12. ノイズとステップ その⑧
「ここだと思ったの。あなたたち……テスも……いっしょ……」
声の主はアマンダ・カシューだった。
フロランタン大通りの『カフェ・ファーブルトン』で、テスやニナと一緒に給仕係の仕事をしているカヌレ大学の学生だ。
3人の顔を確かめると、小さく口をほころばせた。
「へ!? どうしてアマンダまで、ここにいるんだよ」
「ああ、いいところに来たね。ちょいと手伝っとくれ、アマンダ。テスが興奮状態で、大変なことになっていてね。誰か、呼んで……救急車の手配をして欲しいのさ」
不思議そうなリックに対し、クリスタは、彼女の登場にあまり驚いたふうでもなく、救援の要請を指示し始めた。
「あ、待てよ。救急車はダメだ。絶対にダメだ! またテスの行方がわからなくなっちまったら……」
腕の中で悶えるテスを抑えながら、リックが息せき切って反論する。クリスタは彼がなにを言いたいのか一瞬理解し損なった、すぐさま「あっ」と気が付いた。
「あぁ、そうか。それじゃあ……って、ええっ。じゃあ、どうすりゃいいんだい!」
言い合うふたりの側へ、アマンダが近づいて来た。
「テスは、どうなっているの?」
そう尋ねたアマンダの声が、クリスタの癇に障った。
状況は緊急だと一目瞭然だ。苦しみから逃れるために床を転がろうとするテスと、それを必死で止めようとするクリスタとリック。
床に這いつくばるような恰好でテスを抑えているのだが、小さな身体からは信じられないような力で手足を振り回すので、ふたりは悪戦苦闘と云った有り様だ。
それなのにアマンダの声は妙に冷静、いや冷酷な響きを含んでいるような気がした。それが親友を心配する彼女に、ムカムカとした苛立ちを覚えさせたのかもしれない。
だからと云って、アマンダの態度を怒鳴りつける訳にはいかないだろう。自分の焦る気持ちがそう感じさせているだけ、という可能性も無きにしもあらずなのだから。
ともあれ、大きな深緑色の瞳は、新たな登場人物の振る舞いを慎重に追いかけることにする。
当のアマンダはクリスタの横に並ぶと、彼女らと同じように膝をつき、上半身を乗り出してテスの顔を覗き込む。
そして苦しむ友人の様子を、強張った顔をしてジッと見つめた。するとテスが低いうなり声を漏らし始める。
まるでアマンダに抗議するように。
「どうもこうも、ごらんのとおりでね。突然暴れ出したのさ。原因がわからんから、どうすりゃいいのか困っているところだよ」
努めて冷静にクリスタは答えたのだが、再びテスが身をよじり苦しみ出したので、リックと共にあわてて小さな身体に飛びついた。
「まあ、大変」
「そう思うんなら、手伝っとくれ!」
相変わらず冷めた声色のアマンダだが、その視線が、テスを心配しておろおろするリックに刺さったままになっていることにクリスタは気がついた。
苦しむ同僚には、もはや興味はないという顔だ。
気持ちの籠らない話しぶりとは反対に、第三の女の視線は爛々とリックに注がれている。それが、どこか邪な、尋常ならぬ熱を擁しているように見えてならない。
無言で観察するクリスタの眉根が、しだいに中央に寄り始める。
(アマンダのこの目、以前にどこかで見たことあるぞ。熱く一途なのに妙に哀しげで、惨めさを噛み締め、冷めた害意を隠せない目線。こいつには似合わないなぁ――って)
(目撃したのは一瞬だよ。けれどイヤ~な感じがしたんで、ヘンに記憶に残っているンだ。なんだろう、引っ掛かる。いつどこで見たんだっけ? ええぃ、思い出せ!)
