10. マリアの眼 その③
マリアがツンととがった顎を上げた。
「ふふーん。テスと銀髪で黒いスーツを着た女、見つけたわよ。『紅棗楼』じゃない、その裏手の建物にいる」
得意そうに胸を反る彼女の横で、アダムとディーがにんまりと笑顔を作った。
閉鎖された同門の先、おそらく関係者以外立ち入り禁止区域となっているであろう場所へと、強固なセキュリティを潜り抜けマリアの眼は侵入していた。
もちろん――これは彼女の優秀な遠隔透視能力あっての潜入成功だ。
A級能力者で、特に遠隔透視能力には高度な技能を持つマリアにして、この区域への――遠隔視だけとはいえ――侵入には冷や汗をかかされた。
セキュリティの隙間をすり抜けるのに、意外と苦労してしまったからだ。
だからと云って、彼女は憎たらしいあのふたりにそんなことを打ち明けるつもりは無い。
自尊心が許さない。当然のような涼しい顔をして、内部の様子を説明するのだ。
くゆる御香と紅い宮燈が揺れる先には、怪しげな秘密のクラブでもあるのかと彼女は期待していたのだが、意外なことに、そこはきらびやかな派手さは控えながらも、豪華で贅沢な造りの大きな邸宅であった。
人の動く気配とにぎやかな雰囲気は伝わって来るのだが、建物自体は風格と静けさをまとった、どことなく異国情緒を感じさせる造りだ。
醸し出す風情は『紅棗楼』と似ているのだが、どう見ても店舗ではない。空気が違う。別の場所に出てしまった。しかし探す気配はこの先にある。
進むしかないのかと、彼女は少しだけ焦りを覚えた。
もし建築物やインテリアに興味のある人間がマリアと同じ光景を覗いたのならば、目を輝かせたことだろう。建物の内部は、古典的なデザインと合理的な便宜性が融合し、洗練された空間の中にどこか柔らかさを感じさせるデザインである。
配置された家具やインテリア類も、さりげなく置かれているが価値の高い品ばかりだ。
しかしマリアにはその趣味は無い。興味が無いから、ただの物体でしかない。規模の大きな邸宅に行き当たったという事実だけだ。
そして、その一画に探すテスの思念を見つけた。同時に、厄介な光景にも出会ってしまった。
「う~~ん、マズいわよねぇ。あの娘たちのいる部屋から少し離れたところに広~い食堂があって、そこにグレアム・J・ロレンスと彼のかつての部下たちがいるんだけど。
そうよ、楽しそうに豪華な食卓を囲んでいる。どうする?」
尋ねられて驚いたのは、アダムとディーの方だ。総督が内にいることはわかっていたが、彼の他にも厄介な連中が控えていたとは。退役した英雄ロレンスの部下となれば、太陽系宇宙軍のお歴々ということだ。
なんとも頭の痛くなる布陣だ。テスを奪還するには、外の邪魔者たちを出し抜き追撃をかわしつつ、提督と彼の元部下であり現軍部将校たちの眼を掠めなければならない事となった。
「さ……最悪や~」
青年たちは頭を抱え、感応能力者は嫌な予感が当たったことを知った。
♤ ♤ ♤ ♤
良くも悪くもアダムとディーは、前向きでおおまかで楽天的だ。それゆえ根性は鋼のようにタフだった。万策尽きて「もう、あかん」と嘆いていても、実はこっそり頭の片隅で次の一手を考えている。
だからマリアは遠隔透視を続けながら、会食中のメンバーのひとりを選び、思考を読んで情報を引き出す。
ざっと席を見渡し、生真面目そうな人物を探した。目星をつけた男は上級階級の軍人だったが、休暇中で酒が入り、しかも気心の知れた旧友たちとの再会という現状にはなはだリラックスしているようで、精神的攻撃に対し防御が甘い状態になりつつあった。
おかげで感応能力者は比較的容易に脳内を探索できたのである。
「――ああ、わかった。彼らのいる敷地は『紅棗楼』じゃない。隣接して建てられたオーナーの別邸を、特別な客にだけ開放して貸しているんだってさ。超特別VIPルーム、ってとこかしら」
「別邸が、超特別VIPルーム。なんか作為感じんなぁ……」
ディーが怪訝な顔をする。
「だから、超特別……っていうんじゃない。オーナーのごくごく親しい知り合いにしか貸さないらしいわよ。この部屋に通されること自体が、ステイタスみたいなことになってるらしいけど。
これ以上は視れないわね。あんまり深入りしたら気づかれそうなんだけど……思考覗いてンの。
この軍人さんだって、一応その手の防御手段の訓練を受けているんだから。
え、なに。この軍人さんの名前?
