11. 胡椒を掛け過ぎてはいけない その⑤ ☆
ロクム・シティ郊外、中華菜店『紅棗楼』前では三つ巴の睨み合いの中、マリアの頭上では緊張感のない会話が続いている。
「本人はホンワカ能天気なんやけどなぁ」
と、耳の後ろを掻きながらアダム。
「なんで、ああ、トラブルに巻き込まれんのやろ。」
と、眼鏡のブリッジを押し上げながらディー。
「それも能力のウチなんやろか」
間延びした声でユニゾンしながら頷き合うふたり。
「それ、あんたたちが言う?」
思わず突っ込みを入れてしまうマリアであった。
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決行の日、テスの周囲はにわかに慌ただしくなってしまった。
恋人とトラブルが発生したらしく、朝から友人を巻き込んで大騒ぎを起こしている。そのさなか、能力を抑えきれず、非能力者の前でカップを砕くなどの失態を犯していた。バイト中も、脳波、精神状態ともに安定とは程遠い有り様だった。
数日前には微弱にしか感じられなかった潜在能力の波動も、時間を追うごとに強くなり、テスの暴走し始めた能力に、観察していたアダムとディーも言葉を失ったほどだ。驚くと同時に、ふたりの脳裏には危惧の念が走る。
「ヤバい、な。これ」
「激ヤバや……」
彼らは緊急事態を想定し、レチェル4に待機するスタッフに注意を促す。事態の急展開に対処する補助と救援体制を再確認させ、万が一に備え、カフェ・ファーブルトン付近一帯に何人かのスタッフや機材を追加投入するよう、作戦指揮官でもあるジェレミー・オーウェンに上告した。
場所は市街地――しかもロクム・シティ中心部の目抜き通りであるから、周囲の市民や観光客には気取られぬよう注意を配る。「狩り」は、秘密裏に行われなければならない。そして、なによりもテス本人に悟られぬようにしなければならない。
中央からの緊急通信で呼び出されていたオーウェンが、ようやくモニター前にスタンバイし、いよいよ「狩り」が始まろうとしていた。各自諜報員たちが配置につき、客を装ったアダムとディーが『カフェ・ファーブルトン』に潜入しようとした時――。
対象者テスに異変が起きた。
彼女はある客との会話のなかで、突然意識が陶酔して夢遊状態に陥ってしまった。急速に深く泥酔し、幻覚作用を引き起こしている。
アダムとディーにも、彼女の幻覚の内容はわからずとも、非常に危険な状態に陥っていることはすぐに察せられた。悪夢は、彼女の精神を侵食していく。だが、観察中の対象者には救いの手を差し伸べることが出来ず、ふたりはもどかしさを募らせながら見守るしかない。
テスはなんとか自力で悪夢から戻ってくることが出来たようだが、その後も彼女の精神状態は混乱し、修正は叶わないようだった。
彼女の混乱は、周囲に潜む超常能力者たちの能力にまで悪影響を及ぼしていた。諜報員が全員能力者という訳ではないが、派遣されていた数名の能力者――この中にアダムとディーも含まれるが――は不快感を感じている。
これを受け、モニターの向こう側で静観していたレチェル4の研究室にまで波紋は広がっていった。後方に控え、データを採取していた研究班チームの動きがにわかに騒がしくなる。
だが、状況は留まってはいない。数分後、危うい様子のまま彼女は店を飛び出し、客を追いかけ始めた。2ブロック先の交差点で、どうにか客に追いつき、声を掛ける。
そこに降って湧いたように起きた交通事故だった――。
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作戦執行にあたり、アダムとディーそれにオーウェンやヨーネル医師らレチェル4のスタッフは、その日は朝からテスの行動を見張っていた。当然周囲にも監視の目はあったのだが、加害車両はどこからともなくいきなり現れ、排除する間も無く、交差点内へと滑り込んできたのである。
そして、車両は勢いのまま、横断中の老人を跳ね上げた。
老人に接触した車輌は、スピードを落とすこと無く走り去る。ここまでわずか数秒の出来事で、テスを尾行していたアダムとディーにも、付近にいた諜報員にも止めることはできなかった。
巻き込まれたテスの外傷は幸いかすり傷程度だが、精神的ダメージは大きく、ショックで混乱しトランス状態に陥ってしまう。彼女の発する思念派が、いびつに歪み、乱れ、急速に膨張するのが青年たちには感じられた。
ふたりの顔色が変わる。
「おっさん、強硬手段に出るで! 早よ手ェ打たんと、取り返しつかなくなる!」
耳に付けたイヤーカフ型の通信機でオーウェンに緊急を伝えるアダムの声は、切羽詰まっていた。
「いいわ、現場はあんたたちに任せる! 好きにやんなさい! こっちはどう動けばいいの」
ざわつくレチェル4内の作戦司令部の中で、ひとり冷静に切り返したのがオーウェンであった。
能力者のことは、能力者でなければわからない部分がある。オーウェンはその点をよく理解していた。上司として高圧的なところもあるが、部下の裁量にも耳を貸し、必要とあらば状況変化に応じた柔軟な対応を取ることが出来る人物で、それ故なのか現場に派遣され困難な現実と向き合わされる諜報員たちからは信頼が厚い。
「待機中の緊急車両、あれ、回してんか! 多少手荒になるけど堪忍や。このままやったら暴走が始まってまう。どんな手使こてもあの娘を車両に乗せるよって、それでそっちに運ぶ段取りでたのむわ」
ディーが即座に作戦の変更を要求してきた。
「承知したわ。あとの始末は、こっちで付ける。だから、確実にテス・ブロンを連れ帰るのよ!」
オーウェンの野太い声がふたりを叱咤激励する。
アダムとディーの危惧が、現実へと変わっていく。
交通事故を目撃したテスは、ショックで不用意に能力を放出した。彼女の身体は白く輝き出し、小さな光の球が浮かんでは消える。空気が軋む音が聞こえる。
大きなライトブルーの瞳は虚ろに見開かれ、小さな身体から絞り出すような悲鳴を上げ続ける。小刻みに震えると、閃光が走った。
その刹那――――!