そしてもうひとつ、クリスタは確かめたいことがあった。
「そりゃ、そうと。なんだったんだい、急な要件って?」
クリスタのぷっくりとした唇が、ツンと突き出される。片目を細め、少し顎を上げて斜に構えた表情は、不敵な女戦士のようだ。相手を威圧するには充分な迫力がある。
彼女はモデルだ。だから表情を作るのは得意としている。どんなふうに顔の筋肉を動かし、どんな角度や位置でいかなるポーズを構えたら、相手にどのような印象を与えるかはよく理解していた。
「なんのこと?」
だが、アマンダは意に介さない様子だった。
ニッコリとモデル嬢に微笑み返すと、友人たちの手助けをしようと、そっと――というよりは恐々とテスの身体に手を添える。その途端小柄な身体が大きく跳ねたので、びっくりしたのか、手を引っ込めてしまった。
拒否されたと考えたのだろう。アマンダはためらう様子を見せたが、応援が欲しいふたりに急かされ、硬い表情のまま手伝った。
「やだねえ、おまえさんは、あたしに要件があるんじゃなかったのかい? 大至急どうしても会って伝えたい話があるとか、なんとか……」
さりげなさを装い、次第に声のトーンを落とし、さらに話すテンポもだんだんとゆっくりとしていく。もともと声域は低めのアルトであるから、自慢の眼力に声の威力も加わって迫力は倍増た。
しかしこれに縮み上がったのは、アマンダではなくリックだったので、彼女は内心溜め息をついた。
クリスタが確かめたかったのは、先刻、方向感覚を見失いつつひとりで回廊を歩き回っているとき、偶然顔を合わせたニナ・レーゼンバーグから聞きいた話である。
アマンダから携帯に着信があり、クリスタの所在を聞かれたと云う。どうしてそんなことを聞くのか不思議に思ったが、友人の頼みだし、切羽詰まった要件なのか驚くほど強引な態度で押し切られ、つい『紅棗楼』にいると教えてしまった――とニナは言った。
USNSSでの秘密漏えい事件の犯人ではないという証しを立てたいということもあろうが、知りたがり屋の彼女のことだから、重要らしい要件の内容とその後の経過も知りたくて、黙ってなどいられなかったのだろう。
それとなく水を向ければ、警戒することなく、知っていることをあれこれと喋ってくれた。おかげでこちらとしては意外な情報と考慮すべき選択肢が増えたと、クリスタはほくそ笑んでいたのだ。
「だから、おまえさんは『紅棗楼』に現れたんだろう。」
彼女の深緑色の瞳が、ギロリとアマンダを見据えた。聞いていたリックも、不審そうな顔をして第三の女を見る。
「……ああ、そうだったわね。でもその件は、もういいの」
拍子抜けするほど簡単にアマンダは答えた。
「でもねぇ――ここは高級菜店だ。おいそれと学生が足を運ぼうって場所じゃないし、来られる場所でもない。そこにおまえさんは、ひょっこり現れたんだ。ちょいと探りたくもなるじゃないか。
敷居は高くないとメリルは言ったが、あたしたちだって、あいつの紹介……もっとはっきり言えばペタンクール家の名前があればこそ歓迎されたようなものだからね。だから、おまえさんがよく入店できたもンだと思ってさぁ……」
ニナからアマンダの名前を聞いた時、クリスタは、彼女が今回の一件になにかからんでいるのではと考えた。タイミングが良過ぎるのだ。
が、その理由や役割りまで探るには情報が少なすぎた。更なる情報を引き出したくて、ゆさぶりをかけるが、
「意地の悪りィこと、言うなよ。クリスタ。小姑みてぇだぞ」
リックが見当違いの意見を言う。余計なことを……と、茶化された人気モデル嬢の顔はみるみるうちに不愉快そうに歪んでいった。
♢ ♢ ♢ ♢
「でもよ。おまえら、そんなに親しいって仲じゃねぇだろ」
リックは、クリスタとアマンダを見比べた。
「親しいどころか、カフェ・ファーブルトンで、客と従業員として顔を合わせるくらいだよな。強いて接点っていやぁテスか……って、あれ、おかしくね?」
なにかを思いついたか、リックの青い目がクルリと動く。
「おまえさぁ、もしかして、テスが俺たちと一緒にいるってわかってたんじゃねぇの?」
ポンと飛び出したリックの一言に、先に表情を硬くしたのはクリスタの方だった。
かすかにアマンダの身体が震える。
顔をしかめ「黙れ!」の合図を送るクリスタだが、彼は気付いてくれるどころか、ますますもうひとりの友人を追い詰めることを言い出した。
「そんなに親しくもねぇクリスタに急な要件ってのも納得いかねえ話だが、仕事仲間で仲のいいはずのテスが見つかったってのに、喜びもしねェってのも許せねえ話だぜ」
リックは止まらない。
「おまえさ、テスを見てもあんまり驚かなかったよな。けどよ、ここは疑問に思うところじゃねえの。だって、テスは……」
交通事故に巻き込まれた後、しばらく行方がわからなくなっていた……とは、さすがにリックも言い難かったらしい。
テスが事故に遭ったこと、そしてその後の経緯も、アマンダが知らないはずはない。あの時、彼女もカフェ・ファーブルトンで、ふたりといっしょに事故の一報を聞いていたのだ。
行方を探す彼らにカフェの人々は協力してくれた。特に同じ給仕係の女子3人組はたいそう仲が良かったし、テスの欠勤で仕事に支障が出たのは間違いないのだから、無関心ではいられないだろう。
事実、彼らがカフェに顔を出せば、熱心に状況を聞いてきた。いっしょになって気を揉んでいた。早く見つかることを望んでいた。
だから彼は、テスが見つかれば、当然アマンダも大喜びすると思い込んでいたのだ。
「な~んか、さっきから、態度冷たいんだよな。おかしくね? だからさ、もしかしたら、テスが見つかったってこと、どっかで知ってたんじゃねーかと思ってさぁ。なあ、クリスタ」
同意を求められたが、彼女は口を真一文字に結んだまま、うんとも言わなかった。
「なんだ、違うのかよ」
賛同を得られなかったリックは、つまらなそうな顔になる。
♢ ♢ ♢ ♢
違いはしない。
(――しないが、ここで爆弾投下するこたぁなかろう!)
