15. peony peony and lilies その① ☆
イラスト:hake様
また、夢……。
このところ眠りが浅い。だからなのかなぁ、ヘンな夢ばっかり観るのよ。
一昨日は、左右対称に同じ動きをするよく似た影が、いろいろな曲芸をしている夢だった。よく喋り、よく笑い、とっても楽しそうに話しかけてくれたんだけど、なにを喋っているのかあたしにはさっぱり聞き取れない。
影達――アダムとディーに似ているわ――が楽しそうなだけに、話の内容がわからないのが、すっごくつまんなかった!
木の枝の上にいた銀色の美人猫に尋ねてみたんだけど、菫色の瞳をキラキラさせて、ニコッと笑って消えちゃうし。
昨日は大きな身体の向こう傷のグリフォンと鼻の下に髭を蓄えた芋虫が、しかめっ面してチェスをしていた。ぶどう畑の真ん中で。
近寄って、どうしてそんな顔をしているのかって訊いてみたんだけど、なんだか上手くはぐらかされた。
でもグリフォンと芋虫の表情を観ていたら、オーウェンさんとヨーネル医師を思い出しちゃった。
あ、あん。ふたりが人間離れしているとか、そういうことじゃなくて……その、雰囲気が、ね。似ていたの。
そして、今晩はクリスタが山高帽を被ってお茶会に誘ってくれた。
さすがトップモデルのクリスタよ。山高帽も蝶ネクタイもクラシックなデザインのタキシードジャケットも、バッチリ似合っている。
巨大なテーブルの上には、たくさんのカップアンドソーサーが並び、銀のお皿の上にはナプキンが敷かれ、ボンボンショコラやマカロン、クレープにドーナツ、ブラウニー。マドレーヌにアップルパイ、ブランマンジェ、シュークリーム……と色鮮やかで美味しそうなスイーツも山と盛られていた。
肘掛け椅子だって何脚も用意されているのに、お茶会のお客はあたしとあとふたり。メリルとリックだけだった。
ともかく。お茶会は始まったわ。スイーツとお茶を交互に口にして、カップの中のお茶を飲み干すと、席を移動する。新しい席の前には、新しいカップアンドソーサー。
クリスタがお茶を注いだら、またスイーツを摘まんでお茶を飲む。その繰り返し。
何杯もお茶をおかわりしながら、甘いスイーツを食べ続けたわ。
だって、テーブルの周りをぐるぐる回り続けているんですもの。終わりがない。
4人でどんな話をしていたのかは、よく覚えていないの。なぞなぞを出し合っていたような気もする。
ほら、夢の中の話だから、すべてが曖昧なのよ。
おいしいお茶を飲みながら会話も弾んでいたけど、最期のなぞなぞの答えがどうしても解けなくて。
いくら考えても、答えが見つからないの。
問題は、ねぇ。確か……問題は……、あれ、問題はなんだっけ?
やだ。それさえわからなくなっている!
困って泣いてしまったら、クリスタがめちゃくちゃ心配して。
(ふぇん。だい……じょうぶ……だから……)
(不安だねぇ。……心配で仕方ないよ、あたしは!)
(だいじょうぶ……だから、行って……らっしゃい……)
涙をふいて、手を振ろうとしたら――――。
《――どうして……来ない……?》
懐中時計を握った、足の悪いうさぎがそう言ってテーブルの向こう側を通り過ぎて行った。杖をついているのに、なんて足が速いんだろう!
あれ、うさぎってば、懐中時計を落としていった。
大事そうにしていたのに、ダメじゃない。届けてあげなきゃ!
あたしは席を立つ。
するとテーブルの上のスイーツが花の蕾に変わっていった。蕾は開く。ふわりふわりと優雅に花びらが開いていく。
あれれ、この花は……。
牡丹と芍薬と百合の花?
誰かが言っていたわ、花のような女性だって!
誰だったかしら。ああ、前にもこんな夢を観たわよね。
なぜこんな夢を観るのかしら?
あたしには、もう超常能力は無いのよ。
(非能力者に戻ったの!)
なのに夢だけはまだお茶会が続いている。
そっくりなふたりに笑顔の猫、グリフォンに芋虫に、終わらないお茶会……。
それから、うさぎ。
うさぎ?
――ん!? んんん……。
あーーーーっ!!
わかった! やだ、これって!!
あたしは飛び起きると、ベッドサイドのテーブルの上にある本を手に取った。昔ながらの、並製本の2冊の本。
それは、小さな女の子が『不思議の国』と『鏡の国』を冒険する物語……。
♡ ♡ ♡ ♡
メリルはヘイゼルの瞳をパチクリとまばたきさせた。
「――読み聞かせのボランティア!
