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13.  あたしはあたし あなたはあなた その④

 彼の腕の中で、テスがか細く尾を引く小さな悲鳴を上げて失神した。

 これで何度目だろう。


「テス、おいテス。大丈夫なのか、おい……」


 うなされ続ける恋人に、彼は恐る恐る声を掛ける。


 テスの苦しみ方は常軌を逸していた。

 うわごとを言い続け、それから頻繁に引きつけをおこしている。瞼は閉じられたままで、意識があるのか無いのかもはっきりしないのだが、時折激しく抵抗する。そうして3人の手を煩わせた後、糸の切れた操り人形のごとくバタリと崩れ落ちてしまった。


「おい、おいッ! どうしたんだよ、テス!」


 テスの身体が冷たくなってきている。体温を奪っているのは、秋の夜風や、石造りの冷えた床のせいばかりではないだろう。

 心配するクリスタが、力なく投げ出された親友の脚を懸命に擦っている。

 手伝いに入ったアマンダの手は、今もテスの腰骨のあたりを強く押さえつけていた。指が食い込みそうである。まだ暴れるとでも思っているのか、青白く顔を歪ませ、食い入るように友人の身体を見つめていた。


 おんな同士の舌戦は、必然的に一時中断になったらしい。リックは少しだけ彼女たちを見直そうとしていた。





 と同時に、おんなたちの行動が不信に思えて仕方なくなってくるのだった。


 テスが意識を失ってすぐ、アマンダが姿を現した。お仕着せの赤いチャイナドレス姿を見かけたニナ・レーゼンバーグならともかく、彼女が突然現れたことに関してはクリスタ同様釈然としないのだが、今は「手助けをしてくれるのならばどちらでも構わない」のが偽りの無い彼の気持ちである。


 当然、強気の名探偵はそれに納得しなかったらしく、アマンダを目の敵のように睨み付け、あれこれ訊問していた。ついさっきまで、あの大きな深緑色の瞳で、同じような目に遭っていた彼としては、どうしても尻込みしたくなるような光景である。

 以外にもアマンダも負けじと応戦しているのだから、感心するとともに、ますます事態がわからなくなってしまう。


 いずれにしても苦しむテスのすぐ横で(いさか)いを始めるのだから、リックとしては「なんだよ、こいつら!」と腹立たしさを募らせていた。





 名探偵はアマンダを疑っているらしいのだが、リックには彼女のなにが疑わしいのか、今ひとつ掴めない。だからといって会話に口を挟めば尖った視線を向けられ、さらに額に青筋を浮かせ、目じりを吊り上げ、唇をひん曲げた表情で牽制される。

 なにが悪いのかはっきり指摘してくれれば修正することも出来ようが、表情筋の批判だけでは、彼の洞察力も想像力もあっという間に限界に達してしまった。


 アマンダもアマンダで様子が変である。目を血走らせてテスを凝視する表情は、『カフェ・ファーブルトン』でいつもにこやかに彼を歓迎してくれる姿とは似ても似つかない。

 殺気染みたものを感じるのは、気のせいだろうか。


(――そう言やぁ、さっきアマンダに礼を言ったとき、複雑(ヘン)表情(かお)をしてたんだよなぁ。あれ、なんだったんだぁ?)


 ふと浮かんだ疑問も、テスの小さなうめき声で簡単にかき消されてしまう。リック・オレインは、コートの外では残念なほど察しが悪い男であった。





 悲鳴を上げて失神してから、テスはピクリとも動かなくなってしまった。それでも胸のあたりに施された豪華な牡丹の刺繍は上下している。

 呼吸はあるのだが、


(大丈夫かよぉ?)


 なにに苦しんでいるのかリックには全くわからない。助けてやりたくとも、どうしていいのかさえ見当がつかない。かろうじて彼女の身体をかき抱き、名前を呼び掛けているのが精一杯だ。


 そうした彼の想いも、テスに届いているのかわからない。もどかしさばかりが募っていく。物事がスッキリと割り切れないのは、彼が最も苦手とするところだ。


(そうだ!)


