7. 紅棗楼で夕食を その④ ☆
「あら、ご存知でしたの」
「もちろんだとも。あとで、サインを貰っておくれ。あはは、冗談だよ。
それから、頼むから『おじさま』は止めてくれないか。まだかろうじて三十路なんだから、若いつもりでいたいんだよ。
君におじさまと呼ばれると、20歳くらい老けた気がするから」
ウィテカーはこめかみのあたりを人差し指で掻きながら、渋い顔を作った。
職業軍人だと紹介されたものだから堅い人なのかと思ったら、柔軟な思考の持ち主らしい。
クリスタは宇宙軍の官位や構成に詳しい訳ではないが、30代で司令部付の中佐なのだから、ウィテカーは有能な人物なのだろう。
「でも、おじさまはおじさまなのですから。
困りましたわ、わたしがジェラルドとお呼びしたら、なにやら差し障りがございませんこと?」
メリルはクリスタに視線を送り、同意を求める。
しかし求められたクリスタの方は、すぐに言葉が出ない。友人の真意を量り、最善の回答を模索していたのである。
叔父と姪の間柄なのだから別に差し障りは無いだろうし、ファーストネームで呼び合ったとしても、このふたりが恋人同士に見えることは無いと思うのだが、メリルにはメリルの道理があるのだろう。
いや、もしかしたら、過去に間違えられたことがあるのかもしれない。
ウィテカーは実年齢よりずっと若く見えるし、メリルのフェミニンな外見から年齢の離れたカップルに見えないことも無い。
それでアンヌ夫人が焼きもちを焼いて……云々と、要らない妄想がクリスタの脳内に渦巻き始めた。
それこそTVの午後のメロドラマだ。どう答えたものかと眉間にしわを寄せ始めた時、
「考えすぎなんじゃね」
と、あっさりリックが回答を出した。しかもその解答をメリルが難なく受け入れたものだから、拍子抜けするとともにおかしくなった。ウィテカーも苦笑している。
イラスト:ちはやれいめい様
♧ ♧ ♧ ♧
「南のアシュレ大陸に行ってきたんだ。あちらに別荘を持っている知人に招待されてね。
えっ、ひとりでバカンス……じゃない。違う、違う。上官のお供だよ。招待されたのは上官で、俺は付添い。お偉いさんたちの雑用係を仰せつかったのさ。
命令されちゃ、嫌とは言えない。
でも、今回は役得だったな。東海岸のエルマ地区って知っているかい。
そうそう、セレブが競い合って別荘を建てている、特別保養区の。あそこの超有名ホテルのオーナーと上司が知り合いでね。ご相伴にあずかったという次第なのさ」
いつまでも立ち話とはいかず、会話を続けながら4人は静かに腰を下ろす。
「いいねえ、エルマは。春だよ、春。ロクムの秋の風景も心憎いが、エルマの春は華やかだねえ。まさに百花繚乱と云った風情さ。
なかでも、桜かな。オーナー自慢の桜の花。そりゃあ、もう……自慢したくなるのがわかろうってものさ。庭園の一画が、桜の花の色で霞んでいた。
なんでも桜ってのは散り際を愛でるものらしいが、愛らしい花が散ってしまうのは哀しいことだろう。俺には『わびさび』はいまいち……でも、確かに花びらのシャワーは美しかったな。
ほお、君らは見たことないのか。そりゃあ残念だね。あれは、見るべきだよ。エルマの桜は今が盛りで、ライトアップされた夜桜を見物しながらガーデンパーティーと洒落込んだのさ。
しかし……だよ。美しい花はそこここに咲き乱れているってのに、俺はおじいちゃんたちのお世話で大忙しさ。桜見物も、ゆっくりできなかった。
そうだ、美しい花って云えば……なあ、メリルには婚約者なんて男は、いなかったよな? どうだ、そのオーナーの末の息子がまだ高校生で独身だから、オーナー夫人を狙ってみないか」
冗談とも本気ともつかない口調に、一同リアクションに困惑した。
「どうして話がそうなりますの。もちろんご冗談ですわよね、おじさま」
メリルの眉が、ピンと吊り上がる。その顔を見て、これ以上はこの冗談は通じないと悟ったのか、ウィテカーは話題を切り替えた。
「今日もその上官のお供でね。もうひとりおいでになるってことで、俺はそのお出迎えに出て来たんだが、どうせ食事をするのなら君らと一緒の方が楽しそうだなあ。そっちにお邪魔しても、いいかな?」
「よろしくないに、決まっていますでしょ。お仕事は真面目になさってくださいまし」
「お仕事って……これ、任――――。そうだな、仕事は真面目に熟さなくちゃな」
ウィテカーがなにか言い淀んだ時、通信端末機のベルが鳴った。
「ああ、失礼。俺のフォンだ。出させてもらうよ」
椅子から腰を上げつつ、ジャケットの胸ポケットから携帯通信用端末機を取り出す。
受信ボタンを押すとすぐに画面にヴィジョンが立ち上がったが雑音がひどい。
電波の受信状態が悪いのか、3Dヴィジョンもちらつきがあり鮮明ではなかったが、相手が女性らしいのは横目で眺めていたクリスタにも確認できた。
「はい、ウィテカー。
