11. 胡椒を掛け過ぎてはいけない その⑨
(エミユさん、エミユさんはどこ……)
焦ってはダメだと自分に言い聞かせつつ、周囲を探る。少しずつ意識を遠くに飛ばし、捜索範囲を広げていこう。訓練で教えられたとおり、ゆっくりと確実に。
(……ァ……テェ…ェ……、ト…ォォォ…………)
ああん、出来てしまえば、こんなに簡単なことなのね。超常能力を使うことって!
(…………ウォォ……ォォォ…………)
怖いもの知らずの子供みたいに、あたしはどんどん未知の世界に踏み出していた。背中に透明な羽が生えたみたい。はばたくたびに、身体が自由になるわ。縦横無尽に、どこへでも行ける気がする。気持ちがスキップしているのがわかるでしょ。
ふと、遠方に赤い点が視えた。
(小さな、炎!?)
気を引かれ、意識を向けると、視点は対象物にグッと近寄る。カメラのズームアップと同じね。視たいものを明確に指し示せば、能力は迷うことも惑わされることも無い。あとは力加減を微調整すれば、迅速に目標地点まで導いてくれる。
あとは慣れ、ね。だんだんコツがつかめて来たわ。
それから、気になった赤い点。それは髪の毛だとわかった。
赤い短い髪。小さな頭に、逆立ったように生えている。真っ直ぐに突き刺す強い光を放つ灰青色は、マリアの瞳の色だわ。
近くにマリアが来ている。マリアが、あたしを視ている。
(――あ、そういうことなんだ!)
あたしのなかで、あることに合点がいった。
そう、ずっと視線を感じていたのよ。エミユさんに横抱きされて移動していた時、頭の中が白くスパークする前にも――。
(冷静な監視する視線と、敵意を持ったゾッとするような視線)
あの時はただただ怖くて冷静さを失ってしまったけど、あの感覚は正しかったんだわ。あたしは、視られていたのよ。
(――透視能力!――)
今なら理解できるわ。
監視する視線の主は、マリア・エルチェシカだったのね。彼女がお得意の透視能力で、あたしの居場所を探っていたんだ。レチェル4から抜け出したあたしを追い掛けてきたみたいだけど、相変わらず敵愾心剥き出しというか、あたしに対していい感情持っていない。
ほら、彼女のまわりにもわもわ広がる、黒い霧。ものすごーくイライラしている彼女の心の内まで、なんとなく透けて視えちゃうわ。
慣れて来ると、次第に彼女の周囲も視えてくる。ぼんやりと曖昧な色彩の塊だったものの輪郭が鮮明になって、状況がわかってきた。
TVニュースやワイドショーの映像で、プライバシー保護の為にぼかしたりモザイク処理を施したりするでしょ。それが解除されたとでもいえば、わかりやすいかしら。
現在、彼女は『紅棗楼』前にいる。そこにいるのは、彼女だけじゃない。一緒にアダムとディーもいるのね。
なんて、心強い事実なんだろう。やっぱりよく知った顔を見ると、大きな安堵感が生まれるものね。脳内ヴィジョンに移った彼らの顔は、とても頼もしく見えるんですもの。
でも、さっきから3人で言い争っているようだけど、大丈夫かしら?
あの3人だから、大丈夫よ……ね。
少し離れたところに知らない男たちがいて、この男たちも能力者で諜報員だという情報が、いきなり頭の中に飛び込んできた。同時に、あの氷の彫刻のようなベレゾフスキーの顔が浮かぶ。
え、それはこの諜報員たちが、あのいけすかない男の部下だってことなのかな?
いろいろな情報がいっぺんに頭の中に浮かんできて、それを整理して理解することに追われてしまう。
そうだわ、エミユさんはどこだろう?
脳内ヴィジョンに流れる情報をかき分けてエミユさんの姿を探し求めると、彼女が別邸と呼んでいた建物から、急いでこちらに向かっているのが確認できた。まっすぐこちらにやって来る。
少し焦っている表情。エミユさんが焦るって、なにがあったの? やっぱり、その原因を造ったのは、あたしかしら。冷や汗が出てきた。そんなところに、
<テス、私の声が聞こえる?>
エミユさんの声が飛び込んでくる。と、言うかテレパシーだよね、これ。
<そうよ。だんだん能力の使い方が、上手になってきたわね>
うれしい、褒められちゃった!
<いい子だから、そこで待っていてちょうだい。動いてはダメよ>
引率の先生に注意される小学生みたいだけど、エミユさんのベルベットボイスだとそれも魅力的で、顔がデレッとしちゃう。
<はい。あ、でも、どうしてですか?>
<問題が、ややこしくならないように――よ>
優しく諭されているようだけど、言われていることは厳しい。あれ? あたし、テレパシーで会話しているの!? うそっ、今まで、こんなこと出来なかったのに!!
