11. 胡椒を掛け過ぎてはいけない その⑦ ☆
食後の酒が程よく思考回路をリラックスに導いてくれた頃、『提督』ことグレアム・J・ロレンスの胸ポケットの中で、マナーモードの携帯通信用端末機が震えた。
さりげなく内ポケットに手を伸ばし、発信者名を確認すると意外な男の名前がある。だが、提督はうれしそうに口元を緩めたのだった。
彼とは旧知の間柄で、今日の食事会のために、なにかと都合をつけてくれた人物でもある。礼を言わねばなるまいと、提督は同席者に断りを入れてから通話ボタンを押した。
軽くはじけるような起動音に続いて、手中の通信端末機の画面に、実際の何十分の一に縮小された相手の男の立体映像が立ち上がってきた。
「――……ああ、楽しませてもらっている。懐かしい顔が、一堂に集まったからね。料理も酒も美味しいし、心おきなく寛いでいるよ……」
提督の声は弾んでいた。顔には赤味が差し、かなり上機嫌のようだ。
このころには末席に座っていたジェラルド・ウィテカーも席を立ち、連邦宇宙軍のお歴々の間を渡り歩いて積極的に会話に加わっていた。
会食のメンバーは、皆、宇宙軍の上級幹部だ。お近づきになっておいて損はないし、軍内部の内輪話や時事論など、面白い話が聞けることを期待していたのだが、期待とは裏腹に、彼らが口にするのは休日の過ごし方やら趣味の話、それに古い友人の近況など実にありふれた、そして平和な話題ばかりだった。
さすがに司令官クラスの人間ともなれば、たとえ気心の知れた仲間内の会合とはいえ、酔って気が緩み、機密事項をうっかり口にしてしまうなどというアクシデントは期待できないらしい。盛り上がるのは、健康管理の話題に贔屓のスポーツチームの勝敗、家庭内の不満とかわいい孫の話と、公園のベンチで有り余る時間を謳歌する老人たちと変わらない。
そういう話は除隊後にしてくれ――と、人当たりの良い笑顔の下で彼は考えていた。
愛想の良い受け答えに疲れてきたころ、ウィテカーは、通信端末機を上着のポケットから取り出す提督を見つけた。
気になる――彼の職業的感覚に、提督のこの行動が妙に引っかかった。会食の最中に着信を受けるというのは、緊急事態か通話相手が重要人物であるかのどちらかだ。そうでなければ、提督ほどの地位にある者が、こんな初歩的なマナー違反はしないだろう。
提督の顔色から察するに、緊急事態ではなさそうだ。やり取りの様子からして、かなり親しそうな相手からの着信のようであるが、そうなると掛けてきた相手が誰なのか――どうしても気になる。
目の前の上官たちの相手をしながら、彼は横目で提督の反応を窺っていた。
ウィテカーの位置から通話相手の姿は確認できないが、漏れ聞こえる会話の切れ端から、相手はレイモンド・ヤンであると推察した。
幾つかの顔と風評を持つこの人物に、個人的にも役職的にも興味があるウィテカーは、目の前の上官の話に頷きながら、耳だけは提督の会話の内容を聞き漏らすまいとした。
それなのに酒が入って上機嫌の上官は饒舌で、普段より大声で身振り手振りも大きく、これまたほろ酔いの同僚とかわいい孫の自慢話合戦に突入していた。
この舌戦が、提督と彼の間を阻む。
子供が苦手なウィテカーにとっては、他人の孫自慢など、どこがかわいいのだと言いたくなるような事柄ばかりだった。それでも些細な情報が後に大事に化けることもあるので、一応聞き耳は立てておく。が、彼の好奇心は満たされないし何の面白味もない内容だ。
それより提督とヤンの会話の方が、どれだけ興味深いか。こぼれそうな溜め息を、急ぎ吞み込む。
とうとう彼は好奇心を抑えきれなくなり、その場の離脱に踏み切った。周囲の注意を引かぬよう、さりげなく、静かに身体を少し後方に移動させたとたん、上官がはっしと彼の腕を掴んだ。
「……そう思わんかね、ウィテカー君」
上官――木星方面司令部ガニメデ基地作戦司令部長官ルメット少将は同意を求めているようだが、ほとんど話を聞き流していたウィテカーには、なにがそうなのかわからない。が、一応調子を合わせて頷いてみる。すると、
