17. まがときにはキャラメルオレンジソースをかけて その③ ☆
マオの瞳に濃褐色の影が差す。
「そう……か」
つぶやくように、たった一言。
花弁のような赤い唇から漏れたその一言の意味は、なに?
拒絶、それとも嫌悪?
(あなたにとって、能力者って不愉快な存在なの?)
目をきつく瞑り、唇を噛んで、震えながらただひたすら次の言葉を待つあたし。答えを待つ時間は永遠にも思えて、重さに胸が押しつぶされそうだわ。
ベレゾフスキーは一段と声を大きくする。
「いや、彼女の能力はこんなものでは無い。准A級の国家公認認可証を取得したようだが、訓練と経験を積めば超A級、もしくはそれ以上の極超級まで能力を高めることが出来るかもしれないという逸材なのだよ」
(なんの話? 誰のことを言っているの?)
(アナタノコト――ヨ。てす)
オーバーアクションで興奮気味に力説した後、眼鏡のつるを右手で押し上げ再び冷徹な表情を取り戻したあいつは、反り返るように背筋をピンと伸ばして後ろ手を組んだ。
「そんな人間を市井に野放しになどしてはおけない。貴重な存在であると同時に、危険でもある。超常能力の理解と扱い方を誤れば、惨事を引き起こす可能性も大なのだ。
ゆえに我々安全調査局が保護し、教育せねばならない。それこそが正しいことであり、国家の安全と利益を守ることなのだ。わかったかね」
わかんない、わかんない。そんな理屈、一生わかんないわ。
「一般市民である君のような少年には、手に余る事なのだよ。太陽系連邦国家機密に相当する事項だ。ゆえに速やかにテリーザ・モーリン・ブロンをこちらに引き渡し、君の記憶の中からこの能力者の記憶を消し去ってしまうべきなのだ。そうすれば君はこの先もひとりの市民として、平穏な生活が保障される。わかるだろう。
さあ、私に指示に従いなさい」
有無を言わせないベレゾフスキーの命令の言葉。臆病なあたしは、顔を上げることも出来ずにいたの。
そんなあたしの耳に、マオの息混じりのしっとり声が届いた。
「……それで、奴らはあなたを追い回していたのか」
ふうん、と納得した後、彼は小さく息を吐いて力を抜いた――気がした。
変な言い回しって……だって、マオの気持ちを確かめるのが恐くって、顔を見られないんだもん。
「安心して。僕はあなたが能力者だからといって、嫌悪も差別もしない。それに、あなたをあいつに引き渡す気も無い」
――え!? 今、なんて……。
弾かれたように顔を上げ、彼の顔をまじまじと見る。
顔に浮かんでいたのは、彼のトレードマークのアルカイックスマイル。古拙の仏像のように穏やかで神秘的で。得意げなのに茶目っ気も覗かせて。
けれど、息を飲むほど妖しくて艶っぽい。
とても年下の男の子に見えないんだもん。
ふえっ、どうしよ。頬が熱を持って赤くなるのが自分でもわかるわ。
悩殺する微笑みをあたしに投げかけた後、視線だけベレゾフスキーの方へ流したマオの表情からは一瞬にして感情が消えた。
「つまんねぇ男」
ひえっ。今の一言で、クラビエデス街が凍り付いた気がしたのは、あたしだけ? ボソッと言ったけど、綺麗な顔から発せられると破壊力が違う。
っていうか、マオでもそんな言葉を使うことがあるんなぁって、ちょっと驚いた。
涼しげな目元の東洋系美人さんは、怒ると無表情になって、周囲を凍てつかせる特技も持っているらしいわ。おまけに柔らかな声と綺麗すぎる発音で悪態をつくっていうのも、物凄まじいものを感じるよう。悪寒ッ!
「何をしているのだ。早くしなさい」
後ろから居丈高に命令するベレゾフスキー。
けれどマオは無視する気らしい。
蝶番に手を掛け、眼鏡をはずす。途端に溢れる美少年オーラ。眼鏡ひとつで雰囲気がガラッと変わるこの特技も、どういう仕組みになっているのかしら?
後で解説してもらおう。
マオってば、謎だらけなんだもん。
「僕は、能力者を『亜種』だなんて思っていない」
かき上げた前髪、白い額がチラリと見えた。
「それに、テスは僕を『友達』だと言ってくれたでしょう。ならば、僕はその言葉に応えなければいけないよね。
奴らがどんな妨害を仕掛けて来ようが、あなたを無事に住居まで送り届けるから」
と、あたしだけににっこりと笑いかけてくれた!
