレゾフスキーは、あたしをそんな風に見ているの?
それが公安調査庁、ひいては太陽系連邦政府の考え方?
捕らえられた衝撃波の圧の中で、知りたくもない事実を覚ってしまった気がする。
マオが警杖をポッドへ向かって投げつけた。放たれた杖は、さながら槍のごとく一直線に上空へと突き進み、降下してくるポッドに命中した。
すごい!
こんな時だけど、拍手を贈りたい。ううん、心の中では、もうとうに拍手喝采している。
接触の衝撃でポッドは速度とコントロールを失ったみたい。監視眼がせわしなく動いたかと思うと停止し、夜間モードで光っていた球体パネルが点滅を繰り返している。
そして空中をジグザグに迷走し始めた。
「テス!」
暴走を始めたポッドの動きに注意をしろと、マオの鋭い声が。
ああん、そうよ。あのポッドもどうにかしなくちゃ。能力者ホルトは、抑制が困難になったポッドの自動運転回路を、再び乗っ取り操ろうとしている。
なぜって、もう一度ポッドでマオを襲う気だから!
マオへと体当たりさせる気だから!
衝撃波攻撃の中で、あたしは念動力を発動した。
上手くいくかなんてわかんないけど、上手くいってくれなきゃ困るの。
そうよ。
あの迷走ポッドを、マオの元へ行かせない。
(……行かせないんだから!)
寄せてくる強い圧力の中、ゆっくりと右手を挙げる。頭の中で暴れる雑音。
(邪魔しないで!)
手のひらに意識を集中させる。ドクンドクンと身体中に響く鼓動。
一瞬、すべての雑音が消えた。
ポッドに向かって、能力を解き放つ。
ボン! と云う爆発音。
黒い煙を吹き上げる球体を、マオもベレゾフスキーも、ホルトと呼ばれた能力者も驚いた顔で見ている。ううん。一番びっくりしているのは、あたしだわ。
(成功……した? 上手く出来た!)
あたしはチラリとマオの表情を確認する。
目が合ったマオは、ニッコリと笑ってくれた。漫画だったら、バックにお花を背負っていそうな満点の笑顔よ!
ああん、テンション上がっちゃう。
こんなに能力の制御が上手くいくなんて、滅多……控えめに言っても滅多にないこと(ええ。いつもアダムとディーに「制御不能!」だって怒られています)なんだもん!
しかも美少年マオの、特上笑顔のご褒美付き!
頑張らない訳、ないじゃない。
あの笑顔が頂けるのなら、衝撃波だって辛くないわ。
あたしはついでとばかりに、壊れたパトロールポッドをホルトと云う名の能力者の近くに落っことしてやった。
その衝撃で能力者ホルトの集中力が途切れ、衝撃波の圧が弱まる。
このチャンスを逃しちゃダメだと、あたしは急いで押し寄せる圧の波を跳ね返し、なんとか危機を脱出。
そのまま急いでマオの元に駆け寄ろうとしたら、ベレゾフスキーがすぐ目の前に立っていた。
ええっ! なんて驚いている暇はない。ベレゾフスキーが大きく腕を広げ、あたしの身体を抱き抱えて捕らえようとしている。
そのどこか機械的な動きが、昔リックとデートしたとき、ゲームセンターで遊んだぬいぐるみを掴むキャッチャーゲームのクレーンを想い出させたの。
(ヤだぁ。あたしは景品じゃないわぁぁ!)
ついでに、なんで、ここでリックが出てくるの~。身体が硬くなる。
思わず目を瞑ってしまった。ああん、万事休す!!
「テス。身体を低くして!」
マオの声に、なにも考えず従った。帽子を押さえ、ヒョコっとしゃがみ込む。
すると空を切る鋭い音と、ガシッと受け止めたような、堅いものがぶつかる音が間近で聞こえた。
怖々片目を少し開けて覗いてみると、マオの左足が高々と蹴り上げられている。その蹴りをベレゾフスキーは腕の内側で受け止めていた。
ヤツは受け止めた蹴りを下方へ逃し、いなそうとする。勢いを削がれ、力の掛けられない方向に足を落されて、マオは体勢を崩したかに見えた。
しかし、よ。
左足が地に着いた途端、彼はすぐさま重心を移動し、今度は左足を軸に右足が蹴り上げられた。ベレゾフスキーの痩せた長身を斜め後ろから襲う。
驚いたヤツは慌てて防御の態勢を取ろうとするけど、超接近戦で、さらにすぐ横で蹲っていたあたしが邪魔になり回避しきれない。
横腹に一撃を受けることになった。
「ぅ、……くぅ」
短い悶絶の声が漏れたけど、あいつは直ぐに身体を引き、ファイティングポーズを取ろうとした。
だけど対戦相手の見せた、その一瞬の隙を逃すマオじゃないわ。内に回り込んだ彼の拳が、あいつの胸部を連打。たまらずベレゾフスキーは後退した。
肩が上下に揺れている。それでも、あいつの表情が石膏像のように変わらないのが憎らしい。
「少年よ、君は元々彼女とは無関係だろう。なぜ邪魔をするのだ」
マオは答えない。
「無駄な抵抗はするべきではない。それがわからぬ君ではなかろう。私の怒りがこれ以上強くならない内に、大人しく指示に従うのだ」
マオは口をへの字に結んだまま。金色とも琥珀色ともつかない色に瞳を染めて、ベレゾフスキーを睨みつけていた。
〈……テス……――〉
そこへ割り込むように聴こえてきた、脳内に直接呼びかけてくる声。
自分でも思いがけない悲鳴を「きゃっ!」と上げ、身体を硬くした。目の前の対決に集中しすぎていて、呼びかけの声に心臓を捕まれたくらいびっくりしちゃったの。
タイミングを間違えた突拍子もない甲高い声に、驚いたマオがこちらを見る。
目が合った。
彼が少し首をかしげる。
うずくまったままのあたし。彼から借りた帽子のつばを両手で押さえ、険のあるベレゾフスキーの視線を遮る。そして小さく首を振ったあと、彼の瞳をじっと見つめ唇だけを動かす。
「…………」
わずかに片眉を持ち上げて――彼はうなずいた。
イラスト:深森様
ご来訪、ありがとうございます。
さば様、深森様よりのFAを飾らせていただきました。ありがとうございました。m(__)m
今回はクイーン〈チェスの女王駒役)ズが頑張ちゃってくれたおかげで、「まさか!」のアクション回になってしまいました。せっかく張り切って甘いタイトルを付けたのに、キャラメルオレンジソースは何処へ行ってしまったのでしょう?
加純の当社比なんて、所詮こんなもの? 死体が出てこないだけマシ?
う~ん、次章は「デミタスカップに砂糖10匙を入れたら」とかってタイトルにしてみようかしら? w
テスが思いだしたマリアの罵詈雑言、「5.能力者 ③」にあります。
食事と着替えを運んできたマリアに、さんざん文句を言われて、この後テスがキレちゃったんですよね。レチェル4が緊急事態宣言に陥る引き金になったセリフでした。テスは想い出したくもなかったでしょうけど。
挿入したマオのイラストは、イメージイラストなので衣裳を替えてみました。季節感がズレまくっているのは、作中の季節設定が「秋」だから。
お忘れになっていると思いますが、ロクム・シティは「秋」なんです。……ってしつこく言い続けていないと、書いているわたしが忘れそうで。
さて、テスの脳内にテレパシーで呼びかけてきたのは、いったい誰?
ふたりはこの窮地を切り抜けることができるでしょうか?
以下次回、お楽しみに!!




