12. ノイズとステップ その④
※少し残酷な表現があります。
苦手な方は、お気を付けください。
「それはそうと、このチャイナドレス、どーしたんだ?」
リックの視線が、水色のドレスにくぎ付けになっている。興味津々。あ、似合うって思ってくれているのね。うふ、うれしくて顔がゆるんじゃう。
「これは借りたの。着ていた服が汚れちゃったから――……」
説明しかけたあたしの脳裏に、あるヴィジョンが浮かぶ。
チャイナドレス……赤い……ドレス。
同じような牡丹の花の刺繍の施された、赤いチャイナドレス。着ているのはニナだわ。ニナ……ニナ・レーゼンバーグ。カフェ・ファーブルトンでいっしょに働いている、ニナでしょう。
薄暗い美術館みたいな廊下で、赤いチャイナドレスを着たニナとすれ違う映像。目が合うと、彼女がチラリといたずらな笑顔を見せて……。
――ん。これは、リックの記憶――だわ。
え~、なぜここにチャイナドレスを着たニナが出てくるのかしら? 彼の脳内映像の意味が視えなくて、考えるより先にたずねてしまった。
「ねぇ。ニナが、どうしたの?」
あたしの問い掛けに、ふたりは目を見張った。そのあと顔を見合わせて……あれ……なんだか空気がヘンよ。
「あぁ、さっき偶然ニナに会ってね。あいつは『紅棗楼』でもバイトしているとかで、赤いドレスを着ていたんだけど……」
クリスタが解説してくれたんだけど、それがいつもの彼女の口調からすると、なんとも歯切れが悪いの。リックは不思議そうにあたしを見ているし。やっぱりヘンだわよね。
どうしたんだろう――とふたりの視線の意味を悟るまで、気まずいまばたき3回分の間があって……。
頭の中で、感嘆符がウサギのようにぴょこんと跳ねた。
(――ひゃぁ~ん、やっちゃった!)
今度は秒速で血の気が引いた。
ああん、空気も微妙になるハズだわ!
ふたりは、びっくりしているのよ。それまでこれっぽっちも話題になっていなかったニナの名前が、なんの脈絡もなく、いきなりあたしの口から飛び出してきたんだから。
しかもニナとは、いわくありげな雰囲気になっている様子。ああん、知りたい。なにがあったの?
今はその込み入った事情とやらを聴き出す、あるいはもう一度感応能力を使って読み取る余裕は無いけれど、それは「あたし」に関係あることみたいなのはすぐに察せられた。それでふたりとも、似合わない複雑な反応しているのね。
(――って……)
どうしよう――! まさか精神感応で覗いたリックの頭の中に彼女がいたからです、なんて言えない!
あたしの能力については、時期が来るまで、親であろうと恋人や親友であろうと、部外者に口外しちゃダメだってオーウェンさんたちから注意されているのよ。ほら、能力保持者であるということは、微妙な問題だから。
どう取り繕ったらいいものかしら。
焦ってもぞもぞし始めたら、絶妙のタイミングでクリスタが声を上げた。
「そうだよ、そのニナからある情報を仕入れたのさ。これが、ちょいと面妖な話でねぇ。それを伝えたくて急いで部屋に戻ろうとしていたんだけど、どう歩いても部屋にたどり着けやしない。『紅棗楼』の庭園も面妖なデザインだけどさぁ。
ああ、そんなことよりだよ。テス、おまえさんにも確かめてもらいたいことがあってさ。まずは、どこからいこうか……」
頭の中にファイリングされた謎の究明に乗り出したくて、うずうずと前のめりで話すクリスタに対して、あたしを抱っこしているリックの足はぴたりと止まった。
「ちょっと待てよ。おかしくないか? なぜ急にニナの名前が出て来たんだよ、テス?」
なぜだか疑い深くなったリックが、あたしをじっと見つめる。あたしを抱える掌の温度が少し冷たくなった。彼の心の中の不安が、増殖してる!
(まさか……バレた!?)
「あ……。それは……」
言い訳を考えようと視線を泳がせたら、リックの心の中で不信感が膨らみ始める。マズイわ、どうにかしなくっちゃ。
「あたしたちと出会う前に、どこかでニナの姿を見たんじゃないかい。彼女はここで働いているんだ。接触は無くても、見かけるくらいの機会はあったとしても不思議じゃないさ」
クリスタ、ナイスフォロー。事実は違うけど、ここはこの意見に乗ってしまおう。あたしは急いで首を縦に振る。
「あー、そうかぁ」
リックが物事の裏側を深くさぐる性格でなかったことに感謝するわ。あの言い訳で納得してくれるなんて、あり得ないでしょ。
(ダマされても気づかないお人よしさんなんだからぁ~!)
