13. あたしはあたし あなたはあなた その⑩ ☆
テスの目の前には、もうひとりの「テス」が。
「アタシ」と名乗り、我が物顔で『テス』の身体を自由に動かして、アマンダと闘っているのですが。
2023/12/6 イラストを追加しました。夏まつり様、ありがとうございます。
真っ白い空間の中――。
目の前にいるあたしのそっくりさんは、面白そうに目を細めた。どっちかといえば、嘲る方の笑みにちかいと思う。やだわ。あたし、あんな笑い方なんかしないもん。
それとも気づいていないだけで、ああいう表情する時もあるのかなぁ。
なにもかも、あたしそっくり。
プラチナブロンドのくせっ毛も、ライトブルーの大きな下がり気味の目。そんなに高くない鼻も、小さな口だって。背格好や肉の付き方までコピーしたみたい。仕種まで真似しているっ。
見分けがつかないくらい似ているけれど、どこかが違う。
全然違うっ!
あの顔、嫌いよ。自分にうりふたつな顔のこと嫌いっていうのもヘンだけど、だって……醜いんですもの。頬の筋肉がヒクついているわよ。歪んでいる。
そんなに狼狽えるあたしを見るのが楽しいの?
すごーくヤな感じ!
ん、これって自己嫌悪になっちゃうのかしら?
彼女と云うか、「アタシ」と名乗るもどきさんの顔を見ていると、こっちまでそんな表情になってしまいそう。あたしは急いで両手で顔を抑えた。
あんな表情しちゃダメよ、テス。
(あれ、また雑音を感じる)
けれども。彼女は「アタシ」だと名乗った。「アタシ」って、あたしなの!?
(鬱陶しいなぁ、この音……)
あたしはあたしで、テリーザ・モーリン・ブロンっていうのよ。
あなたがアタシで、あたしがアナタだとすると、テスは誰ってことになっちゃうわよね。でしょ?
テスと云う個体の中に、「あたし」と「アタシ」、自分がふたりいることになる。
あれ、「アタシ」がテスなのだとしたら、「あたし」は誰なの?
(雑音は嫌い)
白い闇が、くらりと歪む。
襲う、めまい。
(雑音なんて大嫌いっっ)
頭の中、こんがらがってきた!!
♡ ♡ ♡ ♡
だからって、のんびり悩んでばかりもいられないということをあたしは思い出した。
そう。身体が空中に浮いているのよっ!
小型飛行装置を装着しているとか、推進力発生装置内蔵のフライボードに乗っているとか、そういう補助装備はまったく見当たらなくて、どういう仕組みなのか見当もつかないんだけど、身体ひとつで空中に浮いているの!
ああそうだわ、座学でお勉強したわよね。半強制的に脳内に超常能力についての基礎知識を詰め込まれました。そのなかに『浮揚能力』って項目があった、あった。
ええっ!?
ヨーネル先生。あたしに空飛ぶ潜在能力があるなんて、聞いてないわよ?
それからアマンダが、とても彼女とは思えないような怖い顔をして、またあたしに火の球を飛ばして来た!
次々と連発された火の球の一群(ひえぇん、今度は複数形なの!)は、すごいスピードで一直線にこっちに向かってくる。
なんなのよぉ、これ!?
<アノばいきんぐミタイナ先生ガ教エテクレタデショ>
バイキングみたいな……とは、ヨーネル先生のこと? そうね、角の生えた兜をかぶったら、先生は本物のバイキングに見えそう。ふふっ。
<ソレハドウデモイイワ>
火の能力、火を発生させることができる……ああ、わかった。発火能力よ!
<正解>
やったぁ……ってもろ手を上げちゃうも――。
逃げなきゃヤバいわ! あんなのまともに喰らったら、ひとたまりも無いんだから。
あたしの運動神経で、あのスピードから逃げ果せるのかといえば自信が無い。自信は無いけど、なんとかしなければ命が無いかも!!
