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9.  名探偵と茉莉花茶 その① ☆

(ちょいと食べ過ぎた!)


 クリスタは、満幅のお腹をさすっていた。メリルの言うとおり、『紅棗楼(ホンザオロウ)』の点心は美味しかった。

 彼女の「中華料理」についての知識と常識を、根底からひっくり返してくれそうな程、美味であり多彩であったのだ。



 皿が運ばれてくるたびに新しい発見があり、それに感激しつつ、いくらでも料理を口に運ぶことが出来た。円卓の回転テーブルを回しながら料理を取り分けるのも面白くて、オーダーを追加していった。それがまた、きれいに平らげられていく。

 楽しい食事だった。


 だが、少々調子に乗りすぎた。





 まがりなりにもプロのモデルであるから、体重管理には十分気を使っている。

 常に食事は腹八分目で、食べた以上に身体を動かすのが信条のクリスタであるが、元来食べることが好きなので、ついついおいしいものを目の前にするとその信念も揺らいでしまう。


 ありがたいことに食べた分がすぐに体重に反映される体質ではないので、親に感謝しつつ、将来のことを考えてせっせと代謝アップに精を出すことになるのである。



 もうひとつクリスタが食べ過ぎに閉口するのは、頭の回転が鈍ることだ。

 眠気に誘われるし、気も緩む。脳みそが思考を面倒だと判断しないうちに、次の行動に移った方がよさそうだ。


 でなければ、わざわざ高価(たか)いチャージ料金を支払ってまで、個室を確保した意味が無くなってしまう。





 意を決したクリスタが、リックの方をちらりと見た。


「あー、なんだよ」


 視線を感じ、こちらも腹いっぱいの満足げな顔の青年が、面倒臭そうに声を返す。


「いやあ、満腹で幸せそうなところ、誠に申し訳ないんだけどさ。あたしの質問に正直に答えて欲しいんだ」


 途端にリックの表情が曇る。


「……どーせ、あんまりおもしろくない質問なんだろ。クリスタがそう切り出すんだから」


 彼は盛大に息を吐いた。逃げ場のないことを覚悟したようだ。


「察しが良くて、助かるよ。どうにもつじつまが合わなくて、あたしゃこの間から疑問に思っていたんだ」

「まあぁ、なんですの!?」


 メリルは食後のお茶を蓋椀から小ぶりの茶杯に注ぎ分けている最中だったが、友人の言葉に、さっそく目を輝かせた。

 部屋には、ほんのり爽やかなジャスミンの香りが漂っている。

 クリスタの大きな鼻が香りに反応し、ヒクヒクと動いていた。


茉莉花茶(モーリーファチャー)、といいますの。中国のお茶ですわ」


 緑茶(ルーチャー)にジャスミンの香り付けをしたものだという。

 口内にひろがる優しい香りや、ほのかな甘み僅かな渋みを舌の上で転がしながら、クリスタは友人が提供してくれたこの空間に思いを巡らせていた。





  ♢ ♢ ♢ ♢





 人気モデルとはいえ、もともとクリスタは中流家庭の出身だから、高級レストランに頻繁に足を運ぶような贅沢はしたことが無い。


 生粋のお嬢様メリルが言うには『紅棗楼(ホンザオロウ)』は贅沢な店構えや確かな味を提供するにも拘らず、敷居はさほど高く設定していないので利用しやすいのだという。

 もちろん、空腹の大学生がふらっと入れるほどカジュアルな店ではないので、彼女やリックにしてみれば間違いなく「超」が付きそうな高級店である。


(勝手が違うってのか、食事に来たんだか美術品の鑑賞に来たんだか戸惑っちまったよ。

 とにかく……あたしらにお馴染みの飲食店とは大違いだね!)


 一般市民とお嬢様の格差に嫉妬しつつ、クリスタは目の当たりにした中国式庭園の様式美を思い出していた。

 美味しい食事同様、初めて体験した不思議な庭園巡りは、彼女のあたらしもの好きの好奇心を甚く満足させ、江南古来の美意識にすっかり感服していたのだ。



   挿絵(By みてみん)





  ♧ ♧ ♧ ♧





「支度が整いましたので、ご案内申し上げます」 


 狐顔の店員の先導でウェイティングルームを出ると、再び光量を調節された廊下を歩いていたはずが、いつの間にか周りの風景は庭園のそれに代わっていた。

 そのことにクリスタが気付いたのは、窓の向こうに見えるものが、美術品からライトアップされた石造彫刻や植物等に変わったからだった。


 外部廊下に出たらしい。夜風が涼しい。





 白壁に開けられた窓の形は円形や六角形はたまた動物や植物を連想させる形もあり、はめられた格子の隙間から向こう側に広がる風景を覗き見る趣向となっていた。


 まるで庭園を美しく見せるための額縁のようである。

 そう考えるとここもまたギャラリーだ、と彼女は思った。


「お伝えするのを忘れていましたが、『紅棗楼(ホンザオロウ)』の個室はすべて離れ屋の造りになっていましてよ。広い庭園の中に離れ屋が点在して、この回廊がそれらをつないでいますの。

