8. 月光華 その④ ☆
惑星レチェルには5つの大陸があり、大半は北半球に集中しているのだが、南北にのびるヨールト大陸の南部分と、アシュレ大陸が南半球に位置していた。
標高の高い山々が連なる南ヨールト大陸はほとんど手付かずの状態なのに対して、アシュレ大陸は温暖な気候と美しい景色、豊かな自然に恵まれた大陸自体が観光スポットとも言える場所だ。
通称『南の大陸』と呼ばれる。
この大陸の東海岸に、エルマ地区と呼ばれる一帯がある。現在高級リゾート地として、脚光を浴びている場所だ。
その外れにヴィシュネと云う小さな半農半漁の静かな村があり、一画にひっそりと世間から隠れるように建つ屋敷があった。家屋自体はこじんまりとしたものだが、敷地は広大で、ヴィシュネ村の半分はこの屋敷の庭だ。
今、この庭は、春の花の競演であった。
「桜が美しいね。今が、盛りかな」
「はい、左様でございます」
年齢は中年期とおぼしき堂々とした体躯のスーツ姿の中年の男性と、この屋敷の執事を務めるものであろうか、慎み深く控える背筋のピンと伸びた黒服の老年の男性。
ふたりの男は、静かに満開の桜を眺めていた。
フランス窓から望む庭は、一面の薄紅色で染まっている。
「長閑なれ 心をさらに 尽くしつつ 花ゆえにこそ 春は待ちしか――。
この季節にここを訪れる一番の楽しみは、やはりこの花だろうね。
丹精込めて手入れをしているんだろう」
中年の男性が手放しに誉めるので、老執事は頭を下げた。
「ただね……今は標準暦で言えば、季節は秋。この間まで滞在していた月の人口コロニーのドームも、季節設定は秋だったからね。私としては、感覚的に、季節が違うような気がしてならないんだよ」
標準暦とは、連邦政府が定めた暦のことである。
太陽系に散らばって生活する人々の時間を統一するために、政府は暦を定め宇宙移民の生活リズムを調整していた。
この暦によれば、現在の季節は秋であり、エルマは季節が逆さと云うことになる。
「致し方ございません。エルマは今が春でございますから」
穏やかながら執事は一歩も引かず、男性は破顔した。
「おや。あの音色は……」
耳を澄ますと、澄んだ静かな管弦の音が聞こえてきた。
風に乗り、花びらと共に少し侘しげな旋律がふたりのもとに流れてくる。
男性には奏者が誰なのか、すぐに察しがついたらしい。
「ほほう。先だって素晴らしい七弦琴の演奏を聞かせてもらったんだがね、こちらの腕前も名手の域に達しているんじゃないかな」
「わたくしも左様に存じます。ご本人は、上達しないと嘆いておりましたが」
「意外と、気難しいからな……」
男たちは、顔を見合わせて頬を緩ませる。
はらりはらはら……と、また花びらが散った。
♧ ♧ ♧ ♧
「……実は、ご相談がございます」
執事は遠慮がちに口を開いた。
「本来ならば旦那様にご相談すべきなのでしょうが、この件はあなた様の方がよろしいかと思いまして」
中年の男性は、ゆっくりと執事の方へ身体を向ける。
「こちらをご覧くださいませ」
小柄な老執事は小さな包みを差し出した。
表に宛名が貼ってある。宅配の荷物らしいのは、ひと目で見て取れた。
「本日、こちらに届いた荷物でございます。業者の不手際で、別の場所に配達されていたそうで、間違いに気づいた先様のご連絡でこちらに回送された物なのですが」
配達ミスとは情けない、と中年の男性は天井を見上げた。
「誤送先でしばらく間違いに気づかれず放置されていたそうで、こちらへの回送に時間が掛ってしまったという説明でございました。が、問題はそれよりも宛て名と送り主でございます。
どうぞ、ご自分の目でお確かめになられた方がよろしいかと――」
執事に促され、小さな包みを受け取る。思いのほか、軽かった。
そのまま視線を送付票に走らせる。癖のある、神経質そうな手書きの文字が目に入った。
宛て名を見て、唖然とする。
急ぎ差出人の氏名を確認した。
「……まさか!……」
男性の動きが止まった。
が、すぐに思い直して包みを開け、中身を確認する。
丁寧に放送された小箱に収まっていたのは、寄木細工で作られた香合だった。
香合とは、香を入れる蓋付きの小さな器のことである。
女性の掌にも乗りそうなサイズだが、細工は精巧で美しい。
動かすと、なかで軽い音がする。不審に思い蓋を開けようとすると、これがびくともしない。叩いても捻っても、蓋は頑として開かなかった。
「おお。もしやこれは、『からくり箱』と呼ばれるものでは! 仕掛けがあるのでございます。
