14. 世界で一番難しいなぞなぞ その⑨ ☆
『華鳳池』に落ちたテスは……。
池から這い上がったあたしの身体は全身びしょ濡れよ!
クリスタに引き上げられてなんとか桟橋まで上ったんだけどで、せっかく貸してもらったチャイナドレスもビーズ刺繍の靴も、池の水を染み透して台無しになってしまった。
もちろんすぐに謝ったわ。けれどそんなことより風邪を引いては大変と、エミユさんが用意したふかふかのタオル(どこから出してきたの?)に包まれ、本日二度目の再会を果たした大親友と、無事を喜びひしと抱き合っていた。
クリスタの元に駆け寄りたくて急に動こうとしたら、あたしの肉体を支えていた念動力のパワーバランスが崩れて、その結果『華鳳池』に落っこちたという訳なの。
そうね、浮揚するのもさせるのも技術がいるって、研究所で見た学習ソフトのAI先生もそう言っていたっけ。
ああん、身をもって学習しちゃったわよ。次回は、気を失っていてもずぶ濡れにはならないように気をつけよう。
それにしても季節はずれの水浴びなんて、するものじゃないわね。秋風が染みるように冷たい。しかも夜だし。
抱きしめてくれるクリスタの体温がなかったら、きっとくしゃみが止まらなくなっているはず! なんて思っているそばから、
「ふぁっ、くしゅん!」
鼻をすするあたしの頭上から新たなタオルがかぶせられ(だから、このタオルどこから現れるの? エミユさん)、クリスタは寒さを追い払うようにギュッと抱きしめてくれる。
彼女のとくとくという心臓の音とぬくもりが安堵感を増幅させてくれる。この力一杯の抱擁があれば、あたしは安心できるんだ。
クリスタの熱い抱擁があれば。
心配ばっかりかけてごめんね、クリスタ。
あたしは彼女の背中をそっとさすった。
アダムとディーが戻ってきた。上空からひらりと身体を泳がせて、池に張り出した石造りの桟橋の上、あたし達の横に華麗に着地する。
お手本みたいにきれいな浮揚術だ。
けれど彼らは足が地に着いた途端、思いっきり悪態をつき始めた。飛び去ったアマンダ(偽者)に、追撃を振り切られてしまったんですって。
えー! 彼らをやり過ごすなんて、アマンダ(偽者)恐るべし!
あ、ここは感心しちゃいけないところか。
ねえ。
どこへ消えてしまったの?
偽者も、本物の――あたしの知っているアマンダ・カシューと云う人格も。
♡ ♡ ♡ ♡
ふたりはあたしの無事を喜んだ後、意識が深層に沈んでいたときの状況についてさりげなく質問してきた。
「記憶無いんか? って言うか、どこまで覚えてるん?」
そうアダムに言われて思い返す。
あたしはアマンダ……ううん、あれは偽物であってアマンダの姿を借りた別のアマンダ(ああっ、ややこしい!)と能力戦をしていたのよね、確か。
彼女を追いかけて、回廊から空中に飛び出したのも覚えているわよ。ぼんやり、だけど。
池の上まで来たら、火炎弾をボンボコ投げつけてくるから、あたしも投げ返していた。でも、どうして手のひらからあんなにたくさんの炎の玉が出てきたのかしらね?
「……わからん、て。自分発火能力使てたのも、わかっとらんかったんかぁ」
アダムが脱力する横で、ディーが天を仰いでいる。
「……ちう事は、浮揚能力使ことったのも自覚なしということかいな」
もう! アダム、ディー。同調で溜め息つくのは止めてよ!
無意識で使っていた訳じゃないわ。そうした方がいいかなぁ~って思うと、身体がそう動いていたというか、能力が働いていたというか。
――う……動かされていたというか。
意識はあるんだけど、自分の行動が他人事みたいになっていて。こう、自動機械人形になった自分の身体の動きを、俯瞰で見ていたと云えば正解に一番近いのかしら。
「そういえば、あのときは無表情やった……ちうか、別人の顔しとったもんなぁ。いつもコロコロ変わるテスの表情が、お面被ったみたいに不気味になっとったわ」
え~。不気味って、そんなに酷い顔してたのかしら、アダム?
