13. あたしはあたし あなたはあなた その⑨ ☆
しかし、どうするつもりなのだろう。縦横無尽に暴れているふたりの能力者を、どうすれば止められるのか、クリスタには想像が及びもつかない。
忽然と現れたアダムとディーと名乗る青年たちに尋ねようとした瞬間、また池の方から大きな水柱が立った。水しぶきが飛び散る。
「おおっ、また水柱が! あいつら、なかなかバテへんなぁ」
「ふうん。『紅棗楼』の庭園、破壊し尽くす気なんかなぁ?」
助けに現れたはずの青年たちは、腕を組み、この様子を見物していた。一方、元恋人の変貌に恐怖を抱き怯えるリックは、真っ青な顔をして人並み外れた大きな身体を小さく丸め、どうのこうのと繰り返しブツブツとつぶやいている。
親友も危険だが、こちらのデリケートな神経の持ち主の方がもっと危うそうだと、クリスタの悩みと苛立ちは増幅するばかりだ。
「しっかりしとくれったら。あたしゃ、おまえさんを担いで逃げるなんてことは無理だからね。まずは、立つんだよ!」
「……だから言ったんだ。おかしい……じゃないテスが……別の顔……」
今のリックに、彼女の声は聞こえていないらしい。だが、彼のつぶやくことにクリスタは思い当たることがあった。
別人みたいな顔をしたテス――。
リックの前で見せたと云う、奇妙な行動と不可解な表情のことだろう。ボーッとしているとか、心ここにあらず状態とか言っていたが、それはストレスや疲労によるものだと彼女は考えていた。
だがリックはこうも言っていた。「急にテスが得体の知れないものにすり替わったよう」だったと。それは恋人の前でだけだったのか、それとも自分が気付かなかっただけなのか。
環境の変化に伴い(大学進学に伴いドが付くような田舎から出て来たのだ!)生活スタイルも一遍した。だから体調管理には気を付けるよう親友にも言い聞かせていたが、超常能力なんてものが突然湧いてくるなんて想像の範疇を超えていた。想定外の出来事だ。
(――だから……って! あたしがもっとテスの様子に注意していれば)
さすがの彼女でもそこまで対処は出来なかったと思うが、困ったことに責任感がそれを許さない。それらが超常能力の目覚めの前兆だったのかもしれないと思えば、なおさらだ。朴念仁の背筋を寒くしたくらいだから、かなりのインパクトがあったはずなのに――!
一緒にいた時間は、リックより断然自分の方が長かった。けれどその間、テスは不調を訴えてくることもなかったし、そぶりを見せることもなかった。心優しい親友のことだから「心配させたくなかった」のだろうが、
(水臭いじゃないか!)
そう思えば歯噛みするほど、悔しい。
(けどさ。超常能力に目覚める時って、人格にまで影響するのかい? そりゃ、今のテスとアマンダのあの形相を見ていると「そうだ」とうなずけるんだけど)
(それとも強すぎる能力に人格が汚染されちまったとか?)
(――だとしたら……だとしたら、テスはどうなるんだい!?)
(このにいさん方に、訊いてみようか)
クリスタの脳内には、望ましくない想像が溢れてきた。つられて動悸が早くなる。
そこへ今度はガラガラと石材の崩れる音が聞こえてきた。次いでなにかが水没する派手な水音。テスとアマンダ、どちらが投げつけたのかは不明だが、火炎弾の流れ弾がまた建造物を破壊したのは間違いない。
メリルのお気に入りの、クリスタも感服した美しい江南風の庭園は、どんどん形を失っていこうとしている。大きな破壊音が響く度に、彼女の背中に冷や汗が流れ、リック・オレインはビクリと飛び上がった。
「どうする気なんだい!」
耐えられなくなったクリスタが、語気を強め、アダムとディーに迫った。
「早くテスたちを止めないと。このままじゃ、あのふたり……」
「どうなるンと思う? 姐さんの見解教えてくれへんか」
ディーが口の端を吊り上げた。その横で、意地悪そうにアダムが目を細めている。
「あのふたり……能力を暴走させすぎて、自滅する。――って、まさか、おまえさんたち。それを待ってんのかい!?」
「いや、そこまで傍観を決め込む気はない。けどな、迂闊に手ェ出せヘンのよ」
