1. good-bye その② ☆
リビングのソファにあたしを挟んで、右にクリスタ左にメリルが座り、当事者を置き去りにして今後の対策会議が始まっている。
「結婚祝いのプレゼントまで考えていましたのに――。
テスみたいな娘は、早くステキな旦那様を見つけて、家庭を持って、かわいい奥さんになった方がよろしいんですわ。そうすれば、落ち着きましてよ。今のままではフワフワヒラヒラしていて、危なっかしくて見ていられませんもの。ねえ、クリスタ。
ほら、テス。泣くのはよろしいですけど、お鼻が出ていてよ。かわいいお顔が台無しですわ。クリスタ、ティッシュを取ってくださいまし。はい、ちゃんと拭くのよ。泣いてばかりいるから、のどが渇いたでしょ。
飲み物……ダメよ、クリスタ。コーヒーじゃなくて、ミネラルウォーターがよろしいわ、そちらのボトルを取ってくださいませ。はい、飲みましょうね。水分補給は大切ですのよ」
メリルは、事細かに面倒を見てくれる人よ。ただし、なんだか赤ちゃんになった気分になるんだけど。
「早く結婚した方がいいってのは、あたしも賛成だよ。だからって結婚祝いはいくらなんでも早いだろ、メリル」
長い腕を伸ばして取ったボトルをあたしに渡しながら、クリスタが反論する。
「あらあ、おめでたいことは、早い方がよろしくってよ!」
「そりゃあ、テスがリックと結婚すれば、あたしの面倒事の半分は無くなるだろうから大歓迎さ。
基本、リックは悪い奴じゃないからな。スポーツマンで一本気だから、多少押しつけがましいところはあるが、根は純真で真面目だし。
まあ、モテるんで、すぐに図に乗るところが欠点かな」
「ふぇえん、だ……だから、だ…から、結婚なんて、ひっく、ひっ……しないんだからああ」
「ああ、よしよし」
そう言って、クリスタはあたしの頭を撫でる。あたしの意見、無視?
「でも、リックってお幾つなの。えっ、20歳。それは若いわ!!」
ちなみに、毒舌クリスタも、「若い!」と言ったメリルも、そして泣いているあたしも、ここにいる3人は全員18歳なのよ。
「殿方の20歳なんて、まだ子供でしてよ。身長ばかり成長しても、精神年齢はお子様ですもの。小学生と大差ありませんわ。
テス、あなた、結婚相手を選ぶのでしたら年上になさいましな。包容力のある、落ち着いた大人の殿方がよろしいわ。そうですわねぇ、思い切って30歳くらい年上なんていかが? きっと可愛がってくださるわよ」
「いやぁ、大人のオトコじゃ、テスがお子ちゃま過ぎて相手にしてくれないさ。
ここはあと5年ほど余裕を見て、リックが大人になるのを待つか。んん……あいつのことだから、もう少し期間を追いて7年のほうがいいか。せめて就職してくれんことには、なあ。経済力の無いオトコはつらいぞ」
もうふたりとも、あたしを肴に遊んでいる。その後もあたしを置き去りにしたままの対策会議なんだか、ふたりの恋愛持論討論会なんだかが続いていた。
会話が盛り上がりひと段落ついたところで、突然クリスタが肝心なことに気が付いた。
「そりゃ、そうと。おい、テス。なんでリックと別れるなんて、言い出したんだ?」
「嫌ですわ、クリスタ。それを伺っていませんの?」
本末転倒だわと、メリルが顎を落とす。
「聞き出す前に、怒りが先に来ちまったから……うっかり、な。問い詰めようとしたら、おまえさんがやって来たし」
「わたしのせいになさいますの。あんまりじゃございません。ねえ、テス。どうしてあなた……」
――と視線をこちらに落としたメリルが、両手で頬を押さえ、悲鳴を上げる。
「きゃああ、泣きながら目を擦ってはダメですわ! 目が腫れてしまってよ。もお、なぜそういうことをなさるの! クリスタ、タオルですわ。それから保冷剤。冷やさなくては、ふた目と見られない、ものすごいお顔になりましてよ!