 彼は、メリル・ペタンクールの存在を思い出した。あのお嬢様は、医学部に籍を置いているとクリスタが言っていた。容体を伝えれば、なにか処置を思いつくかもしれない。それより、なんらかの手配を団取りしてくれるだろう。

 離れ屋を出たきりなのだから、心配だってしているはずだ。


(従業員を呼び出して緊急車両を呼ぶ――いや、救急車は御免だぜ。ありゃ、ダメだ!

 とにかく医者の所に運んで、診察してもらわなきゃなんねぇだろ)

(素人じゃ、テスがどうなっちまったかなんて、わかりゃしねぇんだからよぉ)


 彼はデニムパンツの後ろポケットから、携帯通信用端末機(フォン)を取り出した。

 そこで重大なことに気が付く。彼はメリルの携帯番号(ナンバー)を知らないのだ。そこでクリスタに声を掛け、通信端末機(フォン)を手渡した。


「へっ!?」

「へ、じゃねぇよ。あのお嬢様に連絡つけろよ。俺たちだけじゃどうにもならねぇ。応援を呼んでもらおうぜ」


 クリスタは目を瞬いている。


「どーせ、頭に血を上らせて部屋を飛び出してンだから、通信端末端機(フォン)は持って来ちゃいねぇんだろ。使えよ、それ」

「あ、ああ……。ああ、そうだね。へえぇ。やっぱり、ここぞって時は気が回るじゃないか!

 それじゃあ遠慮なく借りるよ」


 気を取り直したクリスタは行動が早い。受け取った通信端末機(フォン)で、急いでメリルを呼び出した。


 ――が、


「あれ、なんだい。この雑音(ノイズ)。ヘンだね、つながりゃしない」


 クリスタが顔をしかめる。


「不通って、そりゃねぇだろ。メリルのPCは使用可能だったろうが」


 確かに離れ屋『緑香球』で、メリルは自分の小型PCで検索を掛けていた。クリスタが離れ屋を飛び出す前の話だ。


「急に通信状態が悪くなっちまったのかねェ……」


 と、不思議そうに通信端末機(フォン)を眺めていた時だった。


 パン!


 と破絶音がして、クリスタの手から通信端末機が飛び爆ぜた。


「ひえっ!」


 クリスタとリックは驚きの声を上げ、身を縮ませる。どうしたことかと端末機に手を伸ばそうとするクリスタに、リックは制止の声を掛けた。


「あぶねぇから、止せ。それは、もう、使いモンになんねぇよ」


 見れば端末機は真っ二つに割れ、なかの基盤が真っ黒に焦げているのが見える。


「まあぁ。これじゃ無理ね」


 アマンダが息を吐いた。


 それを耳にしたクリスタが、疎ましそうな表情(かお)をする。


 どういった理由にしろ、メリルと連絡が取れないのは事実らしい。





 講じた手立てが使えないとなると、人は焦り出す。

 この場に3人で張り付いていたとしても、どうにもならない。連絡方法が無いのなら、誰かを使いに立て応援を呼んだ方がいいのだろうが、すると今度は誰を立てるかが問題になってくる。


 方向音痴のクリスタは問題外だし、アマンダも信用が置けなくなってきた。自分が動くべきだとリックは思ったのだが、戻って来たテスを置いて行くことも出来なければ、おんなたちをこの場に残すのもなんとなく不安が先だった。


(どうすりゃいいんだよ)


 先刻、暴れるテスに叩かれた右頬が、思い出したように痛み出してきた。





 ようやく再会できた恋人は、心なしか自分と距離を置いているように感じられる。以前のように、無邪気な笑顔で彼の腕の中に飛び込んでくることはなかった。抱きしめても、どこか冷めた感情で、自分を観察しているような気がしていた。


 事故に遭う前、テスはステディの関係を解消したいと言っていた。理由は、今一つ腑に落ちない。

 いきなり「恋人」から、「おにいちゃん」に格下げしたいとかだったが、どうして急にそんなことを思いついたのだろう。


(浮気が原因か?)