炸裂音にも似た不気味な音が付近一帯に響き、すべての交通指令機能が停止する。通りに面した店舗の照明が落ちる。周囲の電気系統をすべてショートさせ、フロランタン大通りの一ブロックを大混乱に貶めてしまった。
アダムとディー及び「レチェル4」のスタッフは、初めてテスの能力をその目で確認し、驚嘆の声を上げる。
そして、迅速に行動を開始した。
待機させていた車両を現場に急行させ、救急救命士に扮したふたりが失神したテスを車内に運び込むと、猛スピードでクナーファ村郊外にあるレチェル4まで走り抜いた。
一方、技術スタッフの努力により、不能となった電気系統は速やかに修復され、混乱が広がる前に街の機能は復旧される。居合わせた人々が不安に駆られ騒ぎ出す前に、「人身事故と偶発的に起こった機械トラブル」として処理されるよう情報操作がされ、事態は徐々に沈静化していった。
こうしてフロランタン大通り第3ブロック交差点の騒ぎは最小限に抑えられ、敏速な捕獲対象者の確保が成功したのだった。
イラスト:トト様
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「――てな具合でな。俺らは、無事テスをレチェル4へご招待でけたんよ」
と自慢げな顔で語るアダムと頷くディーに、早速マリアが噛みつく。
「ご招待ぃぃ………よく言うわね!」
「まぁ、本人の同意は後回しにさせてもろたけど、な。ここは非凡な潜在能力の開発発展に、強制的ご協力を頂いたとでも言っとかんと、俺ら犯罪者みたいやん」
涼しげな顔をして、ディーが言う。最初から同意を取る気も無ければ、強制的に連れて来るのだから間違いなく『誘拐』だろう――とマリアは思っていた。
もちろん潜在能力者の「狩り」など、実質的には「誘拐」と大差はないということくらい、自身も経験者であるマリアはよく知っている。気付けば、研究所の『透明な繭』の中……というパターンだ。
「あんたたち、『モノは言いよう』って言葉、知ってる?」
厚顔もここまでくれば、立派なものだと感心する。
「なんや。自分が聞きたい言うから、話してやったのに」
「ガッツリ自慢話聞かされただけじゃない」
マリアはこめかみを強く押さえた。グリグリと頭蓋骨に穴を開ける勢いで、頭痛を抑えるツボを押す。あと2本腕があったら、吐き気を抑えるツボも同時に抑えることが出来るのにと、本気で口惜しがりながら。
正体不明の未確認能力者による妨害は、彼女を苦しめ続けていた。が、影響を受けているのは彼女だけではない。軽口を叩いているアダムとディーも、公安安全調査局所属の諜報員たちも同様なのだが、感応能力者で目に見えぬものに一番敏感なマリアが最大の被害者だった。
ベレゾフスキーの部下たちの動きも探らねばならないし、なにより目の前のふたりの青年たちに弱みを見せたくない一心で、ずっと歯を食い縛っている。重圧を紛らわそうとした会話も、鎮痛の効果は見込めないばかりか、痛みに拍車がかかっただけの気がする。痛みとくだらない自慢話のダブル作用で、吐き気まで催してきた。
「なんや言うても、優秀なA級諜報員アダム・エルキンとデヴィン・モレッツ有ればこその、今回の収穫やしなあ――」
マリアは本気で嘔吐したくなっていた。
トト様、FAありがとうございました。 (2020/3/3 追加)