はい。そうですわ。まあ、思い出したんですのね!」
そして嬉しそうに、胸の前でぽんと両手を合わせた。
昨日の午後からクリスタは仕事で不在。ひとりだし、食欲も無いのでスムージーだけという手抜きの朝食を済ませた頃、ドアのチャイム音が1回鳴った。
同じアパートメントの15階の住人、メリルが尋ねて来たの。
クリスタ不在の間は、彼女があたしの保護者代わりを務めてくれる。……って、たった3日間でしょ。
それより先に、あたしって、そんなに頼りない? ひとりじゃなにも出来ない子だと思われている?
メリル曰く、
「失意のどん底を右往左往しているテスを、放って置くことなんて出来ません!」
失恋の痛手から立ち直れないあたしが不憫で仕方ないみたい。
メリルだって、用事がいっぱいあるはずなのに。
持つべきものは、友達ね。
細口のドリップポットを静かに傾けお湯を注げば、ドリッパーの中のコーヒー粉はジワリと膨らむ。
20秒ほど蒸らしてから、のの字を描く様にまた静かにお湯を注ぐ。膨面が1/3ほど沈んできたらさらに注いで……。
ぽたりぽたりと落ちるドリップを見ていると、心が落ち着くのはなぜだろう。
リビングルームの窓から降り注いでくるのは、澄んだ秋の陽射し。
窓から見えるロクム・シティの街路樹は、葉が黄色に染まり実を付けている。モッフルの森には葉を赤く染める樹木もあり、故郷では見かけない『紅葉』という風景に心が騒ぐ。
でもどんなに美しくても、やがてこの豪華で壮観な景色は、冷たい風に散ってしまうのですって。
もうすぐ冬がやってくるから。
四季があって、景色が移り変わるのを観察するのは楽しいわ。故郷では、自然がこんなに色鮮やかに季節を彩ることはないんだもん。
でも、目まぐるしくない?
時間の流れを、故郷いた時より、ずっと早く感じるんだもん。
なにもかも、あっという間に変わってしまう。景色も、あたしを取り巻く環境も。
だからだよね、もの哀しく感じるのは。気分が沈んじゃうのは。
クリスタがいないせいだけじゃないよね?
最後のドリップが落ちきらないうちにドリッパーをサーバーから外し、暖めて置いたカップに注いだ。
ソファに座ったメリルはペーパーバックを手に取るとパラパラとページをめくり、テニエルの挿し絵を見つけるたびに楽しそうな笑みをこぼしている。
淹れ立てのコーヒーとクッキーを運んで、あたしも彼女の隣に座り込む。
「わたしが病院の小児病棟で、読み聞かせのボランティアをしていますでしょ。それにテスも参加なさらないかと、お誘いしましたのよ。そうしたら、二つ返事で引き受けてくださいましたの」
そう言われれば、そんなこと、……あった気がする。
「覚えておりませんの? ああ、仕方ありませんわ。事故のショックで、しばらく記憶喪失になっていたのですもの」
今度は肩を落とし、お嬢様らしく口元を手で隠しながら、メリルは小さな溜め息を吐いている。
♡ ♡ ♡ ♡
マリア・エルチェシカの記憶改ざん工作により、『レチェル4』で過ごしていた――彼女たちにとって行方不明になっていた期間――は、あたしは事故のショックで記憶喪失だったと云うことになっている。
当たり前だけど、彼女の独断じゃないよ。上層部からの命令で、だからね。
さらに不幸なことに転送された病院側の手違いにより別人とID登録、そのせいで全く関係ない事件の重要証人と間違えられ、治療と裁判まで身柄保護のため病棟に隔離。
あたしの記憶が混乱していたのが災いして、間違いに気付くのが遅れた。
――って!?
こんな粗雑な理由で事件関係者一同納得するのかと不安だったけど、そこはマリアの能力が優秀だったのか、オーウェンさんがさらに裏から手を回した功績なのか、みんな信じているの。
嘘みたいでしょ。
しゃくだけど、マリアがA級認定証を鼻に掛けるだけのことはあるわ。
ともあれ、この措置のおかげで、あたしの超常能力は世間からは隠秘された。
そんな中、非能力の一般人関係者では、唯一クリスタだけが真実を覚えている。
なんでも彼女にだけはマリアの改ざん操作が上手く作用しなくて、記憶が消去されなかったんだとか。
明確な原因はわからないけど、たまにこういうパターンもあるらしい。
特に感応能力は人と人の間のことだから、波長というか相性みたいなものがあるんだって。
「上手くいくときばっかりやない。あかんときは、なにやってもあかんのや」
アダムとディーも言っていた。
超常能力も「万能」って訳ではない……のかもね。
負けず嫌いのマリアは操作が成功するまでやるって息巻いていたらしいけど、無理矢理消去したら脳に負担が掛かって損傷が出るって、ヨーネル医師が大反対したのよね。
非能力者に戻ったあたしを市井に戻すにしても、事情を知った人間が身近にいて補助していた方がいいってことで、特別処置としてオーウェンさんが許容したこともある。
もちろんそこには見聞きしたことは国家機密並みの秘密事項として、決して口外しないことと云う条件が付いたわ。まだまだ超常能力に関する情報は、微妙過ぎる問題だから。
やあねぇ。そんなことはお任せあれ、よ。
頼もしいクリスタは、そんなヤバいことペラペラ喋る人じゃない。
だって、彼女はミューズなのよ。全能神と記憶との間に生まれた|知的活動を司る女神なんだから。
加えて、あたしにとっては正義の女神様でもあるわ。
デザイナー、ロマン・ナダルの創作意欲を刺激する女神であり、あたしの頼もしい幼なじみで親友なのよ!
