2. 混迷の森で会話は迷走する その② ☆
あたしの疑問を置き去りにして、ふたりのケンカ腰の会話は続く。
「クリスタ、おまえがどんな情報網持ってんだか知らねーけど、メイはチアチームのメンバーの娘で、確かに告られたけど、断った。チームメイトの奴らに聞いてくれよ。メイを振ったって、あの後チア部からシカトされたんだぜ、俺。
それから、その、猛攻アタックのオンナとかって話は、俺は知らねーぞ。噂のひとり歩きじゃねぇのか。それよか、プ……プロポーズってなんだ!? テスにしろってことかよ!」
「する気、無いのか?」
「……なっ、なに……ええっ、プ…プロポ……いや、だから……な……無いこたぁ、無いが……。
まだ、早くねぇか、それ。――――っつーより、どっから出てきたんだよ、そのプロポーズって話は!」
「おまえさんだろ」
身長190センチを超えるふたりが、派手なアクションと大声で言い合っているものだから、どうしても周りの視線を集めてしまう。しかも内容が内容で、エキサイティング。
ああ、居たたまれないよう。大柄のふたりに挟まれて、身長155センチのあたしは、なおいっそう身を小さくする。
(せめて、声のボリュームをもう少し絞ってくれると、ありがたいんですけど)
はぁ、頭が痛い。
また頭が重くなった。
中で、何かが脈打っているみたい。
息をするのもしんどいし、首から上が別のモノみたい。
両手でこめかみを抑える。
「2日前って、あんときゃ映画行って食事して、買い物してそれから……ん、なんでそんなことおまえに報告しなけりゃなんねーんだよ! ともかく、プロポーズ云々はこっちは置いといて、変わったことはしてねーぞ」
リックの弁明に対して、相変わらず渋い表情を崩さないクリスタ。そして周りの視線は、ますます熱い。好奇心満々で、ことの成り行きに耳を傾けている。
おそらく今日中には新しい噂が尾ひれと背びれと尻尾を付けて、大学はおろかロクム・シティの端から端まで面白おかしく泳ぎ回っているだろう。
ううん、さっきから3人の携帯通信用端末機のメールもしくは通話機能用着信音が頻繁に鳴っていることからすれば、すでに噂は泳ぎ始めている。
水にインクを落としたように、悪意が広がっていくイメージが視えた。
ズキン…と、頭の中を痛みが刺激する。
ゾロリと、なにかが這い上がってくる。
全身が、総毛立つ。強い震えに襲われる。
(嫌――――!!)
ガタン……という物音で、あたしは硬直から解放された。
セクシーな唇をひしゃげて、クリスタが少し乱暴に、椅子に腰を下ろしたところだった。
「じゃあ、なんでテスが急に別れるなんて言い出したんだ。原因がわからんだろうが」
言い合いは、まだ続いているのね。
「それは、俺が一番知りてぇよ……」
疲れた声でリックが答える。彼も椅子に腰を下ろすと、テーブルに両手をつき、頭を抱え込んだ。短い金髪を掻きむしる。
この会話だけを聞いたヒトは、あたしのこと、とんでもない悪い子だと思うわよね。なにか反論しておいた方がいいかも……なんて考えていたら、
「どーなってんだよ、テス!」
ほら、お鉢が回ってきた。
「浮気……なんて、してない。心変わり…ってのも、違う気がする。そーじゃなくて、ん~、なんなんだろ……」
「ああ、じれったいな。じゃあ、『飽きた』のか!」
歯切れの悪い応答に痺れを切らしたクリスタが、先回りして予測した選択キーワードを提示した。
「――あ、そんな感じ……かなぁ……」
深く考えもせず、追従してしまった。
これも悪い習慣で、クリスタの言うことは正しいと信じているから、答えがわからなくなってしまうと、彼女の意見があたしの意見になってしまう。あれもこれもと悩みだすと、選択することができなくなっちゃって、自分で考えることを途中で止めてしまうのよ。
今だって、そう。完全にこんがらがった現実から逃避してる。
だって頭の中では、さっきからなり続けるモバイルの通信着信音に合わせて、お星さまがスパークしながらラインダンスを踊っているんだもん。
4分の2拍子の速いテンポで、エールを上げながら、右に動いてハイキック、左に動いてハイキック。くるっと回って、バットマン。お尻を突き出して左右に揺らしたかと思えば、ジャンプをしながらフォーメーションを次々と変化させてゆく。
なんなの~、このとんでもない妄想は!