 ですからお部屋に案内されるまでがもうひとつの楽しみで、こちらは目のご馳走とでも言えばよろしいのかしら……。ほら、ご覧になって!」


 先導する店員の代わりに、メリルが説明を付ける。



 起伏の付けられた広い庭園は築山や池が設けられ、その中を竜のように曲廊が巡らされている。

 満月を模した門を通り抜けるたびに庭園の趣は変化した。

 初めて訪れたクリスタやリックはもちろんだが、再来のメリルでさえ賞嘆の声を上げていた。


 いくつかの洞門をくぐり、雅な小世界を鑑賞したのち彼らが通されたのは、入り口に『緑香球(りゅうこうきゅう)』と書かれた札の掲げられた離れ屋だった。


 広すぎない空間と華美になりすぎない装飾に彩られ、6人掛けの円卓が中央に置かれた居心地の良さそうな部屋である。

 花台の淡い紅色の大輪の花が鮮麗な芳香を放っていた。

 外から聴こえる虫の音が、深まる秋を演出している。





 確かにここなら他人の目も耳も、気にする必要は無いだろう。


 誰からともなく笑みを浮かべ頷き合うと、それぞれに椅子に腰を下ろす。


 ほどなく料理が運ばれるや否や、空腹を思い出した3人は感嘆に値する見事な食べっぷりを披露し、今に至るのである。





  ♢ ♢ ♢ ♢





「あぁ、わかった、わかったよ。腹括るから、なんでも訊けってぇの」


 女子ふたりの視線が集中するなか、リックはどっかりとイスに座りなおし、まな板の鯉になることを受け入れた。

 ただし、顔の筋肉は見る見るうちに強張って行ったが。


「そうだな、どこから行こうか……。まず――」


 クリスタはメリルから差し出された二煎目の茶杯を手に取る。

 ようやく本題に入れそうだ。長くなりそうな尋問に備え、咽喉を潤すため一口含んでいれば、


「テスと結婚する気持ちはございますの?」


 いきなり横からメリルが質問を始める。





「こら、メリル! 言葉尻をぶんどるなよ。質問するのは、あたしだよ」

「でも……、わたしだってきちんとした解答をお聞きしたいですわ!」


 珍しくお嬢様が腹を立てているらしい。


「今回の騒動、発端は彼の浮気でございましょう。テスを泣かせるなんて、言語道断ですわ。なぜそんなことをなさったのか、理由をお聞きしなくては!」

「そりゃ、誘惑に負けたんだろ」


 意外にも、ここでリックの気持ちを代弁したのはクリスタだ。

 ただし、そういってギロリとリックへ向けた深緑の大きな瞳は、氷点下の冷たさである。


 リックは震え上がった。





「では、どこから湧いて出て来たんですの、その誘惑とやらは! クリスタは悔しくありませんの?

 テスみたいな素直で可愛い子は、滅多におりませんのよ。それはもう、ギュッと抱きしめて、頭なでなでしたくなるくらい。あなたもそうお思いになったから、プロポーズまでなさったんじゃございませんの。なのに、その舌の根も乾かぬうち浮気なんて、信じられません!! ですからテスは悲嘆に暮れて結婚を諦めあなたとお別れしようと――――」


 メリルの怒涛のマシンガントークは止まらない。


「ちょ…ちょっと待て、ちょっと待てよ。その、プロポーズって――」

「そこだ!!」


 リックが慌てて否定しようと口を挿んだとき、クリスタが大声で会話にストップをかけた。


「そこだよ、そこ。前にモッフルの森のカフェで別れ話をしていた時さ、おまえさん、テスとはいずれ結婚したいと思ってはいるが、まだその気は無いって言ってたよな。

まだプロポーズはしていない、と」


 リックがコクコクと頷く。


「嘘ですわ!」


 悲鳴のような声で、メリルが反論する。


「落ち着けメリル。こいつの肩を持つわけじゃないが、それは本当だと思う。リックは、プロポーズはしていない。

 嘘はつかないと云うか、嘘を付くのが下手くそだからすぐバレる。嘘をつき通したくても、後ろめたくて即座に自爆するタイプなんだな。

 それに――この期に及んで、そんな薄情なことはしないさ。一飯の恩義があるからな。そ~だよなぁ、リック」


 哀れなリックは巨体を小さくして、必死に首を縦に振った。



「では、なぜテスはプロポーズされたと言い出したんですの?」


 メリルは、憤慨納まらぬと云った態である。


「だから、それが違うんだって。なあ、誰がプロポーズなんて言い出したんだ? 