生き残れるかどうかの瀬戸際の、絶体絶命ってこういうことを言うのね――って悠長なことを言っている場合じゃない。
けど、身体が動かせない。動かない。
なんで!?
いいえ。動かせたとしても、どう逃げればいいのかわかんない。だって、ここ、空の上よ。あたしの身体、浮いているのよ!
浮揚能力の使い方なんて、まだ教わっていない。
(え~~、どうしよう! 来る、来る、来る~~~ゥ)
気持ちだけがジタバタしていた。
指一本動かせないことに焦るあたしの心の内とは裏腹に、肉体の方は大胆不敵で傍若無人。音を立て猛然と迫る脅威を、こともなげにすり抜けてみせた。
ふふーんって、自慢げな表情でアマンダを見る。
もちろん、あたしの意志じゃない。
これは「アタシ」の仕業。あたしの表情筋を、「アタシ」が動かしている。今の悪趣味な笑顔はあたしの感情じゃなくて、「アタシ」の意志なのよ。
ああん、ややこしい!
どうやら「あたし」と云う精神はこの白い空間に捕らわれていて、肉体からは切れ離されているような状態らしい。で、お留守になった肉体を、「アタシ」が好き勝手に使っている。
(えぇぇぇぇぇぇ!!)
だけど、どうして、アマンダと交戦中?……。
ああーん!
内情はそんな具合だとしても、よ。第三者が見たら、今のテスはさぞかしイヤな娘に見えているでしょうね。
ほらぁ。潰れたポルボロン産オオスナトカゲみたいな表情しないでよ。
ふぇん、涙が出てきそう。
目標を失った火の玉は、長く尾を引いたまま、失速して地上へと落下していく。そして池のほとりにあった石灯籠に衝突した。
おそらく2メートルぐらいの高さがあったんじゃないかっていう立派な灯篭が、派手な音を立ててガラガラと崩れていく。その光景はあたしを凍らせた。
(あーん。これ、マズくない!?)
よくよく見れば、お庭のあちこちにある置物やら、建物の一部が壊れている。まさかとは思うけど、信じたくはないけど、これって「アタシ」とアマンダの仕業なの?
上空からだと俯瞰で見渡せるから、被害状況がよくわかる。その有様を見てめちゃくちゃ怖くなってきた。
(どうしよう……どうしたら……いいの?)
けれど。
あたしの動揺なんて、まるで無視なのね。「アタシ」は目の前でにやにや笑うだけだし、アマンダの攻撃の手は全然緩まない。
(やだー、たすけてぇ~~!)
気持ちは焦りまくりだけど、肉体の方は冷静だわ。静かに右手が持ち上がり、迫る火の球の前にかざされる。
軽い衝動と共に、あたしの右の手のひらからも真っ赤な火の玉が!
オレンジ色の尻尾を引いて、アマンダめがけて飛んでいく。
さっきから、ずっとこんなこと繰り返しているのよ。どうすれば、終わりにすることが出来るの?
(誰か教えてよぉ!!)
