9. 名探偵と茉莉花茶 その⑦
「いやさ、そういう能力を駆使したら、もっと簡単に暗示にかけることってできないもんかなぁと思ってね。あるいは、記憶を捻じ曲げちまうとかさ」
過去に能力を使ってこういった悪戯を仕掛けた『能力者』が存在したと、ニュース解説者が語っていたような気がする。
解決の糸口が見つかりかけた気がして、クリスタはあの時のニュースの内容を、記憶の中から引き出そうと必死になっていた。
「ロクムで使用されたのは『念動力』ってやつだろ。『念動力』で、暗示は無理だろうな」
リックが訂正する。
「そういうもんかい。じゃ、他の能力で無いかな。ずいぶん都合がいい話だとは思うけど……」
「無いこと、ありませんわよ。精神感応能力なる能力を持つ方なら、可能かもしれませんわ。
なんでも他人の精神に接触することが出来るのですって。思考を読んだり、記憶を操作したり出来るそうですから、この能力をお持ちならば、テスを誘導することが出来たのではないでしょうか」
素早くネットで検索した情報を、メリルが提供する。
「なるほど。そういう特殊能力があれば、外部から意志決定の操作をすることも可能なんだな。
心理学や脳科学の専門知識を持っていなくても、そいつが『そうなって欲しい』と願えば、現実を捻じ曲げることが出来るのかい?」
「相当優秀な能力の持ち主であれば、いかがなものでしょう。
でもそのようなことが可能ならば、わたしたちのような非能力者からみれば背筋が寒くなる話ですわ」
メリルが眉をひそめる。
超常能力の世間の認識は、『未知のもの』程度だ。深い理解よりも、迷信に近い恐れの感情を抱いている者の方が多い。
政府機関が理解を求めるキャンペーンを展開しても、容易に浸透してくれない。正しい理解を求めても、誤った情報が氾濫してしまう始末だ。
「やめてくれよ。『念動力』が使えて『精神感応能力者』なのかよ、そいつ。化けもんじゃねーか」
リックの反応は、狭量によるものでは無い。知識と認識が乏しいから恐怖が先立ち、正確な判断が出来ないだけだ。
「まあ、『精神感応能力者』は、貴重な存在だそうでしてよ」
と、興味を示すメリルの方が少数派なのである。
「自分の考えてること、読まれるんだぜ。それで記憶まで操作されるんじゃ、たまんねぇだろ。
俺は、願い下げだね。おっかなくて、おちおち寝てもいられねぇ。……ょっと、待て。
――だとしたら、だぞ。その『能力者』ってヤツは、俺やテスの身近にいる……ってことになるのかよ。
……って言うか、マジで『能力者』が関係してんのかよ!」
なんとなくリックにも犯人像が読めてきた。
急に、沈黙が降りた。
3人とも、次の言葉を考え込んでいた。『能力者』の存在という新しい問題になんと答えてよいのか、もしそうだとしたらどう対処すればいいのか、解決の糸口が見つからないまま迂闊に声を発することが出来ずにいた。
重たい空気の中で、いち早く思案に見切りをつけたのはメリルだった。
不確定な要素をこれ以上の追及しても仕方がないと思えたからだ。
途端に手持無沙汰になった彼女は、味も香りも薄くなってしまった茉莉花茶の茶葉を取り換えることにする。
熱湯を注ぎ、茶器が温まったら一旦湯を捨てる。
適量の茶葉を入れ、香りを立てるため、熱い湯を注ぐ。
ふわりと茶葉が開けばすがすがしい香りが立ち上り、やんわりと周囲を満たしていく。
この時間が楽しい。クリスタもリックもお手前に感心しながら、小さく鼻を動かし、香りを堪能していた。
慣れた手つきで蓋椀からオレンジ色の液体を茶杯に注ぎ切ったとき、突然リックが大声を上げた。
「ニナ、だ。さっき、すれ違ったの!!」
「はあぁぁぁ~!?」
目の前のふたりの女子は、素っ頓狂な声を出し、目を瞬く。
「おまえら、覚えてねぇか。
入り口から、ウェイティングルームに案内される途中で、チャイナドレス着た店員とすれ違っただろ。
どっかで見た顔だと、思ってたんだ。ヘアスタイルと化粧の仕方が違うから、雰囲気変わっていてちょっとわかんなかったぜ。
でも、ありゃあ、ニナ・レーゼンバーグだ」
口から唾を飛ばさんばかりの勢いで、リックがまくしたてた。クリスタとメリルが対応に苦慮していたが、ここは怯んではいられない。
鼻息も荒く、力説する。
「ま……あ、まぁあ! 覚えていまして? クリスタ」
「いや、覚えてないよ。あたしゃ、展示してあった美術品に気を取られていたから、顔まで確認しちゃいない。一応、店員とすれ違ったのは、なんとなく覚えているけどさ……」
