11. 胡椒を掛け過ぎてはいけない その⑧
強い光が弾けると、すべてが白く融けてしまった。
「――テス!!――」
誰かがあたしを呼ぶ。
そう、わかっている! 能力の不必要な使用はしてはいけないの。
♡ ♡ ♡ ♡
(まぁぁ、テスちゃん。そんなことしたら、A級能力者の認定試験にパス出来ないわ。制御、よ。自分で能力を制御しなきゃ、ダメよ)
はい、そうします。そうしたいの。小さな青虫さん。
(平常心だよ、テス。平常心。落ち着こう、大きく息を吸って……吐いて……)
心配そうな顔をした見上げちゃうくらい大きな海ガメもどきが、身振り手振りであたしに教える。
大丈夫よ。そのくらいあたしだって出来るもの。
出来るはずよ、出来る……はず……。
ああ、ウサギが駆け出す。待って。あなたに教えてもらいたいことがあるの。
チョッキのポケットから、こぼれ落ちた小さな月。
ころころ、ころころ、転がって。
(これって、この景色って――どこかで見たことが……)
大きな針があたしを追いかけてくる。あれは、時計の長い針。丸い文字版……鈍く銀色に光る……光る……あれは……――
(ナゼ、繰リ返シコノ夢ヲ見ル?)
浅い呼吸を繰り返しながら、あたしは感じていた。
(……あの感覚……)
身体の奥底から、もそりもそりとなにかが這い上がってくる。
(また……だ!)
嫌悪感と一緒に、あたしの意識を捕えようとするもやもやがやって来る。捕まったら、どうなっちゃうの?
(――すぅ……て……すぅぅ……)
呼ばれている気がするけれど、答える気にはならない。というより、答えちゃいけないわ! どこかで警告が鳴っている。逃げなきゃ!
(嫌だってば! 呼ばないで、あたし、そっちには行きたくないんだからぁ!!)
(――てすぅ……てすぅぅ……)
冷たい感触が、あたしの心臓を掴む。
(ぐちゃ!)
ひゃぁぁぁ~~~ん、意識が落ちていくぅぅ~~。
♧ ♧ ♧ ♧
『紅棗楼』前で出方を探っていたアダムとディーそしてマリアは、同時にびくりと身体を震わせた。近くで能力が使われたのを感じたからだ。それも制御もされないまま、不用意に感情の高ぶりを放出させてしまったという印象だった。
同時にそれが、誰の仕業なのかも察知出来ていた。よく知る感触だったからだ。
「……い…今の衝撃、テス……やな」
「なぁ~んか、やってもうた感漂っとんのやけど、どうしよかぁ」
アダムは顔をしかめ、ディーは空々しい笑い声を漏らした。
「ボケッとしていないでよ! あの娘ったら、なんてことしてくれんのかしら。だから、嫌いよ。危機管理能力の欠けた天然ボケって! ほら、公安安全課のヤツらも感知してる。下手に手を出されちゃ面倒だと思わないの!」
のんびり構えるアダムとディーと異なり、マリアは焦りを隠せない。ふたりに発破を掛けようとするが、
「これは早よ迎えに来て欲しいちう、ラブコールやろな」
「モテる男はつらいなあ」
例によって左右相称に頭を掻きながら、『紅棗楼』の方向を眺めている。
「どうしてハナシがそうなるのよッ!」
甲高いマリアの声は、キィキィと耳障りだった。
♡ ♡ ♡ ♡
脳内に充満していた白い霧は、音も無く引いていく。
――ズキンズキンという鈍い痛みが、意識を刺激して、深い…深い眠りの淵からあたしを強引に引っ張り上げた。あぁん、気持ち悪い。
(あれ、……えっ……と……――)
(ここは、どこ?)
気が付いたら、知らない場所だった。
――たぶん、どこかのお庭。庭園。夜風が涼しい。屋外。
こういったアクシデントも、日に3回もあると、驚きに新鮮味が無くなってくるものなのね。……そうよ、3度目なのよ! 1回目は提督の葡萄畑で目が覚めた。2回目は東洋趣味の素敵なお部屋。
(――で、今度はどこでしょう!?)