あたしの疑問に雑音がかぶさる。
イラスト:夏まつり様
♢ ♢ ♢ ♢
エミユ・ランバーと名乗った女は、紫水晶の瞳で、じっと空中で争い続ける能力者たちを視ていた。ときおり、柳の葉を模したような細い眉をしかめ、唇を噛む。
なにを考えているのだろう。
この女も能力者であるとすれば、その考思は、到底クリスタの及ぶところではない。しかし裏を返せば、非能力者である彼女には伺い知れない知識を持ち合わせているかもしれない。目の前で展開する熾烈な争いに終止符を打つ方法を知っているのではないか、とクリスタには思えたのだ。
エミユがどれほどの能力の持ち主なのか、クリスタは知らない。けれども、銀髪に彩られた冷静な横顔を見ていると、推測は確信に変わっていこうとしている。
名探偵は年上の美しい女の横顔に引き込まれようとしていた。
不意に、女の赤く彩られた薄い唇が動く。
「そう簡単にことが運ぶのならば、よいのだけれど……」
クリスタの心臓が、ドキリと高く鼓動を打った。エミユの紫の瞳が名探偵を捉える。
「期待していただけるのはうれしいわ。けれど今はあの青年たちも、私も、不用意に手を出せない。自身で能力を自己制御してもらわねば、止めることは出来ないでしょうね。それを忠告したくても、テスは混乱していて、外からの声に耳を傾けられる状態ではないのよ」
「……あの……あたしの考えていること――読んだ……?」
クリスタの瞳に非難の色が拡がっていた。秘かに能力を使って、心の内を読んだのではないかと疑ったのだ。
名探偵の眼光に鋭さが増しても、エミユの表情は変わらない。少し首を傾げ微かな笑みを浮かべると、長い銀色の髪が揺れた。
「いいえ。でもあなたは、友人たちを助けて欲しいって思っていたんじゃないかしら?」
「そりゃ、そうだけど」
面白くない時の癖で、クリスタは唇をツンと突き出す。
「覚えておいて。正規の訓練を受けた能力者はね、むやみに能力を行使しないし、勝手に他人の心に押し入ったりしないわ。――非常時以外は」
能力者と云う単語に、身体を縮こまらせていたリックが過剰反応した。その有様を目の端で確認したクリスタだが、ここは無視して会話を続ける。
エミユに思いを言い当てられたのは不服だが、ここは自分の感情よりもふたりの救助を優先すべきであり、誰よりもそうして欲しいのは彼女なのだ。
「ああ、そうや。そんなえげつないことはせえへんよ。姐さん」
アダムとディーが、会話に加わってきた。
「能力者かて、人間や。のべつ幕なしに覗いとったら、こっちの方がまいってまう」
「他人様の頭ン中視るってのは、結構シンドイことやねん」
「下手すると、視る側のダメージの方が大きいかもしれんくらいやしな」
「あ、おまえさんたち……」
エミユがクリスタに話しかけている間、青年たちは彼女らから少し距離を取り、アイコンタクトと指を細かく動かすサインを忙しく繰り返していた。
彼らは園外にいるマリアと連絡を取っていたのだが、事情を知らぬクリスタには、青年たちの反応は意味不明の行為にしか映っていなかった。
継続する雑音は、彼らを悩まし、味方との交信もままならない。その上、さりげなく青年たちの行動を追うエミユの視線も気になる。
エントランスでの交戦の際、女能力者の実力を肌で感じている彼らは警戒心を強めていたし、彼女ときつね顔のルォ支配人、さらにこの『紅棗楼』の後ろに控えている影に不安も感じていた。
そんな場面で、これから2名の暴れる能力者の「捕獲」という大捕り物をしようというのだから、いかにエミユが笑顔で協力を申し出ようとも、背後の心配を拭い去ることはできない。彼女とその影が、どこまで友好的態度を崩さす接してくれるのかまったくもって不明だし、ことによっては「捕獲」した獲物を横取りされ、彼らはここから脱出することを阻止される可能性も無きにしも非ず。
退路だけは確保しておこうと、全てをエミユに悟られぬよう秘密のサインを交えて、マリアと交信をしていたのである。
<なんちうても影に控えてんのが……>
<知らんと深入りしてもうたら、俺らどないな目に遭っとることか>
こっそりうなずき合う青年たちだったが、
「まあ。型破りで名の知れたアダム・エルキンとデヴィン・モレッツでも、慎重になることがあるのね」
と案の定エミユに見透かされていた。
「お……おねえさん、それはあれへんッ」
「いけずやで!」
失笑するエミユと慌てる男たちを見比べて、クリスタにも少しだけ笑顔が戻って来た。
いよいよテスの救助に乗り出そうというアダムとディー。
エミユと手を組んで、どんな作戦に出るのでしょう。しかし彼女の本心も見えません。どこまで信用していいのかわからないうえに、彼女の方が上手の様子。さすがのふたりも、かなり慎重になっています。
はたしてうまくいくのでしょうか。
そして、テスのインナースペースで繰り広げられている、「あたし」と「アタシ」の対立の決着は!?