13. あたしはあたし あなたはあなた その⑪ ✩
※冒頭、異能力バトルシーンがあります。苦手な方はご注意を!
落ち着け、あたし。
ええ、そうよ。どう考えたって、おかしい。おかしい。おかしい。おかしいんだったら!
あたしはヒステリーを起こしかけていた。
どうすれば冷静を保てるっていうの? こんな状況よ。パニック起こしちゃっても、全然不思議じゃないでしょう。
耳を掠めた、微かな空気を切る音。
背筋に走る冷たい信号。鋭利な痛み。
驚き、辺りに注意を払ったとき、偶然目に入った腕に、無数の赤い線が走っているのを見つけた。身体のあちこちに切り傷が出来ている。
(これ、サイ攻撃の……)
傷口からあふれ出す赤い液体。
どろり、と。
違う! これはニセモノの傷よ。脳内に送り込まれたニセの情報。傷も痛みもニセモノだってわかっているのに、なんでこんなにズキズキするの!?
目の前で揺らめく白い靄。「アタシ」がニタリと嗤っている。
そこに確かに存在するのに、不確かな影。もわもわと蠢く。
「アタシ」には、肉体が無いのかしら? それともこの白い闇自体が、「アタシ」と云う存在なのかしら?
ああん。実態が視える訳では無いのに、あたしをそっくりコピーした姿かたちをはっきりと感じるのはなぜだろう?
表情の動き、動作、息遣い、イライラさせるようなことばっかり言ってくる声……。
(あたしそっくりな「アタシ」)
(あたしの複写)
(……複写、複写……複写……あたしの複写……「アタシ」は複写。あたしの……複写。どうしてあたしのコピーをするの? 「アタシ」は……複写……で? んんん、「アタシ」が複写……なのよね?)
(あれ!?)
(あたしと「アタシ」)
(コピーは……どっち!?)
唐突な疑問に竦んでしまったあたしに、
<ホラホラ……。傷ハ増エテイクワヨ。ドウスルノ?>
左手の甲に、すーっと新たな傷口が開く。
(どろり……と――)
傷口から溢れる液体。赤い液体。
(今は、考えごとしている時じゃないのに!)
<アタシノ仕業ジャナイワヨ、ソレハ>
溢れ出る……赤い液体……白い壁をつたわり落ちる――――。
<アッチモ、内情ハ必死ミタイネ。……ドウスルノ、てす。攻撃ヲ止メナイト、本当ニ血ヲ流スコトニナルワヨ>
(天井から落ちて来る……赤い液体――。四角い部屋……違う、違うの! あれは違うのよ。記憶の断片を混ぜてはダメ。あれは、あれは……)
突如「アタシ」の後ろに現れた、巨大な眼! カッと見開かれた異様な姿で、あたしと「アタシ」に視線を注ぎ続ける。
その圧倒的な重圧に、ゾッとして総毛立つ。
恐怖の声を上げていた。
イラスト:腹田 貝様
♤ ♤ ♤ ♤
アダムとディーがいきなり顔をしかめた。その横で、エミユも小さく頭を振る。三人とも大袈裟な反応を示したわけではない。が、なにかが起きていることはクリスタにも察せられた。
窺うような視線を送れば、反対に能力者たちに気を遣わせてしまった。
「……雑音や。また、一段とやかましくなったんでな」
「こうもかしましいと、さすがにしんどいわぁ」