とは言うものの、あたしの面倒ごとに彼女を巻き込んじゃったのは事実。
どうしようって悩んでいたら、
「ああ。『毒を食らわば皿まで』って言うだろ。
今更水臭いこと言うんじゃないよ、テス!」
と、豪快に言い切って抱擁してくれたのよ。
女神様は偉大だった!
それに引き換え。
本当にこれでいいのだろうかと思い迷いつつ、またぬくぬくと甘えちゃうあたしって、いつまでも甘えんぼの子供だよね。
(ふえ~~ん)
やっぱり要保護者かぁ。溜め息!
――――と。
こうしたフクザツな過程をたどってなんとかシェアルームに帰って来れたけど、あたし達はメリルやリックや世の中には決して明かすことが出来ない秘密を抱えてしまったの。
ごめんなさい、メリル。
この3週間ほどは、口外できない、いろんなことがありすぎて。
これまでの18年間の人生で、最も中身の濃い日々だったんだよぉ。
♡ ♡ ♡ ♡
あ! ……そうだわ。
能力が目覚める前に約束していた。
頭痛に悩まされる前、能力が覚醒する前のこと。カフェ・ファーブルトンの裏口で、ニナやアマンダと4人でお喋りした(ああ、まさかこの雑談が事件の引き金だったなんて!)前の前の日。
はい。すっかり思い出しました。
それで張り切って、寝る前に、ベッドの上で朗読の練習していたんだっけ。
今のあたしにとって、3週間ほど前の出来事も、感覚的には遙か遠い過去の話みたい。
だからあんな夢を観たのかしら。
でもでも。あたしの観た夢は、かなりアレンジされているわよね。
『不思議の国』と『鏡の国』がごっちゃになっているし、無理矢理現実の人物に役を当てはめているから登場人物の配置も違う。
出てきたお花の種類も違う。確かオリジナルは『鏡の国』に出てきたバラに、ヒナギクにオニユリじゃなかったっけ。
まあ、これは多分うさぎとして登場した『隅の老人』の影響だとわかるんだけど……。
ああん。そういえば『隅の老人』は、どうなっちゃったの?
行方不明なんでしょ。また心配事が増えたよう。
急に黙り込んだかと思えば慌てふためくあたしの様子に、メリルが不安になったらしい。
それは、そうだよね。一応、あたしは病み上がりなんだから。
なんでもないからと笑って誤魔化すけど、……信じてないなぁ。
情緒不安定が進行したって思ってるよ、絶対!
「それで、テス。ボランティア活動には参加していただけますの?」
恐る恐るといった感じで、メリルが問いかけてきた。あたしは大急ぎで明るい笑顔を作り、悩み出すとどんどん降り積もる不安をエイヤッと木星の向こうへ振り払った。
「うん、まだ約束は有効かな?」
「もちろんですわ。小児病棟には幼い子供達も大勢いますの。みんな訪問を楽しみにしていますから、参加は大歓迎でしてよ」
ヘイゼルの瞳が、じっとこちらを見つめた。彼女の温かい手が、あたしの冷えた手に重ねられる。
「それでしたら、まずあなたが元気にならなくてはいけませんわ。テス」
あたしは大きくうなずく。
わかった。いつまでも、沈んでいたらいけないよね。
ちょっとずつでも元気を取り戻すから、待っていて。
知らずに浮かべていた涙を急いで拭ったら、
「ですから擦ってはいけないと、あれ程申し上げたではありませんか!」
ああ~ん、またメリルに叱られたぁ。
この後、マグカップのコーヒーに口を付けたとき、ふと思ったの。
あたしの観た夢。
へんてこりんな夢だったけど、まだ登場人物が足りていない。この物語に欠かせない主要人物がまだ舞台に上がっていないことに気がついた。
(――気難しやのハートの女王様がいないわ!)
あらら?
頭の中で、薄紅色の花びらが舞い踊った。
やっとの思いで再会し、シェアルームに戻ってきたというのに、クリスタは仕事でバクラヴァに出張してしまいました。淋しいテスを慰め励ましに来てくれたのは、メリル。
至れり尽くせりの友人達に囲まれて、テスは幸せです。
――が。
そうは問屋(作者)が卸さない!
すでに波乱の予感が……!?
hake様、イラストありがとうございました。
それでは、また!