11. 胡椒を掛け過ぎてはいけない その③
エミユさんは、足音も立てずに歩く。あたしをお姫様抱っこしたままで――。
ああん、そりゃ、お姫様抱っこっていえば女の子の憧れ。だけど……このシチュエーションって……絶対、ヘンでしょ!
やっぱりお姫様抱っこって、男の子にしてもらいたい――と言うか、そも、女の人にしてもらうものじゃない気がする。
そうよ。おとぎ話のお姫様が王子様にふわりと横抱きされるように、大好きな彼に抱きかかえてもらいたい……と思う……って、それはこっちに置いといて!!
そうだ。余計なこと考えちゃうから、いけないのよ。
これは介護の運搬方法。エミユさんも言ってたでしょ。あたしが目を回しているからだって。急を要する移動なのに、めまいがして歩行困難なあたしを運ぶため。そう、そうなのよ!
被運搬者が運搬者の肩越しに片腕を首の後ろに回して反対側の肩につかまり、運搬者は被運搬者の背後に腕をまわして胴体を支えつつ、膝下に差し入れた腕で足を支え持ち上げる。高校時代に介護の学習課程で教わったけど、これって運搬者の腕力が被運搬者の重量を支えていることになるでしょ。
つまりエミユさんが、あたしを両腕の力で持ち上げているのよね。しかも平然とした顔で、余裕綽々で――ふらつきも無く、実に安定した歩幅で移動しているのよ。男の人だって、なかなかこうはいかないわよね。見るからにスレンダーなボディの、しなやかな細腕のどこにあたしを軽々持ち上げる強力が隠されているんだろう!
告白しちゃうと、そこそこ体重あるのよ、あたし。
ああ、ダイエットしとけばよかった。あとで腕が攣ったとか、腰が痛くなったとかしたら、あたしのせいです。ごめんなさい。許して!
それだけで十分恥ずかしくて視線合わせるのが辛いというのに、安定性を確保するために身体が密着しているから、エミユさんの綺麗なお顔が文字通り目と鼻の先にあるのよ~。
銀髪の額縁に細面の端正な顔立ち。ツンとした冷淡にも見える横顔は、間近で見ても作り物みたいに美しくって。同性でも、惚れ惚れしちゃう。
どんな時も、落ち着いて堂々としているし。トラブルにパニくるなんてこと、無いんだろうなぁ。
視線合わせられないとか言いながら、美しい横顔をちらちらと盗み見てしまう。
でも、不思議な人よね。エミユさんって。
提督だって、エミユさんには一目置いているみたいだし――。あれ、提督とエミユさんの関係って、どうなっているんだろう。知り合いの……なんて言っていたかしら。いろいろなことがありすぎて、頭の中で情報がぐちゃぐちゃよ。整理しなくちゃね。
ああ、あたしって、エミユさんのこと全然知らないんだわ。知らない人なのに、あんまり人見知り症状が出ないのは、なぜ?
ああん、また疑問が増えちゃった。
(――謎多き美女。あ、この言葉、エミユさんにピッタリかも!)
きっと大人の女性って、こういう人のことを言うのよね。自他ともに認める童顔で、いつまでたっても落ち着きのない子供のあたしとしては、うらやましい限りです!
それより――そんなことより、この状況よ!
このお姫様抱っこ……もとい横抱きされちゃってる、この現状。申し訳ないし恥ずかしいし、ああん、どうすれば……って、どうにも出来ないしぃ。
エミユさんの腕の中でもじもじしながら、あたしは悶々と悩んでいた。考え始めると、あれやこれやいろんな疑問や想いが溢れてきちゃうよう。
(そうよ、そう! 急を要するって言っていたけど、どういうことなんだろう?)
(あの部屋にいると、あたしが惹かれるとかなんとか……、惹かれるって、引き付けられるとか吸い寄せられることで、それって……)
なんて考えていると、
「正しくは、魅了されている……かしら?」
急に思っていたことに回答を出されて、あたしは心臓が止まるほどびっくりした。思わず、飛び上がってしまうくらい驚いた。実際エミユさんの腕から落ちそうになった。
ヤダ、考え事しながら、心境をナレーションしていたのかしら。それとも……。
菫色の瞳を細めて、エミユさんが笑う。
「テス、あなた、感情や思考をブロックすることを覚えた方がいいわ。さっきからあなたの考えていることが、ストレートに私の中に流れ込んでいるの。そうよ、包み隠さず、ね。
もう可笑しいというのか、かわいいというべきかしら――。私のこと、そんなふうに思っていてくれたのね。うれしいわ」
余裕の笑みを返され、同時にむやみに動くなと窘められ、あたしはエミユさんの腕の中で縮こまる。きまり悪さに、顔も真っ赤に染まっている。
思考、ダダ漏れだったなんて! ふえ~ん、どうしてアダムやディーは思考漏れ防止対策を教えてくれなかったんだろう!
穴があったら入りたい――って心境だわ!
そんなあたしに、エミユさんは優しく問いかけてきた。
「ずっと、こころの中で花びらの雨が降る光景を再生しているでしょ。テス」
あ、視られているのね。そっか、エミユさんも感応能力保持者だった。じゃ、さっきの覗かれている感触って、エミユさんのものだったのかしら。
「教えてください。あ、あの……、あの花って、なんですか? ピンク色の花の雨を降らせている、あの花の名前をご存知ですか?」
「ああ、あれは――――」
エミユさんが答えかけたところで、あたしはある重大なことに気づいてしまった。
――違う。視線、あれはエミユさんのものじゃない。
それは、そのくらいは、初心者のあたしにだってわかる。あれはもっと……突き放したような、冷静に監視する視線と……嫉妬と恨みに染まった邪悪な色をした冷たい感触が……ひとつふたつ……別の方向から同時にあたしを眺めて……。
――別の、ふたつの視線が……あたしを眺めて…………。
……眺めて――――。
どくり、とあたしの中でなにかが動く。
(ふたつの視線――エミユさんとは別の、ふたつの視線!! それって、どういうこと!!)
あたしは身を固くした。監視されているってこと!? 敵意を持った視線に?
しかも、監視者はふたりいるの!!
とたんに全身に震えが走る。怖い、怖い……怖い!
「――そんなに怖がらなくてもいいわ。あなたを探して、様子を探っているのよ。遠隔透視することは出来ても、攻撃を加えることは、そう簡単には出来ないでしょう」
でも、でも怖い。さっきまで感じていたあたしの奥底から湧いてくる重圧、そして今度はふたつの視線。
(これって、なに?)
締め付けられるような不快感が付きまとう。あたしを縛り付ける。
(どうしよう。どうすれば、いいの?)
そう思ったとたん、廊下の壁にかかっていた絵画や飾ってあった置物などが、いっせいにガタガタと動き出す。
不自然な揺れ方。まるでポルターガイストみたい。
呼吸が浅くなり、息が乱れる。全身が粟立ち、ふるふると震えが止まらない。
「テス、ダメよ。能力を抑えて! この邸宅にいるのは、私たちだけじゃないの。あの人たちにあなたの存在を知られるのは、『レチェル4』も避けたいはずよ」
あああ、レチェル4! あたし、レチェル4に連れ戻されちゃうの!?
あたし、どうすればいいの?
どうすればいいの?
ねえ、誰か答えてよ。
助けて、助けて……クリスタ! クリスタ!!
困るとすぐクリスタに頼るのは、あたしの悪い癖。
でも他に信用して頼れる人なんて、思いつかないんだもの!
(助けて! クリスタ!)
目の前に、火花が散った。