10. マリアの眼 その①
ようやく姿を現したマリア・エルチェシカは、恐ろしく怒っていた。
額に青筋を立て、薄い唇をひん曲げて、殺気まで漂っている。全身の血液がマグマと化して、脳天から噴火しそうな勢いだ。
そして小柄で小枝みたいな痩せた身体を思い切りのけぞらせて、目の前で満面の笑みを浮かべる青年たちに怒りをぶちまけようとしていた。
彼女はレチェル4からロクム・シティに移動する間に考え抜いた罵倒のセリフを、このお調子者の諜報員たちに浴びせなければどうにも気が済まなかった。
敬愛するオーウェン部長から世話を押し付けられたテス・ブロンの存在も気に食わなければ、彼女をちやほやする周囲の連中も気に入らない。
そしてテスの逃走劇の発端が自分とのいざこざで、その解決のために無理矢理駆り出されているという事実が一番納得できない。
それらの不平と不満を解消するためにも、どうにかして怒りを解消せなばならなかった。
溜まった怒りのエナジィをどこかに吐き出さなけれが、自身が爆発してしまいそうだ。
その標的に選んだのがアダムとディーなのだが、相手の方が一枚も二枚もうわてだと云う肝心なことは、理解を拒否するマリアなのだった。
だから第一声を吐き出そうと大きく口を開けた途端、それはお調子者の片割れアダム・エルキンによって阻止される事となる。
「まいど! おお、待っとったでぇマリア。なんや、ええ面構えやんか。やる気満々、能力が満ち溢れとるな。
感心、感心! 頼もしい味方の登場や!」
そこにもう一方のお調子者、ディーことデヴィン・モレッツが割り込んでくる。
「おつかれさん。でもな、能力がみなぎっとる言うても、大声はアカン。俺らは、張り込みの最中やからな。相手を挑発すんのは無しや」
いやらしいくらい爽やかな笑みを浮かべ、青年たちはマリアを歓迎する。
それを見た途端、彼女の背中には怖気が走った。
もうすでに今回の任務、ロクなことは無いという予感しかしない。
その証拠に、アダムとディーはのんびり構えているようだが、マリアに口を挿む隙を与えてはくれないのだ。
おかげで彼女は大口を開けたまま、顔の筋肉を強張らせる羽目に陥っている。
「――でな。ちょっとばかし、ややこしいことになっとんねん。なんや、そこら辺の説明はもう聞いとる?
さすがおっさんや、手回しのええこった。そんなら話が早いなぁ」
ようやく口を閉じるタイミングを得たマリアだが、心の中はふたりの青年たちに対する罵詈雑言の量産体制に突入していた。
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レチェル4から逃走したテスを追って、諜報員アダム・エルキンとデヴィン・モレッツは、途中意外な人物の登場に驚きながらロクム・シティまで追跡してきた。
ところが同じくテスを追いかける公安調査庁連邦安全局所属の諜報員たちと鉢合わせし、さらにテスの逃走を補助した元連邦宇宙軍艦隊司令官をエスコートする元軍属の女性能力者の妨害と、三者三様の三つ巴の睨み合い状態に突入して小1時間程経過していた。
テスを保護した「提督」が『紅棗楼』に入店した現在、アダムとディーの能力開発局班と安全調査局班の追跡者たちは、店の前で中の状況を探りながら待機するよりほかなかったのである。
「まぁ、膠着状態言うんやろな」
相手が相手だけに、迂闊に手は出せない。退役したとはいえ、ロレンスは連邦宇宙軍の要職にいた重要人物だ。
しかも同席しているのは、彼の子飼いの現役将校たちらしい。
私的な会合らしいが、なにかあれば公安調査庁内の問題に、軍部が口を出す格好の口実を与える事になってしまいかねない。
ロレンスは事を荒立てる気は無さそうだが、些細な事がどう転がって大問題に発展するとも限らない。誰しもここは穏便に済ませたいという思惑が大きく働いていた。
そのためにアダムとディーはマリアを呼び出したのだが、この3人の組み合わせは、そうそう上手くはいかないらしい。
「テスは気ィ失ったまま、あのレストランに運び込まれとんねん。せやけど、内部の様子がわからへん。乗り込みとうても、こんな状況や。
『紅棗楼』ではおねえさんが手ぐすね引いて待っとるやろうし、ほれ見てみ、この先の藪の中で安全調査局の犬がこっちの出方窺いながら唸っとンのやからな。
迂闊に動くわけにもいかんし、こうなると先に手ェ出したもんの負けや。そんでも、俺らの任務はテスの確保やからな。どうにかせんとあかんのや」
「あかん、な」
と、ふたりの青年は同時にマリアの頭の上にポンとを置き、力を加える。これが手加減無く押さえつけるので、マリアは地面にのめり込みそうな具合になった。
「なにすんのよッ!!」
頭上に置かれた手を払い、マリアが息巻く。
「ちょうどええ高さにあったもんやから、つい手ェ乗せてしもた!」
「ついでにちぃとばかし、力が入っただけや。気にせんとき」
どうして単なる嫌がらせだと言わないのだろう。
テスには甘い顔をするくせに、自分には意地悪ばかりだ。マリアは奥歯をギリギリと鳴らした。
「愛情表現やって!」
「構わんと、それはそれでまた嫌味言われるしな。なんや、もっと強烈なのがええんか?」
「意外に、Mやったんやな。それは悪かったわ。せやったら、ドSのディー先生に対処はお任せせえへんと……」
「あんなあ、俺はドSやない言うとるやん。誤解を招くような発言は止めて欲しいわ」
どこまでも続きそうなくだらない会話に、堪らずマリアが差し込む。
「……ィィイ~、もういい!」
彼女の癇声に仰天したのは、数メートル先の藪に身を隠すベレゾフスキーの部下たちの方だった。