宇宙軍火星方面司令部の……えっとボルツァーノ艦隊の旗艦オレガノの艦長で……」
ふんふんと頷きながら聞いていた、アダムとディーの顔が引き攣った。
「ええ! もう、ええで! バレんうちに、速やかに退避や。
激ヤバやんか! 火星方面司令部所属のボルツァーノ艦隊やて! あそこと事を構えるなんてエラいハナシになってみ。目も当てられへんわ!」
「ええー、ここからがオモシロイんじゃない。あぁ、ゾクゾクして来たッ!」
焦るアダムとディーを尻目に、マリアは目を爛々と輝かせ、短い赤い髪を逆立て興奮に身体を震わせている。さらに深く覗きこもうと身を乗り出したところで、
「ええって言うとるやないの! いいかげんにしとき!」
後ろからディーにど突かれる。
「ひょえぇ。ディー、口調がおかんみたいになっとんで!」
「セクハラよ、パワハラよ! 今、力一杯やったでしょ! 手加減ナシでしょ! 頭蓋骨が割れちゃったら、どうする気よ!!」
ふたり同時に口を開き、好き勝手にしゃべりだした。特にマリアの剣幕はすさまじい。その騒ぎは数メートル先のベレゾフスキーの部下たちにも届いていて、ギョッとした顔でこちらを観ている。
「黙れ、あほんだら!」
ディーの気迫の籠ったひと睨みと凄みを効かせた制止の声に、口の減らないアダムとマリアが即時に大人しくなった。
そして、なぜかベレゾフスキーの部下たちの妨害行動も大人しくなったのである。
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「――豪邸って、あーいうのを指すんだぁ。
フンフンフン! 貧乏育ちのあたしにはどこがどう贅沢なのかなんてわかんないけど、レチェル4より居心地は良さそうで、あっちこっち金掛けてそうな家だ――って事くらいはわかるわよ」
マリアが鼻を鳴らす。不機嫌になると鼻を鳴らすのは、彼女の癖だ。
「なんやねん、その表現は。おまえに言わすと、金に飽かせてゼイタクにおっ建てた豪邸も、低予算に泣くビンボーで殺風景な研究室も大差なく聞こえんのな」
呆れたような声で、ディー。
「儲かっとるンやろ、『紅棗楼』は。でもって、オーナーは別邸が持てるほど金持ちなんやな。なおかつ、カリスト海戦の老英雄や現軍部のお偉いさん連中と親しい関係なん。だから警備もバッチシかいな。おねえさんも元軍属で能力者やしなあ。
なぁんか、きな臭ぉなってきおったで。ここのオーナー、誰なんや」
アダムが素直な質問をした。
「そう、それ! ここの警備システム、軍部のとよく似てんのよ」
マリアが飛び上がりそうな勢いでそう言った。
「はぁ~? どういうこっちゃ」
「だから、セキュリティが厳し過ぎんの。
一般レベルの防犯とか災害対策システムじゃなくて、もっと強化された特別仕様のシステムが導入されてんの。
店舗や邸宅のセキュリティレベルじゃないのよ。レベルだけだったら、レチェル4や政府の高等機関の施設や宇宙軍基地なんかと変わんない、そのくらい厳重なの」
「ほえぇ、ここ菜店やろ。なんでそんな厳重警備が必要なん?」
「軍部施設並みのセキュリティプログラムちうたらトップシークレットで、民間の菜店やら個人の住居に使用出来へんもんや。っつーか、そこまで強固なセキュリティ、必要か?」
青年たちは疑いを持って感応能力者を見る。信じがたいといった表情だ。
「だから、おかしいって言ってんじゃん!」
怒りっぽいマリアがへそを曲げそうな様子を見て、急いでふたりの青年は声色を変える。
「ほおぉ。その厳重な警備体制をかいくぐって、ことさら警備の厳重な領域まで素早く潜入するんは、さすがマリアやな」
「よッ、超常特殊能力開発育成部のエース!」
アダムもディーも、さも感心したようにマリアを褒め称える。入念な「おだてて持ち上げる」作戦は継続中のようだ。わざとらしさがプンプン匂うが、褒められればつい鼻を高くしてしまうのがマリアだ。
「当然でしょ」
あっという間に機嫌が直った。
「せやけどVIPの身辺警護にしたって、そこまで必要かいな?」
どうにも納得がいかないアダムが不服そうにそう言った。
同じように頭を捻っていたディーだったが、眼鏡のブリッジを中指で持ち上げながら、