わかるやろ、とふたりの青年たちはクリスタの顔を見ながら、目くばせを交わしている。それがまた気に入らないと、彼女は不服たっぷりに厚い唇を突き出した。
「そう、怒らんといて。荒ぶるお嬢さん方の能力がケタ違いなんやわ」
と、メガネに長髪のディーが苦笑いを浮かべれば、
「参戦するとなると、こっちも覚悟決めて相手せえへんと。生半可な気持ちで相手しようなんて思たら、痛い目どころか返り討ちに遭うわ」
顎割れ短髪のアダムが苦々しげな表情をした。ディーもそれに同意している。
「でも……だからって。
それじゃ、おまえさんたちは、なんのためにここに来たんだよ!?」
クリスタは、ふたりの能力がどれほどものか知らない。だが、彼らがただ手をこまねいて引き下がるような奴らでないことだけは、はっきりと感じ取っていた。だからアダムの言葉に頷こうとはしない。
「テスやアマンダの方が能力が強いからって尻込みしてるのかい?」
クリスタの強気の発言に、アダムとディーは同じタイミングで口笛を吹いた。
「おおお。言うてくれるわ!」
「姐さんにはかなわんな」
「俺ら、こう見えてもプロなんや。尻尾巻いて逃げることだけはせえへん!」
実はこの時、アダムとディーは『紅棗楼』の外でベレゾフスキーの部下たちの動きを抑えているマリアと交信を交わしていた。型破りな彼らだが、非常事態には警戒を怠らない慎重さもきちんと兼ね備えている。店内外の状況と公安安全調査局第2課の動きを気にしていたのである。
「もうチョイや。時間くれへんかなぁ」
残念なのは、非能力者のクリスタには、それが読み取れないことだ。彼女は泥船に乗っているような気分だった。
キリリとした眉が中央に寄る。自然と視線も鋭さを増していく。
その様子を見て、ふたりは口元を緩めた。
「実は……な」
「姐さんの想像どおりで、なんか、中身がフクザツなことになっとるンよ。あのふたり」
(――――は!?)
「今、考えてたやろ。超常能力って人格に影響があるんかなぁ~とか」
(~~~~ッ!!)
青年たちは名探偵の脳内も遠慮無く読んでいた。感応能力と云う能力だろう。勝手に脳内に踏み込まれた怒りと、思考が筒抜けだった恥ずかしさに、彼女は両の拳を振り上げた。ぶっとばしてやろう、と思った。
だが、そこでピタリと動きが止まる。目の前には、鉄拳を予測し引き攣った笑顔を浮かべた『能力者』ふたり。
「ええい。だったらそこンとこ、詳しく教えておくれ!!」
握りこぶしを収める代わりに、右手でアダムの腕を左手でディーの腕をがっつりと掴み、詰め寄ってしまったクリスタである。
♢ ♢ ♢ ♢
「せやからぁ~」
「説明すると、長ぅなるんよ。早よせい言うたンは、姐さんのほうやん!」
怒りの拳は回避したものの、長身の美人モデルに猛烈な勢いで迫られたアダムとディーは、半歩とはいえ身体を引いてしまうというらしからぬ行動をとってしまった。マリアが見たら大いに物笑いの種にしそうなおこないだったが、そこに別の影が現れた。
「私も手伝いましょうか」
落ち着いた柔らかな声が響く。アダムとディーの後方、回廊を仕切る円胴の影から、ひとりの女が姿を現した。
ワンサイドに流したロングの銀髪に、菫色の瞳。上品な猫を連想させる顔立ち。なめらかなビロードを思わせる声の主は、それにふさわしい美貌の持ち主だった。同業者かとクリスタが思ったくらいだ。
シンプルなデザインの黒のパンツスーツに身を包んだ女は、しなやかにこちらに近づいて来る。謎めいた雰囲気を漂わせているが、身のこなしは颯爽としていた。隙がない。
誰なのだろうかとクリスタの心が騒ぐが、女の姿を見たアダムとディーは、揃って唇をへの字に結び、いわくありげな表情を見せていた。
「おねえさん、いつ来たん!?」
わざとらしさが混じった驚きの声だ。クリスタは彼らと女、双方の顔を交互に見比べてしまった。
彼女がすぐ近くにいたことを、アダムとディーは本当に気づいていかなかったのか。あるいは装っているだけなのか。
取って付けたような驚き方を見ていると、これはポーズではないかとクリスタには思えた。そう、このふたりは能力者なのだ。それを忘れてはいけない。
この美女が現れるのは想定内で、むしろ現れるのを待っていたような節もあるように見受ける。
