16. もの思いのカドリーユ その③ ☆
テスの大ボケっぷりをお楽しみください。
朧な白い闇の中で、丸ぶち眼鏡をかけたうさぎが、こちらを見ている。
左手に杖、あなたは「隅の老人」よね。
そうだとばかりに真白な空間に花が咲く。
tree peony herbaceous peony and lilies
よろこんで!
待ち人が現れたわ。
あなたがあんなに会いたいと望んだ奥様が、ようやくおいでになったのよ!
するとうさぎは首を左右に振った。
うさぎを取り囲んで咲いていた大輪の花々が、はらはらと花びらを散らしていく。
(どうして!?)
そこへ薄紅色の小さな花びらが嵐の様に押し寄せて、うさぎの姿を消してしまった。
散る花びらと舞う花びら。
大小の花びらがあたしを惑わせる。
(待って!)
花の雨をかき分けて追いかけようとしたら、あたしの腕を掴んで引き留めるひとがいた。
それは誰……?
イラスト:exa様
♡ ♡ ♡ ♡
そのひとは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
あたしって、間抜けね。
待ち人は長い黒髪が印象的だったから、ロングヘアばかりに気を取られていたの。ところが今日は髪をまとめて帽子の中に納めてしまっているから、全くわからなかったなんて。
それに眼鏡ひとつで、こんなに印象が変わるなんて思いも寄らなかった。匂い立つような美人さんなのに、眼鏡を掛けているとそのオーラが消えちゃうのよ。
魔法みたい。
なんと言っても「隅の老人」の奥様だから、もっと年配の方を想像していたのよね。
しっとりとした成熟した感じの「美女」。老人も「立てば芍薬、座れば牡丹……」なんて古典的な例えをしていたし。
でも、まさか、こんなに(見た目年齢が)若いなんて!
こうして間近で拝見しても、まるで少女みたい。
悪漢を簡単に倒しちゃうし、今日みたいに男の子っぽいファッションだと、中性的な魅力もあるわ。
神様が、美女の年齢はお肌に表れない様に依怙贔屓しているのかなぁ?
それともエイジングケアの成果なのかしら。
どちらにしても羨ましい限りよ。
なんて蚤の市の真ん中で、感動している場合じゃないわよね。
「あ、あの。えっと、その……。あなたにお伝えしたい事と……ああ、それより先にお返ししなくっちゃ! これっ――」
昨日から肌身離さず持っていた、不思議な小物入れ。サロペットのポケットから取りだそうと、手を突っ込んで探り始めたら、待って――とそのひとはあたしを制止した。
そして、
「……囲まれた、かな」
と、誰に聞かせるでもなくボソリとつぶやいたの。
そのひとのつぶやきの意味は、すぐにわかった。
「テリーザ・モーリン・ブロン!」
背中にベレゾフスキーの鋭い声が突き刺さる。
蚤の市をそぞろ歩いていた買い物客達が、素早く左右に割れた。その空いた空間をベレゾフスキーが両脇に部下を従え、血相を変えて歩いて来た。
のどかな日曜日の午後。蚤の市に濃色のスーツ姿で現われた一団は、周囲から浮きまくっているのだけど、本人たちは気付いているのかしら。
みんな胡乱げな目で、見ているわよ。
ベレゾフスキーはあたしの1メートル手前で、ピタリと止まった。直立不動の姿勢、ツンと顎を上げ首だけを左右に振って、アイスブルーの目が周囲を一瞥する。
彼そっくりの硬い表情の部下達は、上司の1歩後ろで控えていた。
よく見れば、この部下はさっき倒されたヤツらとは別人。じゃあのさっきの人達は、あのままあそこでぶっ倒れているのかなぁとか考えていたら、後方の人集りから2名大きな身体が進み出てきた。
はぁぁ、もう復活しちゃったのね。
(シナクテモイイノニ!)