言われてみれば、店員はそんな服装だった。
廊下は薄暗く、足早に去った女性店員にはたいした注意を払っていなかったから、服装はかろうじて覚えていても、首から上には靄がかかっていた。
「リック。おまえさん、よく顔を確認していたな!」
さっきまで冷たかった女子たちの視線に、驚きと感心の色が混じる。
「さすがですこと! ファインプレーでしてよ」
とお嬢様にまで持ち上げられると、多少なりとも汚名を挽回出来たようで、リックは内心嬉しくなった。
店員の顔を見たのは偶然で、注意を払っていた訳ではないが、クリスタたちが都合よく誤解してくれているので、事実は心の内に封印しておこうと考える。
あのとき――彼は骨董や絵画など美術品には全く興味が無かったが、大胆なスリットの入った艶やかなチャイナドレスには大いに気を引かれていた。
奥から歩いてくる店員の足元からドレス、スリットから覗く太腿、くびれた腰つきから豊かな胸元へと順次に視線を上げ、そのついでに顔を眺めたのである。
目が合うと、女性店員はニコリと笑った。
その笑顔に、なんとなく見覚えがあったのだが、誰なのかまでは思いつかなかった。茉莉花茶の香りを聞いて、閃いたのである。
「ニナのやつ、ここでもバイトしてんのかよ」
学生のWワークは、珍しいことではない。
メリルのように裕福な家庭の子女ばかりでは無し、社会勉強も兼ねてアルバイトする学生がほとんどだ。
詳しい理由はともかく、ニナは『カフェ・ファーブルトン』と『紅棗楼』のバイトを掛け持ちでこなしているらしい。
「ああ、またハナシが反れた。ニナかあ……。なんでタイミングよく、ニナが『紅棗楼』にいるんだよ。捕まえて、ハナシを聞いてみようか」
気の早いクリスタが、椅子から腰を浮かしかけた時である。
「……どうしましょう。ああ、クリスタ、リック。聞いてくださいな。例のUSNSSの内容が更新されていますの。それが、大変ですわ。おかしなことになっていますのよ」
立ち上げたまま、しばらく操作がお留守になっていたPCで、新しい情報を検索していたメリルが困った顔でそう言った。
「誰が情報提供なさったのか、私たちが『紅棗楼』にいることがバレつつありますの。
まだ店の名前は上がっていませんけど、『モッフルの森の外れにある、予約の取れない人気の隠れ家的中華レストラン』と云えば、大抵の人は『紅棗楼』の事だとわかりますでしょ。
書き込みが無責任にエスカレートして悪質な内容になってきましたから、サイトの管理者に削除の申し立てをいたしました。早急にこれらの文章は削除されると思いますけど、名誉棄損とかプライバシーの侵害とかで訴えます?」
「訴えてやりたいけど、そのスレッド建てたヤツ、特定できるかい?」
「IPアドレスを開示していただければ、プロバイダに情報提供を請求できますけど、それには法的措置が要りますわ」
「面倒臭いねぇ。その前に、あたしたちの情報を漏えいしたやつをとっちめてやりたいよ!」
そこでリックが待ったを掛けた。
「それ、だいたい特定出来んじゃねぇか。俺たちがここにいることを知っているヤツは、俺達3人以外は店の従業員だけだろ。あと、ウェイティングルームで会ったメリルの叔父様か。
まず、叔父様は除外できるな。上司の相手で忙しそうだったし、こんなことする理由が無ぇだろ。チャラそうだったが良識はありそうだから、そんなガキ染みたことはしないと思う。
それから店の従業員っていっても、顔を合わせたのは数人だ。でもよ、高級店の店員が客のプライバシーをべらべらしゃべるかよ?
ま、常識からすりゃ、普通しねぇだろうな。
でもよ、中には在るかもしれねぇぜ。そーいうゴシップ好きで、あれこれ垂れ流したがるヤツが」
リックの口端が吊り上がる。
「なるほどねぇ。冴えてるよ、リック。
そうやって排除していくと、ひとり容疑濃厚なのがいるじゃないか。あたしたちが『紅棗楼』に来店したことを知っていて、顔見知りで、USNSSにハマっている女が……」
クリスタがにんまりと笑う。
「しかも彼女はお喋り大好き、ですことよ!」
メリルも口元を綻ばせる。
「ニナ・レーゼンバーグ!!」
3人の声が揃った。
「テスとクリスタ」へのご訪問、ありがとうございます。
お茶会もそろそろお開きとなり、次回より新章へ突入します。
あのデレツン漫才コンビが再々登場となりますので、お楽しみに!