13. あたしはあたし あなたはあなた その③ ☆
今回は視点の移動が激しいので、ご注意を!
クリスタの目の前で、アマンダが笑っている。
けれど、それは彼女の知っているアマンダ・カシューの笑顔ではなく、アマンダにそっくりの得体の知れないもの、アマンダの皮を被った別の人格だと思った。そのくらい異質な印象に襲われたのだ。
クリスタは、ごくりと息を呑みこんだ。
「おまえさんは、何者だい」
「どういう意味?」
答えをはぐらかそうとする。
ならば、どうしてわかったのだろう。歪んでいるとか、見識が無いとか、アマンダが聞いたら怒り出しそうなことをあれこれ考えていたのは事実だ。
が、それを口に出した覚えはない。けれども感応能力を持つ者は他人の思考を読むことが出来る、ということを思い出す。
それならと、意を決してクリスタは尋ねた。
「不思議で仕方ないのさ。わからないことが多くてね」
「あら、なにが?」
「いろいろと、ねぇ……」
なにから聞いてやろうかと思案していると、
「そうかしら。あなたの頭の中では答えが出ているんじゃないの、クリスタ」
彼女がつまらなそうに答えた。それでも美しい名探偵に向けられた視線は挑戦的な光を含んでいるし、うんうんと苦しさに身悶えるテスの身体を抑える白い両手に、緊張の力が入るのが見て取れる。
クリスタの小鼻が、ぷくりと膨らんだ。
彼女の態度に不満はあるが、拍子抜けするくらいあっさりと『能力者』であることを認めてくれたのはありがたい。
加えて、これまでの推理の道筋も間違ってはいないと確信する。誤りがあるのならば、彼女は否定するに違いない。TVのクイズショーの司会者と同じ、決して不正解を許さない厳しい目をしているからだ。
問題は、その本当の理由だ。アマンダの顔を見ていると、「横恋慕」だけがテスを付け狙う理由とは思えなくなってきた。
(もうひとつ、ウラがあるような気がするんだけど……。ああ、わかんないよッ!)
悩むクリスタを尻目に、彼女は愉快そうにニンマリと笑っていた。
イラスト:志茂塚 ゆり様
♡ ♡ ♡ ♡
(……てぇすぅぅ……)
ちょっと待って、落ち着こう。落ち着くのよ、あたし。
……どうしてこの声に聴き覚えがあるの?
こんな不気味な声のお知り合いなんて、あたしにはいない……はず……なんだけど。
なんだか、遠い昔、まだあたしがあたしと云う存在でなかった頃から、この声を知っているような気がする。
――根拠は、無いけど。
まって、まってよ。
あたしがあたしでなかったとしたら――ねえ、それはいったい誰になるの?
ヤだわ。心がザワザワする。
ううん、騒がしいのはあたしの心だけじゃないわよね。周囲も騒がしいの。なにを騒いでいるのかしら?
雑音もひっきりなし。
あたしに圧し掛かって来るんだもん。重い……、重い……ったら。
止めてよ!
あれ、雑音の正体って、この声の主じゃないのね。
じゃあ、誰よ?
ああん、また疑問が増えたぁ~!
(……てすぅ……てぇすぅぅ……)
(……ハ……テ……カ……イ…………ハナ……ホウシ……)
また、なにか言っている。
聞き取れないんだからあ。でも、聞き取れない方がいい、って気がするの。
(……てすぅぅぅ……)
だから――あたしの名前を呼ばないで!