ああ、ミズ・ランバー。あなたから連絡をいただけるとは、嬉しいですね。甘いお声を聴ける機会は、なかなかありませんからね。お声だけでなく、麗しいお顔も早く拝見したいものですよ。え、あはは…。手厳しい。それでご用件は……」
会話を続けながら、ウィテカーは席から離れて行く。
「メリル。おまえのおじさん、結構チャラいよな」
去って行くウィテカーを目で追っていたリックが言った。
「まあ、『チャラい』とは聞き捨てなりませんわ。確かに少々軽佻浮薄のきらいはございますけど。
あら、いやですわ。誤解しないでくださいましね。おじさまのことが嫌いな訳ではありませんわよ」
メリルが反論するが、こちらの方が余程評価は辛辣だ。本人が聞いたら、嘆くだろう。
クリスタは彼女ほどウィテカーに対してシビアにはなれないが、『おじさま』をファーストネームで呼ばない距離を保ちたい気持ちは、多少なりとも理解できた。
あの軽薄さはポーズだけかもしれないが、そうは見てくれない人々もいるだろう。
そういった心無い人々に、無遠慮な噂でも立てられたら後が大変だ。身内だからこそ彼女は警戒しているのかもしれない。
それよりも、クリスタの好奇心はウィテカーがこぼした愚痴話に反応していた。
(宇宙軍木星方面司令部付きの中佐とその上官が、エルマの超有名リゾートホテルのオーナーのご招待でパーティーって、なんなんだ。企業と官僚の……ん……この場合軍部か……の癒着かよ! いいのか、そんなことしていて!)
彼女の正義感が腹を立てた。が――――。
(でも、そのホテルって……多分……)
リゾート地エルマには、ホテルは3軒ある。どれも景観の美しさとサービスや施設の充実で、人気ランキングでも上位の超有名ホテルだ。
ウィテカーは、夜桜見物云々と云っていた。だとすれば、おそらく『ホテル・インタオ』のことだろう。
3軒のホテルの中では一番人気で、宿泊費は少々高額になるが、アジアンテイストな内装が評判の風格のある高級リゾートホテルだ。
クリスタはナダルのポスター撮影の仕事で、『ホテル・インタオ』に行ったことがある。
残念ながらスケジュールの都合で宿泊は出来なかったが、ロビーやホール、レストラン、休憩や着替えのためにあてがわれた部屋、すべてに感嘆の声が出た。
撮影に使用されたスイートルームからは、海が眺められた。故郷の惑星ポルボロンには海が無いから、水平線まで広がる紺碧は、目が痛くなるほど眩しかった。
ナダルとの初めての仕事だったし、そこで撮影されたポスターがクリスタの人気に火をつけたのだから、忘れられない光景でもある。
(あそこの庭園にいくつもあったんだ。見事な枝振りの大木が!)
撮影の合間に、見たことが無い樹木の名前を庭師に尋ねたら、桜だと教えられた。
銀肌の幹から奔放に伸びる枝々。
のびやかで自由でありながら、繊細で優美。
たおやかさと力強さを併せ持つ。
絶妙の平衡感覚を保ち、バレエのアラベスクのポーズのように緊張感を帯びた姿かたち。
季節になり、いっせいに花をつけた処は、華やかで儚く潔いとも。
(いいなあ。ウィテカー中佐は、桜を見たのか。くっそお、あたしだって見たかったんだぞ。満開の桜の花って、どんなんだったんだろう?)
(そうだ。ロマン・ナダルが言っていた。『ホテル・インタオ』のオーナーって、この惑星の開発に出資や技術提供した財団の関係者で、それから……なんとか……う~ん……)
幸か不幸か、クリスタの興味はホテルのオーナーよりロマン・ナダルに有ったので、その先は記憶が不確かだ。
無名の少女モデルが、いきなりブランドイメージのポスターへの大抜擢だ。
珍しく緊張で硬くなったクリスタをリラックスさせようと、彼がいろいろと話掛けてくれたことは覚えている。
が、撮影にわざわざ同行してくれた憧れのナダルのことは鮮明に覚えているが、彼に夢中になりすぎて、その時の会話の内容はうわの空でほとんど覚えていない。どれだけ頭を捻っても、これっぽっちも出てこないのである。
(……う~ん、あたしとしたことが……なんてざまなんだろう)
その時先刻の狐顔の店員が、部屋の支度が出来た旨を伝えに来た。先程と同じ様に、優雅な動作で店の奥へと導く。
待っていましたとばかりにリックが席を立ったので、クリスタの思考は、そこで中断されてしまった。
ドリンクのグラスを置いて、彼女も立ち上がる。食事が楽しみなのは、彼ばかりではないのだ。
空腹を抱えた3人は、美味しい食事に胸をときめかせ、いそいそと店員の後に付いて行った。
(まあいいか。思い出せないんだから……)
物事にあまり執着しないクリスタは、この件はそこまでと思考にピリオドを付け、次のことに関心を移していた。『ホテル・インタオ』同様、ここには目新しくて興味深いものがたくさんあったからだ。
後々、クリスタはこのことを後悔するのであるが……。
ちはやれいめい様、FAありがとうございました。 (2020/3/3 追加)




