16. もの思いのカドリーユ その② ☆
天敵(!?)ベレゾフスキーの登場。このピンチどう切り抜けるか、テス!
ベレゾフスキーは機械仕掛けの人形みたいな動作で、眼鏡のつるをツイと持ち上げた。
「ようやくこちらを向いたな、テリーザ・モーリン・ブロン」
向きたくなんか無かったんです。ついでにフルネームで呼ぶのも止めて欲しいんです。
ああん、でも今のあたしは蛇に睨まれた蛙状態。抗議も出来ない。
「覚えているか。私は太陽系地球連邦政府法務省公安調査庁連邦安全調査局第2課所属能力者対策委員会より派遣された能力者調査及び取り締まり委員で、公安調査庁連邦安全調査局第2課第2班班長ニコライ・ベレゾフスキーである。
先日、安全保安局所属超心理学研究局能力開発部第4研究所兼能力開発トレーニングセンター、通称『レチェル4』よりテリーザ・モーリン・ブロンの准A級認可証発行の要請があり認可されたとの通知があった。
しかし現在テリーザ・モーリン・ブロンの超常能力は停止状態にあるにも関わらず、認可証の発行は不当であり、なおかつ能力者不法犯罪特別捜査班への編入は容認ならざるべしとの調査報告が上がっている。
よって、能力者調査および取り締まり委員である私、ベレゾフスキーがテリーザ・モーリン・ブロンの取り調べに当たることになった」
ふええ。例によって難しい単語のオンパレードで、ベレゾフスキーの言っていること半分以上は理解できない。それでなくても「うつ」で脳の回転が鈍っちゃっているから、専門用語なんて聞き取れないよう。
ただあたしが准A級の認可証なんとか……って言っていたような気がするけど、それなに? あたし、知らないわよ。
『レチェル4』が――もしくはオーウェンさんが、あたしの知らないところで、なにか計画しているんじゃないかって思えてきた。で。知らないうちに、あたしそれに参加させられているんじゃない?
多分、このカン、当たっている。だから携帯端末機に連絡先登録してあって、なにかあったら直ぐに掛けて来いって事なんでしょ?
「まずはテリーザ・モーリン・ブロンの超常能力者としての現状を知りたい。よって、我々に同行せよ」
(――――はぃ??)
思わず頭を捻っちゃった。
おっしゃっていることの意味が、飲み込めないんですが……。
「能力喪失が事実か否か、検査をする。大人しく同行せよ。これは正式に能力者対策委員会よりの要請であり、被疑者テリーザ・モーリン・ブロンの身柄拘束と検査の強制は許可が降りている」
え、え、ええっ!?
今、拘束とか強制とか物騒な単語を並べたわよね。ただし、この人が言うと、監禁とか拷問って格上げされて聞えるのは――なぜ?
歴史の授業で習った、中世の魔女狩りの陰惨な風景が脳内にチラついた。
ベレゾフスキーのアイスブルーの目が眼鏡の奥で光る。
「これが司令執行許可状だ」
そう言って、ベレゾフスキーは左腕を肩の高さにまで持ち上げた。それから手首に装備した腕時計型の通信端末機から、ご丁寧に執行許可証の画像を立ち上げてあたしに示す。
被疑者に対し、きちんと司令執行を宣告した上での実行だという宣言だ。
冗談でしょう!?
全身から、ドッと汗が噴き出した。急激に身体が冷えて大きくブルッと震えた。
「い……いいい……いっ、イ……ヤ……嫌ですぅぅ」
声を振り絞っても、これだけ言うのが精一杯。
ベレゾフスキーは幽鬼にも見える青白い顔を僅かに左右に振り、後方に控えていたふたりの部下に合図を送った。
すると目つきのよくないふたりは、無言でこちらへ迫ってくる。
ベレゾフスキーも細見の長身だけど、その上司よりさらに背が高く肩幅のある彼らは巨石のようで、圧迫感が半端ではない。表情も上司に倣って押し殺しているし、無言で指示どおりに動く姿は、不気味を通り越して怖い。
子供の頃に観たクレイアニメに登場した、街を破壊する悪い巨大ロボットみたいよ。その巨石人(のような)部下2名、あたしを捕まえようと手を伸ばしてきた。
(ひぇぇぇぇぇぇ……!)
(逃ゲルノヨ!)
わかってる!
捕まりたくなんかない!
でも、脚が――身体が動かないっ!!
不動のベレゾフスキーの後ろ(っていっても7〜8メートル先だけど)には、フロランタン大通りを行き交う人の影が見えているっていうのに。
狭い路地には、あたし達しかいない。
どうすればいいの?
両側から迫る男達の手があたしの腕を捉えようとした瞬間、
ガシャン!
