2. 混迷の森で会話は迷走する その③
「はああぁぁ!?」
目の前のふたりが、同時に声を出す。
「だって、だって、そう思っちゃったんですもん。そう思ったら、その方がいいなぁって……そう思えてきて、そしたらそれがいいわって思ったの……だから……――」
しばらくふたりとも声が無かった。周りの雑音も消えた。モッフルの森に静寂が戻った――と云うより、新たな混迷の幕開けなんだろう。
「……でね、そう考えたら、ストンって気持ちが落ち着いて、ラクになったの」
「俺は楽にならないんだけど……」
リックは崩れるように椅子に座りこむと、再び頭を抱え、大きく息を吐いた。
「……だからさ、なんでそーなんだよ。おまえの頭ん中、脈絡がわかんねーんだよ」
それがわかるんなら、あたしだって苦労はしていない。自分で自分の頭の中が、一番ワンダーランドかもしれないって思ってんのに……。
「あの、こんな説明おかしいかもしれないけど、超難問のなぞなぞを出されている途中で、なんとなく答えが出ちゃった気分なの」
ほら『お兄さん』だったら、『大好きで大切な人』で、『恋人じゃなくても大好き』と言える人でしょ。
(――――アタシ以外ノおんなト、きすシテイテモネ…)
(そうなのよ!――って、へ!?)
(いっ、今の声、誰? あ……たし!?)
きょろきょろと辺りを見回せば、リックとクリスタが虚ろな目をしてこちらを見ている。
「あたしはリックと結婚しないの。
それにせっかく大学に入ったのに、お勉強しないと、学費を工面してくれた両親や進学を後押ししてくれた弟妹たちに申し訳ないな~と……」
ここでクリスタが、頭を掻き掻き尋ねてきた。
相変わらず表情は渋い……は通り越して、苦くなっている。
「テスよ。おまえさんの脳内には、一時保留とか同時進行とか云う考え方はないのか?」
声も、ワントーン低くなった。
「どーいうこと?」
「たとえば今はリックと婚約だけして結婚は卒業後とか、学業を疎かにしないという条件付きで思い切って学生結婚しちまう――と云う手段は考えなかったのか?」
「――――あ!」
そんなこと、まったく思いつかなかった。
今はじめて気が付いた。
「だって一生懸命考えていたら、結論が『お兄ちゃん』になっちゃったんだもん。途中経過は、説明できないけど……」
クリスタが、ドッとうな垂れる。
あたしの顔をまじまじと眺めていたリックが、観念したように言った。
「……テス、おまえ、ホントわかりやすいよな……。わかった。そんなに別れたいんなら、別れよう。関係は解消しよう。今後はオトモダチでも、アニキでもいいから、しばらくは俺の目の前に現れないでくれよ」
「それでいいのか、リック」
「おまえがそれ訊くのか、クリスタ。これで希望どおりだろ。テスは意外なところで頑固なんだ。
フワフワ他人の意見に流されているようで、自分でこうと結論を出しちまったら、テコでも動かねえ。理由は全然理解できねえが、『恋人ごっこ』に突然飽きたとでも考えるさ」
「違……ッ……」
否定しようとしたあたしの口を、クリスタの手が塞いだ。
「悪いがテスは少し黙っていてくれ。おまえさんが口を挿むと、話が迷走するんだ。帽子屋の親戚みたいだな」
なによ、帽子屋って!