もちろん、これはクリスタの想像の域を超えないのだが、的外れではないと感じていた。その証拠に、美女の微笑もどこか冷淡だ。有能な能力者相手に「勘」も無いと思うが、彼らはいちいち解説してくれるほど親切でもないし、彼女もそれを期待することは諦めた。
出来る限りでもいいから先を読んで行動を起こさなければ、彼らと対等に会話することは叶わないのだと悟った。
急激に自分の周りに現れ出した『能力者』への対処法は、今すぐに実践から学ばねばならないとクリスタは覚悟する。
美女は言う。
「これ以上、オーナー自慢の庭園を壊されては困るのよ」
彼女が流した視線の先では、ふたりの規格外能力者が、庭園に配された石の建造物を容赦なく火炎弾で破壊し続けている。被害は留まることを知らないようだ。美しく整備されていた庭園が、瓦礫の山と変わりつつある。
お嬢様も絶賛した庭園は今晩が見納めかもしれない。内心溜め息をつきかけたクリスタの元に近づいてきた美女は、
「私はエミユ・ランバーよ。お手柔らかにね、クリスタ」
先手を打つかのごとく名乗り、微笑みかけた。
そのとたん、強い圧を感じた。エミユと名乗った女がなにをした訳でもないのだが、押しつぶされそうな強い力を感じたのだ。ここは信用しろ、と念を押されたような気がする。
アダムとディーも神妙な顔をして、こちらを観ているではないか。
「あれを、阻止しなくてはね」
エミユ・ランバーの艶やかな赤い唇は、キュと吊り上がり半円を描いていた。細められた紫水晶の瞳。この状況を見ても崩さない冷静で落ち着いた態度に、間違いなく彼女も能力者だろう――とクリスタは確信した。
♡ ♡ ♡ ♡
真っ白い世界に閉じ込められたあたしの前に、「あたし」がいる。
あたしじゃない、あたし。
けど、そいつはあたしと一心同体みたいなことを言っている。
どういうこと? 頭の中が混乱しっぱなしで、なかなか意味が吞みこめない。
違う。――理解しようとしていないんだよね。
<少シハ、オ利口サンニナッタノネ。アタシハ、アナタノ中ニ棲ンデイル>
それって、あたしの中に別人格がいるってこと? え、あたしって、多重人格症だったの?
<違ウ。解離性障害デハナイ>
あ、よかったー。このまま第三第四の人格とか出てきちゃったら、どうしようかと思っちゃったでしょ。
――って。
へっ!? どう違うの?
それじゃ、あなたは誰? 多重人格の別人格じゃなくて、別のひとって、どういうこと!?
ねえ、教えてよ。教えなさいよ! ちょっと、えっと、え~、そこのひとッ!
<アノ女ニ礼ヲ言ワネバナラナイワ>
ねえ、聞いてる!?
<アノ女ガアナタニまいんどこんとろーるヲ仕掛ケテクレタオカゲデ、アタシハ目覚メルコトガ出来タノヨ>
あの女って、誰のこと?
<マダ理解デキテイナイノ。オ人ヨシノ――――てす>
もうひとりのあたしとやらに、おもいっきり嘲笑されてしまった。もう、ムカつくッ!
<今ハ、イイワ>
いえ、だから……。――――ん、ねえ、ちょっと。あたし、今、どうなっているの!? なになになに、アマンダがいる! アマンダが……って、え、ええっ……。
なんで、アマンダがいるの?
怖い顔して。顔の筋肉が、引き攣っちゃっているよ。
え!?
あたしの掌から、火の玉が出たッ! ヤだ! なに、この状況!!
ふえぇ。身体が! あたしの身体が勝手に動いてる!
動いているっていうか、浮いてるわよ。空中に浮いてる!
それで! それで、アマンダも火の玉投げてきた……って。なんなの、なんなの、この状況! 火の玉合戦の戦闘中!?
ひゃあああん、どんどん火の玉が投げつけられてくる~~~~!!
怖い、怖い、怖いよぉ~~~~!!
なんで、こんなことになってんの!?
だから!
だから、あたしとアマンダ……
なにやってんのーーーー!!
ご来訪、ありがとうございます。
さて――。
アダムとディーに続いて、エミユまで集結。果たして暴れまくるテスとアマンダを止めることが出来るのか?
そして彼らがクリスタに洩らした、「中身がフクザツなことになっている」とは?
クリスタは、リックはどうする?
華鳳池決戦(!?)、いよいよ大詰め……の予定。
2019/12/13 挿し絵を追加しました。