どこかでガラスの割れる音がした。
その音に、ベレゾフスキーとその部下が過敏に反応した。注意が逸れたのよ。
そして、恐怖によるあたしの身体の硬直も解けた。
これって、千載一遇のチャンスって言うのよね。
くるりと方向転換すると、路地を来た方向へ、カフェ・ファーブルトンの裏口のある裏通りへ向かって、あたしは一目散に走り出した。
もつれる足を励まして、なんとか裏通りまで駆けたわ。
ここを左に曲がればカフェ・ファーブルトンの裏口にたどり着けるんだけど、そこでタイミング悪く、左手から歩いてきた人にぶつかりそうになった。
「きゃあ! ごめんなさいっ!」
かろうじて鉢合わせの衝突は回避できたんだけど……歩行者を避けた勢いで右折しちゃった。
や~ん。これじゃ、カフェ・ファーブルトンに逃げ込んで、助けを求めることが出来ない。かといって、Uターンしたらあいつらの手の内に飛び込むのと変わらないよね。
後ろを確かめる余裕なんてない。こうなったら、1ブロック先のパブロバ通りまで走り抜けることにする。
フロランタン大通りと南北に交わるパブロバ通りも、周囲にはお洒落なセレクトショップやカフェ、レストランがあり人通りが多い。
いくら公安なんとかの執行許可証があるとはいえ、人目の多いところで女の子を強引に連行したら騒ぎになるわ。長閑なロクム・シティで白昼堂々の拘束劇なんて、人目を引くこと間違いない。
そんなことを彼らが望むと思う?
ううん、執行許可証の発行が公安局の能力者対策委員会って云うのなら、騒ぎ立てしたくないはずよ。それどころか秘密裏に処理したいはず。
能力者対策委員会って、閉鎖的でガチゴチの秘密主義だってオーウェンさん嫌っていたもの。
ベレゾフスキーの調査の本当の目的がどこにあるのかまでは量れないけど、対策委員会は能力者に対してそこまで好意的でないとも聞いたわ。
あのアダムとディーが委員会の方針には猜疑心を抱いて、警戒しているくらいだから。
その前に、あいつに捕まるのは個人的な恨みもあって、絶対イヤ!
だって、あいつとラブーフって部下は、『透明な繭』の中にいたあたしの全裸を観ているんだから!
絶対に、許せないもん。
とにかくパブロバ通りまで走り抜けるわ。あそこまで行ったら、大声で助けを呼ぼう。
だけど、あたしは短距離走も長距離走も苦手なの。走るのが遅いの。足を必死に前へ前へ出しているんだけど、なかなかパブロバ通りまで着かないの。
なのに後ろからは、どんどん気配が迫ってくる。
ついに後ろからグイと肩を掴まれちゃった。
「いやあぁぁん!」
バランスを崩したあたしの身体は、追撃者のひとりに抱き留められるような格好で背中から倒れ込み、そのまま簡単に羽交い締めにされてしまった。
声が出せないように口を塞がれると、前に回り込んだもうひとりが拳を握り、あたしの下腹部あたりにそれを打ち込もうとしている。
「――――――――ッ!!」
もうダメ、あたしはギュッと目をつぶった!
♡ ♡ ♡ ♡
鈍い音がした。
でも、あたしのお腹に衝撃はない。
次にドサッという音。
あたしを拘束する男の焦る気配。
(――な……なにが起きているの!?)
怖々目を開くと、黒い巨体が傾いて前のめりに崩れ落ちたところだった。
その後ろに人影。スラリとした身体つき。
帽子を被り、ゆるっと身幅の広い濃紺のパルカラーコートを着て、オフホワイトのアウターに黒の細身のデニム。ウェリントンタイプの眼鏡をかけた、中性的な雰囲気をまとった人物だった。
ただ、どことなく印象が薄くて、ほわっと霞がかかったようなひとで。見覚えがあるような、無いような……。
(――誰!?)
帽子のつばと眼鏡のせいで、顔の半分は隠れている。引き締まった顎のラインから、若い人だってことは察することが出来るんだけど。
その謎の人物の身体が、滑るように移動した――と思ったときには、すでにもうひとりの追撃者の後方に回り込んでいたらしい。
背後でなにかを打ち当てたような小さな鈍い音と、「ぎゃっ」という短い悲鳴みたいな声が聞えた。すると両脇の下から頭上へと通されていた、あたしの自由を奪っていた太い両腕が糸が切れたように落ちる。
男はガクリと膝を突いた。驚いた表情のまま、大きな身体はドミノみたいに横倒しに倒れていく。
その様子をあたしは呆然と、そのひとは眼鏡越しに平然と眺めていた。
ひょえぇ。たぶん……と言うか、ほぼ間違いなく助けていただいたみたいなんですが、そのひとの立ち姿は凪いだ水面のように静か。
なので「これ、あなたの仕業なの?」と問いただしたいくらい。
あたしは空いた口を閉じることさえ忘れていたわ。
ええっと。気絶しちゃったから、これでベレゾフスキーの部下は追い掛けてこないだろうけど――じゃあ目の前にいるこのひとは誰なんでしょう?
新たな疑問にぶち当たったあたしは5秒ほど相手の顔を凝視していたんだけど、
「失礼!」
短い断りの言葉と共に、そのひとはあたしの腕を掴んだ。
そして走り出したの。
は、速いぃぃぃぃ……!!
