9. 名探偵と茉莉花茶 その⑥ ☆
「ええ、テスの頭の中を操作した手段がわからないとおっしゃっていましたでしょ。でも、心理学の心得のある人間ならできるかもしれませんわ」
メリルの言葉に、リックは目を剥いた。
「テスに、『別れろ~、別れろ~』って吹き込んだって言うのかよ」
「そうですわ。本人にその意思が無くても、外部からの意思決定の操作が働き、そのように導かれたとしたらどうでしょうか?」
問い返されたリックは頭の中が白くなった。
「テスは、暗示にかかりやすい性質だと思いましてよ。喜怒哀楽がはっきりしていて、単純。素直。想像力が豊かで、思い込みが激しい。そして依存意識が高い。全部当てはまりますでしょ。
こういう方は被暗示性が高いと申しまして、暗示をかけやすいんですの。
おそらく本人も気付かないうちに犯人から暗示を掛けられて、リックと別れるように仕向けられたのではないでしょうか」
「なるほど……。それなら、ハナシは通るなぁ」
医学生メリルの意見にクリスタは納得したが、リックには受け入れがたい話だった。
「対象者を催眠状態にし、意識を占領することによって、暗示のままに動かすことが出来るそうです。
心理学や脳科学、それから身体の構造を利用した『技術』を駆使すれば、不可能ではないですわ。当然、知識と経験が必要ですわね。
暗示によって幻覚を見ることもあるようですけど、催眠状態にして無防備になった潜在意識に『リックとのお別れ』を刷り込んだとしたら、どうでしょう!?」
「なんだか……ゾッとするハナシになって来たな。でもそんなこと、一朝一夕に出来ることじゃないだろう」
腕を組みながら、クリスタが言った。
「そうとは限りませんわ。施験者の『技術』次第では、比較的短時間で効果が表れるそうですから。もしくは途中だったのかもしれません。もう少し時間をかけて無理なく進める予定でしたが、プロポーズの話を聞いて早合点した犯人が、慌ててことを進めたので暗示が不完全になってしまった――とでも考えてみたらいかがでしょうか。
テスが彼とお別れすることを決めて実行に移すまでは、なんとか持ち込むことに成功したのでしょう。ところがその後は予定外の出来事に見舞われ続けて、一番戸惑っているのは犯人かもしれませんわ。
なんにしても、素人の生兵法は怪我のもとと申しますから」
「じゃあ、その暗示をかけたのは素人ってことか!」
リックが驚いた声を出す。
「当然ですわ。だって、お粗末すぎますもの。おそらく、付け焼刃の知識で行ったのではないでしょうか。だから中途半端な状態になってしまった。
あるいは、上手くかからない要因がテスの方にあったのか」
「信じられねぇ。そんなんで、人の心を操ることなんて出来んのかよ。……っつぅかよ、そんな離れ業、素人には無理なんじゃねえの?」
「普通は無理ですわ。まず倫理的な問題がありますもの。それに、本人が頑固に嫌だと思っていたりすると、催眠でコントロールすることはできないそうです。
暴力や非人道的行為に訴えて『洗脳』してしまうと云う手段に訴えれば、また結果が違ってきますけど、そんな形跡はございませんでしたでしょう」
細めた目で、メリルがリックを眺める。
悪しき行為の形跡が身体に残っていなかったかどうか、リックに証言させたいらしい。
それよりもリックとしては、テスが拒否しなかったから暗示にかかったかもしれないという点に引っ掛かっていた。
そこは頑なに拒んで欲しかった。
暗示などと云う荒唐無稽の行為に、操られてなんか欲しくなかったのだ。
「なあ、メリル。その、心理学と脳科学と『技術』を駆使して人を操る方法――。
しばらく前にTVのニュースショーで観たんだけど……ふたりとも超常能力者って、知っているか?
