14. 世界で一番難しいなぞなぞ その④
あああ……。落ちる、落ちるぅ、落っこちちゃうぅぅぅ!
誰か助けて、助けて! ああん、イヤよ。おへそのあたりがスーッとするわ。この感覚嫌い。お願いよ、クリスタ。あたしを助けて!
待って、この状況の回避はアダムとディーにお願いすべきね。念動力で、空中から落下するあたしの身体を受け止めることくらい簡単にできるでしょ?
……って、池に落ちても大丈夫なの? 衝撃でケガしない? ほらもう水面が迫っているわ。
ねえ。この池の水深って、どのくらいあるのかしら?
二階か三階の高さから落下して、水深が浅かったら、池の底に打ち付けられてケガ間違いナシよね。ううん、ケガぐらいで済めばいいんだけど。
あたし、高飛び込みの経験無いし。どういうふうに着水すればいいのか、わかんない。
ほら、もう水面は目の前! ここはやっぱりエミユさんの方が頼りになるかしら。教えて、どうしたらいいの?
このままじゃ池にボシャン!――よ。
ひゃぁぁん、落ちる、落ちる、落ちる…………。
どこまで落ちるの?
とにかく、早くなんとかしてぇ~~~~。
……って、あれ? へッ?
ねえ、ねえってば! あたし、いつまで落ち続けるの? っていうか、どこまで落ちればいいのよ!?
そこそこの高さから落下したとはいえ、着水まで時間かかりすぎていない?
まさか惑星レチェルの裏側まで落ちていくわけじゃないでしょう!?
レチェルの裏側っていったら、南の大陸に出るのかしら。観光地だわ、高級リゾート地……だったわよね。いいなぁ。一度行ってみたかったのよね。
クリスタが撮影の仕事で行った、エルマ地区とかって云うリゾート地にある超有名ホテルの話をしてくれたんだけど、大感動していたのよ。海の近くで、気持ち良い風が吹いて、建物もお庭もそれはそれは素敵だって言っていたわ!
だから、いつか一緒に行きたいって約束したの。
その辺りに出るのかしら? 地理って苦手だからよくわかんないけれど、そうだったらいいわよね。あたしひとりで行っちゃったら、約束破ることになるけれど。
あ、でも、海の真ん中に出ちゃう可能性も……な……なきにしもあらず……、かも?
大海原の真ん中に、ぼちゃーーーーん! そっ、それ、困る!
やだ、あたし、遠泳なんて自信はおろか、やったことないわよ!! 20メートル泳ぐのが、やっとなんだって。そんなところに落とされたら、どうやってロクム・シティまで帰ってくればいいのかしら。
――――待って、待って! その前に、この状況がおかしいでしょ。どーしていつまでたっても水没しないの?
いいえ、池に落っこちたい訳じゃないわよ。
……じゃないけど、ヘンでしょ。
あたし、どこまで落ちるのよ? どこまで行けばいいのよ?
誰か、助けてよぉぉぉぉ~~~~!!
んんん、あれ……あれあれ?
あれ?
あたし、こんな体験、前にもしたことが…………ある!?
♢ ♢ ♢ ♢
急降下を始めたテスを見て、クリスタは悲鳴を上げていた。思わず閉じてしまった深緑色の眼をうっすら開けて確認する親友の姿は、頭部を下に手足をだらんと投げ出して、燃え尽きた人工衛星がごとく宙を落ちている!
アダムもディーも、テスを助けると言ったのに! 守ると言ったのに!
――あんな高い所から落っこちたら、ケガをする。助けなければ、なんとか……どうにかしなくては……と、知恵を絞ろうとして感嘆した。
どんなに天を仰いでみても、今まさに天を仰いでいるのに、彼女にはどうすることも出来ないのだ。
頼もしい能力者たちが手をこまねいているのは、テス自身が放出しているという強力な雑音のせいなのだろうか?
それとも、他に何か要因があるのだろうか?