あなた、今日はランチから、バイトのシフトが入っているのではありませんでしたの?」
そうだと答えるより早く、あたしはメリルに強制的に上を向かされる。
するとキッチンからリビングまで瞬間移動したんじゃないかと思うくらいの素早さで用意された、小型保冷剤をくるんだタオルが、クリスタによって顔面に押し付けられた。
こうして身動きできない状況にされて、あたしはふたりの尋問を受ける羽目になってしまった。
「――で、どうして急にリックと別れるなんて言い出したの!?」
うえええん、それ、ユニゾンで訊く質問なの? しかも両脇から聴こえる、ステレオ効果のおまけつき。視力を奪われているからなのか、ちょっと恐怖まで感じちゃう。
「だって、だって、リックが変なこと言い出すんだもん。この部屋に、入りたいって。今までそんなこと言ったことないのに……」
メリルが(……多分)首を傾げた。
「それ、変なこと、なのかしら?」
「ああ。この部屋は、家族以外は男子禁制。ふたりで部屋をシェアするときに、取り決めたルールのひとつなんだ。
いくらリックが気のいい奴だとしても、入り浸りになられたら、あたしの居場所が無くなっちまう。仕事で何日か部屋を空けることもあるからね。帰って来たらこいつらの新婚生活が始まっていました――なんてことになっていたら、あたしゃどうすりゃいいんだい!」
「そんなこと、しないもん!」
「そうですわ、クリスタ。いくらテスでも、そこまでルーズには致しませんわよ」
メリルは肩を持ってくれているみたいだけど、なんだか釈然としない……のは、気のせいかしら。
「――というか……リックに限らず、好きな男に『一緒に暮らしたい』なんて強引に迫られた時、こいつが最後まで抵抗できるか……なんだな。問題は……」
うぅ、確かにそれ、弱い。強引に押し切られちゃうと、「ダメ」って言えないタイプなの、あたし。
「あたしゃテスの妹弟たちから、こいつが無事大学を卒業できるまで、素行管理を頼まれているんだ。責任がある」
これ、ホント。
あたしの兄弟は全部で8人。ただしみんなブロン夫妻の養子で、血のつながりは無いの。
事情はいろいろだけど、親を亡くして孤児になったあたしたちを引き取って、家族として育ててくれた。決して裕福じゃないけれど、とっても暖かくって、にぎやかで、仲の良い家族なのよ。
で。このブロン家の子供たち、あたし以外はみんなしっかり者。
一番上のあたしが、一番危なっかしいってのが、一同の意見。
反論できない自分がカナシイ……。
「あら、今回は、きちんとお断りしたみたいでしてよ。ですから話がこじれたのでしょう。でも、そこからどうして別れ話にまで発展したのかが、興味深いところですわね、うふふ」
最後の含み笑いが不気味よ、メリル。
それでもあたしは、それなりの努力を認めてもらいたくて、目の上の保冷剤入りタオルを振り落さないよう注意しながら、コクコクと首を縦に振る。
「……うん。そこは成長したなと、感心した」
うれしい、クリスタに褒められちゃった。ちがうちがう、そういう問題じゃないって。
「だから、問題はなぜリックが突然この部屋に入りたいと言い出したか、だ」
「違いましてよ。なぜそこから別れ話まで一気に話が転がってしまったか、ですわ。だって2日前までは、テスは結婚する気でいたのでしょう。
結婚でしてよ、結婚。プロポーズを夢見る乙女が、いきなり別れを決意するなんて、余程のことですもの!」
「いや。あたしにとっては、リックのセリフのほうが重大なような気がする。
昨日今日の付き合いじゃないんだから、この部屋入室不可だってことは、重々承知しているはずなんだ。あいつ、変なことに首突っ込んでんじゃないだろうな」
「え~~、テスの別れ話ですわ!」
なんにしても、「他人の不幸は蜜の味」なんじゃない!!