通常、茶道具である香合に、こんな細工は致しません。わざわざ不必要な仕掛けを施してあるとは、何やらこれは特別なお品のようでございますね」
老執事は男性からうやうやしく香合を受け取ると、細工を丹念に眺め、探り、爪先に引っ掛けて一片の木片を抜いた。
開いた空間に隣の木片をスライドさせ、さらに縦横と木片を動かしていく。
品物が小さいので操作が難しそうだが、老執事は細かくて複雑な作業を丁寧に繰り返している。
ほどなくして蓋はぱかりと簡単に開いた。
「すばらしい! コンエック、よくわかったね!」
「これしきのこと、遊びで覚えたことでございます。たいしたことではございません」
謙虚な老執事はカエルに似た顔で満足気に笑い、蓋の空いた香合を再び男性に手渡した。
香合の中には、一枚のメモリチップが入っていた。
「内容を確認なさいますか?」
そう尋ねる老執事の手には、いつの間に用意したのか、小型のタブレットがあった。
男性は礼を言ってタブレットを受け取ると、起動ボタンを押した。スタンバイ状態にしてメモリチップを差し込み、再生を開始させる。
いきなりザザザッ……という耳障りな雑音と共に画面は砂嵐状態になった。
「やっぱり、トラップが仕掛けてあるね。内容を、他人に見られたくないか。さて、解除方法を変更していないといいのだけどねぇ。まあ、あの方あてのメッセージだから、これでよいと思うが……」
男性はいったん終了ボタンを押し、再起動を掛けた。起動音が聞こえ始めたらすぐにシフトキーを押し、次に秘密の解除キーワードを打ち込んでいく。
キーボード上の指が動き始めると、砂嵐は消え、映像が再生された。
♧ ♧ ♧ ♧
しばらくふたりの男は7インチのモニター画面を凝視していたが、声は無かった。
再生が終わると、どちらともなく顔を見合わせ、眉間にしわを寄せた。
「……これは、……いかがいたしましょうか。早乙女様」
老執事コンエックの声は、震えていた。しかし答えを求められた早乙女も、老執事同様狼狽してた。
色を失い、まるで幽霊でも見たような顔である。
「まずは、事実を確認したほうがよいだろうな。それから、コンエック……」
心得ていると、老執事は頷く。
「――このことは内密に、でございますね」
早乙女は香合を元通りに戻すと、決して人目につかない場所に保管するよう、老執事に指示した。
「やれやれ、『長閑なれ――』と云ったとたんにこれだ。春風は嵐に変わりそうかな」
「それは困ります。せっかくの花が、散ってしまいます。西行法師も、お嘆きになりましょう」
早乙女と老執事は、表情を緩めた。
窓の外では、変わらず桜が花を降らせている。値千金の眺めを惜しみつつ、男たちは互いの仕事を片づけるため、静かに部屋を後にした。
――――楽の音もいつの間にか途絶え、春宵は更けようとしていた。
「長閑なれ 心をさらに 尽くしつつ 花ゆえにこそ 春は待ちしか」
この和歌は、平安末期から鎌倉初期にかけての武士であり僧侶であり歌人であった西行法師のおうたです。
生命を見つめ、花や月をこよなく愛した方で、新古今和歌集にもたくさん詠んだ歌が入集されています。
もっとも有名な歌は「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」で、こちらの和歌ならご存知の方も多いのではないでしょうか?
「長閑なれ――」はそうあって欲しいという法師の希望をストレートに詠ったもので、和歌としてはそれほど評価が高くないのですが、ド素人の私にも注約無しでも理解が出来る、「うんうん、そうね。桜が散ってしまうのはさみしいわ」と素直に頷けるやさしい気持ちの和歌だと思います。
話変わって。
その桜の花びらと共に風に乗って聞こえてきた楽器は,『月光華 その③』で謎の人物が奏でていた撥弦楽器ですが、さあなんでしょう?
大変シブい楽器ですが、お好きな方も多いそうです。
ヒントは「七弦琴」。共通点を探してみてください。
「七弦琴」は「古琴」とも呼ばれる「琴の琴」。
ところで「琴」と言っても、「こと」には「箏」と「琴」があるってご存知でしたか?
日本の「こと」は十三弦。「箏」と云い一弦ごとに柱を立てて音を定めるそうですが、それに対し柱を建てず弦を指で抑えつけて音を定めるのが「琴」だそうです。
私も知りませんでした。調べてみると、いろいろ面白い話が出てきます。
ちなみに、私は楽器の演奏は出来ません。聴くの専門。
それとも一念発起して、老後の手習いにしようかしら。
2022/9/20 挿し絵を追加しました。