ああーん、心は完全に舞い上がったよ。
ベレゾフスキーの前で、笑顔でコサックダンスをしろと言われても、喜び勇んでアクロバティックなステップだろうとジャンプだろうと出来そうなくらい舞い上がっている。
マオが守ってくれるって言ったわ!
(――聞イタワ!)
だけど、いいの!?
「そんなに頼りなく見えるのかな。もう少し友人を信頼してよ」
橙色とも黄褐色とも見えるうっとりする琥珀色の瞳が、あたしを睨む。眼鏡を外したから、眼力光線の威力は倍増。
彼が能力者だったら視線で殺人が可能かもしれない、と密かに思っちゃう。
「もちろん、信頼している。でも……」
「でも、なに?」
複雑な想いや考えが心に溢れてきても、どれをどう説明すれば良いのかわからなくて。あたしは妄想することは得意でも、喜びや苦しみを言葉にして他人に伝えることがとても苦手なの。
「嫌われる、んじゃないかと思って」
そういうのが、やっと。
「能力者だからって、テスのことを嫌いになったりはしないよ」
彼は強い瞳で、はっきりとそう言った。
マオは超常能力者が怖くないのかしら?
心の中を読まれちゃったりとか、宙に浮かんだりとか、炎を飛ばしても、不気味だとか思わないのかしら?
モ、怪物だとか。
「テスは、友達をわざと不愉快にさせたいとは思わないでしょ。あなたは慎み深くて優しい人だもの。
いたずらに能力を乱用してみたいとも、それを使って友達を苦しめたり陥れようだなんて、夢にも思っていないよね」
彼が真っ直ぐにあたしの目を覗き込む。うっとりとする琥珀の瞳が揺れる。
「テスは超常能力を悪用しない、よね」
とくんと心臓が跳ねた。
(魅入られた、みたいな感じ)
「う……ん」
「なら、それでいいと思うけど」
へっ!? それだけ。
悪戯っぽく口角を上げる彼からは、もう妖しさは消えていた。
(なんだったの、今の感覚!?)
(――今ノ感覚ハ……)
深く考える間もなく、
「僕の場合――。幸いなことに、側にエミユがいてくれたからね。彼女のおかげで偏見や憶測にとらわれずに済んだかな」
そうか。昨日カフェ・ファーブルトンにあなたを迎えに来ていたものね、エミユさん……って。
ほぇ! そういえばあの時、エミユさんから窘められた――ような感触を味わったんだけど。あれ、なんだったんだろう。
「でもね。物々しい形相の男達が、必死になってか弱い若い女性を追いかけ回す理由が腑に落ちなくて考えていたんだ。
可能性のひとつとして思い浮かんではいたけれど、確信も無いのに、決めつける訳にもいかないし」
エミユさんに「だめよ」って言われたような。でも、なにがダメなのかわからないし。
あぁん、それよりマオはどうしてエミユさんの名前を優しく呼ぶのかしら。
「彼等の正体は知らないけど、高飛車な態度と威圧感、特殊な臭いみたいなものを撒き散らしている。行動が完全に周囲から浮き立っているというのに、それを異様とは思っていない。ただならぬ仕事に就いているという想像が働くけど――」
マオにとって、エミユさんって特別な存在なのかなぁ。
そうよね、そうだよね。側にいた、って言ったもの。
あんなきれいで、エレガントで、優しくて、超が付くほど優秀な能力者が側にいてくれたら誰だって――。
誰だって、きっと……。
「それにあなたは犯罪者には見えないのに、彼らを必要以上に怯えていたでしょう。犯罪者でも無い女性に、これ程執拗になる理由があるとしたらと……。
ねえ、テス。僕の話を聞いている?」
「え、あ、あぁぁ、はい。あの、ごめんなさい。今、頭の中に入って来なくて。その……」
別のこと、考えていましたッ!
「だよね。さっきから心ここにあらずって表情している。それともまた気分が悪いの」
「だっ、大丈夫。大丈夫なんだけど、ね。エミユさんが……」
「エミユが、どうしたの?」
ヤバっ。考えていたことが、口から飛び出ちゃった。
食い気味に否定するあたしに、マオはちょっとびっくりしたみたい。だけど、付いた勢いは止まらない。
「昨日、エミユさんがなにか訴えかけて来……。そっ、その前に。マオとエミユさんって、どういう関係なの?」
ああん。このモヤモヤが解決しない限り、あたしの思考は先に進めない。いきなりだろうとなんだろうと、教えてください。
お願い、マオ。
(そして、できれば。できれば答えが「年上の恋人」とか言わないで欲しい……とか、あれ、なに考えてんだろ、あたし)
(それはそれで絵になるからステキだ……とか思っちゃ……え……ない)
(はへ? 今、なにかズキッと刺さったみたいな)
(え、ヤダ。どうして、なにコレ?)