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アダムとディーの言う処の「おねえさん」ことロレンスに付き添っていた女性能力者と、連邦安全調査局の諜報員の気配は、この場に到着した時からマリアは確認していた。
エミユ・ランバーは今のところ鳴りを潜めているが、連邦安全調査局所属の能力者たちはひたすらに警戒感を強めていた。
そこにマリアの癇声である。
甲高い声が引き金となって、彼らの緊張はさらに高まっていった。
常人には見えない風景――がある。
精神感応能力者であるマリアには、彼らの潜む藪の辺りに、不安を現す灰色の靄が拡がる映像が視えていた。
彼女に備わった特殊能力が、それを可能にしている。
空中に現れた不安の色は、しみのようにじわじわと拡がり、次いで浮かぶ興奮や攻撃的な感情を表す赤、不安や焦りを現す黒、緊迫感を現す青などの色が混じり合い、感情のマーブル模様を描いていく。
自分にだけ視える特別な色の饗宴に、マリアはほくそ笑む。
色の種類や数、模様の描き方を観察すれば、相手の脳が生み出す想念が手に取るようにわかる。
人間の脳はそれほど器用ではない。思考や意識を読まれることを防御しても、感情は隙間から洩れてくる。
隠そうとすればするほど鮮明になるのが、面白い。
マリアはその色を視ていた。
短時間のうちに面白いようにマーブル模様は揺れ動き、形を複雑にしていった。
絶えず変化を続ける想念の模様は、形成と崩壊を繰り返し、混色を深めていく。
不安や焦りの色が溜まった箇所は次第に面積を増やし、ゆるゆるととぐろを巻き始めると、渦の中心から雷のような思念波を放出した。
鋭い光線は彼女めがけ飛んでくるが、到達する前に霧散してしまう。
(……ふうん。やるじゃん……)
マリアは、口端を吊り上げた。
じっと観察する精神感応能力者への警告なのだろう。
いつでもおまえを痛めつけることが出来るという脅しのつもりだろう。
だがそれも怒りのボルテージが上昇し続けているマリアの前では、なんの効果もあらわさなかった。
平然と眺め、向かってくるものは、全て消滅させてしまう。
発散する先を求めていた怒りはライバル諜報員に向けられ、常人の目には見えない攻防はやせっぽちの精神感応能力者に軍配が上がっていた。
(ああ、面白く無いったら!!)
それでもマリアの苛立ちは一向に解消されない。
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「でもあいつら、どこまで強行する気あんのよ?」
ベレゾフスキーの部下をやり込めてしまうと、マリアは彼らに対する興味を失ってしまったようだった。
何はともあれこれで少しは優位に立てると思ったアダムとディーだが、今度はマリアがとんでもないことを言い始めた。
「テスを能力開発部で預かることは、公安局上層部で決定していることなんでしょ。
……っていうか、オーウェン部長が、またゴリ押ししたみたいだけどさ。
優秀な人材の確保と、能力の開発研究のためとかなんとか、いつものようにテキトーな理由を捏ね繰り回して。だからこれ以上踏み込んでくるようなら……ほがぁ!!」
マリアの語尾がいささか聞き苦しい音声に変わったのは、アダムに頭を押さえつけられ、ディーに口を塞がれたからである。
「おい、マリア! デカい声出したらアカン、言うたやろ。奴らもプロや、どこで聞き耳立ててんかわからへん!」
「そやで。それに、そんなんで引き下がるようなら、もうおっさんが手ェ打っとるんやないの。
出て来たんが、ベレゾフスキーのいけず野郎やからな。あいつ、ねちっこいねん。これしきのことで尻尾巻くはずあらへんわ!
――それと……あの件は、これや、これ」
声を抑えたふたりが、同時に口元で人差し指を立てる。
相変わらず、見事な同調ぶりだ。
感心はするが、言いたいことを途中で阻止されたのは気に喰わない。身体を揺すって、抵抗する。
「口が軽いで、マリア。ほんま、テスもしょーもないのに見初められたもんやなぁ。これやから可愛い娘は野放しにしたらあかんのやわ。過保護くらいで、丁度ええんとちゃうか」
ジタバタと細い手足を動かし、マリアはやっとの思いで青年たちの拘束を解いた。
「だったらちゃんと面倒見なさいよ、あんたたち!!」
「お~~、こわ。怒られてしもた」
「堪忍やで」
口先だけの反省と謝罪に、マリアの苛立ちは頂点を迎えつつある。
が、それより問題なのは、もうひとつの正体不明の影の存在だった。
ロクム・シティに潜むという未確認の能力者が、どういう理由なのか『紅棗楼』に引き寄せられていて、自分たちの邪魔をするような邪念波を放出していると云うことをどう捉えれば良いのか判断しかねていた。
特に敏感な精神感応能力者としては、鬱陶しくてたまらない。耳元でブンブンと羽音を立てる蚊のごとく、だ。
当然邪念波はアダムとディーにも、ベレゾフスキーの諜報員にも悪影響を与えているはずなのだが、彼らはこの事は口にしない。
あえて視野の外に置いているのか、それとも泳がせて後で利用しようとしているのか。
マリアには、まだ今ひとつ彼らの思惑が読めなかった。
新章に突入しました。
『紅棗楼』の中で美味しいディナー&お茶会が進行しているさなか、お外では諜報員たちの熾烈(!?)な戦いが繰り広げられています。
そろそろストーリーも詰めに入ってきているのですが、キャラたちが上手く動いてくれるか、ちょっと心配な予感も……。
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