そんな訳で、前にベレゾフスキーと部下2名、後ろにも巨漢の部下2名。
なるほど。囲まれちゃったわ。
ベレゾフスキーは、眼鏡のつるを軽く押し上げた。
「逃げても無駄だ。大人しく同行するように言ったはずだが」
この男は抑揚を付けずに淡々と話すのだけど、風貌とその語り口、内容の物騒さ、そして従えた部下の物々しい雰囲気に、周りの買い物客達は何事かと興味深々で、み~んなこっちをチラチラ見ている。
「イ、イヤって言ったでしょ!」
「お前に拒否権は無い。――それから、そちらのお前」
ベレゾフスキーは、待ち人を指した。
「私の部下の邪魔をしたというのは、本当なのか。ならば、おまえも同行するように」
するように……って、このひとは超常能力の件とは無関係なんだから、これ以上巻き込む訳にはいかないわよね。なのに、
「テリーザ・モーリン・ブロン。この者は誰だ」
誰って、……し、知らない。
どなたなのか尋ねる前に、こんな事態になっちゃっているんだもん。そうしたのはあなたなのよ、ベレゾフスキー!――って文句を投げつけたいのだけど、怖くて出来ないっ。
だからって、老人との因縁から説明する気にもなれない。
ひゃぁぁ~ん。どうやって誤魔化そう。
「あっ、あの……、このひとはぁ……」
ベレゾフスキーと待ち人(いつの間にか眼鏡を掛けて、もやっとした印象のひとに戻っていたわ!)の顔を交互に見比べて、大至急でもっともらしい嘘の答えを探す。
そうだ! あたしの知人だと偽って、カムフラージュしてしまおう。
誰がいい? クリスタ、メリル、ニナ、大学の友人……名案だと思ったのだけど、焦ると適当な替え玉の名前が浮かばない……。
そうしている間にも、ベレゾフスキーの視線がどんどん冷たくなってくる。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
お願いよ、思考回路。働いて。なんとか答えを出してよぉ。いつまでもオタオタしていたら、あいつが怪しむでしょう。
(ええい、こうなったら!)
で、やむを得ず咄嗟に浮かんだ妹の名前を借りることにした。
「ア、アニュス! ポルボロンからわざわざ会いに来てくれたのよね。うれしいわ!」
なんて説明臭いセリフまで付けて、再会の喜びを装って、満面の微笑みでそのひとに抱擁をした。いつも妹としていたように。
よく考えたら、老人の奥様に妹の名前なんて失礼だったかもしれないけど、そんなの後の祭り。
もう口から出ちゃった。しかも抱き付いちゃっているし……。
それより、こんなことで上手く誤魔化されてくれるかしら?
自分でも無茶なことしていると半分後悔しているけど、え~い、この際恥ずかしいとか人見知りなんて言っていられない。なにがなんでも、ベレゾフスキーの疑惑をこのひとから逸らさなくっちゃ!
その一念だったのよ。
……だったんだけど。
……んだけどぉ……。
そうよ。抱擁は勢いだった。
ベレゾフスキーの疑いを退けるための、咄嗟のお芝居。疑念を持たれちゃ困るから、そのひとの胸に頬が当たってしまうほどの勢いで飛び込んじゃった。
受け止めてくれた腕の柔靱さ。アウター越しに感じる体温と鼓動。
ぬくもりを感じたら、改めて羞恥心が湧き出して……き…………
(――――ぃ!?)
そして。
頬に当たった予想外の感触で、あたしは重大なあることにようやく気が付いた。
全身がカッと熱くなって、一気に汗が吹き出したのがわかった。上昇した体温が、今度は一目散に下降する。
めまいが襲ってきた。
(ウソ……でしょ!?)
あたしはおずおずと顔を上げる。超至近距離にそのひとの顔。
表情を隠すために眼鏡掛けていたって、この距離なら美しいクールなお顔が驚きの感情を抑えているのが読み取れるわよ。
しかも――! このひと、見た目年齢が若いんじゃなくって、ホントに若いんだ。
あたしと変わらないくらい、かも。
(そっ、それもそうだけど! その前に、このひとは――!)
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
ハンマーで頭を後ろから思いっきりぶん殴られたくらいの大ショック!
いやだ、脚が震えてきた。立っていられないよぉ。
気が遠くなりそうになった瞬間、そのひとの腕があたしの背中に周り、抱きしめるような格好で、だらしなく身体が崩れ落ちそうになるのを支えてくれた。
限りなくありがたいのだけど、それ以上に気恥ずかしさとばつの悪さが襲いかかってくる。
そして不意打ち。耳元で低い声が囁く。
「アニュスって、誰?」
わかっているわ。
ベレゾフスキー達に悟られないように、耳打ちしてきたんでしょう。でも身体がぴったりと密着したこの態勢で、それってかなりヤバい。
冷静で、そのくせ柔らかな息混じりのしっとり声。
そんな声で囁かれたら、別の意味でヤバいでしょ。別の震えがお腹の底から這い上がってきたじゃない。
ああん、心拍数が跳ね上がったわっ!!
びっくりした拍子に、あたしはそのひとの背中に回した手に力を込めてしまった。羽織っていたコートを、シワが付くほどきつく握っちゃった。
ごめんなさい。そうでもしなくちゃ、ホントに驚きの声を上げそうだったんだもん。
「アニュスは……妹で……」
しどろもどろなあたしはそれだけ伝えるのが、やっと。
するとさっきより、もっと距離の縮まった美しい顔がフワリと笑った。
風に舞う花びらみたいに。
(はらはら、ひらひら)
あん。今なら顔から火が出せるかも!