「もぉぉぉ、ふたりとも、面白がっているだけなら、相談なんかしないんだから!!」
ぴたりと、ふたりが押し黙る。僅かな間を置いて――、
「そんなことございませんわ。テスが心配だから、ついつい要らない気を回してしまいますの。テスはわたしにとっても、かわいい妹みたいなものでしてよ。だから、あなたとリックの行く末がとても……とても心配なんですの」
メリルが力いっぱいハグしてきた。
「……っ、ぁふ…!」
スリムなくせに筋力があるから、彼女の愛情たっぷりのハグは、相手の身体を腕力で締め付ける必殺技と表現したくなるような代物なのだ。さらに追い打ちをかけるように、
「幼馴染として、テスが弄ばれるなんぞ絶対許せんから、ついリックを悪者にしてしまったが、決してテスを悲しませるようなことにはしないからな」
あたしの右手を握力の限り強く握って、上下に振り回すクリスタ。
「ふ……ふたりとも、わ…わかった…て……ばぁ……はふっ!」
お願いっ、力の加減を考えて!! ふたりとも、興奮するとセーブが効かないんだから。
あたしは再びチャイムが鳴ることを祈ってしまう。
すると――祈りが天に通じたのかどうかは知らないけど、チャイムが2回鳴った。
コール音は1回なら共同住宅内の住人、2回であれば共同玄関から来訪を告げる外来者。
天の助けの来訪者はせっかちなのか、急いでいるのか、矢継ぎばやにチャイムを鳴らしてくる。
愛情表現を中断されたクリスタは、不満そうに小さな舌打ちをしてから、しぶしぶ玄関までモニターをチェックしに行った。
その間に目の上のタオルは退かす。このあと多少目が腫れていたとしても、現在は視力が欲しい。このままこのふたりの玩具にされていたら、身が持たないに違いないんだから。
メリルが不満そうな顔をしたけど、そんなこと無視よ、無視。
それより気になるのは、さっきのチャイムね。コールは2回、だから外部からの来訪者ということになる。朝早くから、誰かしら。
「千客万来ですわ」
と、一人目のお客がおちゃらかしてきた。
「それで、テス。あなた本当に、恋人と別れる気でいらっしゃるの? ケンカの売り言葉に買い言葉で、そういう流れになってしまっただけでしょう? 少し冷静に考えてみたらいかが? こういうことは……」
彼女が顔を寄せ、声を潜めて説得にかかったその時、玄関方向から怒声が聞こえてきた。メリルとあたしの動きが止まる。
「――――そこで少しお待ち、リック・オレイン。事の顛末を聞かせてもらおうじゃないか!」
背中に汗が流れた。リック――ですって!?
「んまぁぁ、真打登場ですわ。最高のタイミングでしてよ!」
メリルが嬌声を上げる。
足音を立てて、クリスタがこちらに戻ってきた。
「さ、テス。行くよ。この話、あたしが落とし前つけてあげる」
え!
え!
ええっ!
話の成り行きについていけないあたしをソファから引き摺り上げて、クリスタは急がせる。
「いやぁ~~ん、クリスタ。男前ですわッ!!」
ソファの上では、メリルが目をうるうるさせてこちらを見ている。
ちょっと待って、ちょっと待って、ちょっと待ってよぉ。
さっきのひそひそ声の助言はナンだったの? 無責任な煽りはいらないんだって!
「最後までお付き合いしたいのですが、わたしはこれから講義ですの。そのあとボランティア活動の予定も入っていますし、ご一緒できそうにありません。残念ですわ。後でどうなったのか、ゆっくり聞かせてくださいましね。期待しておりますわ!」
と、お気楽に手をひらひらさせている。完全に傍観者になるつもりだ。
「……って、なにをよぉ~~。逃げないでぇ~~、あたしを助けてよ」
逃げの姿勢に入ったメリルを逃がさないように、腕にすがろうと思ったら、後ろから襟首を掴まれた。耳元にクリスタの唇が寄せられ、低い声で囁かれる。
「だから、助けてあげるんじゃないか。要は別れたいんだろう。話を付けるって言っているんだ。よろこべ、テス」
下から悪寒が這いずり上がってきた。ひたひたと、あたしの身体を凍らせていく。
どこをどうすれば、よろこべるっていうんだろう。
確かにリックとバイバイするために、どう別れ話をすればいいのか相談する予定ではいたわ。でもこんなに急に話が進んじゃうのって、おかしいわよ。
心の準備が……。
あたし、このまま、強引にリックと別れることになるのかしら?
それって……。
(――――オヤ、別レタインジャ…ナカッタノカナ?)
そうよね。別れたいの……? 別れ…たいの?
(……あれ……?……)
ひとつだけ、間違いないこと。
「ああん、嵐の到来だわ!!」
2022/2/4 挿し絵を追加しました。