12. ノイズとステップ その③ ☆
そこには呆然と突っ立っているリックがいた。
めちゃくちゃ、驚いている。信じられない……って顔している。驚きすぎて言葉も出ないのか、口をパクパクしている。
(……金魚みたい)
だけどそこはカヌレ大学の誇るクラッチシューター、はたと気を取り直すと、猛然とあたしたちの方に駆け寄ってきた。
196センチのガッシリとした体格の彼が、興奮した真っ赤な顔で近づいてくるのは、金魚どころか記録映画で見た大昔の蒸気機関車のごとしで、クリスタとあたしが思わず身構えた程よ。
「おっ、おい。ホントにテスかよ。テスだよな、テスだ。テス、おまえ……どこ行ってたんだよ……なにしてたんだよ!」
やって来たリックは、クリスタから奪うようにあたしの身体をもぎ取ると、そのまま力いっぱい抱きついた。
その途端、彼の思考や感情が、音を立てて雪崩れ込んでくる。あっという間に、脳内はリックの想いに埋め尽くされて、あたしは混乱した。
♡ ♡ ♡ ♡
(ひやぁん、接触感応――!!)
まず押し寄せて来たのは、出会えた「喜び」と、心配かけた「怒り」と、ようやく巡り合えた「安堵」の気持ち。あっという間にあたしのとまどいを押し流してくれたのはありがたいのだけど、彼の思念が強すぎて、自分の意識まで手放してしまいそう。
ただでさえ身長差と体重差がありすぎるあたしたち。物理的な重量に加え、精神的な重圧感まで加わったら、重すぎて受け止めきれない!
思念の流入を防御する手立てを知らないあたしは、受け止めた情報量に焦り処理に手間取り、気が付けば彼の手荒い抱擁を呆然と受け入れていた。
それをリックは、驚きとよろこびで頭が真っ白になっている状態だと思い込んでいる。
ちょっと違うけど、ここは訂正すべきじゃないわよね? だって、彼、半泣き状態なんだもの。
否定したら、かわいそうよ。
へし折られそうな抱擁と、ぐちゃぐちゃな感情の洪水の中で、あたしは割り切れない思いに行ったり来たりで。
「謝りたくっても、おまえは消えちまうし……」
彼の気持ちは、まっすぐだ。あたしの無事を心の底から喜んでいる。だけど、彼の気持ちの中にも、不安と云うためらいが存在しているのを感じてしまったの。
(それは、きっと、あたしの知らないところで別の娘と共に親密な時間を過ごしていたうしろめたさとか……それがバレちゃった決まり悪さと相手に裏切られた憤りとか……それから贖罪の気持ちも……)
悪いことだと思いつつ、彼の心の動揺を数えているあたしがいる。
リックも不安なのよね。突然、周りが崩れていくことが。自分を取り囲む環境や人間が、コーヒーに落としたクリームのように歪んでいくことが。
ああ。でも、そこには、あたしと云う存在も入っているんでしょ。
だから強くかき抱くことで、あたしの存在を確認しているの? あなたのことが大好きで、明るく素直でかわいいテスと云う小さな女の子――を。
けれど厚い胸板と太い腕に挟まれて、あたしは息苦しさを感じているの。ヘンよね。うれしいのに。再会できて、うれしいのに。
(大好きなリックの腕の中にいるのに、なんでこんなに心がざわざわするんだろう?)
これも、雑音と呼ぶべきもの?
知りたいことと、知りたくないこと――。あれもこれも、知りたいわけじゃない。他人の思考なんて、特に、よ!
でもこうして密着していると、彼の激しく揺れ動く想いや感情を全部感じてしまう。彼の感情を読めてしまうのよ。
ああん、精神感応能力って、便利なのか不便なのかよくわからないわ。
♡ ♡ ♡
踵を上げ、あたしはおずおずと彼の首に腕を回した。
「……うん。心配かけて、ごめん」
騙すのなら、最後までズルく欺いてくれればよかったのに。
(そんなことより、リックとの再会を素直に喜べない自分がツラいわ)
「ずっと、探したんだからな。――消えちまうんだから……勘弁してくれよ、テス。こんなの、もうナシにしてくれ」
無理よね。だって、リックは優しいもの。
(どうして感応能力なんてもの保持しているのだろう……)
「……うん……そうするね」
優しいリック。あたしは、あなたの「気持ち」が重たくなってきているの。
(押し潰されたらどうなるのかしら?)
「やっぱ……おれは、おまえのこと。テスが――」
もう少し腕の力を抜いてほしい。自分本位で押し付けられる愛しさは、うれしさよりも煩わしさが……。
(煩ワシサガ……)
ひょえっ! なに、今のマイナス感情!
ショックで3秒凍結する。
煩わしいって、煩わしいって、ヤだわ。
リックが「俺様」な性格なのは、始めから承知していたことでしょ。強引で、自分勝手で、都合を押しつけて来る。でもそれが嫌だってことは、決して、決して……無かったはずなんだけど……なあ。
むしろ引っ張って行ってくれる頼もしい性格だ、と思っていたのよね。あたしみたいなのんびりやさんには、丁度いいわって。
ほら、オトコって、みんなそういう我が強いところがあるじゃない。だって両親がケンカしたときだってママはパパの身勝手さを怒っていたし、クリスタだって男友達の自分中心主義を非難してたんですもの。違うのかな?