ウチは酪農業よ! ブロン家はポルボロン星の田舎で牧場やっているの、知っているでしょ。ついでに、親戚に帽子屋さんもいないわよぉ。
「釈然としない。つじつまが合わない。疑問が、残っているんだよ」
彼女は、まだ不満そうだった。
♡ ♡ ♡
「なんだよ、これでいいんだろ?」
「いいや、よくなんかないさ。あたしは、納得してないね。
リック・オレイン、物分かりの良い恋人に成りすまして上手く誤魔化したつもりだろうが、おまえさん、あたしにひとつ大きな嘘をついているだろう」
事の成り行きに、あたしはハラハラしていた。クリスタは怒りを、リックは不機嫌を増幅させている。
その原因の張本人なのに、あたしは何もできない。
ああ、さっきから会話はテーブルの周りをぐるぐる回っているみたい。
頭の映像では、さっきまでラインダンスを踊っていたお星様たちが、大きな長いテーブルの席に着き、お茶を乾杯をしてはとなりの席にずれて座っていくという、これまた訳のわかんないことを繰り返していた。
絶対に、カウンセリングが必要だわ。情緒不安定なのよ、精神的な疲労が、妙ちくりんな妄想を観せる病気とか……それも困るけど……、う~~ん……。
あ、いけない。現実に戻らないと、また置いてきぼりを食わされる。いつまでも妄想の中にいちゃ、ダメなんだから。
「テスの突然の恋人関係解消宣言に戸惑っているのは、本心だろう。だが、部屋に入りたいって言ったのは、別の理由からだ。
おまえさんは、嘘をつくのが下手くそだね。言い訳しながら、鼻を擦っていただろう。あれは嘘をつくときに無意識に出てしまう、よくある癖だ。
弁解してる最中もずっと目が泳いでいたんだから、間違いないだろうさ。
慣れない嘘を突き通すのに、必死だったんだろ。残念ながら、焦れば焦るほど、態度に現れちまったけどさ」
あ、そういえば鼻を掻いていたっけ。珍しいことしているな、と思ったんだ。
「リックは何らかの理由があって、あたしたちの部屋に入りたかった。テスに別れる理由を問いただしたとき、『リックが変なことを言い出した』と切り出したんだ。
別れる理由にしちゃあ、突拍子もないことを言い出すもんだと思ったんだが、テスはテスなりにおまえさんに違和感を抱いていたんだろう。
そこに、プロポーズの件が重なった」
「だから、俺はまだ結婚なんて考えていなかったんだって」
「それは、わかったよ」
クリスタってば、セリフと態度が裏腹よ。
その挑戦的な目線。とっても魅力的なんだけど、今はケンカ売っているみたいで止めといたほうが――って、もしかしてホントにケンカ売ってるの!?
ほら、リックの顔が怒りでますます赤くなる。もうすぐリックが怒鳴りだすわ。
あたしは目を瞑って、テーブルの下で手を合わせた。
「なんなんだよ! おい、クリスタ。なんで俺たちの問題に、おまえがしゃしゃり出てくるんだよ。気に入らねぇ!」
「逆ギレか」
あ~~~、そんなこと言ったら、絶対リックはキレちゃう!
……もう、知らないからぁぁ。
「なに疑ってんだか知らねぇが、第一、証拠が無ぇだろーが!」
「証拠……?」
「そーだよ。俺があの男に頼まれて、クリスタのオトコ関係探って……って、あッ…やべぇ……」
急いで口を押えたリックだけど、クリスタもあたしもしっかり聞いていた。
あの男って、誰?
クリスタのオトコ関係って、なんのこと?
それとリックとあたしが、どう繋がるっていうの?
真っ赤だったリックの顔が、今度は青くなっていく。
「口が軽いな。リック・オレイン」
クリスタは立ち上がると、ランウェイを歩くような足取りでテーブルを半周し、リックの隣に立つ。そして長い腕を組むと、低い声で問いかけた。
「先に確認させてもらう。部屋に入りたかった、本当の理由はなんだ?」
リックは黙り込んでしまった。力なく首を前に垂れたまま、しばらく口を開こうとはしなかった。
やがて彼はちらりとあたしを見てから、誰とも目を合わさずに、独り言のように話し始めた。
「――脅されたんだ。ジョー・ボックっていう、スクープ記者に。
3週間くらい前に、先輩の車借りて、郊外にドライブに出かけた。テスに予定があるって断られて、仕方無ぇからひとりで行ったんだが、ちっとばかしスピードを出し過ぎて、事故った。
その被害者がボックで、黙っていて欲しけりゃ、言うことを聞けと脅された。
奴は、スクープを欲しがっていたんだ。その……クリスタとロマン・ナダルの、な」
ロマン・ナダルって、あのデザイナーの!