彼の純朴さに対する別の気がかりを心配しつつ、とにもかくにもホッと胸をなでおろし、同時に罪悪感も仕舞い込む。ついでにこれ以上追及されないように、リックににっこり微笑みかけておこう。ホラ、安心したみたい。
クリスタの眼光が、ちょっとばかりきつくなったけど、その意味を深く考えることは無かった。
――いつものバカップルぶりに呆れているのだと、単純に思い込んでいたから。
♡ ♡ ♡ ♡
そう。あたしはクリスタやリックの顔を見て、すっかり安心していたんだわ。
頭の中では不愉快な雑音が流れ続けていたけれど、大好きなふたりがそばにいるから大丈夫だって思っていたの。だって、あたしにとって、ふたりは間違いなくスーパーヒーローとヒロインなんですもの。
なにがあっても、ふたりがいれば、なんでも解決すると思っていた。ふたりがなんとかしてくれる、って。
だから――あたしは、やっぱり甘ったれの小さな女の子でしかなかったんだということを、このあと思い知らされることになる。
♡ ♡ ♡ ♡
あたしたちは、メリルの待つ『緑光球』とかいう離れ屋に向かって歩き出した。幸いリックが回廊の道筋を覚えていてくれたので、その記憶を頼りに歩いている。クリスタは方向音痴だし、あたしは離れ屋の場所を知らない。
彼に出会えなかったら、メリルと合流どころか捜索隊が出動する事態に陥っていたかも……という笑えない冗談まで飛び出したくらいよ。
洞門をくぐり、その都度現れるちょっと変わった趣向のお庭に見とれ、あたしたちは目指す『緑香球』に近づきつつあった。だけど、広いお庭よね。回廊もヘビみたくうねうねと伸びていて、これじゃクリスタが迷子になる訳だわ。
「確か……こっちの洞門を通って来た気がする。おっ、そうそう。あの花、見覚えあるぞ」
リックが首をしゃくったのは、牡丹の花だ。
(牡丹は花王、芍薬は花相、それから百合……)
(ピオニー、ピオニー、それと……リリー…………。これ、なんだっけ……?)
(……ナンダッケ?)
頭の中に生まれた疑問。しつこい雑音にも消されないなぞなぞ。
(……なぞなぞ……――)
ふわりと目の前に霧がかかる。
「……ぅうん。あたしゃ見覚えが無いンだけど。こんなハデな花が咲いていたんなら、覚えているはずなんだけどねぇ」
遠のきそうになった意識が、クリスタの声でハッと正気に戻った。彼女はしきりと頭をかしげている。
「そりゃ、おまえがイノシシみたいに歩いていたからだろ。だから迷子になるンだよ。少しは学習しろ!」
「おまえさんに言われたかないね!」
ふんと鼻を鳴らす、クリスタ。
「お願い、ふたりともけんかしないでよ!」
「してねぇよ」
「してないさ」
ああん、もう! すぐ言い合いになるんだから、このふたり。
最初はどことなくぎこちない空気に包まれていたけど、とりとめの無い会話を重ねるごとに、あたしはあの頃に戻ったような気分になった。
ド田舎惑星ポルボロンで、まだ高校に通っていた頃。
カフェテリアで、3人でピザやマフィンを食べながら、いろいろな話をした。最初はみんな、リックとクリスタが付き合っているのだと思っていたらしいわ。だからステディなのはあたしだと知れ渡ったとき、ちょっとした騒ぎになった。
やっかみからずいぶん悪戯されたけど、リックが堂々あたしと付き合う宣言したものだから、それらは下火となったのよ。ウラでクリスタが睨みを利かせたこともあるらしいけど、ね。
懐かしいこと思い出しちゃった。やっぱり、あたし、リックのこと好きよ。だから、どうしてお別れしようなんて気になったのか、さっぱりわからない。
ああん、このことを考え始めると、雑音がひどくなる。頭が割れそう。
なにが原因で彼への想いが、「お兄ちゃん」になったんだっけ?
(ソレヨリ、サッキノなぞなぞノ答エハ?)
答えが見つからないの……。
痛みを抑えようとこめかみに手を当てたら、リックが心配してくれた。
「頭が痛むのか? あと少しだけ我慢しろよ」
至近距離の青い瞳が、不安そうにまばたきを繰り返す。あたしは素直にうなずいた。隣でクリスタも心配し始める。
あたしを支える掌の体温にやさしさを感じ、彼の純朴な愛情をうれしいと、そう思った途端――背中にヒリヒリする痛みを感じた。
(――――!!)
まるで刃物で斬り付けられたような鋭い、ううん…鞭で打ちつけられたような熱くて重い痛みがあたしに襲い掛かって来た。
「……や…ア!」
衝撃で身体が反り返る。
「どうした、テス!」
「おい!!」
痛みと衝撃で目玉が飛び出そう。自分の口から洩れる超音波みたいな悲鳴に怖くなり、身体が硬くなる。
「おいっ、しっかりしろよ。テス!」
「どうしたんだいっ!」
あたしは痛みを訴えた。次々と襲ってくる鋭い痛みと熱を持つ傷痕。皮膚が避け、血が噴き出して、じくじくと腫れ上がる――と云う幻像に騙され、じたばたと身悶える。でも、非能力者のふたりには見えない攻撃だから、訳がわからずおろおろするばかり。
そうよ。これは凶器を使って傷つけられた痛みではなく、通常の感覚器で感じられる感覚を超えた感覚に与えられる痛みなんだわ。
これをなんて言ったっけ!? そうだ、サイ攻撃!!
レチェル4で能力についての講義を聴いているときは、なにをいっているのかピンとこなかったけど、肉体を痛めつけることなく、肉体を痛めつけたという情報を感覚に与え、記憶から痛みを最大限に引き出し苦痛を味あわせる攻撃ってこのことなのね!
脳内に植え付けられたニセモノの感覚なのはわかっているけど、痛いものは痛い。
誰かに感覚を操られているんだ――と頭の片隅で理解する。
苦しい! 苦しいけど、それを訴えることも出来ない。
目がかすむ。息が出来ない。痛みで固まった身体は、言うことを聞いてくれない。
それでも苦痛を感じれば、激しさを増す責め苦から、なんとか逃げ出そうとする。頭の中を支配する雑音のリズムに合わせ、打ち上げられた魚のように身体をくねらせ、飛び上がり。
無様なくらい身もだえたものだから、あたしは彼の腕から転がり落ちてしまった。
ああん、どうしよう。ふたりの声が聞こえない。
雑音に消されて聴こえない。
あたしの身体を痛みで支配しているのはゆがんだ想いだ。
黒い……どす黒く染まった闇が、雑音をまき散らしながらあたしに向かって迫って来るのが視えるの。