2. 混迷の森で会話は迷走する その① ☆
それからの数分間は、大忙しだった。
朝食もそこそこに急いで身支度を整えると、階下で待っていた不機嫌なリックと怒り心頭のクリスタに引き摺られるようにして、早朝から営業しているカフェに引っ張って行かれ、今こうして重~~い空気の中で、息を殺している次第。
あたしたちの住んでいるロクム・シティは、惑星レチェルの中では2番目に人口が多い。
いわゆる学園都市と呼ばれる、カヌレ総合大学を中心に発展した都市で、特に学生たちの住居の多いこの辺りには、こうしたあたしたちが利用しやすくて、なおかつ便利なお店がたくさんある。
なかでも、ここは学生街の西のはずれに位置するモッフルの森の木立ちを利用したオープンカフェで、学生たちの人気が高い。
静かで環境が良く、メニューが豊富で、安価い。それでいて、美味しい。
この街に来たばかりの頃、クリスタと散歩していて偶然このカフェを発見したときは、大喜びしたわよ。
あとから有名店だって知ったんだけど、あたしたちカヌレ大学の学生たちにとって、憩いの場なの。
だから今朝も朝食を取りながら講義の予習をする学生やら、提出レポートの仕上げに頑張っている学生の姿が何人かある。もちろん、のんびりと静かな時間を謳歌する学生だっている。
なのに――――。
その一角で、あたしは生涯経験することなんてないと思っていた「修羅場」なるものを経験していた。
といっても、主に修羅っているのは部外者のクリスタで、当事者1のリックはそっぽ向いているし、元凶のあたしはどうしていいのかわからなくて、黙りこくったままだけど。
朝のまぶしい光も、木陰を渡るさわやかな風も、少し秋を感じる乾いた空気も、目の前で少しずつ泡を消していくキャラメルラテも、なんだか別世界のもののように感じてしまう。
とにかくあたしたちにいる一角だけ、空気が異質なの。
こういう空気って、わかりやすいのかしら。
ある程度席は埋まっているのに、あたしたちの周りだけ、空席が目立つ。みんな寄ってこない。そのくせ、興味本位の視線だけは、ちらちらと送られ続けている。
それともキャスティングがいいのかしら。
人気モデルのクリスタとカヌレ大学バスケ部のスター選手リック、この街の有名人が二人も揃って深刻な顔つき合わせているんじゃ、関心持つなってほうが難しいわよね。
(……はあぁ……)
朝からの頭痛は酷くなる一方だわ。ズキンズキン、音を立てて頭の中を圧迫してる。
ホント言うとこの場から逃げ出したいくらいなんだけど、当事者2としてはそういう訳にもいかなくて、――――つらくて仕方ない。
やっぱり、カウンセリングを受けよう。
これが終わったら、ネットで評判の良いクリニックを探して、即予約を入れることにしよう。
でも重い病気だったら、どうしよう。
ああ、だんだん思考がマイナスに傾いている。
成り行きを悪い方に悪い方に考えちゃうのは、あたしの悪い癖。わかっているけど、治らない。
「で、なんでお前――おい、テス。話聞いてんのか。ボーっとしてんなよ」
リックの頑丈な掌が、あたしの肩を掴んで大きく揺らす。
「……えっ、あ、はい。なに、なに?」
考え事始めちゃうと、周りが見えなくなっちゃうのも悪い癖。
いつもリックに怒られる。リックのイライラが、肩に触れた掌からジンジンと伝わってくる。彼の心は、あたしへの不信感と不満でいっぱいだ。
(どうしよう…………)
気持ちばかり焦って、どうすることもできないあたしに自己嫌悪してしまう。
バイバイするって決めたのに、どこかでまだリックに嫌われたくないって思ってる。ダメだよね、こんなの。
(------別レタインジャ……ナカッタノ……)
そうなんだけど……。
でも、……でも……。
「テスから聞き出したところ、部屋に入りたいって言い出したそうじゃないか。あたしたちの部屋が、親兄弟以外の男子は入室禁止だってのは承知してんだろう。
理由はきちんと説明したし、引越しのときだって、おまえさんの手を借りたのはアパートメントの外までで、それ以上は立ち入らせなかった。そのくらい徹底させたんだ。だからその辺の事情は、よぉ~く理解しているんじゃなかったのかい、リック」
大学には寮もあるけど、モデルの仕事もしているクリスタには不向きだし、彼女の調べ上げた寮生活の実態あれこれを見たら、楽しそうだけど、それ以上に対人関係を築くのが不得手なあたしには気苦労が絶えなさそうだった。