<あの、エミユさん。あたし、いろいろ聞きたいことがあって……>
<あとでね>
いきなりテレパシーが途絶えた。どうやら交信を続けていると不具合があるみたいで、彼女の方から中断したみたい……。
――なんてことがわかっちゃうなんて、これも能力の使い方が格段に上手になったからなのかしら? どうしちゃったの、この急成長は。うれしい気持ちと怖い気持ちで、顔が強張っちゃっているよう。
♧ ♧ ♧ ♧
マリアの喉元に、酸っぱい液体が上がってきた。胃が暴力的運動を始める。額に浮き出てきた冷や汗をぬぐいながら、彼女は尋ねる。
「それって、暗に後方援護をしろと言ってンのよね。フン! フン、フン! で。どうやって……侵入するつもり。忘れているようだけど、相手は警戒してンのよ」
マリアのへの字口は、口角の下がり方が急こう配になっている。
「そりゃ、正面から堂々行くんよ。見てみ。紅い宮橙が揺れて、こっち来いやて誘ってるやん」
と言って、ディーが『紅棗楼』の入り口を指さす。確かに宮橙は揺れているが、自分たちを歓迎してくれているとはマリアには思えない。
「おいでやす、言うて迎えてくれるとええな」
これまたアダムがとんでもないことを言い出す。
「俺ら、客やないからな。そこんとこは、あっちの出方次第や」
眼鏡のブリッジを押し上げながら、ディーが答える。
「無理に決まってンでしょ! お待ちしていました、はありえないからね!」
「そやろか。別の意味で歓迎されるかもしれへんで」
にやりと意地の悪い顔をして、アダムが笑う。目尻を釣り上げ青年たちを睨み付けるが、効果は無い。マリアは昇ってくる胃液を急いで飲み下すと、鳥肌の立った腕を強くこすった。
♡ ♡ ♡ ♡
あたしは表情筋と悪戦苦闘しつつも、遠隔透視は続けていた。筋肉の緊張をほぐす事と情報処理がいっぺんに出来るほど器用じゃないのは百も承知だけど、止められないの。
だって、さっきから頭の中にどんどん溢れる情報を、止める方法がわからないんだもの!
便利よ、この能力。
通常の視力では、こんなに広範囲をあちこち見ることは出来ない。
身体は移動せずに遠隔地の光景を見て回るなんて、衛星もしくはドローンを飛ばして搭載カメラの映像を見るって手もあるけど、「千里眼」は手段無くして、離れた場所の光景を探ることが出来ちゃうんですもの。
透視能力者は重宝されるってプポー博士が言っていたの、よくわかるわぁ。能力者がその気になれば、あっちこっち、覗き見して回れるってことじゃない。
でも、吸収した情報を、どう処理すればいいのか、そのやり方を教えてもらっていないの!
透視能力って、情報を脳内にヴィジョン化して再現するもの。ところが次々と頭の中に流れ込んでくる景色は、ものすごいスピードで目の前を通り過ぎてしまう。何倍速の早送りで再生されるヴィジョンは、形が崩れ、色は帯状に流れていく。
透視する場合、自分がなにを視たいのか、目的をはっきり決めておかなければならない。中途半端に能力を行使すると、必要以外の情報も拾い上げることになり、頭の中は雑多な情報で溢れ返り目標物を見失う。
だから透視能力を使用するときは気を引き締めなさいと、プポー博士が教えてくれたっけ。ああん、博士のおっしゃったことは、間違いありません。
対処の仕方も知らないのに、深く考えずに能力を解放したあたしがおばかさんでした!
マリアを見つけた時のように、「あの赤い点はなにか?」とかきちんと目標物を定めてから発揮すればよかったのに、調子に乗ってあちこち探ろうなんて軽い気持ちで手綱を緩めたら、能力は得手勝手に活動を始めてこの有様よ。
利点ばかりを追い求めて、パワー制御することを忘れてしまったの。そうしたら能力の感度が急激に良好になり過ぎて、そこここにある、ありとあらゆるものごとが、情報としていっせいに頭の中に流れ込んでくる。
洪水よ、情報の洪水。
本来なら自分で情報を選別し、調整しなければならないのだけど、そんな器用なこと、今のあたしには到底無理な話よ。しかも星間ハイウェイバス(特急)並みの速度で目の前を通り過ぎて行く情報の映像は、輪郭線が歪んでしまい個体を見分けることが出来ないの。色の判別が出来るくらい。
そこから読み取れとか言われたって、どこをどうしていいんだか、能力初心者にはハードルが高いと思わない?
みたくないんなら、視なければいいと思っているでしょ。でもあたしが活用しているのは肉眼ではなく、意識レベルの感覚だから、視たくないと目を瞑ってもヴィジョンはみせつけられるのよ!
冗談みたいなスピードでスクロールされていく映像。ああん、気持ち悪い。悪酔いしてる。頭が破裂しそう!
ああん、もう、なにがなんだかわからないよう。
せっかく透視して周りの様子を調べたくたって、これじゃ何の意味も無いじゃない。情報が多すぎて、自分がなにを視ているのか理解できないんだもん。
透視って、こんなに目まぐるしいものなのぉ~。
(ト・キ・ハ・ナ・テ……)
あたしは痛む頭を抱えていた。
強力な超常能力に振り回されるテス。
『紅棗楼』に集結する能力者たち。
そして、ついに・・・・・・!
第11章も次回で終了。
急展開の次話です。