『能力者』とも呼ばれる、俗に『超能力』と云う特殊能力を持っている人たちの事だそうだが――犯人がそれって可能性は無いだろうか」
ふたりが一斉にクリスタを見た。そして、息を吞む。
「そういえば、最近ロクム・シティで奇妙な悪戯が相次いで起こっていますけど、その犯人は『能力者』ではないかと云う噂がありますわね」
それは2~3か月前から、頻繁に起こるようになっていた。
最初に話題になったのは、大通りに面した一件のショップで、ショーウィンドウのディスプレイが無人となった閉店後に勝手に模様替えされていた――と云う事件だった。
商品の盗難は無く、ディスプレイの変更だけが目的だったようだが、不法侵入という立派な犯罪だ。しかし警察や警備会社が丹念に調べたが、どこにも犯人が侵入した形跡は見つからない。
手をこまねいているうちに、別のショップでやはり閉店後にディスプレイが勝手に変更される、という第二の事件が起きる。
さらに三件目と、次第に手口が大胆になり、ショーウィンドウだけに留まらず、店舗内のディスプレイまで荒らされるようになると、ニュースとして話題になった。
その後も同じような事件が何件か続き、無責任な野次馬たちが面白がり騒ぎ立てると、行為はさらにエスカレートしていくのであった。
犯人は得意気に、おのれの作品の出来栄えを誇示したくなったのだろう。
目抜き通りに並ぶ標識や看板がすり替えられる、公園に設置されていたオブジェが一晩のうちに並べ替えられた――と内容が悪戯の範疇を大きく超え、目に余るものへと移り変わっていく。
カヌレ大学周辺で騒ぎが起こることが多いので、大学生たちの仕業だとみられていたが、標識や看板のすり替えもさりながら、重量のある公園のオブジェを短時間で何体も移動させるのには、たとえ複数犯だとしても重機でも使用しなければ到底無理である。
当然犯行は時間もかかるし目立つはずと、警官や自警団が犯行を阻止しようと巡回を増やしたが無駄に終わった。
これだけ派手に騒ぎ立てられているというのに、いずれの悪戯も情報が乏しく、24時間体制の街頭監視カメラにもセンサーにも、それらしき犯人の姿は残っていない。
そこで過去の事例から『能力者』の存在が、浮かんできたのである。
「まさか……、その悪戯の犯人とこっちの件の犯人が同一人物だとか考えてんのかよ、クリスタ!?」
名探偵の大胆な仮説に、リックが疎ましそうに顔を歪めた。
イラスト:ちはやれいめい様
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人類が宇宙での暮らしを謳歌するようになってすでに2世紀が過ぎようとしている今日、それに伴い宇宙移民の中には、これまでの常識を超越した能力を持つ者たちが生まれ始めていた。
『超常能力保持者』または『能力者』と呼ばれる者たちだ。
念ずることにより磁場や火炎、結界や障壁などを発生させ操る『エネルギー操作能力』、手を振れずに物体移動が出来る『念動力』、人間の精神や思考に作用する『感応能力』、特異な性質を持った肉体『特異体質』、時間や空間を制御する『次空間操作能力』、癒しを与える『生命力操作能力』等々、一昔前までフィクションの世界にしか存在しえなかった能力を自在に操ることが出来るという。
地球と云うゆりかごの中では必要なかった能力が、宇宙と云う過酷な空間で生き延びるために開花したのかもしれない。
元来ヒトの頭脳の80パーセントは未使用と云われてきた。
その未開発部分にそれらの能力が眠っていて、必要に応じて使用されるようになったとしても不思議はない。ヒトは環境に適応して生きていくことを知っている種族だ。
しかし誰もが新しい能力を手に入れられる訳ではない。限られた一部の人間だけ……と云う不公平さが、不安と不満の材料になっていた。その選別は、神の手もしくは偶然に委ねられていて、人の手で操作することは不可能とされている。
手に入れた人間の人生が必ずしも『幸運』とは限らないが、手に入れられなかった人間の嫉妬の対象になるのには充分だったようだ。
嫉妬も度が過ぎれば、偏見や憎悪に変化する。能力者を異端視し、忌み嫌う風潮も確かにある。
それでもこの新しい能力を手にしたがる者も存在するのだった。
しかるに能力の覚醒は、前触れもなくやって来る。
日常生活の中である日突然という能力者もいれば、トラブル等に追い詰められ命の危険から脱出しようとした時という能力者もいる。
報告事例はまだ少ないが、近年は生まれつきという能力者もいる。
要は、『超常能力が使える』と云う事実を、本人がいつどうやって認めるかということでもあった。
次に冷静に『超常能力』に向き合えるか――だ。誰が覚醒するかもわからないのだから、能力をどこまで開花できるかと云うことは、ほとんど予測不能であって、蓋が開いてみなければ対処できない状態なのだ。
自分に『能力』があると知ると、大抵の人間は混乱する。
だが冷静に『能力』を受け入れ、自分の一部であることを理解出来ない人間には、『能力者』でいることは不可能だ。
なによりも最悪な事例なのは、『超常能力保持者』が能力を持っているという自覚が無いまま、無意識に使用した場合である。
理解も加減も無いから、大事故につながってしまう。
悲しいことに、こうした事故はいまだ後を絶たない。
『能力者』の存在が公に認められてかなり時間は経つというのに、現状はいまだこのありさまであった。
事態の収拾と対策は、いつも後手後手に回ることとなる。
問題が一向に改善されない要因の一つは、当事者がたとえ能力に気付いたとしても、隠していることが多いからだ。
これは『能力者』の存在が、一般に正しく理解されていないことに由来する。
一生隠し通す能力者もいれば、ふとしたことから発覚し専門機関に保護される場合もある。
または存在を否定する人々から不当な暴力を受けたり、抹消と称して殺されてしまう不幸な能力者も多数いた。
反対に突然降ってわいた魔法のような能力に酔い痴れ、過信し、身を滅ぼす者もある。
人類が新しく使いこなそうとしている能力には、トラブルが絶えない。それがまた彼らを追い詰める一因になっているのが、非常に残念なことであった。
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今回のロクム・シティの一件に対しても、市民の反応は様々だった。
そして行政は頭を悩ましていた。
大学生の羽目を外した悪戯であることを希望していたが、『能力者』の存在を疑う声が上がり始めると、ロクム・シティだけの問題に留まらなくなってしまった。
対処を迫られた惑星レチェルの首相は、マニュアル通り連邦政府上層部にお伺いを立てることにする。
すると、ただちに『超心理学研究局能力開発部』なる政府機関が内々に調査に入り、『能力者』の存在を確認しているなどということは、もちろんクリスタたち一般市民は与り知らない。
ユルいストーリーと銘打ってあるのに、堅い話が続いています。
もう少し、お付き合いください。
それにしても、主人公テスはどこいっちゃったんだろう?
ちはやれいめい様、FAありがとうございました。(2020/3/3 追加)