7. 紅棗楼で夕食を その③ ☆
「いらっしゃいませ」
彼女らの目の前で音もなく滑らかに扉は左右に開くと、黒いマオカラースーツを着た狐顔の店員が、静かに彼らを迎えてくれる。
笑顔のまま表情が動かないので、仮面をつけているかに見えたが、これが地顔らしい。
予約の確認を行うと、承ったと云うことなのか軽く腰を折り、優雅な動きで店の奥へと誘う。
洗練された一連の所作に、クリスタは見とれていた。
負けず嫌いの向上心なのか、職業病なのか、美しく見える動作やポージングには目が留まる。
自分もそうなりたいと、そう見える術を学ぼうと、不躾なほどじっと見てしまう。マナーとしてはよくないことだし、第一相手に対して失礼だ。
理解っていても、欲求は止められない。テスやメリルに注意されることも、しょっちゅうだ。
案の定あまりに熱心に見つめていたので、笑顔の店員と視線が合い、不都合でもあったかと首を傾げられる。
店員には慌てて否定したが、次第に気づいたメリルに軽く咎められてしまった。
失笑を隠せなかったリックには、当然のようにクリスタの肘鉄が飛ぶ。
足を進めれば、柔らかな香りが3人を包み込んだ。
見れば、香炉から一筋の煙が立ち上っている。普段クリスタが使用しているフレグランスとは違い、ゆっくりと遠くへ流れ漂うような、凝り固まったつまらない意識がするりと紐解けるイメージがひろがっていく。
御香とか云うのであったか。
中国格子の透かし彫り門をくぐった先の廊下はまるでギャラリーだ。
等間隔で壁に設けられた展示台を照らす照明が、廊下の間接照明の役割も果たしていて、不自然にならない程度の薄暗さを演出している。
他の客と廊下ですれ違ったとしても、気まずくならない様にとの配慮なのだろう。奥に向かう客の視線は、どうしても明るく照明の当たる美術品の方に向く。
現にチャイナドレス姿の女性店員が横を通ったが、美術品に気を取られていたクリスタに店員の顔の記憶は無い。
陳列品も彼女には馴染みの薄い仏像から、墨一色で描かれた絵画や、造形芸術にまで高められた書、とりどりの壺や絵皿など、美術館の東洋美術品の展示コーナーで観たような品々が並べられていた。
ただそこには仰々しさは無く、品格と調和があった。
調度品にも内装にも、艶やかな朱色や華やかな金色の彩色が使用されていたが、使い方と分量で見え方が高尚にも俗にもなる。
お馴染みの、目玉がぎょろりとした空飛ぶ蛇のようなドラゴンも、重々しく見えた。
店内に流れる楽曲は聞き慣れない旋律だが、耳に心地よく馴染み、また音があることによって静謐を演出しているようだ。
なぜかしら、ここは外界から隔絶された桃源郷のような気さえしてくる。
さすがに名の通った高級菜店ともなると、店構えからして違うものかと感心するとともに、自分はまだまだ世間を知らないとクリスタは痛感していた。
後ろにいる挙動不審気味の大男も、おそらく同じことを考えている事だろう。
いや、もう少し切羽詰っているかもしれない。落ち着けと、シャツの裾を引っ張りながら顔色を窺うと、案の定リックの青い目は右往左往している。
「なあ。この店、ドレスコードとか無いよな」
「あったら店の入り口で引っ掛かっているだろ」
「俺、食事が咽喉を通るのか、不安になって来たぜ」
「大丈夫さ。出てくるのは食い物だ。怪物じゃない」
リックはゆっくり息を吐いた。
「その剛毅、どこから湧いて出てくるんだよ」
「どこって……、ここはレストランだろ。オーダーすりゃ、食い物が出てくるのは常識じゃないか。意外に肝っ玉小さいねぇ」
「そこは、繊細だと言ってくれ」
ぼそりと、彼が答える。
クリスタは、クラッチシューターが土壇場に弱くてどうするんだとツッコミを入れたかったが、ことさらに彼のプライドを傷つける気にはならなかったので、こぼれた弱気な発言は素通しすることとした。
そんな会話を交わしているうちに、3人はウェイティングルームに通され、そこでまずウェルカムドリンクをサービスされた。
もちろん、アルコールを飲酒できる法定年齢に達していないので、軽い発泡性のジュースだ。
「梅ジュースのソーダ割りですわね。少し甘みが有りますけど、さっぱりしてわたしは大好きですわ。
以前来店した時にもいただきましたの。美味しいと申し上げましたのを、覚えていてくださいましたのね」
と、メリルは感動する。
「うんうん。あたしらが普段御用達にしている庶民的でリーズナブルな店にゃ、こんなサービスは無いよ。
セルフサービスで、好きなだけケチャップやマスタードをかけることはあるけどさ」
「おい、クリスタ。発言が卑屈になってるぜ。
ホットドッグスタンドだって顔馴染みになりゃ、ピクルスのおまけぐらいは付けてくれる」
そう言うリックも、まだどことなく落ち着かない様子だ。
「あら、ホットドッグも好きですわ。レリッシュ増量でお願いしますのよ。そうそう、ハンバーガーの美味しいお店も見つけましたの。今度はそちらへ参りましょう。
その時は、テスも一緒ですわ」
「当然だよ」
「ああ」
ことさら明るくふるまうメリルに比べ、長身のふたりは椅子に沈み込みそうなくらいテンションは低い。
テスの名が出たからだろうか。
「もう、ふたりともお顔が暗いですわ。
もちろん、その時もお会計はわたしが持ちますから!