 それならもっともだが、モッフルの森のカフェでの会話からすれば、それだけとは思えない。が、他に理由が思い当たらないし、本当にこれが原因というのならば、クリスタのように彼の薄情を怒り、責め立て、問い詰めてくれた方がラクだったと痛感していた。


 裏にどんな思惑があったとしても、気の迷いだとしても、非は自分にあるとリックは悔やみ続けていた。

つい誘惑に負けて、ふらふらと余所へ目を移してしまった。自分が悪かった。それは反省している。後悔もしている。


 ただその後いろいろな面倒事が重なって、なにも知らない恋人には一切語らない方がよいだろうと甘い考えでいたところに、おせっかいな彼女の親友(クリスタ)がしゃしゃり出て、すべてをぶち壊してくれた。


(ちげ)ぇよなぁ……」


<――ソウ……ネ……>


 どこからかささやく声に、リックはびくりと身を震わせた。不鮮明な声が、彼の独り言に、相づちを打ったのだ。





 今の声の主がクリスタとアマンダでないのは確かだ。その声は、ふたりの声とは全く違っていた。

 彼女らはテスの面倒を見ることに加え、緊迫感を孕んだ視線で互いを威嚇している。


(舌戦より怖ェんだけど……)


 先ほど二言三言口を挟んだだけで、感電死しそうな視線を浴びせかけたくらいだから、リックのひとりごとに反応する余裕はないだろう。


 第一、あの声は、外部からではなく、直接頭の中に響いたのだ。

 リックは、うすら寒いものを感じた。


 声の主を探していいものか、彼は戸惑った。嫌な予感しかしない。心臓を打つ音が、次第に早くなるのが感じられる。


<知ッテイルノヨ……アタシ……緑色ノすぽーつかー……アナタ、彼女トきすヲシテイタ……>


「――――!」


 テスを抱えるリックの腕から思わず力が抜ける。全身の毛という毛が立ちあがるのがわかった。


 こめかみに汗が噴き出す。目が左右に泳ぐ。再び聴こえた声に、彼はどう反応を返していいのか戸惑っていた。


「な……んで……だ……ぁ」


 告げられた内容より、語った声に彼は戦慄を覚えた。


<アタシニハ……()エルノ……、()エルンダカラ……フフフ……>


 (よど)んだ泥水のようだった声色が、次第に聞き覚えのある、それも彼が一番聞きたいと望んでいた人物の声へと変わっていく。

 あり得ないとおのれの聴力を疑ったが、これは直接脳に届いた声だと思いなおす。やがて疑惑が確信に変わると、身体が強張っていく。

 軽やかに笑う声が恐怖心を煽る。


<……りっく……りっく……りっく……>


 リック・オレインはあれほどしっかりと抱きかかえていた恋人の身体を投げ出し、ペタリとしりもちをついた。


<ダッテ、アタシニハ、ソノ能力(ちから)ガアルンデスモノ……>


 彼は尻もちをついたまま器用に後ずさって行くが、1メートルも動かないうちに回廊の石壁に退路を断たれてしまった。


「そっ、そんなはず、ねぇだろ。だって、テスは……、テスは……ぁ……」

<アラ、ソンナコトナイワ。ダッテ、()エチャッタンデスモノ>


 脳内に響いているのは、テスの声だ。愛らしくて柔らかな印象のメゾ・ソプラノは、間違いなくテスの声だった。



今回はリック目線でした。


メインヒロインの彼氏という設定ながら、どこか(いや、絶対!)不憫な境遇の彼。

バスケットボールのスター選手で、工学部の(奨学金貰っている位だから)優秀な学生で、ルックスも悪くないとテスも太鼓判圧しているのですが。

クリスタだって、悪い奴じゃないって言ってたっけ。


長所も短所も持っていて、トラブルを起こしつつもヒロインたちより出過ぎない彼のことを、「アメリカの青春ドラマで、主人公の隣にいるやつ」と評した友人がいますが、言い得て妙と納得してしまったことがあります。

まわりが「異常」なだけに、「普通」の彼は振り回されてばかり。

はたしてリック・オレインの行く末はいかに。


作者は結構「お気に入り」なんですけどね。


ごめんね。

リック君の不幸は続きます。

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テスとクリスタ ~あたしの秘密とアナタの事情
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