バタバタと動き回るお星さまたちに合わせて、ズキンズキンと脳内を圧迫する痛みも増して……。
とてもじゃないけど、まともに考え事なんてできる状態じゃない。
こんなあたしの内情をリックは全く理解してくれないし、ううん……たとえ理解したとしても、あの解答は絶対受け入れることができないものだったんだろう。
――――と云うことに、真っ赤に染まっていく彼の顔を見て、ようやく考えが至った。
(……あ……たし、やらかしちゃった!)
「なんだよ、それは!! おい、説明しろよ。飽きたってなんなんだよ!」
ひえぇ、どうしよう。リックに火が付いちゃった。
……違う、火を付けちゃった。……どっちでもいい、ヤバいことには変わりない!
急いで腰を浮かすと、クリスタの腕にしがみつく。
「ごめんなさい、リック。ごめんなさい、謝るッ! 違うの、あなたに飽きたとかじゃなくて……その……」
ふたりを納得させる適切な言葉が見つからないの! ――――と言う前に、あたしの左腕をリックががっちりと掴み、力任せに身体を引き寄せようとした。
(イヤ! 怖い!!)
「きゃああ!」
思わず悲鳴が口から漏れ、あたしの身体が大きく傾いた拍子にテーブルにぶつかってしまう。
グヮァ……シャ!
くぐもった破壊音が耳の中で聴こえた。
その少し鈍い音は、なぜだか陶器の割れた音だと感じて、視線はテーブルの上に移動し、キャラメルラテの入ったカップに止まった。
一瞬だけ、視界が白く染まる。
(えっ――――!?)
まるでスローモーション映像みたいに、ゆっくりとカップの表面にひびが走り、ぼろりと砕けた。
あたしは、目を見張った。
寸秒の静止の後、再び状況はゆっくり動き始める。
カップを形成していた欠片たちが、弾けて四方に飛び散っていく。そして容器を失った液体は歪み、いくつもの水玉に変化して破片を追いかけて四散する。
(ラテが……爆発ッ!?)
「テス、危ねー」
動けずに、じっとテーブルの上の摩訶不思議な出来事に見入っていたあたしの身体を、リックがヒョイと持ち上げ、素早くその場から移動した。おかげで飛び散った破片とラテを浴びずに済んだみたい。
気が付けば、冷たい汗をかき、せわしない呼吸を繰り返していた。
(ねぇ、今の、ヘンよ! ふたりとも、気づいて無いの!!)
「……あ……ありがと……」
目の前に、リックの心配そうな青い瞳があった。
「テス、おまえ、ボーっとしすぎだ!」
「……はい……」
あたしの身体を持ち上げているリックのたくましい腕が、きつく締め付けられているように感じる。それに気付いたのか、彼は少しだけ腕の力を緩めてくれたけど、離してはくれなかった。
「悪りぃな。でもよ、この腕離したら、おまえどっか行っちまいそうなんだよな」
「どっかって……、あたし、どこにも行かないよ」
正体のわからない不安に囚われているリックの視線を外せずに、あたしは混乱し始めていた。
不安って、伝染するのかしら。あたしの心にも、もやもやした黒いものが広がっている。
(なんなの? この胸騒ぎって……)
彼の青い瞳の中に、緑色の車が見えた。
一般的なエアカーとかじゃなくて、スポーツタイプって云うのかしら。趣味で郊外のドライブウェイを走らせますってカンジの、スマートでクールな、ちょっと学生には高級品な車。
運転しているのはリックだけど、助手席は、誰?
