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12.  ノイズとステップ その②

 扉は音もなく左右に開いた。

 店内に足を踏み入れた途端、くゆる御香(インセンス)の香りに包まれる。


 中華菜店チャイニーズレストラン紅棗楼(ホンザオロウ)』の玄関(エントランス)ホールは、華美と枯淡が程よく混じり合った、ミステリアスな雰囲気が漂う空間だった。遠くから妙なる楽の音も聞こえてくる。上品だがかしこまることなく、美味を求めてやって来る客の期待感を、それとなく煽っているようにも見受けられた。


 磨かれた床と足元のワークブーツの靴底の擦れる音が、やけに耳障りに聞こえてしまう。

 アダムとディーの脳裏には「場違い」と云う単語が浮かんだが、今はそれを容赦なくポルタカル山塊の向こう側まで蹴飛ばしていた。





「いらっしゃいませ」


 白い(おもて)に吊り上った眼。狐に似た、表情の読み取れない顔をした男が、静かに青年たちを迎えた。

 黒いマオカラースーツを着たこの男が『紅棗楼(ホンザオロウ)』の支配人であることは、男の横で笑顔を作った、赤いチャイナドレス姿の若い女の思考をちらりと覗いて確認できていた。


「悪いな。俺ら、客やないんよ」


 ふたりはニヤリと笑って、案内をしようとする男と若い女を制した。


「――太陽系連邦宇宙軍(U.F.S.F.)火星方面司令部第2艦隊司令官デル・トロ准将閣下に至急お取次ぎ願いたい」

「こちらにおいでと、マシャド副司令官殿からお伺いしております」


 途中から、いかにも宇宙軍の軍人らしく姿勢を正し慇懃な言葉づかいで、かれらは狐顔の男に火星基地からやって来た軍部関係者という偽りの身分を名乗った。不自然さなど微塵も感じさせない、折り目正しい態度である。


 マリアの遠隔視によって、ロレンスの食事会の顔ぶれは大体把握している。その中から彼らは予備知識のある司令官の名前を借りることにした。


 正面から堂々潜入――といっても、公安安全局所属の諜報員だという身分を明かすわけにはいかない。ふたりはこの場を切り抜けるためのシナリオを即座に作り上げると、どんな役柄もこなせる役者へと立ち位置をすり替える。

 ただし、主役ではない。器用で自在に立ち回る、名脇役といったところであろう。





 しかし狐顔の男は、張り付いたような笑顔を崩さぬまま、動こうとはしない。もっともらしく副司令官の名前まで出したのだが、そのくらいでは信用できないということらしい。


 それには、ふたりの服装も関係していると思われる。

 軍服でも着ていたのならばそれなりに見えるのだろうが、今日のふたりのファッションのテーマは、『ロックスターのハードな休日』なのだ。


 アダムの両サイドを刈り上げた短髪には赤とオレンジのメッシュカラーのハイライトが入れられ、黒の革製のライダースジャケットに同じ素材のスキニーパンツ、インナーには個性的な絵柄のプリントTシャツというスタイル。

 ディーはゆるく束ねたロングヘアに、アニマル柄のロングコートと派手にダメージを付けたデニムといったスタイルだ。

 この日のテーマに合わせ、シルバーのアクセサリーも普段より多めに着装している。高身長で青年らしい健康的な身体つきのふたりだから、それは見栄えも良く決まっているのだが、決まりすぎてファッション誌から抜け出てきたようだから、どうにも軍人には見え難い。


 支配人の隣で控える若い女性店員の視線は、溢れる好奇心を隠しきれない様子で、せわしなく彼らを観察していた。





<こんなんやったら、軍下士官のコスプレでもして来るんやったなぁ>

<今更遅いわ!>


 このあたりのことも想定内のことなので、軍人らしいかしこまった顔を崩さない。

 その一方で、彼らは『紅棗楼(ホンザオロウ)』前で待機しているマリアにテレパシーで呼び掛けていた。


<聞こえてんか? ちぃと、こいつらの記憶を操作して欲しいんやけど>

<はぁ? あたし、忙しいンだけど! 自分たちでやればいいじゃん>


 呼び出されたマリアは、とんでもなく不機嫌だった。現にこのとき彼女は、公安調査局の能力者が『紅棗楼(ホンザオロウ)』内部を遠隔透視しようとしているのを邪魔していたのである。持ち掛けられた難題に、彼女のトレードマークの眉間のしわとへの字口が、ますますきつくなった。


<そう言わんと!>

<俺らで問題クリア出来んのやったら、お前に頼まんわい。ちょっと、や。このふたりに俺らを軍関係者と信じ込ませてくれたらええ>

<記憶操作は、お手のもんやろが。感応能力者(テレパス)のマリア様!>


 涼しい顔の裏では、猛烈なやり取りが繰り広げられていたのだった。





 もちろんこれらの交信は、実際には瞬きほどの時間も要してはいない。

 支配人の態度が硬化したと見るや、アダムとディーは上着の襟元を少し持ちあげていた。そして上着の内側に縫い付けられていたボタンを、チラリと見せたのである。


<マリア、たのむで!>


 ヒステリックな声を上げつつ、絶妙のタイミングで、感応能力者(テレパス)マリアが狐顔の男の脳内の情報を操作する。

 これによりなんの変哲もない小さなボタンという視覚情報は、男の眼球を通り光と電気信号に変換され、大脳の後頭葉にある視覚中枢に達する頃には、別のものにすり替わっていた。


