9. 名探偵と茉莉花茶 その⑤
目を見開いたクリスタとリックが、顔を見合す。
「3人でおしゃべりをしていた時、ニナが……ニナ・レーゼンバーグが申しましたの。
ああ、ニナがテスを冷かしていましたのよ。リックとの仲はどこまで進展しているのって。
ニナもリックがおモテになることはよぉ~くご存知のようで、心配じゃないかと浮気の噂とか勘ぐって――そうしたらテスが、リックに『俺はお前がいい』と言われたと告白いたしましたの。
それを聞いたニナが『それって、プロポーズじゃない!』って。興奮した顔で念を押していましたの。
ちょうど従業員通用口から顔をのぞかせたアマンダ・カシューも聞いていましたから、確かめていただいてもよろしゅうございましてよ」
今度こそ、リックは椅子から転げ落ちた。そして、女子の会話の恐ろしさに震え上がった。
この調子では、テスはどこまで明け透けに白状させられてしまったのかわからない。
「ふたりだけの秘密」も何もあったものではない。
テスの事だから、幼馴染のクリスタにはもっと包み隠さず相談しているはずだ。
にやりと笑った、恋人の親友の視線が恐ろしい。
「ふっふっふっ。語っているじゃないか。十分、クサいぞ。リック・オレイン」
「うっ、うるせぇ」
一飯の恩義が無かったら、リックはとっくに逃げ出していただろう。
いや、今からでも逃げ出したい。もう腰は動きかけている。
足がその動きに連動する前に、メリルの回想の続きが始まった。
「――そうしましたら、そこからお話の輪に加わったアマンダが『プロポーズされたのね!』と興奮してテスに迫って!
わたしたち外野がはしゃいで話をどんどん盛り上げてしまったので、テスは違うと否定しきれなくなってしまいました……のね。
そうして考えてみますと、あの時のテスの笑顔が硬かったのは、そういう理由だったのでしょうか。ああ、でも、結婚する気が無いのならば、否定するはずでございましょう。
しなかったのですから、このときはまだ『脈アリ』だったのですわ。お式の話とか、ドレスの話とか、うなずいていましたもの!」
結婚する気がどうだとしても、メリルたちの猛攻に孤立無援で防戦一方になったテスなら、なにを言われても仕方なく首を縦に振るしかなかったからだろうとクリスタは想像した。
ただでさえその類の話題は盛り上がる。加えて盛り上げ役がメリルとニナだったら、浮かれた内容は一足飛びにマゼラン星雲まで暴走していったとしても不思議ではない――とも思えた。
「けれども残念なことに会話が最高潮に差し掛かったところで、中断されましたの。まだ勤務中だったアマンダはフロアマネージャーに呼び戻され、ニナは次のバイト先に行かねばなりませんでしのよ。わたしも予定の時間が差し迫って来たのでその場を離れましたから、その後どうなってまったのか不明ですわ。
そんなことがありましたから、わたしはいつの間にか、テスはプロポーズされたと誤解していたのですね」
しみじみと恐ろしいことを言う。
いや、天下の往来でプライベートな内輪話を堂々と公言する女子の井戸端会議とは、恐ろしいというレベルを通り越しているとリックは思っていた。
井戸端会議とは、別名『魔女の集会』と云うのではないかと、真剣に思い始めていた。
愛するテスが、その魔女の仲間ではないことを彼は祈るのみだ。
咽喉がひりつくほど乾いているので茶杯に手を伸ばしたいのだが、そのお茶も魔女のひとりが淹れてくれたものかと思うと出す手が退ける。
彼は口内の唾液をかき集め、無理矢理呑み込む。
目の前では、もうひとりの魔女が、美味しそうに茉莉花茶を啜っていた。
「誤解かぁ。誤解っていうより、メリルはテスが早く結婚した方がいいと考えていたから、プロポーズって言葉を聞いて、都合よく脳内で事実をすり替えていったってカンジだな」
「早計でしたわ。ごめんなさいませ。わたしが至らないばかりに、クリスタにもリックにもご迷惑をおかけしてしまいましたわ。本当になんてお詫びを――――」
「待てよ、メリル。そうじゃないって。
あたしが不思議なのは、有頂天だったテスがどうして急にリックと別れる気になり、猛スピードで決意まで固めたか――なんだ。あたしに相談もせず自分ひとりで結論を出したのは喜ばしいことだが、あまりに突然すぎて腑に落ちないんだよ。
ランチになにを食べるかさえ延々と悩むテスが、だ。こんな人生の一大事に、なんの断りも相談もなく、一晩ですんなり結論を出すなんて有り得ないと思うぞ、あたしは。
結論を出した地点で、テスに別れたい理由は無かったんだ。浮気されたことも、わかっちゃいなかったんだからな。
なのに、なんで別れたくなったんだ!?