ああん、秋風を一層冷たく感じるよう。
「ふうん。せやったらテスは思わず知らず超常能力使ことったのやろう。なら、自覚無しちうことやんか」
と、ディーが奥歯に物が挟まったような言い回しで聞いてきた。
でも。
でも、途中からは、ちゃんと自分の意思で制御しようと努力したのよ。
「わかっとるで」
「そこは褒めたるわ」
うなずくアダムとディーの横で、エミユさんが目元を緩めた。
ウーン、この3人は絶対「アタシ」の存在を察知している。
アダムとディーはA級の認可証保持者なんだし、エミユさんだって並みの能力者じゃない。バレない方が不思議よね。
ほら。ふたりは素早くアイコンタクトを交わしているし、菫色の瞳はじっとこちらを伺っている。
あたしの内部でなにが起こっていたのか、しっかり視認しているじゃないかしら。
全部承知した上で、素知らぬ風を装っているんだよね。きっと。
ふぇ~ん。それって超常能力の最高機密は秘密厳守だと強制している「圧力」なんでしょ。
わかっている。その強要は妥当な判断だわ。
口を噤まねばならないのは、社会ではまだ正当な認識が定着していない『超常能力』に対する、行き過ぎた風評からの防衛の意味もあるんでしょ。学習ソフトのAI先生から習ったし。
でもね。今まで、どんなことでも、クリスタに相談してきたのよ。どこまで秘密厳守でいられるかなんて、自信がない。
他ならぬ大親友に訊かれたのなら、ヘロッと全て喋ってしまいそう。
――って。え~、もしかして、その辺まで見据えての、その視線!?
だめだ、ちょっと怖くなってきた。なんだか胸騒ぎがして、モヤモヤするの。
ブルッと身体が震えた。
「寒いのかい?」
濡れねずみのあたしの身体が冷えてきたのではと、クリスタが心配してくれる。
慌てて首を横に振って大丈夫だと伝えたけど、ホントは濡れた髪や衣服が重いし、肌に張り尽くし、出来れば早くシャワーを浴びたい気分になってきた。
「そうだ! ――ねえ。
リックはどこ? 回廊には一緒にいたはずよね。姿が見えないわ。リックは大丈夫なの?
ああっ、メリルは? 彼女も無事なの!?」
唐突に、あたしは彼のことを思い出した。メリルも『紅棗楼』にいるって言っていなかった?
心配になり始めると、不安な気持ちはどんどん膨らんでいくものね。
それはクリスタも同じだった。彼女の心の中に溢れる友人の無事を確かめたいという気持ちが、あたしの中にもどんどん流れてくる。
多分接触感応能力が働いているんだろう。
衣類が隔てているとはいえ、これだけ密着しているのだから、彼女の気持ちは手に取るように読み取れる。
ううん、読み取れ過ぎている。超常能力に対する疑問やら、この状況への対応策のあれこれとか、アダムとディーそれからエミユさんに対する感情とか、その他諸々の感情思考までダダ漏れ状態で流れてくる。
(いけない!)
(遮断、遮断、遮断!)
いくら親友だからって、これはプライバシーの侵害だわ。超常能力の暴力だわ。
節度を持たなきゃ!
体温が音を立てて下がった気がする。
これは秋風のせいじゃないわ。自分の持つ能力の恐ろしさを、またひとつ知ったからよ。
それより、今は、リックとメリルの安否よね。
エミユさんが思念波で探ってくれたことによれば、メリルは『緑香球』というお部屋にいるらしいの。そばに支配人が付いているから問題ないという。
じゃあ、リックは……。
「あの兄ちゃんやったら、まだ回廊の方におるンけど」
「少しヤバいかもしれへん」
ヤバい……。アダムとディーの言葉を、あたしは「危ない」と解釈した。危険が迫っている、と。
慌ててクリスタの腕の中から抜け出すと、回廊の方向へとおたおた走り出す。誰の制止も、今は受け入れられないわ。
リックのそばに行かなくっちゃ。
「お待ち。足下が危ないンだから、走ったら……」
そうね。瓦礫を避けながらあそこまで行くのは大変。あちらこちらに散らばる瓦礫。自分たちの仕業とはいえ、よくもここまで破壊したものだわ。
なんて感心してばかりもいられない。庭園も被害甚大だけど、回廊も倒壊の危機に晒されていた。すかし窓が施された白い壁も、中国龍の背中みたいな屋根も無残に崩れかけている。
ああん、あれが崩れたら、あの下にいるリックは下敷きになっちゃうじゃない。
急がなきゃ!
あたしは跳んだ。
勇む気持ちで石畳を蹴ったら、身体がふわりと浮き上がったの。
空中に飛び出した身体は、大きく跳ねて、数メートルを一気に飛び越えた。崩れた大きな庭石の残骸を避け着地をしたら、また石畳を蹴り出す。浮き上がる身体――浮揚能力で宙を移動するのは、見えない羽が空気を捕まえ支えてくれるよう。
(すごい!)