「わかった。じゃあ、僕もその芝居に付き合えばいいんだね?」
そのひと――彼の楽しげなひそひそ声に、あたしは僅かに頷いて懇願の意思を伝えた。
♡ ♡ ♡ ♡
どういうこと、どういうこと、どういうこと!?
あたしはうさぎを問い詰める。
男の子って、おかしいでしょう!
早とちりじゃないわよね。思い込みでもないわよね。
あなたは「花のように美しい女性」だって言っていたじゃない。
確かに花のよう美しいけど――男の子よ。
話が違うわ!
≪視えぬのか、テスよ……≫
視たわ。あたしが視たのは彼だった。
彼だったのよ!
じゃあ、これが正解なの?
そんなの……、そんなの……、
(はらはら、ひらひら)
花びらが舞っている。小さな破片のような花びら。でもこの花びらって、牡丹でも芍薬でも百合でもない。
この薄紅色の花びらは、なんの花だろう? 閉じ込められた部屋のドアを通り抜けた先に咲いていた満開の花。月の光に照らされて、枝々に鈴なりに咲いていた花よ。
あの時、あたしは眺めていたの。彼が楽器を奏でる姿を。
欲しいなぁ……って。
「えっ!?」
♡ ♡ ♡ ♡
「――テリーザ・モーリン・ブロン。聞いているのか?」
ベレゾフスキーはしつこい。
「身辺調査書の内容に照らし合わせればアニュスというのは妹の名前だが、おまえが今抱き付いているのは、私には少年に見える。調査書に誤りがあるのか、妹が弟に性転換したのか、それともおまえが偽りを申し立てているかだが、私の見解によればその者は――」
ほぇぇ。やはり誤魔化されてはくれなかったのね。くどくどと続きそうなベレゾフスキーの長台詞。聞いているだけで頭痛がする。
それが突然中断された。
「だから、さ。その名前を言い間違えるクセ、直してよね。僕はアニュスじゃなくって、その双子の弟の方だよ。なんで間違えるのかなぁ」
耳元に落ちてきた低くてしなやかな声とは違う、よく通る爽やかな声。
声色を変えた? でも怒ったような、しょげたような口調が自然に聞える。
芝居、上手い。しかも彼の言葉に、周りの人達が興味を示しだした。みんなこちらを気にしている。
「あ、あはは。ごっ、ごめんなさい。また、間違えちゃったわー。あんた達、よく似ているんですもの!」
いけない。反応がワンテンポ遅れちゃった。しかも、声がうわずっているっ。
「しっかりしてよね、姉さん」
ここで彼が、冷めた視線をチラリとこちらに向けたんだけど、なんだかそれが心地よく突き刺さった。
「待て、テリーザ・モーリン・ブロン。すぐ下の妹に双子の弟はいなかったように記憶しているが」
「ま、まあ、失礼ね。ウチは姉妹弟大勢いるのよ。記憶違いでしょ!」
「そうそう。って、おじさんこそ誰だよ?」
ひぇぇ、大胆。彼はベレゾフスキーをおじさん呼ばわりした。
でもその一言で、周囲の目はベレゾフスキーおじさんに集中。
それでなくとも、再会を喜ぶ姉弟(そういう設定!)を取り囲む異様なおじさん集団は、好奇の目で見られていた。あたし達の猿芝居が周りの善良な買い物客の関心を惹き、知らぬ間にちょっとした人だかりが出来上がっていたの。
その観客の目が一斉に集まったのだから、さすがの冷血漢も困って反論が出来ない。
まさか自分が公安部の人間だって、おおっぴらに宣言する訳にもいかないでしょう。
彼はスパイではないとは言え、公の警察警備部とは独立した能力者対策委員会における能力者の調査及び取り締まり(「狩り」とも云うんでしょ!)という、秘密の任務を遂行しているんですもん。
ほら、こめかみに静脈が青く浮き上がり始めている。
あたしを拉致できないばかりか、邪魔は入るし、秘密裏に任務を遂行する予定だったのに、こうして一般市民の注目を浴びているんですもの。
それは、イライラもするわよね。
あ、そうか!
このひとがわざわざ蚤の市の人混みに逃げ込んだのは、この為だったのかな。
だってこの一団はパブロバ通りの蚤の市では異質でしかないから、冗談のように目立つでしょ。当然好奇の目で見られるし、人の目があればヤツらは無下に強硬な手段を執る訳にはいかないわよね。
でも、この状況をどう突破するつもり?