ああ、聴いてみたよ。そしたら、その理由が学業に本腰を入れたい――と来た。大好きだけど、恋人よりお兄ちゃんの方がいい。なんだそりゃ。陳腐なこと、この上ない。テスの性格をよぉぉく知っているあたしとしちゃあ、納得できないのさ。
むしろ結婚したいから大学辞めたいって言われた方が、よほど合点がいくってもんさ。
なあ、リック」
いきなり話を振られたリックは、大急ぎで首を縦に振る。
「でも少しだけ、はっきりしてきた。テスがリックとの関係解消を決めたのは、デートの翌日。その原因に、リックとメリルは直接関係していないってことだ」
「そこから先がわかりませんわ」
「いや、そうでもないさ。この騒ぎの犯人の目的は、テスとリックを別れさせること――だと見た。
ふたりが結婚間近だと勘違いした犯人は、テスにリックを振るように誘導した。なにをどう細工したんだかわからんが、テスが自発的にリックと別れるようにミスリードしたんじゃないかと思う」
「……ミ……ミスリード!?」
♢ ♢ ♢ ♢
また訳のわからない単語が出てきたと、メリルとリックは声を上げる。
だが、クリスタはお構いなしに先を続けていた。
「ああ、大好きで大切だけど恋人じゃない。『お兄ちゃん』という存在、ってヤツさ。
手順はわからんが、とにかくそこまでは犯人の誘導は成功した。ただやり方が強引だったんで、テスの方も混乱しちまったンじゃないのかな。
飽きたわけでも嫌いになったわけでもない、きっかけもないのに気持ちだけ急激に変化したなんて、素直に受け入れられるかい。それも昨日の今日で、だよ。
そこであいつはご丁寧にも、その理由を自分で上乗せすることにしたんだろうねぇ」
「なぜそんなややこしいことをするんですの」
「自分が納得するためだろ。
リックやあたしもそうだが、ポルボロン星の住人は、メリルほど裕福で余裕がある訳じゃない。辺鄙なコロニーだからな。惑星自体資源に乏しいし、産業も限られている。大学進学には奨学金制度を利用して、生活費は仕送りとバイトで何とかしてるって友人ばっかりだ。
失礼ながら、ブロン家はそれほど裕福で無い上に兄弟姉妹が多くてね。テスは養女だし、決して安いとは言えない大学の学費を負担してもらうことについては、多少の負い目を感じていた。
キャリアを積んで高給取りになりたいって気持ちは、ウソじゃない。家族を助けたいという想いも、結び付いてんだろうさ。
気持ちの変化と家族への思い。無理矢理探し出しこじつけた理屈で、納得した気分に浸っていた。あいつならあり得ると思わないか、リック。
待てよ。こうなるとテスに別れる理由を問い質したとき、とんちんかんな受け答えしかできなかったのは、これが原因かもしれないぞ。
あれ。じゃあ犯人はテスの性格をよく知っていて、その辺のことも計算していたってことかい? 許せないねぇ。
まあ、犯人としては結果だけオーライなら、テスがなにを考えようが構わないかもしれんが――――」
「ま……待て、待てよ! よくねぇ、ぜッてぇよくねえって! なんだそれ!」
リックの制止を無視して、クリスタは持論を展開する。
「男と女が別れる理由なんて大概『心変わり』だから、テスを悪者にして別れ話さえ進んでくれりゃそれで好し、ってところかぁ。――にしても、強引だな。
そこに偶然おまえさんの浮気の発覚が重なったんで、あたしとメリルが話を複雑にしちまった。犯人にしてみりゃ、なに勝手に取り散らかしてんだい……ってなもんかい」
「ちょっとお待ちになって、クリスタ」
暴走を始める名探偵の推理を整理しようと、メリルが口を出した。