あたしは、壁にもたれて座り込んでいた。身体が冗談みたいに重い。じっとりと汗をかいている。せっかくシャワーを浴びたのに――。
肩の力を抜くと、乱れていたチャイナドレスの裾を直し、脚を隠す。
目の前の風景には、全く見覚えが無い。記憶が飛んでいるあいだに、身体は移動したらしい。その理由と手段がわからないから、不安なんだけど。
ここは石造りの、廊下みたいなところだ。こういう造りって、回廊って言うんだっけ。
回廊の片側には白い漆喰の壁があって、あたしはここにもたれているんだけど、目の前にはお庭が広がっている。池や架かる橋のデザイン、置かれた巨石、繁る植物と。かなり手の込んだお庭らしいというのは見て取れるわよ。
池の向こう側に見える反り返る稜線を持つ屋根の建物群は中華風のデザインだから、もしかしたらここは『紅棗楼』かもしれない。
(……ソウダヨ……)
そう思ったとたん、お腹が空いてきた。だって『紅棗楼』っていえば、ロクム・シティじゃ有名な菜店なのよ。美味しいご馳走がある場所なのに、あたし何も口に出来て無いなんて、誰の意地悪なのぉ~。
そうよ、エミユさんが食事を用意してくれる――って。ああん、それより……そのエミユさんはどこに行っちゃったんだろう!? 周りはやけに静かで、人の気配が無い。
(あれ、いや~な予感がしてきた……わ……)
♤ ♤ ♤ ♤
顔色を見れば、互いの考えは推察できる。相棒の能力も、力量も熟知している。行動も判断も早く、抜け目ない。ふたりして幾度の修羅場をかいくぐって来たアダムとディーはそんな関係だ。
重ねて彼らは感応能力の持ち主だ。それを使えば、作戦の立案と遂行を同時進行でおこなうことが出来た。公認A級能力の諜報員たちの中でも、トップクラスの連係動作を誇る。
先刻テスが能力を暴発させた時点で、もう猶予はない――と瞬時に彼らは結論を出していた。いくつかの難点の排除を考察している余裕は無くなったのだ。
多少、強引な手段を使わざるを得なくなった、と脳内作戦会議の課題を方向転換する。
今回の一件、元はといえば暴走したテスを「レチェル4」内で捕まえることに失敗したことが原因なのだが、その元の元を作ったのはマリア・エルチェシカだ。彼女がテスをやっかんで軽はずみに刺激したのが、トラブルの糸口になったのは明白であった。
やはりここはマリアにも責任の一端を請け負ってもらわねばなるまい――ということで、ふたりの青年は納得した。
「なあ、マリア。大昔の東洋の偉~い人の言葉でな、『虎穴に入らずんば虎児を得ず』ちう、ありがたい格言があんねん。知っとるか?」
「危険を侵さなきゃ、大きな成果は得られない。無茶を正当化する時のあんたたちの座右の銘でしょ」
「おお。心得てンやん!」
なにが「心得ている」のだと怒る気さえも湧いて来ない。それでも彼女は黙っていられない。あとで後悔するのがわかっていても、尋ねてしまう損な性分だ。
「入るんよ、『虎穴』に――」
青年たちはにんまりと嗤う。やはり聞かなければよかったと、マリアは思った。
♡ ♡ ♡ ♡
なにがなんだか全くわからないのだけど、「(おそらく)なにか仕出かした」感だけは、ひしひしと感じる。意味不明の疲労感が山積しているんだから、こういう時って能力を制御できずに放出したパターンの可能性大なのよ!
なにやったんだろう、あたし。そうだわ、エミユさんに聞いてみたらわかるわよね……って、その彼女がどこにもいないから、困っているんでしょー。
(アノ女ハ……邪魔ダ……)
血の気が下がる音が聞こえた。もしかして……もしかしてあたし、エミユさんになにかとんでもないことした……かも? ああ~ん、うそでしょ~~!!
落ち着け、あたし。
考えても無駄なのよ、たぶん。だって、記憶が抜け落ちているですもん!
と、とにかく、誰か、そうよ……エミユさんを探そう。
それと、あぁん、このジワジワ頭を締め付ける頭痛って、なんとかならないものかしら。
(――ヲ……、…………シロ……)
(……解キ…ハ…テ……)
あたしが現在思いつく頼れる存在って、この人しかいない。超常能力とか、その他いろいろ込み込みの複雑な事情を、ぜーんぶひっくるめて考察すると。
頼っていいのかちょっと疑問も残るけど、彼女はあたしの事情を一番よく理解していてくれる気がするし、提督から世話を任されてると言っていたでしょ。一応、敵意は無いとも言っていたし。
(ここは、あたしの楽観主義を信じるしか……ない、よね?)
ふぇえん、でも、この頭痛は堪らないわ。ほら、幻聴まで聞こえ始めた。鎮痛剤、貰えないかな。
とにかく、冷静になろう。オーウェンさんもヨーネル先生も、平常心を保って能力を制御しなければならないって教えてくれたじゃない。
目を瞑り、深呼吸をする。一回、二回……と繰り返すうちに、破裂しそうだった心臓も落ち着いてきた。そして、いいことを思いついた。
こう見えても、あたしは能力者なのよ。たとえ訓練中だとはいえ、ヨーネル先生に言わせると、能力だけは優秀らしい。素質はいいってことよね。だから、その優秀な能力を使って、エミユさんを探してみるっていうのはどうかしら?
透視能力を使ってみようかな。遠隔透視とか、いう能力。肉眼では見えない距離にある物体を、超感覚的知覚で感知する能力。確か思念波と透視を同時に行うようにすればいいとか講義されたんだけど、難しいのよ、これ。
訓練の成績は劣悪だから上手くいくかどうかなんてわからないけど、あたしにだって透視能力はあるのだし、自分の能力を有効に使おうってチャレンジ精神は悪いことじゃないわよね。
(……ソウ、悪イコトジャ……ナイワ……)
善は急げ――っていうわよね。
ちょっと怖い気もするけど深く息を吸いこんだら、右手を胸に当て、半分目を伏せて意識を集中すれば、ふわりと身体が軽くなった気がした。
上昇感は、重たい枷が外れ解き放たれたイメージ――!
いきなり視界が、全方向に拡がる。
(きゃあ!)
レチェル4で訓練していた時より、簡単にトランス状態に突入しちゃった! いつもあんなに苦労して、失敗して、プポー博士たちを落胆させていたのが嘘のよう!
(ト…キ…ハ…ナ…テ……)
あたしは、うれしくて、舞い上がっていた。
ようやくテスに話が戻ってきました。
そして大きな伏線が動き出します。
能力を開花させようとしているテスですが、話はそう「美味しい」ばかりではなさそうです。
次回をおたのしみに!