(警戒して口を閉ざしちまったら、聞きたいことが聞けなくなるだろーがッ!)
と、苦々しく思っていた。許されるなら、ぶん殴りたい気分だ。
「あ、いや。なんとなく、そんなカンジしたんだけどよ。違ったか?」
爆弾投下犯は、気楽に聞き返してきた。彼は理詰めではなく、奇跡とでもいうべきカンでそう感じ取ったらしい。さすがなのかどうなのか。バスケットボール大学リーグの雄、カヌレ大のクラッチシューター、カンは侮れない。
同じようなことをクリスタも考えてはいた。そして、もしかしたらアマンダは自分に用事があったのではなくテスを探していたのではないか――と推測していた。
リックが言ったとおり、ふたりの接点はほどんど無い。
クリスタにとって彼女は「テスのバイト仲間」であり、アマンダにとって自分は「テスの親友」……そのくらいの認識だ。
交わした会話の記憶も数えるほどしかなく、しかも場所はカフェ・ファーブルトンで、彼女らに挟まれて必ずテスが話題に加わっていた。テスという接点があったからこそ会話があった、と言ってもいい。
だから自分に用事があったとは、クリスタには到底思えないのだ。
おそらく自分をマークしていれば、テスが現れると確信していたのだろう。困ったときに頼るのは幼なじみの親友だということは、テスの行動パターンをある程度把握できればすぐに考えつくことだ。
テスが戻ってくるとすれば、それは親友のところに違いない。だからわざわざニナに嘘をついてまで、自分の居場所を確認した。
(――と、ここまではいいんだけどさぁ……)
残念ながら、クリスタの手元には状況証拠しかない。それも切れ端みたいなものばかりで、肝心の、重要な情報や証言とか確たる証拠は何ひとつ持ち合わせていない。
(わざわざあたしたちの前に現れたアマンダの、本当の目的はなんだろう? この態度、どう見たって仲間を心配してるって感じじゃないさ)
(せめて、テスから、もう少し何か聞き出せていればよかったんだけどねぇ……)
そのテスはまだ原因不明の苦しみにもがいている。呼吸がどんどん早くなっているように感じる。呼びかけにも答えようとはしない。見ているクリスタの方が辛くなってきた。
幼なじみをこの苦痛から救うには、どうにかして「なにが彼女を苦しめているのか」と云う謎を探り出さなければいけないらしい。
しかしそれには圧倒的に情報が足りないことを、彼女は口惜しく思っていた。
(推測だけじゃこのあたりが限界か。だったら……)
からめ手から突いてみるか、と彼女は思いきる。
♢ ♢ ♢ ♢
「そ、そんなこと……」
アマンダは否定の言葉を絞り出そうとしていた。だが視線を動かすだけで、次の言葉が出てこない。唇をわななかせているばかりだ。
代わりにクリスタが喋り出す。
「そんなことあるわけないじゃないか。だって、あたしたちが、今、この場所で再会したのは偶然だよ。『紅棗楼』に食事に来たのも偶然なら、いきなりテスが現れたのも、とんでもない偶然なんだ。そりゃ、リックだって承知してんだろ」
「ああ、そうだな」
大人しくリックが頷いているうちに、もう少し問い詰めてやろうとクリスタは口調を速めた。
「なんだかUSNSSが騒がしいようだから、あたしたちが『紅棗楼』に来たって情報は掴むことが出来たかもしれないが、そこにテスが現れるなんてことまで、誰が想像できるってんだい。だって、2週間以上も行方不明だったんだよ。死亡説まで流す、不届き者までいやがるんだ。
それどころかニナのアカウント使って、デマを流す奴まで出て来たんだとさ。いったいどういう了見なんだろうねぇ、そいつは!