♧ ♧ ♧ ♧
リック・オレインは、困惑していた。いや、それを通り越して、この状況に怯えているのかもしれないとも考えていた。
21歳になる身長196センチもある大男なのだが、子供のように、見えない不安に落ち着きを失っていた。
訳がわからないのだ、なにが起きているのか。
数週間前、恋人のテスが事故に遭い、その後行方不明になった。
ロクム市警に相談しても埒が明かないので、彼女の親友でもあるクリスタとさらにメリル・ペタンクールというお嬢様も加わって、独自に行方を探し始めた。
当初、行方はおろか手がかりさえ掴めなくて、不安でたまらなかった。
焦りを感じ始めていたのも事実だ。講義を受けていても、チームで練習をしていても、今この瞬間にテスの身に危険が迫っているのではと思い悩み始めると、なにも手につかない状態になってしまう。
大柄な体格と、クラッチシューターというポジションから、リックは豪気と思われがちだが実は繊細で臆病だった。決断力も行動力もあるが、反面傲慢で自分勝手な面もある。
けれどそのすべてを屈託のない明るい性格が包み込み、彼の魅力になっていたのだが、ここ数数週間はさすがに憔悴していた。見かねたクリスタが慰めたほどだから、誰の目にも明白だったことだろう。
セミナーの討論での発言が減り消極的だとクラスメイト達から忠告され、講師たちからも注意を受けていた。
学業成績や取得単位数が維持できなければ、試合への出場停止はおろか練習にさえ参加できず、さらにはスポーツ奨学金の打ち止めと彼の学生アスリートとしての立場が危うくなってしまう。
もうすぐ冬のスポーツシーズンが始まる。
リック・オレインにとって、これからの2週間は、待ちに待っていたバスケットボールシーズンの開始ホイッスルが、早く鳴り響かないかとうずうずしている毎日の予定だった。
太陽系に拡がる宙間大学のスポーツ部には、競技によってそれぞれの連盟が存在する。
この連盟の規定により、大学生アスリートの活動できる時期は厳しく制約されていた。年間通して活動できるスポーツも一部あるが、ほとんどは標準暦で制定された秋、冬、春の季節ごとに区切られるシーズン制を取っている。
大学は、学問と並行して、スポーツを通じ人格形成をおこなうことを奨励していた。スポーツに熱中するあまり、学業をおろそかにすることは許されない。
大学はあくまでも勉学の場であり、学業が最優先だ。学生アスリートたちは文武両道の人格者であることが求められる。
このようにチームとしての活動期間が4か月に限定されているのは、学業の妨げにならないようにとの大学や連盟の意向が働いていた。
惑星レチェルの名門カヌレ大学もその規定に乗っ取って各スポーツ部の運営を図っており、リックの活躍するバスケットボール代表もその例に漏れない。
なかでもバスケ代表は、人気実力ともに話題性に富んだ花形チームなのだ。
すでに来季シーズンに向けてのトライアウト(入部テスト)は始まっていた。今年も有望な新人たちが、我こそはとチャンスを狙っているという情報は耳に届いている。
チームは実力主義で、先輩だろうが後輩だろうが関係ない。優秀な選手が試合に出場し活躍の場を与えられるというのがルールだった。
アステロイド宙域において、大学間スポーツは人気が高い。だから大学の名を背負ってプレイするアスレチックスに参加するのは、学生アスリートたちの憧れでもある。
トライアウトに合格して晴れてチームに参加できれば、プロ並みのサポートが受けられた。試合で活躍できれば、スポーツ奨学金の追加受給が見込めるし、プロチームのスカウトの目にも留まる確率がぐんと高くなる。スカウトから声が掛かれば、プロチームに入団する道も開けるのだ。
片田舎の惑星ポルボロン出身のリック・オレインの夢は、プロバスケットボールチームへ入団して、スター選手になることだった。
しかし今の彼は、このままではカヌレ大アスレチックチームのレギュラーの座を奪われかねない危機に直面していたのだ。
それでもリック・オレインは、テスが見つかることだけを望んでいた。彼女が戻ってくれば、すべてが好転すると思っていたのだ。
ただし現実は試合のように、彼の思うとおりには運ばなかった。
♢ ♢ ♢ ♢
「ひとつ、聞いていいかい。テスに暗示をかけたのは、おまえさんだろ」
「暗示?」
アマンダの目の奥で、どろりとなにかが動いた。クリスタは気付かない。
「そう。マインドコントロールとかいうヤツさ。都合よくテスは引っ掛かってくれたようだけど、やりすぎだろう」
「失敗したわ。能力の加減を間違えた……。上手くいくように練習だってしたのよ」
ぶつぶつと独り言のように語られる彼女の練習内容とやらを聞き、おそらくロクム・シティを騒がしていた物体を移動させる「いたずら」のことを言っているのだろう、とクリスタは思った。
しかしあれは念動力で、マインドコントロールでも、応用できるとメリルが言っていた感応能力でもない。
「だって、持っている能力がひとつだけとは限らないでしょ」
