表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/105

3.  隅の老人 その②

※前半は老人のラブロマンスの昔語りですが、後半少々グロテスクなシーンがでてきます。ストーリー展開上どうしても必要なシーンなので、苦手な方はご注意の上お読みいただきたく存じます。





「若い頃、わしは偶然、ひとりの女性と知り合った。

 本来なら会うことも無いような、全くかけ離れた環境で生きてきた女性だ。出会ったこと事態が、間違いのようなものでな。だからあの(ひと)のことが、これほど忘れられん存在になろうとは、思いもよらんことだった」


(ソンナコト、思ッテモイナイクセニ……)


 どこからか、不思議なつぶやきが聞こえた……気がする。嫌味を含んだ、冷たい声なんだけど。


 誰よ? 周りにはお客様もいないし。


 身体の奥底で、かすかに響いたような。不快感のある声。男性とも女性とも区別がつかないんだけど、聞いたことあるような……ないような……。


 んんん……?


 訳のわからない疑問に小首をかしげたら、老人はそれを自分の言葉への反応だと思ったらしい。大きな目を、ますます大きく見開いた。

 それはそうよね、この声は()()()()()()()()()()()()()んだから。誤解するわよ……ね……


 ――って……、あれ?


(なに、なに、なに~。あたし、今なにを考えたのぉぉ~~!?)


 内心ジタバタするあたしを置いて、老人の話は進んでいっちゃう。

 あん、待って待って、置いていかないで。「隅の老人」の恋バナの続き、続きを聞きたいんだからぁ。

 あたしは慌てて聞く態勢に戻る。


「――年寄りの世迷いごとと笑ってくれて構わんぞ、テス。それでもな、まさに紆余曲折の末、わしは彼女の心を射止めたのよ。

 ……というより、あの(ひと)の方が熱心だったかな。こんなわしのどこが良かったんだか……。今でも不思議で仕方が無い。

 ふふん、『運命の悪戯』とは、こんなものやもしれんがな」


 老人は遠い目をしながら、シニカルな笑みを漏らした。


「しかし互いの仕事と立場から、ふたりの関係は内密のものとなった。

 おかげで会うこともままならない日々が続いたが、それでも良かったのだ。あの(ひと)のうれしそうな顔を見られるのならば、それで満足だった。滅多に素顔をさらさないあの(ひと)が、わしの前では無邪気に笑ってくれたのだから。

 やがてあのひとは仕事を辞め、一緒に暮らすようになったのだが、そのころからわしの仕事が……()()()なった。わしにとってその仕事は夢だったから、なりふり構わず追いかけていたのさ。

 あの(ひと)が寂しそうな顔をするようになったとは感じていたんだが、どうしていいのか、わしにはわからんかった。もともとそう云うことには、(うと)いんでな。

 そのことがわしらの溝となっていたことを知ったのは、情けないことに、彼女が別れを告げた時だよ。お粗末な話だ」


 老人の今の風貌からは、ちょっと想像ができないラブロマンスだ。人は見かけによらないわよね。

 あら、失礼。


「テスはまだ若いからわからんかもしれんが、時間は待ってはくれん。残酷なものだな。忙しく過ぎ行くが、気づいた時にはもう戻れん。時間とは一方通行なのだと理解したのは、あの(ひと)が姿を消してからだ。

 人の気持ちも、似たようなものだ。一度壊れた関係は、元には戻せない。戻したつもりでも、なにかが違っておる。

 それでも、わしは時間の針を戻したくて、あの(ひと)を探した。いやいや、戻すなどとは(おご)りだな。ひと目でいいから、もう一度……会いたいのだよ」


 彼は胸ポケットから、古い懐中時計を取り出した。

 鈍く、銀色に光る。


「あの(ひと)からの、最初で最後のプレゼントだ。皮肉なものだろう」


 いとおしそうに、時計を掌で包み込む。でも口調は相変わらず、平淡だ。ひどくアンバランスな感じが(ぬぐ)えない。


「探して、探して、ようやく半年ほど前に、この惑星(レチェル)にいることを突き止めた。

 あの(ひと)がここにいるのかと思うと、矢も盾もたまらず――まあ、()()()()()()多少時間がかかったが、会いたさ一途いちずに、のこのことこんな遠くまで来てしまった。……愚かなことだ」

