14. 世界で一番難しいなぞなぞ その⑥
テスはひとりでも頑張ります。
どうしよう。
消えちゃった、消えちゃったの。
どこを探しても見つからない。
アマンダがいないの。
落ち着け、あたし。
落ち着くのよ。
焦っているから見つからないだけよ。さっきまで、そこに……すぐそこに感じられたんですもの。
彼女の意識が。思念波が。
あたしに語りかけてくれたもん。
だから、絶対にいるはずなのよ。
飛び出そうな心臓を両手で押さえ、少しずつ息を整える。でも肩が上下に動くのは、すぐには止まらない。
この止まらない胸騒ぎはどうしたらいいの? 今の自分の不安定さやアマンダのゆくえを思うと、不安を通り越して怖くなってしまうんですもの。あたしを包むこの白い闇の、濃密な不透明さも、動揺を増長しているに違いないんだわ。
寒い。
不安は体温も奪うのね。心細さに押し潰されそうだわ。
ほら、また涙が出てきちゃった。
声が聴きたい。誰でもいいわ、あたしはひとりぼっちじゃないって言ってよ!
<アタシガ……イルワ>
背中にソワリと冷たい感触。
手足の鳥肌は、寒さのせい? 「アタシ」のせい?
ああん、誰でもいいなんて、ウソよ。
やっぱり、クリスタがいい!
<くりすたニハ、助ケテモラエナイワヨ?>
ぶり返してきた頭痛は、雑音と重なる。アマンダを探したいのに、雑音が騒がしすぎて気配が拾えない。
どうしたらいいと思う、クリスタ?
ああん、「アタシ」が嗤っている。臆病なあたしを嗤っている。歪んだ笑い顔、ああイライラする。
<手ヲ貸シテアゲマショウカ。アタシニ任セレバイイノヨ……>
<アナタヲ……助ケテアゲルワ……アタシニ任セテ>
肌触りの悪い猫なで声で、「アタシ」はあたしを誘惑する。でも、その誘いには乗らない。乗りたくない。乗っちゃいけない。
あたしはアナタには頼らないの。そう決めたんだから。
(あっちへ行ってよ!)
目を閉じて、雑念はシャットアウトしてしまおう。
ええ、そうよ。あたしが現在視ているのは超感覚で感じている画像だから、目を閉じたからって嘲笑する「アタシ」の顔が消える訳ではないわ。でも目を閉じた方が心理的に落ち着んですもの。
また無駄な足掻きをするのかって「アタシ」は嗤っているのね。
だって、あたしがあきらめちゃったら「あたし」はどうなるの? テリーザ・モーリン・ブロンは「アタシ」になって、「あたし」のいる場所がなくなってしまうってことなんじゃない?
それは困るもの。居場所が無くなったら、どうすればいいのよ。
身体はあたしの身体なのに!
(えっ!? ……って、まさか……)
突然、脳裏に身の毛もよだつ、イヤ~な仮説が浮かんできた。
超常能力は魔法の道具だわ。他人の心さえも操って、自分の欲求を満たすことが出来る。あたしの恋愛感情を捻じ曲げることだって、コーヒーを淹れるより簡単に出来てしまったのよ。
念動力なら、もっと悪ふざけが出来る。重さ数トンもある公園のオブジェを、指一本使わずに、短時間で並べ替えてしまうなんてことも可能。
なーんていろいろやらかしていたわよね、アマンダも。能力乱用。あたしより上手に使い熟していた!
そう。こんな便利な道具、どうぞと目の前に差し出されたら、絶対欲しいわよ。レアアイテムだし。能力の性質と使い方さえ習得すれば、最強よ。
でも、扱い方が難しい。どれだけあたし(一応能力者認定されてる!)が苦労したと思う。だから非能力者が能力を授かったからって、そう簡単には……って。
あれ?
ねえ。こんな便利な能力、無期限無制限で無償貸与してくれるものだと思う?
とても美味しい話よね。でも都合の良過ぎる話には気を付けろ、ってクリスタから注意されているの。
あの「アタシ」が、そこまで気前の良い性格だとは思えない。ほんのちょっと接触しただけだけど、アマンダの内部にいた「もうひとり」の人格も、だわ。
あたしの身体から「あたし」がいなくなったら、残るのは「アタシ」だよね。
それから、アマンダはこんなふうに言っていた。「あたしたちが強い潜在能力を持っているからこそ、そいつらは……」とかなんとか。
――ってことは、彼女だって元々能力者だったってことよね。アマンダの潜在能力がどのレベルだったか不明だけど、素地があったからこそ短期間で借り物の能力の使い方を習得できたってことなのかな。
彼女自身の潜在超常能力と「もうひとり」の能力が上手く調和したからこそ、強力な能力を駆使できたのかもしれない。
なぁるほど。能力の貸し出しも相手を選ぶ、ってことかぁ。
質問。
彼女の中にも存在していた不気味な声の正体不明の誰か(現在「アタシ」と名乗る)から超常能力をレンタルした場合、その料金って、いくらかかると思う?
代価って、なに?
ピクンと身体が跳ねた。
解答の尻尾に触ったような気がする。
不安がまた膨らんだ。
もうじっとなんてしていられない。このままじゃ不安に押し潰されるわ。
アマンダを探そう。彼女の話の続きを聴けば、答えがわかるかもしれないでしょ。いいえ、彼女はもう知っているのかもしれないし。
とにかく探そう。
借り物でない、あたしの能力でアマンダを見つけ出そう!