「テス。移動できる?」
例の柔らかな声が、再び耳元で。
や~ん、この声、絶対ヤバいとか思いながら、うなずく。それから、そのままになっていた抱擁を解いた。
ちょっとだけ残念だなって思っちゃったのは、ナイショよ。
その間にもベレゾフスキーの長舌は、淡々と続いていた。さすが公安の人間、へこたれない。別の身分証を用意していた。
「私はロクム・シティ市警の調査官だ。先日の交通事故の件で、テリーザ・モーリン・ブロンに聞きたいことがあって出頭を申し出ている。
速やかに――」
ダメ。真剣に頭が痛くなってきた。きっとこいつの声には、不快指数を上げる効果があるのかも知れないわね。
「その件はもう解決しているって、市警のブラフ捜査官が言っていた。変だね、おじさんは本当にロクム・シティ市警の捜査官?」
無邪気さを装って、彼はベレゾフスキーを追い詰めていく。
「そうだ、姉さん。ブラフ捜査官が言っていたよね。最近ニセ捜査官が若い女性に声を掛け拉致する事件があった、って。
まさかおじさん達って、その……」
彼のニセ情報に煽られた観衆がざわめきだした。
池の真ん中に小石を落とせば波紋が拡がる。同じように彼が投げ込んだ疑いも、ジワジワと観衆の心に疑心の輪を描き拡がっていくわ。
気が付けば、ヤツらは四面楚歌の状態に追い込まれようとしていたの。
「ねえ、ブラフ捜査官って?」
「実在のロクム市警の捜査官。名前だけ借用させてもらった」
嘘の信憑性を増すために事実を混ぜたのね。意外と悪賢いかも、このひと。
「合図を出したら、前方の人垣まで真っ直ぐ走って。止まらないで」
ふたりだけの作戦会議は、もちろん小声で、よ。
目を移せば、ベレゾフスキーの右上まぶたがピクピクと動いていた。
わざとらしく咳払いをして、軽く頭を振ると眼鏡のつるを持ち上げる。
「ブラフが君たちになにを言ったかは知らないが、再捜査の必要性が出てきたのだ。市民の義務として、捜査の協力を要請したいと言って――」
上司の身振りが合図だったのか、後方の部下ふたりがジリリとにじり寄ってきた。あたし達を取り押さえようと、静かに腕を伸ばそうとしている。
「行くよ!」
合図と共に彼がいきなり走り出す。置いて行かれまいとあたしも走り出した。正面に立っていたベレゾフスキーに体当たりしそうな勢いで。
驚きに歪んだ捕獲者たちの顔。
あと少しというところで捕縛に失敗した後方のふたりは、たたらを踏んでいたようだけど、そんなの構っていられない。それを見たベレゾフスキーが舌を打つのも。
その隙に、虚を突かれた前方の異様おじさん集団の真ん中を、全速力で擦り抜けていかなくちゃならないんだから。
途中。
部下のひとりが伸ばした指があたしの肩に触れそうになった。気配を感じたのか、あらかじめ想定していたのか、振り返った彼が手を差し出してくれる。
迷わずその手に自分の手を重ねた。
強い力で引き寄せられ身体は前に進む。足も自然と速くなる。
彼と手を繋いでいられるのなら、あと1キロは余裕で走れるかも知れない。
捕獲者の指先は空を切り、勢い余ってバランスを崩した。もうひとりと後ろにいたふたりの部下達も追い掛けてこようと足を出したところで、ベレゾフスキーが制止する声が聞えた。
なぜって?
取り囲んでいたロクムの人々が、彼らを敵視していたから。強行すれば、完全に彼らは「悪者」になってしまう。「女性を拉致するニセ捜査官」として市警に通報されかねないもの。
これ以上一般市民エリアで騒ぎを大きくするのは得策ではないと踏んだのだと思う。
一瞬の好機を見逃さず、あたしと彼は群衆の中へとダイブしていた。
驚く人たちを掻き分け、人垣を抜けて、さらにパブロバ通りを南下して行く。
足は止まらない。1メートルでもいい、ヤツらから遠ざかりたかった。
人の波に紛れ、蚤の市の狭い通路をラミントン広場の方向へと進んでいったの。
イラスト:猫の玉三郎さま
ご来訪、ありがとうございます。
exa様、玉さま、FAありがとうございました。
かわいい♡テスが増えました!
そして、そして。
ハートの女王様役は、ベレゾフスキーだった~~!!Σ(゜∀゜ノ)ノキャー
そのうち本当に「首を打て!」って言い出しそうです。
さて。重大事実が発覚しました。
待ち人、実は男の子……だったんですね。それなりに作者もサインを送っていたのに、気づかないのですもの、テスったら! (←気付かれたら、それはそれで困るのですけど)
さて、このふたり。無事逃げおおせることができるのでしょうか? ベレゾフスキー、しつこそうですから、このまま見逃してくれそうもありません。
彼の目的と本心も、まだ謎ですしね。
でも作者としては早く名前を尋ねて欲しいです。いつまでも「彼」だと、書き辛いのですもの!
テス、お願いよ~。( ,,>ω•́ )۶
――と言うことで、次回をお楽しみに。