14. 世界で一番難しいなぞなぞ その③ ☆
上空で内なる敵「アタシ」と対決中のテス。
そして、それを見守るクリスタは……。
ロクム・シティの漆黒の秋の夜空へと、池の水面からまた勢いよく水が噴き上がる。さっきからこんな調子で、もう何本の水柱が立ち上がっていったのだろうか。重力に逆らって天に伸びあがる水の帯は、幻想的な趣さえ感じられる。
ただし、これがふたりの超常能力者をやり込めるためだと思わなければ、だ。
とはいえ目の前で繰り広げられる華麗な奇術顔負けの光景を見て、状況も忘れ、冷静なクリスタも思わずあんぐりと口を開けてしまった。
「な、なんだい、これ!」
前方に拡がる華鳳池の水面から次々と昇る、「これ」を差す指先が震えている。BGMがないのが残念だ、とうっかり思えてしまうほど自在に位置や高さを変え、リズミカルな動きで水が吹き上がる。
「ああ。水柱立てとんのや」
振り返ったアダムとディーが、声を揃えて答える。
「それは観ればわかる。だからッ……」
「豪勢やろぉ」
クリスタの質問は、青年たちの愉しそうな笑顔に切り返されてしまった。
この状況を「豪勢」と云う単語で表現するには抵抗を感じるのだが、それは彼ら流の冗談らしい。銀髪の美女はスルーしているが、クリスタとしてはそうもいかない。
彼らがやり込めようとしている能力者とは、ひとりは彼女の大親友、もうひとりも顔見知りだ。自然とまなじりが上がっていく。
「だから、そういう問題ではなく……」
すると、ふたりの青年は同時に真顔に戻ったかと思えば、すぐに同じタイミングでニタリと笑った。
「なぁ。こんだけ豪勢に邪魔が入ったら、いかにあいつらでも、平気な顔して発火能力使こて戦闘してなんぞしてられへん思わへんか?」
小鼻を膨らませていたクリスタだったが、その言葉に今度は目を見開いた。
華鳳池から、音を立てて上空めがけ駆けのぼっていく水流は、蛇のように獰猛に見えた。広大な池の豊富な水量を存分に使用して、強い圧力と回転を加えて巻き上げられ、四方に細かい飛沫を撒き散らす。まるでスプリンクラーが散水しているようだ。大量に、そして高速で。
攻撃対象のふたりが被害を受け、ずぶ濡れになっているのは、離れた場所から仰ぎ見るクリスタたちにもはっきりと見て取れる。彼女らはぬれネズミの動きの鈍くなった身体で、引きも切らず襲って来る水柱を必死でかわしていた。
その身のこなしに余裕が無いのを見れば、回避だけで手一杯の状態で、相手を攻撃するどころではないのは想像に難くない。
さらに池から数メートル離れている回廊の屋根にも、散水のとばっちりは降り注いでいた。ガシャガシャと、回廊の屋根瓦に派手な音を立てて打ち付ける。その上、庭に面した吹き放し側からは、激しい雨のように内部へと降り込んできている。
濡れるのを嫌ったクリスタは、水しぶきを避け、壁側に一歩後ずさった。
青年たちは攻撃の手を緩める気は無いらしい。とはいえ、これだけの攻撃を仕掛けるには,かなりの労力がいるはずである。エミユによれば、青年たちは念動力の達人だと説明された。とはいえ、いつまでもこの状態を持続させるのは容易なことではないはずだ。
次の手はどうするのだろう? 動勢を観察するクリスタの心に小さな不安が湧いて来た時だった。
イラスト:腹田 貝さま
上空に浮かぶテスが、クリスタに向かって手を振った。
最初は見間違いかと思った。水から逃げようとする一連の動作が、偶然そう見えたにすぎないのかもしれない、と疑った。
――が、クリスタの視力は両目共に決して悪い方ではない。どころか、並はずれていい方なのだ。息を呑み、目を凝らして、今一度上空の親友の姿を確認する。
すると、陶器よりも白い顔をしたテスが、ぎこちない動きで、再度手を振ったのである。
「テス! テス!」
大声で彼女の名を呼んでみる。返事も無い、表情にも変化はないが、テスが自分に気づいて合図を送っているのだということには、確信があった。
クリスタは逸る気持ちのままに回廊の外へと飛び出そうとしたが、エミユに腕を掴まれ引き止められた。振り払おうとするが、細い腕はびくともしない。
邪魔をする女能力者を睨んでやったが、反対にそれ以上進んだら危険に巻き込まれると紫水晶の瞳が訴えてきた。
「……わかってくれるでしょ? クリスタ」
この状況で非能力者の彼女が勇み足をすれば、惨事にしかならないということだろう。
「悪いな、姐さん。ここは俺らに任せてくれへんか」
濡れるのも構わず吹き放し側の軒先に立っていたアダムとディーが、同じタイミングでひょいとクリスタへと顔を向いた。
「ぜぇったいに、テスは助ける。これだけは約束するで!」
アダムが右目をディーが左目を瞑り、ポンと拳で胸を叩く。
(でも、どこまで信用していいんだろう?)
どこからか不安が湧いてくる。これも雑音とやらの影響なのだろうか? 名探偵のくっきりした意志の強そうな眉の尻も、下降線を描きつつある。
(今までテスの苦境はあたしが助けてきた。あたしの窮地はテスが助けてくれた。故郷にいた時も、こっちに来てからも。そうやって今までやって来たのに……。
今度ばかりは、あたしじゃ手に負えない。手も貸してあげられない……。なんて不甲斐無いんだよ、クリスタ・ロードウェイ!)