束の間の感動も冷えた夜風が直ぐに打ち消してしまう。心配がぶり返してくる。
今はなによりもリックのことが心配なんですもの。
(どこにいるんだろう?)
グラリと身体が揺れた。リックのことを考えた途端、安定感を失うって、どういうこと!?
ああ、ドキドキしている。
このドキドキの理由って、なんだと思う? 空中でバランスを崩したせい? それともリックの安否がわからないから?
(あたしは、まだ、リックのことが好きなのかなぁ?)
(アマンダに心理操作されなかったら、あたしはまだリックのことが好きだったはずよね。だってずっと好きだったんですもの)
(憧れのバスケットボール選手で、逞しくて優しくて、明るい笑顔の持ち主で……)
あたしは両手を広げバランスを取りつつ、崩れた庭石の上に着地した。遠隔透視を働かせて彼の姿を探す。
(いたわ! 花窓の下で、壁により掛かってうずくまっている)
辛うじて被害の及んでいない場所に避難していたみたいだけど、安全とは言い切れない場所ね。だって、リックの後ろの白壁が崩れかけている。
それよりも、屋根が! 屋根が落ちそう。
(危ない!!)
あたしは跳んだ。彼の元へ。
急げと念じて飛距離を伸ばす。
助けなきゃ!
なんとかしなくちゃ。リックが危ない!!
「リック、逃げて!」
声が届いたのか、彼が顔を上げた。
その彼の顔――!
驚きの顔で見ている。宙に浮かぶあたしを、不思議そうに見上げている。
固まった表情のまま、目を見開いて、瞬きすることすら忘れている。
早く安全な場所に移動して欲しいのに。
リックは動けない。立ち上がることすら出来ずにいる。
だから――1秒の10分の1秒でも早く、あたしは彼の元に駆けつけたいのに。
身体が急に重くなった。
雑音だ!
また雑音が聞こえる。
新しい雑音。アマンダがまき散らしていたものとはまた別の、だけどあたしを苦しめるには十分過ぎる重圧を伴う雑音が押し寄せてきた。
神経に障る音の洪水。背筋を遡る不快感。
(――いや!)
もう雑音に悩まされるのは、いや。
あたしは雑音を振り払う。
イラスト:ちはやれいめい様
そう――。あたしは雑音を振り払ったのよ。
それだけなのに。
なのに、追い退けようとした手のひらからは炎がほとばしり出た。
炎は勢いのまま宙を走り回廊の屋根を直撃する。
彼の上に崩れ落ちようとする屋根。
(間に合わない)
壁に亀裂が走る。
(――間に合わない!)
あたしは彼の上に降りかかろうとする瓦礫に「落ちてこないで!」と念じた。倒れかかろうとする壁に「やめて!」と叫んだ。
その思念が念動力として作動する。
リックを襲おうとしていた瓦礫を、強烈な能力が吹き飛ばす。同時に、その能力は彼にも襲いかかった。
リックが引きつった声を上げる。
195センチもある巨体が、念動力の旋風に簡単に舞い上がり、キリキリともみくちゃにされる。
ああ、リック!!
「きゃああああ……、だめぇぇーー!!」
今度はあたしが悲鳴を上げて、念動力を止めた。ドサリと音を立てて落ちるリックの身体。
ああ、リック。リック。
リック――!
回廊に飛び込み、彼の元へと駆け寄る。冷たい石の床へうつ伏せに横臥した身体からは、かすかなうめき声が聞こえる。小刻みに動いている。
(よかった、意識はあるんだわ。でもケガしていたら……)
あたしは彼の傍らに膝をつき、身体に触れようとそっと手を伸ばした。大丈夫だって、自分に言い聞かせながら。
だって、なにかあったら……。彼がケガでもしていたら……。
もうすぐバスケットボールのレギュラーシーズンが始まるの。彼はカヌレ大学バスケ部のクラッチシューターなのよ。
みんなの期待を背負うスター選手なんだから。
リックは張り切っていたのよ。今シーズンも開幕戦で10ゴール以上決めるんだって!
だから、だから……。
そろそろと伸ばした指先が触れるか触れないかの距離まで近づいたとき、ぐったりと横たわっていたリックがはじかれたように起き上がり、
「……ぉぉぉおおお……ううわぁぁぁぁぁぁ……」
大きなけたたましい声を上げて数十センチ後ろに飛び退いた。
あたしの顔を穴が開くほど見つめて、肩を揺らすほど呼吸を乱している。試合中だって、そんなに息を切らしたりしないのに。
お尻で床を擦りつつ後ずさりをして行く。あたしから遠ざかろうとしているの。
彼はあたしを指さし、ガタガタと震える唇を動かそうとしていた。すぐには声にならなかったけど、喉の奥に絡まった言葉を必死に絞り出す。
「……お、おま……え……」
彼の青い瞳の中で感情が渦を巻いていた。
疑問と不安と、不信。それから恐怖。
今のリックの心を満たしているのは、負の感情ばっかりだ!
