8. 月光華 その③
つつがなく乾杯が終わると、それを合図に次々と料理が運び込まれてきた。
美味しそうな香りが、部屋を満たしていく。
円卓の上は、瞬く間に芸術的な食品彫刻で立体的に飾られた高級料理の皿で埋まっていった。
見た目も華やかで楽しい食品彫刻だが、料理の高級度が増すほどに、手の込んだ飾り付けが施されるのだという。
「提督のお好きなものを、選ばせていただきましたよ」
かつての部下たちは、提督ことロレンスの好みを良く知っていた。
やさしい味わいの卵のスープに始まり、
口水鶏(よだれどり)、
水品肴肉(塩漬け蓋肉の煮こごり固め)、
蒜茸明蝦(車海老の大蒜蒸し)、
涼拌五絲(春雨サラダ)、
皮蛋豆腐(豆腐のピータンソース掛け)……と、素材にとんだバラエティー豊かな前菜。
目でも十分味わえる。
気を好くしたロレンスは、食前酒に口を付けると、さっそく芥末鴨掌(アヒルの水掻き辛子ソース和え)へと箸を伸ばした。
入れ代わり立ち代わり料理や酒を運ぶ給仕係たちに混じって、エミユ・ランバーが姿を見せた。
客たちに会釈を繰り返しながらロレンスの背後に近づくと、耳元に唇を寄せ、そっとなにかを伝える。
「おや、ミズ・ランバー。なんですか、提督と内緒話なんて」
エミユの行動をずっと目で追っていたジェラルド・ウィテカー中佐が、陽気な声で問い掛けた。
「美女と内緒話とは、提督も隅に置けませんね。まだまだお若い!」
「ははは……、年寄りをからかうものじゃない」
ロレンスは、ウィテカー中佐をやんわりと牽制した。仕事柄目端の利く男だが、今はそれが煩わしい。
なにを考えているのか、酒が回ったふりをして、ウィテカーはさらに絡んでくる。
「デートの約束ですか。ねえ、ミズ・ランバー」
身を乗り出したウィテカーは、頬杖をついてニヤニヤと、決して品の良いとは言えない笑みを浮かべている。
しかしながら、目だけは笑っていない。探るような視線が、エミユに向けられた。
「おいおい、ウィテカー中佐。ミズ・ランバーに失礼だろう」
別の話題に興じていた隣席の者が、こちらの会話に興味を持ったようだ。話に割り込んできた。女盛りの美女が老人になんと囁いたのか、男たちは気になるらしい。
ひとりが話の輪に加われば、それはどんどん広がっていく。今日の主賓はロレンスなのだから、話題の中心になるのは致し方ない。
だが内心、面倒なことになったと提督は思った。
エミユが耳打ちしたのは、テスの件だ。しかしそれを説明する気は、毛頭ない。さりげなく注意を他に移したいが、ウィテカー中佐の思惑が気になる。
「オーナーからの言伝ですわ」
エミユが涼しい顔をして、もっともらしい嘘を付いた。
「あれえ、『紅棗楼』のオーナーと提督って、お知り合いなんですか。それは、知りませんでした。
いいですね、ここのオーナーと云えば、確か、えっと、なんでしたっけ……」
無礼講と云う絶好の場を借りて、ウィテカーはしつこく喰い下がってくる。
「…ああ、それはそうと、あの娘は誰です? ほら、提督と一緒にリムジンに乗っていた、あのプラチナブロンドの…………」
やはりこの男は曲者らしい……と、ロレンスは苦笑した。
♢ ♢ ♢ ♢
テスの所在は、ロレンスとエミユ、それと店のごく一部の人間しか知らない。
特に貴賓室の客たちには、迂闊に「能力者」である少女の存在を告げるのは危ういと、提督が強く口止めした。
なぜなら、会食の同席者たちが軍籍に身を置く者たちだったからだ。
グレアム・J・ロレンスが連邦宇宙軍を退役してすでに4年経つが、いまだ彼を敬愛するものは多い。今日も彼の部下だった将校たちが、忙しい時間を割いて、わざわざ招待してくれた食事会だった。
その顔触れは、今や宇宙軍の要職を務める高官や指揮官たちだ。
ゆえに気絶させたテスを、別宅のほとんど使用されていないあの部屋に暗々裏に運び込ませたのだが、迷い込んだ怯える仔犬のような少女の様子が気にかかった老提督は、エミユにテスの世話を頼んでいた。
彼女は、ロレンスの面倒な要求を快く引き受けてくれた。
それは出来うる限り提督の希望は受け入れるよう、上司から事前に要請されていたからなのだろう。
が、結果としてテスの追跡者――おそらく『レチェル4』の関係者であろう者達から、逃亡者を匿わせることにしてしまった。
追跡者たちは、みな能力レベルAクラスの諜報員だ。一旦退いたようだが、とてもこのまま少女を見逃すとは思えない。