「そのひとって、恋人なんですか?」


 急いでケーキを呑み込んだあたしは、ボトムのビスケット地にむせながら相槌を打つ。


「妻だった女性だよ。ここで会いたいと、連絡をしたのだが……ね」


 なるほど。それで毎日同じ時間にご来店いただいていた訳か。


「あっ、まあ、そうだったんですか。奥様、……おいでになるといいですね」


 あたしは素直にそう言った。

 心の片隅がピリッとする。


 あの正体不明の声も、もうこえなくなっていた。





「どんな方なんですか?」


 単純な好奇心だった。


「そうさな……。テスは、知っているか。『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』……これは美しい女性を讃える古い例え文句だが、あの(ひと)はまさにそんな感じだな。大輪の花のような美貌の持ち主だったよ」


 臆面もなく老人は言ってのける。あはは。二の句が継げられなくなっちゃった。

 要するに、文句なしの美人さんだってことよね。

 老人は奥様にベタ惚れだったみたい。おそらく、今でもその気持ちは変わらないんだろうな。


 う~~ん。なんとなく……恋に不慣れな屈折した青年と、それなりに世慣れした美女の、不器用なラブ・ストーリーと云う構図が浮かんできた。なんだか映画みたいだ。


 でもなぜ今になって、もう一度会いたいなんて思ったのかしら。老人の気持ちが嘘とは思えないけれど、なんとなく、ちぐはぐな感じがするのよね。


(――そもそも、なんであたしに昔話なんて聞かせる気になったのかしら……)


 突然頭の中に鋭い痛みが走り、夕べ見た夢の断片を思い出した。浅い眠りの中、うつらうつらと垣間見た夢の切れ端。


(……あれは花……大輪の花……牡丹……芍薬……百合の……花……ハナ……)


 あたしの意識が遠退(とおの)く。



「――――黒髪ノ、絹糸ミタイナ黒髪ノ……」



 無意識につぶやいていた。

 無意識だったから、なにを言っているのかなんて全く理解していなかったし、喋っている自覚さえなかった。

 ただ目の前に、ふわりと広がる、美しい長い黒髪がえただけだった。





「おや、()えたようだな…」


 老人が、ニタリと笑った。


「……ぁ、……ん……」


 底が抜ける感覚に囚われ、身体が揺れる。


「レチェルで、おまえにまで再会出来ようとは……な。わしも、運が強い。ほれ、しっかりせんか。テスよ。おまえの――は、――――では、あるまい」


(……えっ、なに? なんて言ったの? 聴こえない……)


 老人の角張って血管の浮き出た大きな手が、あたしの手を掴んで揺すった。


(――――ひっ、ひやぁぁ……ぁ……!!)


 あたしの頭の中で、いくつもの閃光が光った。目の前が、真っ白になる。


「彼女はどうしている。どこだ……なぜ来ない……、()えんのか?」



「……来ル、ヤッテ……来ル……。黒髪ノ……。アタ……シニ……」





 夢うつつの状態で、あたしはなにかを喋っている。


 風景は角砂糖のように溶け、崩れ去ったのに、老人の血走った眼だけが巨大化して迫って来る。


 その時、あたしの足元が急に消えた。驚く間もなく身体は落下していく。

 どこまでも、どこまでも……。


(――――――――!!)


 いつの間にか、真っ白な真四角の部屋に閉じ込められていた。

 震えるあたしを巨大な眼が凝視している。


 部屋の隅に、小さなドア。でも鍵がないから、この部屋を抜け出すことはできない。

 ううん、あんな小さなドア、あたしのサイズじゃ抜けることはできない。


(いやぁぁぁ。――助けて……誰か、お願いッ、助けて!)


 叫んでも、誰も来てはくれない。


 巨大な眼が、あたしを壁際に追い詰める。


 白い天井の淵から、ドロリとした赤い液体が湧き出てきた。這うように壁を伝い、白い表面を赤く染めながら落ちてくる。


 ――――どんどん……どんどん落ちてくる!


 赤い液体は床に到達すると、あたしの足に絡みつく。そしてあたしを拘束しながら、部屋いっぱいに満ちていく。


(……ぁぁぁ……、いやぁぁ……)


 どれだけ叫んでも、声にならない。


 あたしの悲鳴は、誰にも聞こえない。


 狂った巨大な眼だけが、あたしをあざ笑う。


 液体は、あっという間にあたしの胸元まで(かさ)を増していた。水よりも粘度の高い、不快な液体をかき分け逃げ道を探すけど、足がもつれバランスを失う。


(おっ、溺れちゃうッ!!)





(――――死ンジャッタラ、バカミタイネ、アタシ……)



(し、死にたくなんか、ないよぉ……!)





 意識が、白い(もや)の中に溶けていく。

 


2022/02/05 加筆・改稿により章を別けました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
テスとクリスタ ~あたしの秘密とアナタの事情
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