「いやいや、そうではないだろう……」
と論争相手の上官――火星方面司令部火星基地所属艦隊司令官デル・トロ准将に反対され、こちらもウィテカーを味方に引き入れようと、がっしりと腕を掴む。
「君の意見を言いたまえ。なに、今日は無礼講だ。正直なところを聞かせてくれ」
そうはいっても、相手は将官だ。中佐であるウィテカーが正直な意見を遠慮なく言えば、上下関係の厳しい職場であるから、後々なんらかの支障が生じる可能性が無きにしも非ずで、ここは態度を曖昧にしておきたいのが本音だ。
加えて正直なところもなにも、話は半分しか聞いていないし、どちらに加勢したほうが今後の自分に有益な関係を築けるか否かと胸算用まで始めると、おいそれと意見など出来るはずも無い。無礼講などクソくらえだ……と顔を引き攣らせたところに、意外な助け舟が現れた。
「ルメット。君の十八番曲は、まだハードリップスの『stay in my heart』かね」
宇宙軍将官ふたりの後ろにいつの間にか立っていたのは、提督ことロレンスであった。
「はっ、提督。ボンズの『君のささやきは俺の溜め息』もイケますが!」
提督の問い掛けに、途端にほろ酔い作戦司令部長官の背筋が伸びる。
いささか話の結論が掴めないが、ハードリップスもボンズも、人気のある大御所ロックバンドの名前だと、ウィテカーは記憶を引っ張り出した。確か2曲とも、『ハードなロックチューン』のはずだが、平素は物静かなルメット長官の十八番曲がハイテンションなナンバーとは。この情報はもしかしたら今日一番の収穫だと彼が目を剥いていると、口ひげをいじりながら提督が話し出した。
「レイがな、この別邸に、カラオケルームを増設したんだそうだ――」
「レイ」とはレイモンド・ヤンの愛称だろう。提督とヤンは、愛称で呼び合うくらい親しい仲だと見える。
ヤンがCEOを務めるチェン財団が軍需産業で急激に業績を伸ばしてきたのは、ロレンス元帥と癒着があったからだという軍内の噂話は、全く根も葉もないことではないらしい。しかし、
「――レイの奴め、また豪勢なカラオケルームを造ったらしいぞ。自慢したくて仕方ないとみえる。
わざわざ電話までかけてきて、そちらも使用していいと言ってきおった。いざとなったらシェルターとしても使用できるとかで、防音は完璧だそうだ。内部でいくらシャウトしても周りから苦情は出ないし、外で爆弾が破裂しようが安全だと鼻高々さ。
第一……周りから苦情もなにも、この邸宅の周囲は隣接する『紅棗楼』以外はモッフルの森で、迷惑するのは鳥や小動物の類であろうがなぁ。それでも内部のばか騒ぎはともかく、冗談でも爆弾の破裂はいただけんだろう……なぁ」
さらに、ヤンのカラオケ設備に対するこだわりを長々聞かされたと息を吐く。提督のぼやきはまだ続く……。
ウィテカーは拍子抜けしていた。通話の内容がこんなことだったとは――! なんのことはない、道楽の自慢話ではないか。
(絶対、なにかあると思ったんだが……)
彼は自分の職業的感覚に自信があったので、大いに当てが外れたことを知り苦い思いをしていた。それでも、なにか腑に落ちない思いを捨てきれない彼は、直観が過信ではないことを信じつつ、もう少し歴戦の老将に食い下がろうと試みる。だが、
「どうだ、ルメット?」
ウィテカーの反撃をものともしない老将は、いたずら小僧のような目つきでかつての部下に視線を移す。
向けられた灰色の瞳が、小さな合図を送って来たのを、ルメット長官は見逃さなかった。
「行きましょう、提督。レイモンド・ヤンの自慢のカラオケルームとやらを、見せてもらおうではありませんか!」
作戦司令部長官は、にやりと笑った。提督はなんらかの理由で、「ウィテカー中佐を、この場から連れ出したい」とみえる。ルメットは、ためらいなく提督の作戦に乗った。
提督の視線が、今度はデル・トロへと移る。