 視神経の経路である視覚路で運ばれた信号は、脳によって正しく認識される。裏を返せば、脳が認識した信号を正しいものと思い込む。

 たとえ視覚路を流れた信号と認識した情報が違っていても、脳が認めた情報こそが正解なのだ。

 情報という信号が眼球から脳に伝わるまでの、一秒の何分の一という絶妙なタイミングで、マリアは相手の脳をペテンにかけた。感応能力の応用だ。

 なにも知らない支配人の目には、ボタンが太陽系連邦宇宙軍(U.F.S.F.)紋章(エンブレム)を施したバッジに映っていることだろう。





 狐顔の支配人は、片眉を少し動かした。


「確認をいたしますので、少しお待ちを――」


 デル・トロに問い合わせるつもりであろう。男は奥へ続く格子飾りの門の方へと身体を向けた。これを見ていたアダムとディーが、そっと口元を緩めた時だった。


 男が、突然振り返る。


「本当の目的をおっしゃっていただかねば、ここをお通しすることは出来ませんよ」


 支配人は格子門の前に立ち塞がり、ふたりの侵入者に対峙したのであった。





<どういうことや!?>

<騙されんかったんか!?>


 ふたりは動いた。

 ショックなど受けていられない。

 事態を受け止めるや否や、次の手段に出ていた。


 ひとりはポケットから取り出したトランプの(カード)を空中に撒き散らし、念動力で操作をしながらエントランスを駆け抜ける。


<たまにおんねん。こんなめんどくさい人物()が>

<せやから、どうしてババ引くんかなぁ、自分>

<自分がくじ運ないからやろが!>


 もうひとりは狐目の男の背後に回り込んでいた。



 (カード)が空気を切る音に、若い女は悲鳴を上げ、身を(すく)めた。

 庇おうと動いた支配人の一瞬の隙を突き、動きを封じようと腕を伸ばしたアダムだったが、反対に素早く身をひるがえした相手の鋭い蹴りが脇腹を(かす)める。


「――ひっ、えぇっ!」


 際どく避けたアダムだったが、伸ばした手は回すように払われ、身体を前方に引っ張られた。バランスを崩されたアダムの身体は前のめりになる。


 体勢を立て直すべく、彼は重心を移動させようとしたが、空いた脇に支配人の肘が入った。強い痛みが走る。自分の腕が死角になり、相手の攻撃が確認しづらい。

 アダムは身体を引き、間合いを取る。次の一手を避けつつ、狐目の男の腕を蹴りあげようとした。

 ――が、彼の身体は突き飛ばされていた。


 瞬時のことで、なにがどうしてそうなったのか、咄嗟には理解しきれなかった。どうやら支配人は、体術の使い手らしい。

 念動力(サイコキネシス)の使用は感じられなかったから、非能力者(ノーマル)でなんらかの武道の心得のある者だと感知する。

 気を引き締め直し、身体を起こすと、静かにこちらを見る黒衣の支配人に向き直った。


 そのアダムの目が見開かれる。支配人の手には拳銃が握られていたのだ。


「何者ですか」


 淡々とした声で、支配人はアダムに問い掛けてきた。そして銃口は、冷ややかに彼を狙っていた。





「そこまでや!」


 ディーが、紅いチャイナドレスの若い女を拘束していた。白い首元に、トランプの札を突きつけている。


「これ、ただの(カード)やないんよ。おもろい仕掛けがしてあってな。四隅は鋭利な刃物みたいによう斬れんねん。このお嬢さん傷つけとうなかったら、その物騒なもンも下げてくれへんか」


 ディーの視線は、支配人の右手に握られた、超小型の拳銃に注がれていた。


 拳銃の種類には見覚えがある。連邦宇宙軍の将校たちが護身用に好んで持つ型だ。超小型で携帯用とはいえ、威力はそれなりにある。

 引き金を引けば、アダムの頭に小さな風穴が空くのは間違いないだろう。


 どこに隠し持っていたのか、おそらく非常事態に備えてだろうが、強固な警備システムといい、支配人の武器携帯といい、益々ただの菜店(レストラン)とは思い難い。


<そやから提督や宇宙軍のお歴々たちが贔屓にすんのやろ>

<なんちうことや。大概にして欲しいわ!>


 ふたりの鼻息は荒くなった。





 ディーに取り押さえられた若い女は、突然のことに驚きどうしていいのかわからず、ガタガタと震えていた。引き攣った短い悲鳴を漏らし続け、ややもすれば失神してしまいそうになっている。


「困りましたね。彼女は、関係ありません。彼女を――()()を離していただけませんか」


 クリスタと別れたのち支配人に呼び止められ、とある注意を受けていたところで、思いもかけない災難に遭ってしまったニナ・レーゼンバーグである。


「それは、あんたの心がけ次第や」

「俺らを黙って通してくれればええねん」


 支配人は眉根を寄せた。しかし、銃口はアダムに向けられたまま動かない。


「おれらも、こないなことしとおないんよ。せやから――」


 不意に、ディーが黙り込む。表情が強張り、ごくりと喉を鳴らした。


「形勢逆転ね」


 ベルベット・ボイスが、ディーの後方から聞こえた。


「その娘を離して」


 ディーの後頭部に、ぴたりと銃口が突き付けられていた。いつの間に忍び寄ったのか、エミユ・ランバーがそこにいた。


キャラの現在地確認 追記


ニナ  『紅棗楼』エントランスホールにて、拘束中。


それにしても、絶体絶命になってしまいました。アダム&ディー、どう切り抜けるのでしょうか?

そして謎の支配人と、エミユは?


次回も、お楽しみに。


2017/9/10 加筆しました。


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テスとクリスタ ~あたしの秘密とアナタの事情
― 新着の感想 ―
[一言] おお!意外! 無敵のコンビに、こんなことあるんですね! それにしてもファッショナブルなお二人(*´艸`*)
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