ああ、テスは懐石料理とかの方がよろしいのかしら。あ、地中海料理のおいしいお店も知っていましてよ。それともメキシコ料理にいたしましょうか?」
「いや、そういうことじゃないんだけどさ……」
少々的が外れてきたメリルを、クリスタはなだめた。
懐石料理や地中海料理ならまだしも、このお嬢様はホットドッグスタンドでもプラチナカードでお支払いをする気かもしれないと、とんでもない想像がクリスタの脳裏に浮かんだ時だった。
「メリル! メリル・ペタンクールだろう」
よく通る明るい声が、友人の名を呼んだ。
♤ ♤ ♤ ♤
3人の視線は、いっせいに部屋の入り口に立つ壮年の男性へと向けられる。
名前を呼ばれ、ぴょんと立ち上がったメリルの顔を確認すると、その男性は人懐こい陽気な笑みを浮かべ、足早にこちらに近づいてきた。
カジュアルにスーツを着こなし、さりげなく育ちの良さを感じる。その割に、歩き方は歩幅が広く鋭敏だ。
歩き方に特徴があると、ついつい観察してしまう。靴もブランド物で、流行りのおしゃれなデザインだ。現役モデルの厳しいチェックはさらに続く。
均整の取れた体格で姿勢が良い。髪は短髪。日焼けした顔。人当たりの良い笑顔の似合う柔和な顔立ちだが、どことなく抜け目の無さを感じさせる。
どういう職種の人間だろうかと、クリスタは考えていた。
「まあぁ、ウィテカーのおじさま。こんなところでお会いできるなんて。なんという、偶然なのでしょう。お久しぶりですわ。お元気でいらして」
早速メリルの舌が、滑らかに回り出す。
「どうなさったの。確か木星方面司令部に配属になったのではありませんでしたの。おばさまからお聞きしていましてよ。
先日お会いした時に、大学の入学祝いにプレゼントを頂きましたの。おじさまにも、お礼申し上げますわ。
で、その時さんざん聞かされましたの。愚痴だの、のろけ話を。いつまでも仲がよろしくて、宜しゅうございますことね。おじさまが長期単身赴任で、しかもなかなかお帰りにならないからって、お寂しそうにしていらっしゃいましたわ。
赴任先の司令部の所在地はエウロパ方面なのでしょ、お連れになって差し上げればよろしいのにおじさまは……」
男性はぎょっとした表情になり、急いでメリルの饒舌を止めにかかった。
「うわっ、あのおしゃべり!
ちょっと待て、メリル。その話はまた今度、アンヌとゆっくりしよう、な」
思うに、アンヌとはこの男性の夫人で、メリルの『おばさま』なる人物の名前らしい。
会話の内容から、このウィテカーなる人物が何者なのか、おおよその見当はついていた。
だからと云って、いつまでも蚊帳の外に置かれたままメリルの長話に付き合わされるのも億劫なので、彼女の脇腹を突く。
察しの良い彼女は、その意味にすぐに気付いてくれたようだ。
「そうでしたわ。紹介しますわね。
――リック、クリスタ。こちらはわたしの母方の叔母の夫で、ジェラルド・ウィテカー。
こう見えましても、宇宙連邦軍の中佐でいらっしゃいますの。
おじさま、こちらは大学の友人で、リック・オレインとクリスタ・ロードウェイですわ」
立ち上がったふたりは軽く会釈する。
「こう見えてもは、余分だよ。しかしメリル、君はなんとも有名人な学友を持ったものだ。
カヌレ大バスケ部のスモールフォワードと今話題の人気モデルじゃないか!」
ウィテカーはサッと右手を差し出し、ふたりと握手をした。思った以上にがっしりとした、厚い掌だった。
2022/02/19 挿し絵を追加しました。