と、アダムとディーが両のこめかみを抑えながら息を吐いた。彼らによれば、捻じ曲げられた思念波――感情や思考を電磁波に変換したものが雑音と化して、周囲の精密機器から人体に至るまで、電気信号を混乱させるという悪影響を与えているということだった。同時にそれは、おのれの目的を妨害する能力者への攻撃に転用されているとも。
「……そういえば、さっきから頭が重いとは思っていたんだけど、これがそうなのかい?」
攻撃の対象が能力者になっている為なのか、非能力者であるクリスタには彼らほどの悪影響は無かった。
それでも首や肩の筋肉に緊張が走り、脳内の血管の中を異物が駆け巡っているような感覚を感じるようになっていた。目の前で光が点滅し、こめかみから目のあたりに掛けて痛みが走るような。
剛健な彼女でも、これは「辛い!」と思う。おそらく能力者である彼らは、もっと敏感に、彼女が感じている数倍数十倍の軋轢を味わっていることだろう。
「さすがにこうも派手に撒き散らしてくれると、非能力者の姐さんでも感知するわな」
アダムとディーが感心したような表情をすれば、その横でエミユが眉をひそめる。年上の美女の反応を見た青年たちは、慌ててクリスタに謝罪の意を示した。
「最初はあっちのアマンダって娘が仕掛けてたんやけどな……雑音」
「誰に習うたんやろか。攻撃の掛け方が上手過ぎて、俺らシッポ掴めんかった」
「不覚取ったわ。その上テスにも振り回されっ放しやしなぁ」
「けどな。今はテスがアマンダの強い思念波に感化されとることが重要なん」
「なんやテスまで同調し始めて、今は雑音の二重奏になっとるからな」
どういうことかと、クリスタは耳を疑った。
(テスが、他人に害を及ぼすような行為をしている!? あのテスが加害者?)
(そんな訳無い、そんなこと、テスは絶対にしない…………)
(だって……だって、あいつは――――)
クリスタの手のひらは汗で湿っていた。
「急いだ方がいいようね。暴走が始まっているわ」
「せやな」
能力者たちを包む空気に緊張感がみなぎり始める。
♡ ♡ ♡ ♡
あたしは金切り声を上げ続けた。――といっても、実際に声を出している訳じゃない。声どころか、肉体だって、空中に悠然と浮かんだままよ。やりたくもない火の玉合戦の真っ最中で、目の前には「アタシ」を主張する謎の存在がいて――。
理解が追い付かない。出来ることならベッドの中に逃げ込んで、毛布を頭から被って死んだふりしていたいくらいだわ!
でも、それじゃダメよね。クリスタみたくもっと雄々しくならなくっちゃ、「アタシ」には対抗できないんだと思う。
「アタシ」の実態も正体もわからないけど、なにか企んでいるのはわかるわ。ひしひし感じる。
だから自由を奪われたあたし――正真正銘のテリーザ・モーリン・ブロンと云う女の子の感情が、精一杯の抵抗を試みて、その手段として悲鳴を上げているのよ。
「アタシ」が根を上げるまで、叫び続けてやるっっ。
♤ ♤ ♤ ♤
3人の能力者は、協力して暴走するテスとアマンダを捕獲する算段を話し合っているようだった。
その輪の中に入りたい――しかし、クリスタにはそれが出来なかった。
(あたしは能力者じゃあない。超常能力が欲しいと思ったことなんか一度だってないさ。でも、今は欲しいって思う)
(この一大事になにもしてやれないなんて!)