そのひとは長い脚を有効利用して、陸上の競技選手じゃないかってくらいのスピードで走って行こうとするんだけど、あたしの脚が追いつかない。
ほとんど引き摺られるような格好で走らされ、パブロバ通りにたどり着いたときには、もう息も絶え絶えの状態よ。
通りに飛び出したところで、そのひとは疾走から早歩きくらいまで速度を落としてくれたんだけど、足は止まらなかった。
わざと混雑している場所を選んでいるかのように、人混みの中に分け入っていく。
歩きながら肺に足りなくなった空気を送り込もうと、あたしは浅い呼吸を繰り返していた。でも歩くスピードと呼吸のタイミングを合わせられずに、派手に咳き込んでしまった。
「もう少し頑張ってくれないかな」
と、また腕を取られ先に進むことを促された。
(ああ~ん、いぢわるぅ~~!!)
この日のパブロバ通りには、たくさんの露店が並んでいた。石畳に敷いた敷物の上、テーブルや商品を積んだ洒落たワゴン、あるいはキャンプに使用するようなテントを張ったお店もある。
そこに骨董品から古着、絵画、手作りのアクセサリーやお菓子、日用雑貨に野菜や果物まで、それぞれの店主が各々自慢の商品を並べていた。
どこからか楽しげな音楽も流れてくる。ああ、ストリートミュージシャンや大道芸人がパフォーマンスもしているのね。
今日は日曜日。蚤の市が開催されていたんだわ。
通り全体が会場らしく、並べられた品々とそれを見て回る人達で、周囲はごった返している。
あたし達はその雑踏の中に紛れ込んでいったの。
混雑するパブロバ通りをフロランタン大通りの方角へ折れ、さらに人混みを縫うように進んでいく。
先を行くそのひとが、他の歩行者とぶつからないように上手く先導やガードをしてくれるので、面白いようにスイスイと人の間を抜けていくわ。あたしひとりじゃ、3歩も歩かないうちにつまずくか、人にぶつかるだろう。
露店の商品やら買い物客の様子も気になるんだけど、それよりもっと気になっているのは、あたしを助けてくれる(……だよね?)この人の正体。
頼りになるあたしの味方――といえばクリスタなんだけど、彼女は現在、首都バクラヴァでお仕事中よ。第一、身長と肌の色が違う。
同じ理由で、メリルも除外。エミユさんってこともないわよね。雰囲気が違うもん。
リックは……体型が全然違う。それに彼だったら、もっとざっくばらん。
アダムとディーは論外。あのふたりなら、顔を合わせた途端機関銃のようにしゃべり出すだろうから。
でも、どこかで逢ったことがある気がするの。
だって、全く知らないひとだったら、あたしのセンサーが反応するはずよ。重症なんだから、あたしの人見知りは。
初対面だったら、顔も見られないわ。初対面でなくたって、気心が知れたひとじゃなくちゃ、あたしは……。
気心?
気になる……、気になっている……?
帽子から覗く髪はダーク系。
ふわっと、薄紅色の花びらが舞った。頭の中で。
足が止まる。
(peony peony……)
不審に思ったのかそのひとも足を止め、こちらへと向き直ると、掴んでいたあたしの腕を離した。
「あ、あの。あなたは……」
(……and lilies)
そのひとは左手で帽子のつばを少し持ち上げ、眼鏡の蝶番にそっと右手を添えるとスルリと外してみせた。
「あ!!」
あらわになった切れ長の瞳。
(はらはら、ひらひら……)
(また……薄紅色の花びらが舞ったわ。なぜ?)
あたしを見つめる眼差し。橙色にも褐色にも、金色にも変化して見える。まるで琥珀のように複雑な色の明暗が、とろりと誘惑の音を立てて揺れているよう。
暖かみと涼やかさを織り交ぜた深い色彩の対比に惹かれたあたしは、まばたきも出来ずにその瞳を見ていた。
白磁のような滑らかな肌に、東洋的な顔立ち。
頬に影を落とす後れ毛は、確かに黒くて絹糸のよう。
(はらはら、ひらひら……)
霞か朧のようだった印象が、眼鏡をとった途端一変した。
大輪の花が咲いた。
間違いない。
昨日、カフェ・ファーブルトンにいらした……。
「隅の老人」の待ち人だわ。
ご来訪、いつもありがとうございます。
ついに「隅の老人」の待ち人のお顔が解禁です。あ~、ここまで長かった!
皆様、どんなお顔を想像されていたのでしょうね。
東洋的な顔立ち、意外でしたでしょうか? それとも、やっぱりね……だったのでしょうか。
実はこのお話、眼鏡率が高いんですね。
まず、ディー。それからベレゾフスキー。そして待ち人も掛けています。それぞれ眼鏡にこだわりもクセも持っています。ちょこっとしたところで出てきますので、その辺もお楽しみに。
それでは、また!