「なあ――。俺らの会話、この小型通信機で聞いとんのやろ、おっさん。答えてぇな」
思い出したように、レチェル4の「逃走中の能力者」保護特別捜査本部を呼び出す。装着しているイヤーカフ型通信機を探りながら。だが帰ってきた答えは、
「――あ……ぇは……、デ……聞こえ……――――」
と云う雑音混じりの意味不明の言葉だけだった。
任務の妨害をしているのは、公安調査局第2課のベレゾフスキーだけではない。理由も正体も不明の、もうひとりの能力者が通信妨害を再開したらしい。
「ああ、面倒臭いこっちゃ。おっさんたちもテレパスやったら、通信機に頼らんでも、会話成立なんやけどなぁ」
「それ、言うなや」
「肝心な時に、これか。使えんおっさんたちや!」
何度目かの音信不通に、捜査本部の一室で、オーウェンとヨーネル医師がやきもきしている姿を3人は容易に想像できた。
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「……っつーことは、やで。ここのみせ、そんだけ身辺警護が必要な人物がおるちうことになるな」
3人のひそひそ声の作戦会議は続行された。外部からの新たな情報提供が見込めないのは多少の痛手だが、よくあることだ。
「なんや、ギモーヴ観光開発がどーのこーの、言っとったなぁ。ヨーネル医師」
「そぉやったな。ギモーヴ観光開発言うたら、どっかの財団グループの子会社やったような記憶が……」
「財団って……。各種企業を傘下に置く企業連携態だよね。太陽系宇宙連邦十五財団とかってヤツでしょ」
マリアが会話に喰いついてくる。
「そうや。その財団の中には、軍部と仲のエエのもあったなあ」
「仲がエエとこ――ちうたら……」
青年たちが目配せを交わす。
とたんに切れ端みたいな中途半端な会話は、マリアを置いてけぼりにして成立してしまった。ふたりとも言葉尻を濁して、口を閉じてしまう。
聞き耳を立てている連中に聞かせたくないということだろうが、
「ちょっと! 教えなさいよ。仲がいいって、どういうこと!」
こういう会話の場合、アダムとディーは以心伝心で通じてしまう。
ふたりとも感応能力保持者だからと云うより、阿吽の呼吸と呼ぶべき感情や思考の一致なのだろう。視線が合った時には、全てがわかりあっているようだ。A級認定証を持っていても、このふたりの間には入れないのだ。
置いてけぼりを喰わされたような気がするマリアは、猛烈に悔しくてたまらない。――といって、このふたりの間に入り込もうという気も無いのだが。
「このハナシは、終いや」
「それより、テスはどうなったんや? 無事か?」
彼らの頭の中には、耳障りな雑音が続いている。もうひとりの能力者の能力は、どんどんレベルアップしているようだ。負荷の掛かり方が一段と重くなった。
しばらく前から頭を締め付ける鈍い痛みも、その能力者の仕業なのだろうか。集中力を殺がれる。
「いるわよ。別邸の別室で眠っている。のん気よねー。こっちが苦労してんのにさ」
掛かる負荷が次第に重圧になるというのに、青年たちは平然としている。マリアは不愉快でたまらないのに、だ。どう思っているのか問い質したいのだが、ここでも自尊心が邪魔をする。
「拘束されとるって訳やないんやな」
「さあ。あなたたちの大好きなおねえさんが、テスにぴったりと張り付いてんだから、拘束されてんのと変わんないんじゃないのぉ」
「さよか。ほんでも、奪い返さなあかんのや。どないしよか」
「どないしよか、なあ」
アダムもディーも、のどかな口調である。
「どうにかしてよ!」
ひとりであれこれ気を揉むのが疲れてきた。マリアは身体を揺すって、怒りを誤魔化す。
「でもあの娘、なに視てんのかしら? あの娘の頭ン中って、パーティーみたいね。
ずっと意識が迷走しちゃって、過去に飛んだり、幻覚みたいなものを視てたり、どこだかわかんない場所に飛ばされちゃったり。覗いたこっちの方が、おかしくなりそ。
ヤバいクスリでも盛られちゃったんじゃない。このままじゃ精神が崩壊しちゃうわよお。
……で、あの娘が視てる――雨みたいに花びら散らしているあれって、なんの花?」
テスが夢の中で視ている景色を共有しながら、マリアはため息をついた。
(こっちも訳わかんない……もうッ!)