「テスの突然の心変わりは、彼女の意志によるものではなくて、第三者つまり犯人がそう仕向けたものだというのですか!? テスとリックの結婚を阻止するため、犯人はテスの心理操作をした、と。
でもこのおふたりはプロポーズもまだで、どちらも結婚したい気持ちはあったようですが実際問題としてはまだ先のお話に……」
ここでメリルは、はたと気が付いた。そう思っていないかもしれない人間が、存在した。
「でもでも、理由が……。ああ、素直に考えれば、簡単なことですのね。犯人はリック・オレインにひとかたならぬ好意を抱いていたのですわ。
おモテになるのだと聞いていましたのに、すっかり失念していました。ごめんあそばせ。そうですわ。恋した殿方に、すでに想い人がいるのはつらいことですもの。
熱心に秋波を送っても、報われないのは悲しいですわ。それでも恋する想いを誰にも悟られないように深く秘め、じっと彼の姿を追っていたのに愛しい人は他の女に夢中で、そして結婚しようとしてる。ああ、そんなことは許せません。あの女を排除して――――」
お嬢様のメロドラマ的妄想は、止まるところなく膨らんでいく。
「おい、勝手に話を作ってンなよ。なんだ、その三文芝居。だから、ちゃんとわかるように説明しろよ!
犯人って、どういうことだ!」
堪らなくなったリックが、長舌にブレーキを掛けた。
「メリルの言った通りさ。犯人は、横恋慕したんだ。加えて、エヴァと違って、犯人は二股や浮気は許せないタイプらしい。
どんな手段を取ったんだかわからないが、恋のライバルであるテスの頭ん中を操作して、おまえさんへの感情を『最愛の恋人』から『お兄ちゃん』に変えちまった。そしてテスにお粗末な理由と無茶苦茶な理屈をくっつけさせて、さっさと別れさせようとしたんだ」
「ますますわかんねぇことになってんだけど……。なんだ。それ?」
リックは落ち着かないまま、何度も椅子に座りなおす。
「突然恋人への愛情を無くしたテスが、『バイバイ』って言っておまえさんらの関係は終わる予定だった。
犯人は傷心のおまえさんを慰めて、振り向かせる筋書きだったんだろうな。ところがその筋書きは、途中から部外者のエヴァに横取りされた。
おまけにあたしがしゃしゃり出てくる、テスは行方不明になる、肝心のおまえさんがまだテスに未練たっぷりで――と、とんでもない計算違いになっちまった。想定外の出来事だらけで、犯人のヤツ、泡喰ってんだろうなぁ……」
「だから……な。どうして犯人と仮定する人物が、俺に……その……好意を……抱いてるって、その……わかるんだよ」
リックの顔は赤い。モテると言われて悪い気はしない。しかしここでおおっぴらにニヤける訳にもいかなかった。
そんなことをしようものなら、目の前のふたりから、また山のような嫌味を言われるだけだ。
「ふん! そんな面倒臭いことをしようなんて思うのは、おまえさんに特別な感情を抱いている輩だけだと思わんか!」
そうかもしれないが、この言い草は無いだろうと秘かに彼は思った。
どのみち嫌味は甘受しなければならないらしい。
「ねえ、クリスタ。リック。先程のテスの心理を操作する件ですが、もしかしたら、それはマインドコントロールを利用したのではないでしょうか?」
しばらく口を閉ざしていたメリルが、慎重な声でそんなことを言った。
2022/2/11 加筆・改稿しました。
クリスタの想像に『一足飛びにマゼラン星雲まで暴走していったとしても不思議ではない――』とありますが、この時代、まだマゼラン星雲までの星間高速船による一般人の観光路線航路は運航どころか確定していない……という設定です。ですから『マゼラン星雲まで暴走』というのは、クリスタたちの感覚では「とんでもないことになった」という意味合いでしょうか。