頭の中では、いろいろな妄想と疑問がパーティーを始めた。
(静まれ妄想、騒ぐな疑問。落ち着け、あたし!)
ワタワタしながら質問するあたしに彼は面食らっていたみたいだけど、
「エミユは僕の――」
フッと表情を和らげてマオが答えようとした矢先、
「何をしている。早くしなさいと言っている。聞こえていないのか!」
すっかり存在を忘れられていたベレゾフスキーの、ヒステリックな怒声が!
ン、もうぉぉぉぉ。肝心の回答が聞けなかったじゃないぃぃぃぃ。
あたしとマオは、同時に、空気の読めない男を睨みつける。
「あなたの指示には従わない!!」
図らずも同じタイミングで叫んだあたしたち。目が合ったら、自然と笑みがあふれ出した。やだ、ホントに笑いが止まらなくなっちゃった。
収まらないのは、それを観ていたベレゾフスキー。それこそ鳩が豆鉄砲を食らったような顔していたけれど、ハタと正気に戻り従えていた部下たちに檄を飛ばす。
「捕まえろ。ふたり共だ。決して逃がすな!」
青白い顔が、一気に怒りで赤く染まる。こめかみには血管まで浮き立たせているよう。
怒髪衝天する上司の命令で、部下ふたりがあたしたちに走り寄る。よく似た背格好のふたりだけど、左側の男はあたしと同じ能力者のようだった。
あたしを庇うように前に立ったマオが、目線を上げ顎を引いた。膝を内に向け、拳を握り脇を締める。
重心を落とした。
わずかに弓なりになったマオの身体。肘を軽く曲げたまま、右腕と左腕、高さと位置を少し違えて指先を前方に伸ばす。
その先には、ベレゾフスキーとふたりの部下。彼は静かに息を吐いていた。
そこへ。
ヤツらの後ろ、ダックワーズ公園の方向から、パトロールポッドの影がふたつ。異常を知らせるように強い光を点滅させ、あたしたちめがけ突進して来た。
ええっ。ちょっと待って。なんで? ポッドが人を襲うなんて、聞いたことがないわ。アレは担当区域を上空から警戒しながら巡回する、自立型警備用ロボットでしょう。
たとえ犯罪者を発見したって、警告を与えるだけで、攻撃は与えないようにプログラミングされているんじゃなかったの。
プログラムの故障による暴走、それとも外部からの強制コントロール。
もしかして、能力者によって操られている!?
(イヤだ! こっちに来ないで!!)
右手を挙げ、そう念じたら、前後に並んだ一機目のポッドが、ボンと云うくぐもった破裂音と白煙を上げて石畳の街路に落下した。
コロコロと転がってベレゾフスキー陣の前まで行くと、球体は出し抜けにバラバラに崩れる。
「テス、上手い!」
やん! 褒められちゃった……って、あれ、あたしがやったの?
マオに確かめようと思ったら、部下のもうひとりが腰のあたりに忍ばせてあった特殊警杖を取り出すのが見えた。
手のひらサイズの警杖は伸縮式のものらしく、見る間にするするっと伸びて120センチくらいの長さに変形する。それを大きく振りながら、こちらへ向かって歩いてくる。
「少し下がっていて。それと、もう一機のポッドの始末もお願いしていいかな?」
「う、うん!」
どうすればいいのかわかんないけど、マオにお願いされたのが嬉しくて了解しちゃった。
あは。どうしよう。
♡ ♡ ♡ ♡
こんな時、アダムとディーだったらどうするんだろう? まずは、目標物の発見、だよね。きっと、そう。
あたしはもうひとりの部下(能力者の方ね)を睨みつけながら、マオの言いつけを守って後退。そして、もう一機のポッドの行方を遠隔透視で捜す。
ふたつの視覚を同時に別々に駆使するのって、難しいッ。
感覚を澄ませて、ポッドの出す電磁波を探った。でも、決して視線は外さない。弱気になって外したら、きっと念動力の攻撃を受ける。
相手も同じことを考えている。お互い、相手の実力がわからないから怖いのよ。
しかも、どこからか別の思念波が混線する。
〈その女能力者に気をつけろ!〉
あン。それって、あたしのこと?