そうだ! メリルにだって、まだテスのことは知らせちゃいなかった。だからあたしたち3人以外、誰もこのことは知らないはずさ。
上空からあたしたちを監視でもしていない限り、この再会を知ることなんてできやしない。そうだと思わないかい、アマンダ」
「……え…ええっ……ええ、そうね。そうだわ、クリスタ」
声を詰まらせながら、ぎこちない笑顔でアマンダは取り繕った。
(――――大当たり! 知っていた!)
(ああ。それに付けてもわからないのは、なぜ今日テスが戻ってくることを、アマンダは予測できたのだろうってことさね)
クリスタの額の隅に、ピリリと痛みが走った。
テスの誘拐は、メリルの推測によれば、かなり大掛かりな圧力が働いているものらしい。そこにアマンダが関係していたかどうかまでは不明だが、自身のカンに頼るなら「それはない」と思っている。
訳もわからず利用されているということも考えたが、本人の顔色を窺っていると、そういった気色はなさそうだ。
それとも本人にも悟られないように、マインドコントロールされているのか。
(あれ、この単語、どっかで聞いたぞ。ごく最近……)
不意に浮かんだ「マインドコントロール」と云う単語に、クリスタの心が引っ掛かった。
(誰が言った言葉だ? 確か……。確か、あの時、茉莉花茶を飲みながらいろいろと……)
鼻腔にわずかに残っていた爽やかな香りが、絡まった記憶を紐解く。
(しまった! あたしは肝心なことを忘れていた!)
(目先の謎に捕らわれて、すっかり惑わされていたよ!)
(とんでもないミスを仕出かすところだった!!)
ところがクリスタが頭の中で推理を組み立てている間に、名探偵の気持ちを量れない男は、さらに容疑者を追い立てていた。
「……すまねぇ。アマンダだって、心配してくれていたんだよな。
なんか、俺……今はテスが見つかったって……うれしい気持ちでいっぱいで、上手く頭が働いてねぇや。
へへっ、みっともねえとこばっか見せちまって、カッコ悪ィよな。
テスがいねぇあいだも、俺が落ち込んでるからって、おまえ、ずっと励ましてくれたしな。大丈夫だ、絶対見つかるからって、よ」
「ちょ……ちょいとお待ち、リック!」
このままじゃマズいとクリスタが堪らず口を挟んだが、純朴な青年は親切な女友達に礼を述べることに気を取られていた。
「感謝するぜ、アマンダ。ありがとな。テスは見つかったぜ。」
恋人を抱きしめ、リックはうれしそうにアマンダに笑いかけた。それを見た彼女の顔が凍りついたことに、幸せな男は気が付かない。
このときクリスタの脳内映像には、あるワンシーンが再生されていた。取り忘れて砂嵐に邪魔されていた場面が、鮮明に映し出されてきたのである。
(カフェ・ファーブルトンだ! テスが交通事故に遭う直前だ。失恋のショックでメソメソしていたテスが心配で、カフェ・ファーブルトンに様子を見に行った時だよ)
(その時、見たんだ!)
(ドアの前で、テスとリックが仲良く手をつなぎながら、『隅の老人』とかいう人物の忘れ物について騒いでいた。そのそばにアマンダが立っていた)
(あたしに気づくと慌てて表情を変えちまったが、こんな目をしてふたりを見ていた!)
(あれは嫉妬の目だ!)
ふとクリスタの脳裏にはメリルの語ったひとことが蘇る。
(犯人はリック・オレインにひとかたならぬ好意を抱いていたのですわ!)
※USNSS(宙間交流通信サービスサイト)・・・ユニバーサルソーシャルネットワーキングサービスサイトの頭字語。SNS。お喋り(ツイート)することによって、情報拡散。アサンス。
名探偵、ふたたび。
クリスタは真相目指し爆走中ですが、助手が迷走気味。どうなることやら。
次回より新章(の予定)!
寝覚めたテスは……。