まずは一回、深呼吸。
覚悟を決めて。
腰かけていたぷかぷか浮かぶ涙玉に両手をついて、自分の身体を強く前に押し出した。あたしは白く濁った宙に飛び出す。支えを失い再び落下が始まる。
でも、今度は堕ちていくんじゃないわ。
今度は、自分の意志で降りていくの!
♡ ♡ ♡ ♡
深い水底のさらにその底へと降りていくような。落ちるのとは違う感覚だわ。もっと静かで、緩やかに、あたしはあたしの深層へと沈んでいく。
そこは水底のように静かな場所。
白い闇は濃厚さを増して、あたしを押し包む。ここがどこなのか、正確な場所はわからない。けれどどこか懐かしく、安心できるような気もする。
どくん、どくんと鳴る心臓。心拍音に伴われ周囲を見渡してみる。
明るくも暗くも無い空間。
探さなくちゃいけない。
(あたしが、本物の能力者ならば)
置き忘れてきたものを見つけなくちゃいけない。
(本当に超常能力の保持者であるのならば、自身の能力ってものが、どこかに潜んでいるはずなのよ!)
でも、なにを探したらいいの? 色は、形は? それがわからなくちゃ、探そうにも探せない。
ああん、やっぱりあたしって、どこか抜けている!?
ここにあるのかさえも、定かじゃないのに。ここがどこかもわかっていないのに。
なぜここにある……って思ったんだろう?
不思議。――あ、不思議と云えば。
(なぜあたしの中に、「アタシ」と名乗る意識が存在しているんだろう?)
(いつから存在していたの?)
やだ! また疑問が増えちゃったじゃない。
って言うか、こっちの方が根本的な大問題なんじゃない!?
ふええん。せめてひとつくらいは正解を出したいよう。困り果てて息を吐いたら、目の前に視えた幻影。あれは、
(――難しい顔をしたうさぎのおじいさん。握る銀色の懐中時計)
(……ええっ!?)
ステッキに身体を預ける老人うさぎは、じっとこちらを見つめている。ギョロリとした茶色の目。丸いレンズの奥にあるのは、あたしを観察する眼。
それから――。
(あたし、閉じ込められて……いる……の?)
どこからか湧いてくる圧迫感。重い窮屈感。
心臓がバクバクしている。痛いくらい。
壊れちゃうよ!
老人の眼が、眼だけが巨大化する。
慄くあたしを取り囲んで、四方に立ち上がる白い壁。
(また、この幻影の再生!?)
(怖い!!)
その先を思い出そうとしたら、フワッと意識が遠のいた。
♡ ♡ ♡ ♡
…………って、ダメ!!
ダメ、ダメ、ダメ、ダメ。
今は、駄目。気を失っちゃダメー。
そんな悠長なことをしてる時じゃないのよ~~~~!
しっかりしろ、あたし!!
(ひゃ、わ~ん――!)
溺れる者は藁をも掴むっていうけれど、もがくあたしが正気に戻ろうとして引っ掴んだのは雑音だった。うるさく苦しめ続けられた音なのに、今度はその煩わしさに救われた。
忌まわしいくらいしつこい雑音が、あたしの意識をつなぎとめたの。ありがたいんだけど、癪に障るのは否定できないっ。
あたしを包む大気(……といってもいいのかしら?)が、細かく震え始める。振動が伝わってくるのよ。雑音に合わせ揺れている。
でもここまで追いかけて来るなんて、ああん、雑音って執拗い! 執拗いが過ぎて、執念深いのかも。
――なんて変なこと考えていたら。
雑音は、目の前で微粒子に姿を変える。懸濁物になった雑音は、ゆらゆらと漂い、そしてゆっくりと降りだした。
層々と。淡々と。
おそらく感覚が、そう「視せているだけ」なんだろう。けれど、どうしていいのかわからないあたしは、それを目で追うだけで。
――――あ!
雑音の音質が変化した。
騒がしいのは変わらないけど、重苦しい不快感が消えたの。それは感情を逆なでする猥雑な音ではなくて、ぱちぱちとシャンパンの泡が弾けるような華やかな軽い音。花びらが開くような予感を感じさせてくれる楽しさを秘めたような音にすり替わっていた。
降り注ぐ微粒子の断片も、いつの間にかやわらかな艶を帯びている。
ただ動きは激しさを増し、
(まるで、花びらの洪水!?)
あたしの中で奏でられているのは、もう雑音ではなくて新しい旋律だ。
ああ、そうね。脳内ではニューロンが大慌てで新たな回路を作ろうとしている。樹状突起と軸索が繋がれば、さらに他のニューロンともシナプスを介して複雑に絡み合い、開通を待ち焦がれた信号を賑々しく送り出そうとしている。信号は新たな情報。微細部位の先の先へと、慌ただしくニュースを運んでいこうとしているんだわ。
(ああん、すごい。すごいわ!)
脳の最深層から発せられた信号は、大脳皮質の幾重もの層を猛スピードで駆け巡った。回路を駆けていく和声と律動。アップテンポに拍車がかかって、曲調は目まぐるしく変調を繰り返すけど、決して気疎くなんて感じない。
わくわくする。気持ちを駆り立てるのよ。
ううん。激しすぎて、多少クラッときちゃうけど。
なに? なんなの? この感覚は!
あたしは震えた。
ふっと、突然身体が軽くなった。重力から解放されたように。
その瞬間、超感覚の触覚が解き放たれるのを感じた。植物のツルのように、瑞々しい輝きを放ちながら、弾かれたように四方八方へと感覚の先端を伸ばしていく。あたしという殻を抜け出し、自由に軽やかに滑り出していく。
尖った感覚が、貪欲に情報を収集していく。
なんだろう、この解放感。――この快感!
ふわぁん、意識が酔っぱらってるぅ。