どうやら能力者はもうひとりいて、そいつからあたしたちの目の前にいる能力者への警告らしい。それがどこのどいつで、どこから発信しているのかと遠隔透視で探ってみたら、クラビエデス通りの中間あたりで手応えがあった。
思念波の主は、蚤の市でベレゾフスキーの後ろに立っていた男だ。一緒にいるもうひとりの大柄の男も見覚えがある。こっちはカフェ・ファーブルトン近くの路地で見た男で、あたしを捕まえようとして、助けに入ったマオに気絶させられちゃった片割れだよね。
そのコンビが苦戦しているのが。
あら、アダムとディーじゃない。
そうか。迅速な行動がモットーのふたりが、ちっとも姿を現わさないと思ったら、邪魔が入って足止めされていたんだ。
ふぇ~ん、早くそっちのトラブル片付けて、あたしの加勢に来て……ってばぁ。
一方。仲間の警告を受け、ますます警戒を深めた目の前の能力者男。
忍び寄る雑音。頭痛を引き起こす。混乱させ、重圧を掛けて邪魔をするつもりね。
でも、あたしは負けないの。
だってあたしもマオも、ベレゾフスキーの言いなりになんてならないんだから!
ポッドを見つけた! 頭上16メートル上(目測よ)。
月の逆光に姿を隠していた。肉眼では見えづらくても、遠隔透視では視ることが出来る。
降りてくる。真っ直ぐ、こっちに。
(こっちじゃない。ポッドが狙うのは、あたしたちじゃないわ。あっちへ行け!)
何度も念じる。あっちへ行け。あいつの方へ。ベレゾフスキーの方へ。
効果があったのか、落下して来たポッドは頭上2メートルの地点でクイっと曲がり、あいつらの方へと進路を変えた。
慌てた部下の能力者が念動力ではたき落とす。
地面に叩きつけられたポッドは動かなくなった。
ホッとしたのも束の間。
石畳を蹴って接近してくる足音と、ビュンと鋭く空気を切る音が。
なにかと思えば、マオに駆け寄ったもうひとりの部下が、手にした警杖を上から下へと振り下ろした音だった。風にそよいだように、細身の身体がその一撃を避ける。
さらに大男は前進しながら打ち込んできたけど、蝶のような身軽さで、マオは難なく間合いを取った。
敵はすでに一度、華奢な身体付きの彼に、あっと言う間にやられてしまうという苦汁を飲まされてる。
だからなのか、決して攻撃に手加減を加えようという気持ちがないの。
巨岩のような大きな身体から繰り出される打突技は、段々殺気を帯びてくるように感じられるのはあたしだけ?
マオだって、それを平然……というか、不敵な顔して受け流しているけど、あたしは心配でならないわ。
あんな岩みたいな大男に、力任せに打たれちゃったら、ケガだけじゃ済まないんだから!
一般市民相手に、やりすぎだと思う。でもベレゾフスキーは部下の暴走を止める気無い(むしろ、やってしまえって顔している)し、止めに入りたくたってふたりとも隙が無いし、どうすれば止めさせることが出来るかさえも思いつかない。
ただ固唾を呑んでいるだけ。それじゃ、なんの役にも立てないじゃない。
せめて敵の能力者が邪魔をしないようにモヤモヤ攻撃出すのと、マオの勝利を祈っていなくちゃ。
相手の大男の攻撃はどんどん大胆になり、つかさず跳ね上げ、突きを繰り出す。
彼はそれをひらりひらりと受け流す。動きにつられて揺れる長い黒髪の裾が、扇を開いたように拡がったり閉じたり。
こんな非常時だというのに、あたしは「美しい」と目を奪われていた。
一難去ってまた一難。
幸いなことにマオは能力者に対する偏見や恐怖感を抱いていないようですが、新たな大問題が発覚!? エミユが恋のライバルだとすると、これは間違いなく強敵だと思うのですが。
その前に。マオはテスのことをどう思っているの? ちゃんと確かめておいた方が良いように思うのは、老婆心かなぁ。
さて。クラビエデス通りの決戦(!?)、べーさんの邪魔を掻い潜り、どうやって隣の区のアパートメント(テスの住居)にまでたどり着けるか。ここはマオの次の一手が気になります。
本文中に出てきたスラング「つまんねぇ男」。普通「アソール」は「嫌な奴」と訳されます。直訳はもっとお下品な意味で、「〇の穴」。〇にどんな文字が入るのかは、ウィキペディアとかグーグル先生に聞いてみてください。
そのまま「嫌な奴」でも良かったのですが、文字にするとあまりスラングっぽく見えないし、今風にするなら「つまんねぇ男」の方が面白いかなぁという独断で、こっちにしてみました。
つまんねぇこと言っていましたしね。ベーさん。
でも、みなさんは真似して言っちゃダメですよ、「アソール」なんて。
――と云うことで、次回に続く!