「あら。そんなことは無いわ。どうしてテスが手を振ったと思っているの。
あなたの呼びかけに答える為よ。声が聞こえたって、あなたに直接伝えたかったからだわ」
落ち込むクリスタの心の声に答えたのは、銀髪の女能力者だった。
むやみに第三者の心を読むことはしない、と言ったエミユのことだ。感応能力を使い、戸惑う非能力者の心情を追いかけて愉しむ――などと云う悪趣味なことはしないだろう。
とすれば、クールが身上な「クリスタ」ともあろうものが、心配や焦りが全部表情に出ていると云うのだろうか。
エミユが目を細めている。年上の女性の視線が急に気になり、クリスタはそわそわし始めた。
数歩先で、念動力に集中していたはずのアダムとディーの背中がわずかに動いているのは、自分の反応を面白がっているからなのか。
これはマズいとクリスタは肩を竦め、慌てて両手で頬を覆い恥ずかしさを隠した。
「姐さんも、ホンマのホンマに友達思いのエエ娘なんやな」
「せやな。だからテスも手ェ振ったんよ」
からかっているのか、なだめているのか。彼らの余裕を崩さない態度も、クリスタにしてみれば頼もしい反面、少々鼻に着いてしまうのだが。
「俺らの呼び掛けにはロクな反応見せんでも、姐さんの声だけは聞き逃さへんわ。急にシャキッとするしな」
「やきもち焼いて、どうすんねん」
「自分、焼かへんの?」
「後始末が終わったら、こってり絞ったるわ。――それより、や」
「ああ。その大事な姐さんをケガさせるわけにはいかへんからな。ここであのにいちゃんと大人しく待っててくれへんか? たのむわ」
あっ、とクリスタは声を上げてしまった。テスが心配のあまり存在を忘れかけていたが、ここにはリックもいるのだ。状況を受け入れきれず恐慌状態に陥っている彼も、危険から救わねばならないのだ。
(もしかして、この3人の能力者はテスとアマンダの争いを阻止するとともに、巻き込まれたあたしたちを保護してくれているのか?)
そう思い当った時点で、クリスタは自分がエミユの張った防護壁に包まれているのを知った。よくよく観察すれば、回廊内部まで強く降り込んでいる水の飛礫は自分を避けている。彼女も座り込んで動けないリックの身体も濡れていない。
念動力をフルで活用中のアダムとディーには、彼女らの防護まで手は回らない。回す余裕はないだろう。ならば、当然女能力者が後方守備を固めているはずなのだ。
ここは同意するしかなかった。どんなに腹立たしくとも、今はこの女能力者の防護壁に守られて、おとなしく見守っている他ないとクリスタは納得した。
クリスタは、彼らの正体も目的も知らない。尋ねても、答えてくれないだろうことは簡単に予測できた。
彼女の手札は、ネットで検索した一般市民が知り得る情報とTVのニュースショーで仕入れた知識に過ぎないが、それらを総動員すればテスの超常能力が「ヤバい」レベルで、そのために彼らが動いていることなど簡単に推理できる。
(滅多に表に姿を現さない能力者が、堂々と一般人の前で能力を使うなんてよほどのことだよ。それにこれほどの能力を悪びれることなく使用出来るなんてことは……)
(それこそヤバい予感がするよ)
(――けど!)
超常能力者と呼ばれる人間とどう付き合っていけばいいのか、クリスタは悩んでいた。
(ええいっ! この危機から脱出するためには、なにが最良でなにが最善なのか考えるんだ! テスを助けるためにはどうすりゃいいんだ?)
身体はおとなしく保護されていても、思考は自由に働かせることが出来る。ジッとなんてしてはいられない。
(せめて状況判断は正確にできるように、準備をしておくんだ!)
名探偵の脳内で、あれこれと細胞が活発に動き出した時だった。
能力者たちが、いっせいに苦痛の声を上げた。
「のわっ!」
「なにやっとんねん、テスは!」
吹き上がる水柱の勢いが弱まった。クリスタを保護する防護壁が揺らぐのを感じた。
「なっ、なんだい。どうしたんだい!」
「テスが、――を撃退しようと雑音攻撃始めたんやけど……」
「その余波が、こっちにまで来とるやんかー! 味方まで攻撃してどうすんねん。あほ、ぼけナス、ちゃ~んと制御せいやッ!!」
突然のことで、ディーの言葉の一部を聴き損ねてしまった。
聞き返そうと思ったとき、彼女の脳内にもザワザワとした騒がしくも重苦しい空気が落ちてきた。
これまでもどうかすると微弱な圧力のようなものを感じたこともあったが、今の比ではない。圧倒的な量感に押し潰されそうで、考えていたこともどこかへ弾き飛ばされてしまった。
(ひゃあぁぁ、なんだいこれは! これがテスの放っている雑音ってヤツかいッ!)
非能力者のクリスタがはっきりと感じるほどなのだから、能力者たちには大変な苦痛であることは間違いない。リックも頭を抱えている。
「テス! テス!」
呼びかけるが、聞こえている保証はない。親友の内部でなにかが起こっているらしいことは教えてもらったが、それがなにかまでは決して答えてくれないし、想像の範疇を超えている。彼女の目に映るテスの身体は、空中で力なく漂っているだけなのだが。
そこに水柱が――!!
避け損ねたテスが、グラリと傾く。
「わわわっ! 危ないッ!!」
大きくバランスを崩した小さな身体は、後ろにひっくり返り、そのまま下降を始める。
クリスタは目を覆った。
親友が突然「能力者」になってしまったら? 自分の周囲に、いきなり『能力者』が何人も現れたら?
クールなしっかり者クリスタ姐さんも、意外と焦っていたのです。
テスのみならず、環境の急激な変化に追いつき対応しなければならないのは、クリスタも同様なのでした。
さて、落下するテス。どうなる???
2022/4/24 挿し絵を追加しました。
腹田 貝様、ありがとうございます。