いや、追跡者が2組あったことを考えると、すでに公安安全局内では表面下の『能力者』争奪戦が始まっているのだろうか。
そのいざこざに、心ならずも巻き込まれようとしている気がしてならなかった。
懐かしい顔に囲まれ、尽きない思い出話や美味しい食事に舌鼓を打ちながら、ロレンスの心の内には暗い曇が拡がろうとしている。
公安局の「内輪もめ」は、退役前から耳に届いていた。組織であるから、そういった不協和音があるのは軍部も変わらない。
いずれにせよ争いが「内部の問題」で片付くうちはよいのだが、それが「そうもいかない事態」に陥れば、対岸の火事を高みの見物とのんびり構えてばかりもいられないのが現実だ。
退役し、そういった面倒事から手を引いたはずなのだが、「カリスト宙域の英雄」の元には今もってそういったきな臭い話が飛び込んで来る。
葡萄畑の真ん中で泥と煤にまみれた少女を見つけた時も、ある種の予感はあった。それでもロレンスは、少女を助けずにはいられなかった。
いかなる理由かは推測の域を出ないが、つまらぬ争いに巻き込まれたテスを不憫に思うからだ。
かといって、政府機関相手に一介の隠居老人がどうこうと口を出せる問題でもなければ、エミユや彼女の上司を巻き沿いに出来る道理もない。要求されれば、引き渡さなければならないのも承知している。せめて少しの間、ゆっくりと休ませてやりたいと思っただけだ。
しかしそれは同時に、軍関係者の目も躱さなければならなくなった。
優秀な『能力者』が欲しいのは、こちらも同じなのだ。
公安局の能力開発センターが目を付けるような『能力者』なら、連邦宇宙軍の某機関でも欲しがることだろう。困ったことに、会食メンバーの中に某機関に関係している者がいる。
(怯える仔犬を、むざむざオオカミに引き渡すこともなかろう)
ところが少女を運び込むところを、ウィテカー中佐に見られていたようだ。この男、妙にカンが良い。はたまた嗅覚が、なにか嗅ぎ付けたか。
(やれやれ、厄介な人物に見つかったものだ)
「……ああ、彼女は――――」
老獪な提督は、テスをエミユの友人と偽り、素知らぬふりを決め込むことにした。
♢ ♢ ♢ ♢
「テス。どこにいるの」
エミユ・ランバーが部屋に戻って来た。
ウィテカー中佐の好奇の視線を逸らすのに、思いのほか時間が掛ってしまった。
とっくにシャワーを浴び終え、お腹を空かして待っているだろうと急いで戻って来たのだが、肝心のテスの姿が見当たらない。
「テス、テス!」
返事は無い。エミユは、眉根をひそめた。
居間にも、寝室にも、テスの姿は無かった。彼女の表情が険しくなる。
部屋のセキュリティには、異常はない。この部屋のセキュリティは万全だから、少しでも異常があれば警戒信号が鳴るはずだ。
彼女の特殊な感覚を研ぎ澄ましても、外部から侵入した形跡は感じられない。追跡者たちは、まだこちらの出方を測っているのだろう、次の手段を打てずにいる。
だが、あきらかに異常な感触があるのだ。
しかもそれはエミユが察知した途端、霧散して失せてしまった。正体は不明だが、あまり良い感触でなかったのが気に掛る。
それでなくとも、今夜は空気がざわついて雑音が多いのだ。
霧散した気配とは異なるもうひとつの気配が、悪意を匂わせながらテスに纏わりつこうとしている。
そのやり方は、どうしようもなく姑息で卑怯だ。かてて加えて、何らかの理由で、少女に心理的操作をしようとしているらしい。
その余波が、エミユにまで及んでいる。雑念は防御するので大した影響はないが、面白いものではない。
いずれにしてもロレンスから依頼されている以上、彼女にはテスを守る責任がある。少女のか細い思念波を辿り、最後にレストルームを覗いた。
「――テス!」
床にテスが倒れていた。エミユは駆け寄り、ぐったりとした少女を抱き起す。単に気を失っているだけのようで、愁眉を開くとともに不安も覚えた。
このままでは少女は周囲に引き摺られ、自分を消耗していくだけだろう。
なによりも、この少女の正体は何者だろうか。可憐で弱々しい外見に隠された、不可解な活力が気に掛る。
この時、エミユは不思議なものを目にした。テスの身体に、無数の花びらが付着している。薄紅色の小さな花びらだ。
彼女は頭を傾げた。ロクムは今、秋だ。この花の咲く季節ではない。
怪訝に思いながらも、彼女はその一枚を手に取りつぶやいていた。
「……どうしてこの花びらがテスに付着しているのかしら…………」
理解し難い事柄に、エミユ・ランバーは苦い顔をするのだった。