ああん、考えれば考えるほどわかんないし、頭が痛くなる。どうしてこんなに痛いんだろう。
ズキズキズキズキ、脈打つような痛みが脳を圧迫している。
気持ち悪い。誰か、鎮痛剤をちょうだい。ツラくて、たまらないの……。
耳障りな雑音。ずっと続いてる……。この雑音が、痛みの原因なのかしら? 大きな音ではないけれど、断続的で、神経を逆なでするのよ。
ああ、わかった。この雑音は、誰かの感情なんだわ。
そして、雑音の向こう側にゆらゆらと動く影があって。それが……。
そこから感じられる思念が――、
「……苦しいの……」
「あ、悪ぃ!」
なにを誤解したのか、リックが急いで腕の力を緩めたわ。
♡ ♡ ♡ ♡
そんなこんなのあたしたちの隣から、軽い咳ばらいが聞こえた。
「……あー、そろそろ、邪魔してもいいかい」
こわばった笑顔のクリスタが、腰に手を当て仁王立ちポーズで立っている!
あたしとリックはポップコーンが弾けるみたいに身体を離し、クリスタに向きなおった。ふたりして同時に言い訳を始めようとするのを、苦い顔の彼女が止める。
「いいよ。おまえさんたちのラブラブぶりは、幸か不幸か見慣れている。ずっと当てつけられてンだから、これしきの事じゃヘコたれないさ」
ああ、クリスタって寛大ね。でも今はそうじゃなくて……というあたしの声に、リックの快活な声が重なった。
「あ~、悪いな。テスと再会できたのがうれしくてよ。あはは……おまえの存在、忘れてたわ」
照れ隠しの笑いで誤魔化しているけど、リックは本当にうれしくて仕方ないみたい。つられて笑ってしまう。けど、あたしの笑顔は引き攣っていることだろう。
憮然とした顔つきのクリスタは、その辺のちぐはぐなリアクションを横目でスルーしてくれた。きっと後で責つくだろうけど、今はそうすべきじゃないと思っている。
効率よくものごとを進めたい主義の彼女の性格は、こんなときありがたいって思っちゃう。
「一旦『緑光球』って離れ屋に戻らないか。メリルと合流しよう。積もる話を聞くにもいっしょの方が都合がいいだろう。――っていうより、そろそろ『紅棗楼』も引き上げる頃合だと思うのさ」
「そうだな、そうしよう。おまえだって、その方がいいだろう。テス」
リックはあたしの肩を抱き寄せた。
「テスも疲れているみたいだしな。アパートメントに帰るか」
クリスタがあたしの腕を取り引き戻そうとするのを、リックがそうはさせまいと慌てて肩に回した腕に力を込める。
「待てよ。話の続きはどうなるんだよ!」
「一晩くらい待てるだろう。明日、だ」
再びクリスタが腕を引っ張って、あたしの身体は彼女の方へと傾く。
「冗談だろ! せっかくテスが戻って来たのに、もう連れてっちまう気かよ。少しは気を利かせようって腹積もりは無ぇのかよ、おっかねぇ保護者様は!」
負けじとリックがあたしの両肩をつかみ、自分の方へ引き寄せた。ついでに恨みがましそうな目でクリスタを睨むけど、当の彼女はそんなのまったく痛くも痒くもないって顔している。
「ああ、悪かったね! けど、よく見てごらんよ。おまえさんの大事なテスは、疲れた顔しているじゃないか!」
と言いつつ、さりげなく腕を引く。身体はまたまたクリスタの方へ。
「え……そうか。あー、そういやぁそうだな。なんか知らないけど、いろいろあったんだろ、おまえも。言われてみりゃ、顔色良くはねえな」
労わってくれるみたいだけど、肩に置いたリックの指先にはますます力が込められて、痣になったらどうしてくれるのかしら。離してくれる気、全くナシよね。
「……ふ…あん! 指が喰い込んでるよぉ……」
仕方がないから、肩を揺らして抗議の声を上げた。
「ほら、手をお放しリック・オレイン。おいで、テス」
睨み返しながら、クリスタはあたしの肩に置かれた彼の手を払い落とそうとする。
「いいよ、『緑香球』まで俺が運ぶから」
そう言ってリックがひょいとあたしを横抱きに抱えた。彼の突然のフェミニストぶりに、クリスタの目が丸くなる。
「大人しくしてろよ」
ああ、本日2回目の「お姫様抱っこ」だー!! うれしいけど、密着度がアップして、感応度数も濃密になって、ああん……。どーしよ~。
顔が熱くなるのが、自分でもわかるわ。横でクリスタもニヤニヤしているし。そんな中リックだけが、
「おい、テス。おまえ顔が赤いけど、熱もあんのかよ」
と、真面目な顔して聞いてくる。
もう! 違うってばーー!!
イラスト:猫の玉三郎様
テスとリック、微妙は気持ちのズレはどうなることでしょう。
そして雑音の正体は!?
2022/4/24 挿し絵を追加しました。
猫の玉三郎様、ありがとうございます。