悔し紛れに足を踏み鳴らすことしかできない自分をふがいなく思う。
「それは違うで。姐さん」
いつの間にか、アダムとディーが彼女を見ていた。
「テスは、今、もがいてンのや。必死で状況を変えようと、自分自身の中で反撃を始めたんよ。イヤやって、大声でわめいとるわ」
「それが、テスの放つ雑音になってるんよ。ただし、本人はまるで自覚が無いけどな」
「最初はアマンダの心理操作攻撃にエエように操られてたンやけどな、今は違うで!」
「姐さんに負けんように雄々しくなる、言うとる」
「そんでも自己制御が出来ひんから、迷惑加減はあっちのアマンダと変わらんのが困ったとこなんやけどなぁ」
アダムとディーが顔を合わせて頷いた。
「テス自身の精神状態がもう少し落ち着けば、あれを押さえつけることが出来るわ。――まだ完全ではないようだし……」
エミユ・ランバーが言う「あれ」とは、アマンダのことだろうか? ふと、クリスタは疑問に思った。
♡ ♡ ♡ ♡
だけど。声を張り上げるのって、想像以上に体力を使うものだったのね。オペラ歌手志望って訳じゃなし、大きな声を出すことに慣れていないから、早くも疲れてきちゃった。
そして「アタシ」は意外に早く妥協してくれた。というのか、「アタシ」は焦っているようだった。なんだか知らないけど、そう感じた。
あの眼が現れた後から。
巨大な眼は、しばらくあたしと「アタシ」をギラギラと凝視したのちに、白い闇の濃密さに埋もれてしまったけど。
そして優越感の中に微量の不服感を紛らわせた声で「アタシ」が言う。
<空中ニ浮カンデイルノハ、浮揚能力ヲ駆使シテイルカラヨ>
<本来ハアナタガスベキコトダケド、今ノアナタニハ到底無理デショウカラ、アタシガ代行シテイルノ>
浮揚能力! その言葉に驚くあたしの顔を見て、「アタシ」が嗤う。それ、顔を歪ませているんじゃなくて、嗤っているのよね。きっと。
でも自分の顔が醜く歪むのを真正面から眺めるのは、実に不愉快だわっ!!
(あ、それはご苦労様です……って、それってあなたがあたしの身体を勝手に動かしているってことでしょ!)
(それより、どうしてこんな事態になっているのか、そっちの方が問題なんじゃないの!?)
返事が無い。なによ、都合が悪くなると黙り込むの。
(大体……あなたは誰な――――)
<アナタニ任セテイタラ、アノ女ニ殺サレテシマウワ。ホラ、マタ仕掛ケテキタ……>
視覚が脳内映像から、外部へと切り替わる。「アタシ」に促された方向を見れば――!
ひゃあぁぁぁん。
火の玉、来た!!
アマンダの手のひらから打ち出された炎は、勢いを増してぐんぐん迫って突進して来る。しかも特大サイズが来た。
<火炎弾ヨ>
名称はなんでもいいわ、逃げないと! ――逃げないと!
ダメよ、動けない。ああん、もう間に合わないッ!
――と思った瞬間、スルリッと身体が動いて、闘牛士も真ッ青ってくらいの華麗な身のこなしで特大火炎弾をかわしていた。
空中でアクロバットしているわ、あたし。ウソみたい。
拍手を送りたいくらいの技術だけど、「避けた」のはあたしじゃない。悔しいけれど、「アタシ」のおかげ。
「アタシ」はあたしの身体を使って、遊んでいるようにも感じられる。投げつけられる火炎弾を、寸でのところでひらりとかわすのが面白いみたいなのよ。
――って、冗談じゃないわ! 使用許可も無く勝手に肉体を使うし、避けるにしたってギリギリまで炎を引きつけるから、外炎の高熱で髪の毛の先が焦げたじゃない!
ヤな匂いがするでしょ、すぐわかるわよ。
どうしてくれるの、自慢のプラチナブロンドが痛んじゃうわ!
これはあたしの身体なの!
(あたしはあたしで………)
そうよ。あたしはあたしであって、「アタシ」じゃないわ。
「アタシ」って名の、あなたじゃないんだからっ!!
あたしはあたし! あなたの自由にはならない!
あたしの身体を弄ばないでよ!