クリスタを新作のポスターに起用した、あのロマン・ナダル?
「あたしの!! ロマンとあたしのゴシップネタだって! そんなもん、あるわけ…………。
つまり、なにか? 三流タブロイド紙のゴシップ欄を飾る記事の為に、おまえさんはテスを悲しませたのか」
「タブロイド記事かどうかは知らねぇが、俺はクリスタとロマン・ナダルの関係を探って来いと、ふたりのなるべく親密そうな関係を匂わすようなものがないか、家探しして来いと言われたんだ。
もちろん最初は断った。そんなこと出来無ぇって。断ったんだ。だけど……」
「……同乗者が、怪我をしたんでしょ……」
自分でもびっくりするほど、冷たい声が出た。
ふたりの刺すような視線が、同時にあたしに注がれる。
普段なら怖じ気づいちゃうところなんだけど、なぜだか今は舌が滑らかに動く。
ただし意識が少し薄れてきて、その隙に誰かがあたしの口を乗っ取って、勝手に喋っているような感覚なの。
「事故に、怪我の加害者――。それをネタに脅されたんでしょ。選手生命を絶ってやるとか、言われて」
「おま……、なんで、それ……」
リックが信じられないという目で、あたしを見ている。
ここで、スッと、拘束が解かれた。
「――あの、あ、――あ、あたし……え、妙なこと口走った!?」
クリスタも驚いて、深緑色の瞳をまん丸くしている。口までポカーンと開けて。
(あたし、なに言ったの? 事故だとか、怪我だとか、自分が知らないこと喋っている!)
ドッと、汗が噴き出してきた。
(どうなっているの、あたし!!)
「リック・オレイン。事実か、それ?」
あたふたしているあたしを横目に、元のセクシービューティーに表情を戻したクリスタが、事実確認を追及する検察官みたいに彼を追い詰めた。
「同乗者は、女か……」
彼は目を瞑り、頷いた。
クリスタは、大きく息を吐いた。
「今日はここまでにしよう。これ以上は、日と場所を変えた方が、お互いの為だと思うが、どうする?」
そうだ、あたしたちは注目を集め過ぎている。
こんな込み入った複雑な話は、もっと冷静に、落ち着いて、静かな場所で、もっとゆっくり……。
もっと……
「ふえっ、クリスタ……。ふぇん、えっ、ええん……」
あたしの目から、大粒の涙が、次から次と落ちてくる。止まらない。
「あ~~~、泣くな、テス。泣くんじゃない!」
クリスタが、ガバリとあたしを抱きしめた。
モッフルの森に一陣の強い風が吹き抜け、木々がざわめいた。テーブルの上の残りのカップが不自然に揺れ、カタカタと音を立てる。
こうして、あたしの最初の恋が、終わった。
話の中に出てくるモバイル端末は、携帯電話だと思っていただければ結構です。
19世紀後期に発達し始めた電信ネットワークは、わずか100年ほどで、モールス信号からモバイルに移り変わっていきました。
小型化、高性能多機能化が、予想以上のスピードで進んでいます。機械音痴の凡人には、この先の発達だとか発展なんて想像しきれませんし、今でさえ追いつけない状態です。
だから物語の舞台となっている約200年後に、ケータイだのスマホだのがどうなっているのかなんて想像もつかない!
でもこれ以上小型化したら扱い難いし、多機能化したとしても限度があると思うし、ヒトは指で何かを操作する(いじる)ことが好きですから、ケータイは今の形体でほぼ落ち着くのでは・・・と思うのです。(個人的感想)
よしんば革新的な進歩があって形状が変わったとしても、復刻版として再販したら結構ウケて、人気機種として蘇ったとか。
家電等がそうであるように、高機能化の追及は終わらないでしょうけど、機械ってちょっと不便なくらいのほうが面白いと思うのですけどね。(あくまでも個人的感想です)
今よりもう少しだけ便利な道具のある(かもしれない)世界・・・というゆる~い設定にしてありますので、物語の小道具として、その辺の事情は大目に見てください。