けれど、悩んでいるヒマなど無い。親友の身体は、もうすぐ水面に叩き付けられてしまう。
クリスタは、助けを求めてエミユ・ランバーを見た。女能力者が自分たちを守るために防御壁を張っているのはわかっている。けれどそれを一時中断しても、リックと自分が多少の危険に巻き込まれるとしても、テスを助けて欲しいと願った。それだけで、この女能力者には伝わるはずなのだ。
クリスタにはエミユの薄い唇が、わずかに動いたように見えた。
もどかしい時間は延々と続くかにも感じられたが、実際は一瞬にも満たないものだった。そしてクリスタが願ったとおり、ゼロコンマの短い時間の中で、能力者たちは揃って傍観していたのではない。
テスの身体が揺らぐと同時に、エミユもそしてアダムとディーも、テスの身体を受け止めるべく超常能力を発揮していた。優秀な能力者である彼らのことだから、そういった事故に対しての反応は早い。
――が三者三様に、咄嗟に強力な念動力を働かせていたため余計な軋轢も発生したが、甲斐あって仰向けの姿勢で落下する身体は、水面ギリギリのところでようやく停止した。
そこで弾かれたようにテスの肢体は弓なりに反り返ると、ポーンと投げ出されてもう一度宙を舞う。今度はスローモーションのように緩やかに落下が始まり、突然出現した見えないマットレスの上にうつ伏せの体勢で崩れるように横たわった。
その後、くるりと仰向けに姿勢を変えられたのはアダムとディーの仕業で、乱れたチャイナドレスのスカートの裾が素早く直されたのはエミユ・ランバーの温情だろう。
「ぁぁあああ……。助かった!」
クリスタは安堵の息を吐いたが、その横でエミユの表情は晴れない。
「困ったわね。身体は停止できても、精神の方が、まだ止まらないのよ……」
「はぁ!?」
非能力者のクリスタは、彼女の言葉の意味を量りかねていた。
♡ ♡ ♡ ♡
どこからか微かに聞こえてくる、すすり泣きと嗚咽。
ものすごく苦しそう……。
誰が泣いているんだろう。
探そうにも、あたしはどこかへ落ちている最中で。恐々辺りを見回してみても、白い闇しか見えないの。
(……こえる、……ス。テス……テス……ごめんなさい……)
(……あたしが悪いの……)
(……こんなつもりじゃ、なかったのに……)
誰?
この声は……、そうよ。アマンダね。アマンダよ、アマンダの声だわ。
泣いている。
どうしたの?
(……ごめんなさい。あたしが悪いのよ……)
だから、どうしたの?
聴こえる泣き声はアマンダのものなのね。
そのとき、白いモヤモヤな闇の中に、文字通りぷっかりと浮かんだふたつの影。
え、なに? だれ? ああん、ニカニカ笑顔のふと眉毛の青虫と、眉間にしわ寄せた向う傷のグリフォンよ。
大きいのと小っちゃいの。デコとボコ。
なに、あれ? あまりに印象的な組み合わせであり、ユニークなキャラクター造形だったんで、視線が吸い寄せられてしまったわ。ディフォルメされた設定は、漫画チックでキモかわいい系ってヤツよね。
なんて感心している間もなく、あたしは彼らの横を通り過ぎ、さらに下へと落ちていく。そう、あたしはまだ宙を落下している。
彼らに助けを求めればよかったかしら。
けど。なんなの、今の?
はっ、いけない。いけない。アマンダの声に集中しなくちゃ。ううん、声というよりこれは思念波なのかな。弱くて小さくて、消えてしまいそう。
さっきまで放出していた超が付くほど強力的な雑音とは大違い。
<……オ……ェノォォ……雑音……強力過ギテェェェ……>
ヒッ!!
なに、今の声! 押し寄せて来る、圧倒的な雑音。あたしを押し潰そうとする悪意。憎悪、嫉妬、妬み、うねる負の感情!
あたしを、みんなを苦しめてきた雑音。アマンダの憔悴と、彼女とは全く別の感情が吐き出す憤懣がどろどろとかき回されて渦巻く荒波となり、ありとあらゆるものに襲い掛かろうとしている!
ううっ。き……気持ち悪い。背中に虫唾が走った。鳥肌が立った。頭痛が酷くなった。
ああ……ん、あたしペチャンコにされちゃう!
<ダメ。……テス、その声を聴いちゃダメ! そいつの言うことに従ってはダメよ!>
アマンダの思念波が轟いて、あたしは雑音から引き剥がされた。完全に消えたわけではなく、どこかからあたしの感情の起伏を穿がっているのはなんとなく感じる。腹を空かせたガトミア砂漠オオカミみたいに。
覆いかぶさって来るのは、言いようも無い不安と恐怖だった。
♡ ♡ ♡ ♡
――ああ、視えた。
この悪意に満ちた思念とアマンダは別のものだけど、絡み合った糸みたいな状態になっているんだわ。離れたくても離れられないと云うより、すでにアマンダは黒い思念に取り込まれてしまったの?
もうひとつの思念が内側からアマンダを食べちゃって、空になった個体の主になりつつあるような感じ、とでも説明すればいいのかしら。アマンダの意志は消えてしまいそうよ!
(――って、ひぇぇ!!)