そこで条件に合ったアパートメントを探し出し、ふたりでルームシェアすることにしたの。
せっかく親元を離れたというのに、寮母より厳しい監視人が付いてしまったので、リックは大いに不満そうだったけど。
「ううっ……。だから、それは悪かったって、言っているだろう。謝るって……」
バスケ部のスター選手らしく長身のリックが、身体を小さくして、クリスタに謝っている。
彼――リック・オレインはオレンジがかった短い金髪に愛嬌のある青い瞳、笑顔の似合う善良な好青年という風貌で、成績も悪くないから、大学生になった今も彼と付き合いたいという取り巻きの女の子はたくさんいる。
でも彼はそういった浮ついた気持ちの女の子たちとは、距離を取っていた。「だってよー、おまえがいるじゃん」リックは、あたしにそう言った。
その気持ちは、とっても嬉しかった。……んだけど。最近、なんだかズレがあるような感じがして、それってあたしだけ……なのかなぁ。
「だけどな、クリスタ。俺だって、一応不安になるんだぜ。最近、こいつと話していても、心ここにあらずって表情するんだからさ。今だって、そうだっただろう。
前は俺と一緒にいるだけで楽しいってかわいい表情してたのに、なんでだよって思うだろ?」
「そりゃ、ノロケかい」
クリスタが、鼻にしわを寄せる。
「悪かったな」
なにが悪いのかわかんないけど、ニヤニヤしながらリックが彼女に謝っている。でも本心は、あたしが自分に夢中だって自慢したいだけ。見え透いている。
「まさかとは思うが、おまえさん、テスが浮気でもしていると考えているんじゃないだろうな?」
テーブルに身を乗り出し、声を潜めたクリスタが、リックを問いただす。
「違うか?」
リックは真剣な顔をして、クリスタに聞き返す。
「部屋に入りたいと言い出したのは、浮気の証拠でも隠していると疑ってか?」
人差し指で鼻をこすりながら、彼が答える。
「ん~、まあ、そんなところか……。だって、こいつ、部屋へ行きたいって言ったら、必死で阻止するんだぜ。疑いたくもなるじゃん」
クリスタが顔をしかめた。美人が台無しよ。
「リック・オレインよ。おまえさんはテスと何年付き合っているんだ。浮気! ――こいつが浮気なんて、そんな器用なマネ出来る訳なかろう。テスが浮気するときは本気だ!!」
「……じゃ、マジで浮気してんのかよ!」
興奮したリックが、派手な音を立てて、椅子から立ち上がる。
「それを言うなら『心変わり』だろう!」
負けじとクリスタも、テーブルを叩いて勢いよく立つ。
「言っとくが、テスは潔白だからな。2日前までは、おまえさんに夢中だったんだ。おかしくなったのは、デートから帰った後だ。それより怪しいのは、そっちだろう。テスに何を言ったんだ。
小耳に挟んだ噂によると、最近おまえさんにやたらアプローチしているオンナがいるって話じゃないか。テスの手前黙っていたが、そいつの猛攻アタックに陥落寸前だって噂もあるぞ。
所詮噂話……と聞き流してきたが、テスの浮気を疑う前に、こっちの真偽を明らかにしてもらいたいもんだな。
なんだったら1年3か月前、テスとあたしがまだポルボロン星にいた頃、ほどほど親しくしていたっていうメイとかいうオンナの話を蒸し返してみようかい?」
あら。メイって女性名が出た途端、リックの動きがぴたりと止まった。
1年前っていうと、あたしはまだ高校生で、すでに大学に進学していたリックとは遠距離恋愛中だった。
なかなか会えなくて、さみしくて、いっぱいメールして、返事が来るのを楽しみに待っていた頃だわ。
それで……あのぉ、メイさんって、誰よ?
「リックよ、ひょっとして……テスの愛情を繋ぎ止めるために、プロポーズしたのか?」
「ちょ……、ちょっと、待て。クリスタ、その情報、どっから仕入れた。それと、プロポーズってなんだ?」
リックが明らかに動揺してる。
どうしよ、あたしの頭の中も混乱してきた。話が変な方向に反れてない!?
「待って、クリスタ。違う。あたし、まだプロポーズしてもらってない……」
ブラウスを引っ張って小声で否定するけど、当然彼女の耳には届かない。
それよりその噂って、なに? あたし、全然知らない。
リックがモテるのは知っているけど、そんな女の子の話なんて、聞いたこともないし疑ったこともなかった。
ああん。
もしかして……これって、二股とかいうヤツですか?