「いいですね。腹ごなしにその自慢のカラオケルームで、もう一騒ぎしますか!」
つかさず艦隊司令官も同意する。口角が上がったところを見ると、こちらも同様だ。宇宙軍のお偉い高官も、ロレンス提督の前では部下に戻ってしまうらしい。
いつの間にか提督の周りに集まっていた他のメンバーも異存無しということで、あっという間に話はまとまり、全員カラオケルームに移動とあいなった。
その時である。微弱な揺れを感じた。ガタガタ……と、テーブルの上の食器が不協和音を奏でる。
「な、なんです。これ!?」
ウィテカーが身体を固くする。軍人らしく、さっと身構え、危険に対処しようと身構える。不測の事態となれば、彼はこの場にいる高官たちの身を守り通さねばならないのだ。
急速に緊張が高まる彼の両肩に、がっしりと提督の手が乗った。予想外のことに、身体がビクリと反応する。硬くなった表情で提督を振り返ると、
「ウィテカー君の十八番曲は、なにかな?」
なにごとも無かった風に、提督はカラオケの話題を振ってきた。ただし、声は今までより低く、高圧的な感じがした。
「あ、はい。得意な曲は……って、それどころじゃありませんよ。今の揺れ、なんです?」
高ぶるウィテカーに対し、提督は好々爺然とした笑顔を崩さなかった。ただし、目は笑っていない。戸惑いを感じ始めたウィテカーだが、身体は提督に肩を掴れたまま身動きが取れずにいた。まるで金縛りにあったようで、微動だに出来ない。
「さあ、カラオケルームはあちらだ」
ぐいと身体が前方に押し出される。老人のものとは思えない力で、彼の身体は倒れそうなくらい前に傾いた。バランスを失いたたらを踏んだところを、今度は両側から宇宙軍将官ふたりにがっしりと拘束され、強引に移動を促されていた。
「はて、揺れたかな?」
「どうでしょうか?」
「揺れましたっけ? ウィテカー君、君、酔っとらんか?」
提督たちは、不思議そうに首をひねる。たまらずウィテカーは他の高官たちに同意を求めたが、誰も彼も首をひねるばかりだ。
「揺れました! 確かに揺れましたよ! とぼけないでください!
確認をとっ……――――」
一団は約1名を覗いて、騒がしくも楽しそうに、レイモンド・ヤン自慢のカラオケルームに移動し、その後2時間ほど部屋から出て来ることはなかった。
♢ ♢ ♢ ♢
さて、『紅棗楼』店内の離れ屋。『緑光球』に残されたリックとメリルにも、変化があった。
頭を冷やしてくると言ってクリスタが出て行ったあと、リックはメリルから質問攻めにあっていた。テスとの馴れ初めだの関係の進展など、しっかりと喋らされてしまっていた。
クリスタのように手加減無しで真っ向から事の次第を問い質されるのも照れ臭いが、メリルのようにいつの間にか彼女のペースに乗せられ、気が付けば打ち明けていたというパターンもくすぐったい。
どうにか話題を変えたいリックは、クリスタのことを持ち出した。
「そう言えば、あいつ、考え事をするときは歩き回る癖があってよ。じっと座って考えるより、身体動かしてたほうが頭が冴えるンだとよ。さっきも納得出来ねぇって表情してたから、回廊をウロウロ歩き回って、あーだこーだ頭を捻っているんじゃね。
だけど遅ぇな。どこまで遠征してンだよって……――あッ!」
不意に大声を出したリックに、メリルは驚き、飛び上がった。
「いかがいたしまして?」
リックが神妙な顔で、口許を抑えている。
「やべぇ……かも。あいつ、方向音痴だっけ!」
驚いた顔のまま、メリルが首をひねった。
「テスから聞いたことが無ぇかい? クリスタのヤツ、とんでもねえ方向音痴だぜ」
「え、そうなんですの? いつも先頭を切って歩いていくような方なのですよ」
メリルは信じがたいという表情だ。
「それが、方向音痴なんだよな。土地勘の無い場所なんか、絶対迷っちまうって自慢するほどだぜ。自分がどっちの方向から歩いて来たかもわからなくなる、そうだ。どうせ冗談だろうと言ってやったんだが、これが本当だった。