<…………視エ……タ……ァ……>
ミニのスカートから伸びるきれいな脚。その脚に触れる大きな手。彼の首に巻きつく細い腕。
笑う赤い唇。
重なる……。
――――突然の鈍い衝突音! 車体が不規則にバウンドする。
フロントガラスに黒い影が映りこんで……!
息が、止まった。
(なに、これ? この映像って、なんなの?)
ハッとして我に返ると、あたしとリックは超至近距離で見つめあっている状態だった。しかも、彼に抱っこされたままで!
普段なら身体が熱を持つところだけど、さっきの映像がショックすぎて、手先や足先が冷たく硬直して動けない。唇が、細かく震えている。
リックは、ジッとあたしを見ている。
彼の右手があたしの後頭部に伸び、いい子いい子をするように頭を撫で、そのまま自分の方へと引き寄せる。彼の瞳の奥に熱が灯り、あたしを惹き込もうと誘っている。
(…ちょ…ちょっと、待って! ダメよ! ダメッ!)
自由の利かない手足をバタつかせ、何とか事態の回避にもがいていると、
「取り込み中――まことに済まないんだが、見てくれ、この破片の切り口。切断したみたいに、きれいだ。なのにカップは破裂したって感じで、砕け飛んでいる。
なんなんだ、これは! 解るか、工学部」
クリスタがリックの顔面に破片を突きつける。ちなみにリックは、工学部の学生。面食らったリックは、あたしを解放すると、大げさに溜息を吐いた。
「なんで邪魔すんだよ。俺、そんなにクリスタの恨みを買うようなことしたかぁ~」
「テスに聞いとくれ」
恨めしそうなリックの視線が、あたしに向けられる。
「え、え? だから…、ええ!?」
「テス。おまえさん、リックと別れたいんじゃなかったのかい?」
そうだった。あたしはリックと恋人関係解消して、学業に燃える予定なんだったわ!
(……あれ? あたしは、どうしてそんなこと考えたんだろう。理由……理由は、きっかけは……。やだ、思い出せない! どうして~~)
(やっぱり、カウンセリングが必要だわ。大切なことが思い出せないなんて、記憶喪失……なんてことは、ないわよね。それより若年性痴呆症を疑うべき……え~~、どっちにしても、そんなのイヤよ)
(頭痛が……)
(頭痛の……せいなのかしら!?)
「なんで、別れたいんだよ。なんで、そうなっちまったんだよ。おとといはそんなこと、一言も言ってなかったし、そんなそぶりも無かった。訳がわかんねーよ」
身長196センチもあるリックが、あたしに影を落とすように迫って来る。
それだけで、怖い。クリスタに助けてもらいたいけれど、これだけは自分でちゃんと言わなくちゃいけないことよね。わかっているんだけど、また思考回路が混乱してくる。
なんて言えば、わかってもらえるんだろう。今もリックは大好きだけど、大好きの基準がブレてきたというか、変わっちゃったというか。
『大好きな人だから恋人』なのと、『恋人だから大好きな人』というのは、同じようで同じじゃない……みたいな……。
(頭が割れそう……。痛い、痛い…………)
あたし自身が理解できてないんだから、うまく伝わるかどうかなんてわからないけど、ありったけの勇気と根性を振り絞ってリックに向き合う。
「あのね……あの……飽きたとか、嫌いになったとかじゃなくて、リックは優しいし、カッコいいし、あたし大好きよ。――――なんだけど、そうなんだけど……」
「なんだってんだよ」
顔を覗き込んできたリックと、上目使いに目線を合わせて答える。
「思ったの――リックが『お兄さん』だったらよかったのに……って」
空気がフリーズした。
2022/3/5 挿し絵を追加しました。