なにせ、こいつは浮気の真っ最中に事故って、それをネタに性質(たち)の悪い記者に脅かされていたくらいだ。プロポーズどころじゃなかろう」

「そういえば、そうでしたね」


 拍子抜けするくらい簡単にメリルが同意した。





 このやり取りを聞いて、円卓の向こう側に腰掛けていたリックは弾かれたように立ち上がった。

 彼は怒鳴りたかった。「なんでその辺の裏事情が筒抜けになってんだよ!」と。


 しかし会話に夢中になっている女子ふたりには、彼の怒りは届かない。

 無視と云うより、彼女らにとってこのことは公然の秘密で、なにを今更――と云うことらしい。


 怒鳴るために開いたリックの大口は、一言も発することを許されず、そのまま閉じるタイミングも失い、みっともなくわなわなと震わせている以外に(すべ)は無かった。





「もうひとつ、あるぞ。こいつがテスにプロポーズしていないのは、おまえさんだって知っているはずだ。

だって、別れ話が出た日の朝、自分でテスにそう聞いただろ。プロポーズ()()()()()って」

「あら、そうでしたかしら」


 今度は、頭を捻った。


「おまえさん、先走りし過ぎだよ。あたしも乗せられた。()()()と言い出したのは、メリルだ。

 おせっかいを焼いているうちに、自分の中で勝手に事実を曲げていないかい。楽観的な判断と希望が先行して、テスに結婚を勧めていただろ。ま、これはあたしも批判できないけどねぇ。


 ともかくわざとじゃないにしても、その辺の事実を混乱させたのはメリルだよ。聞いているうちに、こっちまで同調しちまった」





「でも、いつかはなさる()()()でいらしたのは事実でございましょう。

 そうお考えならば、さっさと実行してしまえばよろしかったのですわ!」


 悪びれることなくピシリと言い放ってから、メリルはふと閃いた。


「あ! 浮気を隠すためにプロポーズをしてテスを喜ばせ、事実をうやむやにしようと画策なさったとか!」

「いいや、リックはそこまで悪人じゃないさ。それが出来るなら、もっとスマートに遊んでる。

 ()()()()カヌレ大バスケ部のレギュラー選手だからな」


 簡単に「これでも」で片づけられてしまったが、カヌレ総合大学のバスケットボール部は、全星間大学生リーグで常に優勝候補に名の揚がる名門クラブなのだ。


 リック・オレインは真面目でルックスだって悪くないのだから、モテない訳は無いのである。





「しかしこいつは事故の隠ぺいと、ボックって云う三流記者の汚い取引のことで、頭がいっぱいだったんだ。

 なんたって、あっさり見え見えのハニートラップに引っ掛かっちまうような、単純なヤツだからな」


 クリスタの解説に、利き手に回されたふたりの目が点になる。


「ハニートラップ~~~~!!」


 低音と高音が上手くミックスされたハモりが、大音響で部屋中に響き渡っていた。 

「テスとクリスタ」へのご来訪、いつもありがとうございます。


今回のあとがきは、本文中にあった「中国式庭園」について。


「中国式」と申しましても、あれだけ広大な国ですので、様式にもいろいろあります。

時代や、支配階級の民族性によっても流行り廃りはありますから、一概には言えません。


今回『紅棗楼』のお庭のモデルにしたのは、本文中にもチラリと出ていましたが、江南風の借景を利用したお庭です。中国でも南の方(長江以南)ですね。

歴史好きの方ですと、三国志の「呉」の国の辺り、と見当がつくのではないでしょうか。

古くから水に恵まれ、土地が豊かで、文化が栄えた土地柄だそうです。


儒教的な思想や哲学、山水画を模した形式など、知識階級や技術者たちの英知や努力の結晶といった大変凝ったお庭なのですが、時々日本人にはちょっと理解が難しい……といった趣向のものもあります。


偉そうに解説していますが、実物は見たことありません。いつか蘇州に行きたいと思いつつ、早や〇年!

BSの紀行番組で観て以来、気になっているんですよ。


あ……、ダメだ~。語り出すと長くなりそう。

本文もチラッと触れるだけでよかったのに、結構書き込んでしまっています。反省。

(一応、仕掛けていますが……)


やっぱり行ってみたいですね、中国。

(結構ハードらしいですが)


もちろん、日本の庭園も好きです!! 英国式も、フランス式も、サラセン式も、興味津々です。

そのうち出てくるかもしれませんね。テスのお庭巡り紀行とか……。

(書くと本当にやりそうだから、この辺にしておきましょう!)



そんなこんなで、次回に続きます。



2020/01/08 挿し絵を追加しました。



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テスとクリスタ ~あたしの秘密とアナタの事情
― 新着の感想 ―
[一言] いつも思いますが、情景の描写力と、その知識と、情熱がすごいのです。 まあ、作者様は、そういう美しき物が好き、ってことですね。だから詳しくかける。
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