故郷にいたころ、あいつらの買い物に付き合わされたことがあってさ。その時もクリスタのヤツ、ちょっと目を離した隙に迷子になっちまった。その上、焦ってあたふた動き回ってくれるもんだから、探すのに一苦労させられたんだぜ、俺」
リックはオーバーに、お手上げといったポーズを取りながらそう言った。
「位置情報取得システムを利用なさればよろしいのに……」
「ムリムリムリ。東西南北だとか前後左右とか、位置関係ってもんが把握出来て無ぇんだから。だから自分の現在位置が確認できないみたいだぜ。それで迷ったと思えば頭ン中はパニック状態になって、制御不能の自動運転装置付きのエアカーみたいに暴走するんだからな。地図なんか見たって、用は成さないさ」
「――そう……なんです……か……」
メリルはぎこちない笑顔を浮かべていた。
あのクリスタが方向音痴とはやにわに信じ難い話だが、間違いは無いだろう。リックが嘘をつけない質なのは、先程の一件で彼女も理解していた。クリスタが太鼓判を押していたではないか。
そのクリスタは、まだ戻らない。頭を冷やしてくると部屋を出て、もうどのくらい経つのだろう。リックの言うとおりならば、迷子になっている確率は高い。
「よろしくない……ですわね」
「な。ヤバいだろ」
今回は、ふたりの意見が一致した。探しに行った方が良いのではと意見がまとまりかけた時――。
カタカタカタ……と、振動を感じた。
「な……なんでしょう……?」
メリルは不安に腰を浮かす。揺れはすぐに収まったが、湧き上がった不安は簡単には消えない。
「とにかく、俺、ちょっと様子見て来る。ついでにクリスタも探してくるから、お嬢様はここにいてくれ」
心細そうな表情のメリルを気遣いながら、リックは『緑香球』を出て行った。
今回は提督とその部下たちのお話――。
そこでこの物語における、『太陽系連邦宇宙軍(U.F.S.F.)』の士官の階級について、ちょっと。
「士官」「下士官」「兵」と分けられますが、
では「士官」とは、上から「大元帥」「元帥」「上級大将」「大将」「少将」「准将」。
「下士官」は、「大佐」「中佐」「少佐」、「大尉」「中尉」「少尉」。
士官学校を卒業、一般大学卒業後に幹部候補生試験に合格、または「准尉」や「曹長」でも優秀者で推薦がある者が「士官」候補生となり、昇進試験の成績や任務の遂行率等で昇進していく……よーな設定にしてあります。
――が、昇進も運と(コネと)実力が無いと出来ないようで、ウィテカー中佐が上官のご機嫌をうかがっていたのは、この辺にも事情があるようです。
メンバーの中では一番下っ端であれこれ奔走させられていたようですが、ウィテカーも「中佐」ですから、実はかなりのエリート士官なんですけどね。
ロレンスの元部下たち(食事会のメンバー)は、現在の階級はほぼ「士官」クラスの設定。
提督と下手な芝居を打っていたルメットやデル・トロは将官ですから、かなり高位の士官です。
ではロレンスは……。
本文中「元帥」とありましたから、ルメットやデル・トロよりさらに上位、退役した時は軍部の最高位くらいに在籍していたかもしれません。以前(7話)あのアダムとディーがロレンスのことを宇宙海賊を撃退した「ガニメデ宙域の英雄」と称賛していましたから、現役時代はかなり華々しい功績を上げ、地位に見合った実力の持ち主で、軍部では「顔の効く人物」であったことは確かではないでしょうか。
ちなみに「提督」と云うのは、地位ではなく「艦隊の総司令官」の総称、将官の敬称です。だからデル・トロ准将も「提督」なんですが、彼らにとってはロレンスこそが「提督」であって、今も尊敬し信頼しているのでしょうね。
あまり詳しく解説してしまうとネタバレになってしまいますので、この辺で。
でも、こんな事細かく設定しているより、主人公の進退をなんとかせねば!
確かこれ、「ラブコメ」だったよね。
どこいっちゃたの、ラブ要素!?
2017/6/18 加筆しました。
2022/2/15 挿し絵を追加しました。