(いっ……一大事だよ! どうすればいいの!?)
あたし慌てる。どうしてそんなことになっちゃったの?
でも、
<……時間が無い……。あたしの……こと……いいから。聴いて、テス!>
救助は拒否されてしまった。それともひとつ。アマンダの感情は、あたしを得体の知れない悪意から庇おうとしている、っていうことはよぉ~くわかった。
(よくなんかないよ、アマンダ――!)
ダメもなにも、声の主は誰だかわかっているの? ムカムカっとイヤ~な思念波は似ているけど、例の「アタシ」とはまた違うような……。
<こいつのせいだわ。こいつがあたしを唆したの!>
い……意味が。理解が追い付かないんだけどぉ。
アマンダ、ちゃんと説明してよ――って思ったら、いきなり思念波が津波となって頭の中に押し寄せてきた。
ふえぇぇぇん。情報に溺れちゃうわ。
それによれば――。
アマンダは秘かにリックに想いを寄せていたらしい。
(ふぇ、知らなかった……)
だって、そんなこと、一言も言ってくれなかったじゃない。
まあ、その――言われても困るけど。
ひゃあん。見事なボケっぷりだってクリスタに笑われそう。でも、アマンダって、本心隠しちゃうの上手いんだもん。おそらくリックだって気付いていなかったはず。
そうでしょ、アマンダ?
うん、それにリックって、やさしいから。誰にでも人当たりが良くって。だから、みんなに好かれるんだわ。うん、それは知っている。
カッコよくって、やさしくって、バスケのスター選手で。成績だって優秀よ。あたしにはもったいない彼氏よね。自分でも、わかっている。
去年の冬、困っているところを助けられて、親身になって悩みを聞いてくれた?
はあん、それで誤解しちゃったのね。もしかしたら……って。
そーいえば、リックがクリスマス前に、メールでそんなこと言っていたわね。友人のピンチを救ってあげることが出来たとか、なんとか。
でもステディの彼女――あは、これあたしね……がいるって聞いて、諦めることにしたんでしょ。
――で、どうして?
どうしてハナシがもつれてしまったの?
<……あいつが……あいつが囁いたの……>
<どうして諦める必要があるのかって……!>
あいつって、さっきの、あの極悪な声の主のこと?
アマンダが肯定した。
<最初は怖くて、自分の中から声が聞こえて来るなんて恐ろしくて、ずっと無視していたの。聞こえないふりをしていたの。でも……でも……>
そいつは、しつこかった。
アマンダが根を上げるまで、ずっと呼びかけ誘惑し続けてきた。
<そうよ>
そこ、妙に共感しちゃう。
そんなヤツ、あたしも知ってる。
<アラ、呼ン……ダ>
あたし、急いで「アタシ」を押さえつける。今、出て来ないで。話しが益々ややこしくなるもの!
アマンダ、続けて! それからどうなっちゃったのか、教えて!
<……半年くらい前から、かしら。微力だけど超常能力が使えるようになったの>
<あいつの声が聞こえ出してからだから、てっきりあいつがイタズラしているのかと思っていたのだけど……>
違うの?
<理由は、テスもわかっているんじゃない?>
へっ!?
わ……わかんない……。
どうしよう、わかりません……。
頭を捻るあたしの横。
んんっ、今度は対照的に動く、ふたつの影。
派手な衣装に身を包み、コピーしたようにそっくりにも見えるのに全然似ていない。互いに顔を見合わせてニヤリと笑った。
愉しそうにステップを踏みながら手を振るのだけど、あたしも振り返したほうがいいのかしら?
今、アマンダとお話し中なんだけど。
絶体絶命の大ピンチの最中でも、クリスタとの約束を忘れないのはテスのテスたる所以……でしょうか。
テスの云うエルマ地区の超有名リゾートホテルとは、クリスタが人気モデルとなる階段を駆け上がるきっかけとなったロマン・ナダルのイメージポスター撮影の場所です。クリスタも、庭にたくさん植えられていた桜の花を観損ねたと、第7話 紅棗楼で夕食を その④で回想しています。アジアンテイストの内装が評判の『ホテル・インタオ』、ふたりしてバカンスに行けるといいのですが。
さて。池への水没を通り越し、落下し続けるテスの前に現れたのは、デフォルメキャラにされたあの面々(どれが誰だかわかりますよね?)と、アマンダ。
アマンダの内部でも、なにかが暴れているようです。それはテスの中で起きている異変とどこか似ていて……。
アマンダは何を語るのでしょうか?
そしてデフォルメキャラのオンパレードは続く……。以下次号!!