ああ、そうか――と納得しようとしたとき、クリスタは心の内を読まれたことに気が付いた。
寒気が背中を這いあがる。
瞬時に強張る顔を見て、能力者は笑う。その笑顔がなにやら寂しそうに見えたのは、クリスタの錯覚であったのか。
「……少しだけ、あたしの思いどおりになればいいって、彼に振り向いてもらえたらいいって、それだけだったのよ……」
こんな騒ぎになるなんて思っていなかった、とアマンダは言いたいのだろう。クリスタはムカムカとする気持ちをなだめるのが困難になってきた。
彼とはリック・オレインのことだ。「彼」と言ったとき、視線があの男の方に動いていた。テスといい、アマンダといい、どうしてこのおとこがいいのだろう。名探偵はこめかみを抑えたい衝動に駆られる。
それにも増して、特殊能力を悪用し他人の気持ちを勝手に改ざんしたあげく、恋人を横取りしようという邪な考えのどこが「少しだけ」なのか、クリスタには全く理解できなかった。
『能力者』アマンダの声は、次第にかすれて、小さく聞き取りづらくなっていった。
「――でも、だんだん・・は言うこと聞かなくなるし。交通事故とか行方不明とか、予想外のことが次々起きて……」
ポソリとこぼした「反抗するなにか」の名を、クリスタは聞き取り損なってしまう。重要なことを聞き逃したのではと、クリスタは慌てた。
「ちょい、お待ちよ。今、なんて――」
クリスタの制止も、彼女の耳には届いていない。半分夢の世界にでもいるのか、トロンとした表情と抑揚を失った口調でしゃべり続けている。
「へんなのよ、あたしがあたしでなくなるみたい……。――いつの間にかそこに居て……最初はおとなしくて協力的だったのに……だんだん抑えが利かなくなって……」
「アマンダ、落ち着くんだよ。だからなんのことだい、それって」
「あたしは彼が振り向いてくれれば……それだけでよかったのに……いいって言ったのに、違うこと言い出して……どんどん……――」
テスに掛けられたアマンダの腕が、大きく震える。同時に、顔が真っ赤に染まり形相が変わった。
「だって! だって、まさかテスが――」
アマンダの口から洩れた「テス」の名に、リックが反応する。
「おまえら、なに言ってんの? テスがなんだって?」
リックが口を挟んだ途端、アマンダは顔を伏せ黙り込んでしまった。
また余計なところで……と、クリスタは舌を打つ。
答えを得られないリックは顔をしかめる。この時――、
「ヒャアア!」
テスが甲高い悲鳴を上げた。驚いたクリスタとリックは、小さな身体にかじりつく。ゆえに下を向いたアマンダの目の中で、どろどろとした影が渦巻くのを、ふたりは見ることはなかった。
♡ ♡ ♡ ♡
正体不明の声は、確認することは出来ないけれど、確実にあたしを捕えようとしている。それは、はっきりとわかるの。
懐かしさを装って、あたしを丸めこもうとしているんでしょ!
それでいったいなにをするの? どうするの?
ねえ、周囲で騒いでいるのはクリスタかしら? リックもいたわよね。
クリスタ、リック。助けてぇ~!
あれ。もうひとり、気配がするけど……あら、え、もしかして……
これが……ええっ……雑音……の――!? う~~ん……?
(……てぇぇすぅぅ……てぇぇすぅ……てぇすぅ……)
ちょっと邪魔しないでよ。誰なのか、わからなくなっちゃったじゃない!
もうちょっとで雑音ばら撒いているのが誰だかわかりそうだったのにぃ。
――ああ、そう。
雑音より、この声を無視するなってことなの?
ううん。そもそも、身体の中から正体不明な声が聞こえてくる、っていうこと自体が不可思議なことよ。
こっちの問題の方が優先すべきことかしら?
この声の主は誰?
(ダレ?)
どうしよう。
悩んでいても答えが出ない。だったら……。
「あなたは、誰?」
――と、ここは素直に聞いてみよう。だって、ホントにわからないんだも~ん!
ヒントくらいはもらえるかもしれないでしょ。答えを知るのは怖いけど、なにもわからないのはもっと不安。すると、
(アタシハアナタ……、アナタハアタシ……)
――――えっ!?
どういうこと? 意味わかんない。
頭をひねっていると、笑い声が聞こえてきた。
(思イ出セ……思イ出セ……アタシハアナタデ、アナタハアタシ……)
ちっとも理解できない。ヒントどころじゃないわ、ますます難しくなっちゃったじゃない。腹立ちをぶつけようとするあたしを、後ろからなにかが抱え込む。
ゾクリとする感触。
全身に悪寒が走った。心臓が凍りつきそう――!
いやよ、なにするの!
もがくあたしにまとわりつく冷たい意識。
(――アナタハアタシ……)
耳元でささやく声。
それはあたし――テリーザ・モーリン・ブロンの意識を吹き消した。
イラスト:志茂塚 ゆり様
テスに、クリスタに、リック。それぞれにピンチです。
でも絡まった糸は、少しずつほどけていく……かも……?
2022/04/24 挿し絵を追加しました。
志茂塚 ゆり様、ありがとうございます。