♢ ♢ ♢ ♢
銀髪の女能力者が長身のモデルに迫った。
「呼びかけて! テスに呼び掛けてみてちょうだい、クリスタ」
紫水晶の瞳が強い力を放ちつつ、彼女の顔を見据えた。
「あなたの声なら、あの娘の深層にも届くかもしれないわ。誰より信頼する大親友のあなたの声なら耳を傾けるはずよ」
「せや。俺らがここにおること、テスに知らせてくれや!」
不意に、エミユ・ランバーが柔らかな笑みを浮かべた。
「テスはある大きな能力の支配下にいるの。外部からの情報を規制されている。あなたが心配していることさえ、忘れさせられている。それがあの娘を浮き足立たせ冷静な判断を奪っている。追い詰め、混乱を大きくしている」
「……でも、あたしには能力なんて無いし、どうすりゃいいのか……わかんないよ――」
後半は消え入りそうな声だった。くっきりと跳ね上がった太い眉が中央に寄せられ眉尻が下がった表情は、いつもの名探偵らしくないばかりか心細げにさえ見える。
秋の夜風にさらされた褐色の腕に、エミユがそっと手を添える。
「心の中で呼べばいいのよ。あとは、あの娘が聞き取るわ」
迷っているのか、うつむき加減のまつ毛の下で、深緑色の大きな瞳が落ち着かない。
「それだけで、ホントにいいのかい?」
「あなたの親友を信じなさい」
ヴェルベットのやわらかな声がクリスタの背中を押した。
♡ ♡ ♡ ♡
でも、こんなこといつまで繰り返していたって……って思っている先から、ほえぇん、勝手にあたしの腕を持ち上げて反撃なんてしないでよ。
あたしは、アマンダと争いたくないの! それより、どうしてアマンダと争わなくちゃならないの!?
(答えなさいよーーーーーー!!)
あたしは「夜の女王」張りの声を張り上げた。軽やかさに欠けるけど、そこのところはモーツァルトだって文句は言わないだろう。
オペラハウスの舞台の上じゃないもん。
あら。ザザザザザ……っと、白い闇に雑音が走ったわ。
<――――……ス、テ……ス、たすけ……て……>
小さな声が聞こえてきた。雑音に邪魔されて、聞き取りにくい。
というか、雑音と共に声が聞こえて来るみたい。
<……止めて………こう……げき……――――攻撃を止めて!>
心臓が跳ねた。
――――ああ!
これはアマンダの声だ。アマンダが、必死に訴えかけて来る。
なに、なに? 声が小さすぎて、よく聞き取れないの。
ねえ、アマンダ。どうしたの? これ、どうなっているの?
<イラヌ気ヲ使ウナ。オマエガ余計ナ気ヲ使ウト、攻撃力ガ削ガレル!>
「アタシ」が猛烈に怒っているけど、そんなの無視よ。だって、アマンダがなにか言っているんだもん。そっちの方が重大なことだわ。
<アマンダ、アマンダ。なにが言いたいの? これ、どうなっているの? 教えてよ! あたし、わかんないことだらけなの!>
<ああ、テス。ごめ……んな……、……ごめん……なさい……>
泣きながらあやまる、アマンダの声。同時に高まる雑音の音と頭痛。この雑音は、アマンダが発信しているのかしら?
そして、なにをあやまっているの?
<……あたしが…………>
<……ス、おい、聞こえヘンのか? 聞こえてンなら……>
<……邪魔ヲスルナ……>
ひゃぁぁぁん! 一度に複数の声が!
しかも、テレパシーだ。いくつもの声がそれぞれ残響を重ねていくから、音が風船のように膨らんで脳の神経を圧迫する。ヤダ、頭が割れそう!!
受信する「声」は内側から膨張を続け、外側からはきりきりと頭蓋骨を締め付けられるような痛みまで加わった。
(――――!!)
この痛みは、なに!? これもサイ攻撃なのかしら。痛い、痛い。止めて、止めて、止めてよぉぉ。
声にならない悲鳴が、あたしの内部からほとばしる。
――絶叫。
真っ白な閃光。
景色も、感情も崩れ、消えていく。
「テス!」
遠くから、クリスタの叫び声が聞こえた……。
ようやく自分を取り戻したかに見えるテス。
完全と「アタシ」に対決する意志をみせ、雑音の中にクリスタの声を見つけたようです。
テスを敵視するアマンダにも、なにか動きがあるようで……。
次回より新章(の予定)、華鳳池決戦のゆくえや如何に!!
2021/10/20 イラストを追加しました。腹田 貝様、ありがとうございます。