(あれ? 接触していないのに、どうして彼の心が視えちゃたの?)
(能力のせい?)
雑音が、あたしの頭の中を占領しようとしている。苦しい。苦しいよう。
頭が割れそう。
ならば、いっそ壊れてしまえば良いのに。
答えの出せない頭脳なんていらないわ。
♡ ♡ ♡ ♡
(どうして……)
ねえ、どうしていつもみたく抱きしめてくれないの? リック。
おまえ、なにやってんだよ――って言って。
それでいいのに。そうすれば、全て解決できたじゃない?
にじり寄れば、両手を大きく振り回しこれ以上近づくなと防衛している。
「こ……こっちへ来るな! 来るな! バケモ……――」
ああ、そうか。
彼にとって、今のあたしは――!
(得体の知れない怪物なんだ)
(……モウ抱キシメテナンテクレナイノヨ……)
信じられないような冷たさと、物凄い暗闇が落っこちてきた。身体から力が抜けていく。
目の前が真っ暗になって、どこからか嘲笑が降ってき……
「歯、食いしばんな!」
墜ちていこうとするあたしの意識を呼び戻したのは、怒りの籠もった低めのアルト声。
空気を切る音。
褐色の拳があたしの目の前を横切った。
(――――ふぇぇ!!)
クリスタの右ストレートが!
リックの右頬に炸裂した。彼の身体は強烈な衝撃を受けて横倒しになる。打たれてもいないのに、あたしも思わず頬を押さえていた。
「見損なったよ。惚れたオンナになんてこと言うんだい!」
怒りに震えるクリスタが、両手を腰に当て、大魔王のように目の前に立っていた。
いつの間に……とか、どうして……とかは問題じゃなくて。
クリスタが彼の前に立ちはだかって、あたしを庇おうとしていた。
倒れ込んだリックは起き上がることもせず、クリスタの拳の痛みに耐えている。
「テスはおまえさんの恋人なんだ。おまえさんが受け止めてやんなきゃ、テスはどうすりゃいいんだい!
ご覧。可哀想に、この世の終わりみたいな顔してんじゃないか。恋人にこんな表現させといて平気だなんて、男の風上にも置けないねッ!」
憎しみにも似た怒りの言葉が、リックに投げつけられる。
「……でも、よ。俺は知らなかった……んだぜ。テスが、こんな能力持っていたなんて、よぉ……」
「それが、なんだってンだい。急に覚醒しちまったって云うんだから、仕方ないだろう。おまえさんに説明する前に、こちらの兄さん方に拉致されちまっているンだし」
クリスタをここまで連れてきたアダムとディーが、悪びれることなく手を上げた。
「……でも、能力者っていやぁ……」
「ええい、肝っ玉どこに忘れてきたんだよ、リック・オレイン! おまえさんの彼女が、たまたま能力者だったってだけのハナシだろう。
カヌレ大学が誇るクラッチシューターが、聞いて呆れるね。これ以上グダグダ言うんなら、もう一発お見舞いしてあげようか!?」
云ったが早いか、クリスタが腰を引いてファイティングポーズを取る。リックは身体を縮こませ、あたしは彼女を止めようと取りすがった。
「違うの。リックを責めないで!
あたしが悪いの!」
もう、聞いていられないよ。
あたしの大好きな親友のクリスタが、彼を責め立てるなんて。
「悪いのはリックじゃない……」
彼の心に「恐怖心」を植え付けてしまったのは、あたしだ。後先を考えない行動が、無鉄砲な超常能力が、彼を追い込んでしまった。
しかも、あたしはそのことに全く気付くこともなかったし、気付こうともしなかった。
なにがあっても、どんなことがあっても。クリスタもリックも、あたしの大好きな人はあたしのことを受け入れてくれるって、気楽に信じ込んでいたの。
身勝手だよね。
だから、あたしのせいなの。
「リックを責めないで、お願い……」
クリスタの身体にしがみついて、あたしは懇願する。
ゆっくりと顔を上げたリックが、切れた唇から流れる血を無言で拭った。
それからあたしと視線を合わせないまま、
「悪ィ……」
の、一言。
深く、深く落ち込んだ声で、その一言。
(雑音ガ聞コエルワ)
今はもう、なにも言わないで…………。
ちはやれいめい様、イラストありがとうございます。(2020/11/24追加しました)