6. 不機嫌なクリスタと不可解なテス その④ ☆
※後半バトルシーンがあります。
――ほぼ同時刻。
クリスタたちがいるモッフルの森のカフェから、北へ約150キロ離れたクナーファ村の一画。
通称『レチェル4』と呼ばれる、宇宙連邦政府国家安全保安局所属の超心理学研究局第4研究所の東研究棟第2棟の入り口である。
「――――そんでもって、なあ、どうするんや」
ヨーネル医師の研究室から飛び出してきたものの、アダム・エルキンは頭を掻いていた。
「それ、俺に聞くんか? 自分どうしたい?」
同じように頭を掻きながら、デヴィン・モレッツが答える。
「そやなぁ。まあ、テスを傷つけんようにとっ捕まえんとなあ……。怪我でも負わせたら、後味が悪いで」
ふたりの動きは共時していた。
「同感や」
鏡に映したように左右対称に、だ。
「ほな、行くでぇ」
ピクニックにでも行くのかというのどかさで、アダムがディーに声を掛ける。
「ほんま、むつかしいことになりよったわ。チャッチャと終わらせよか」
ふたりは第3棟に向かって走り出す。
広大な敷地を持つレチェル4は、研究実験棟や生活棟など利用目的ごとに建物がブロック分けされ、さらに各棟は分離され木立の中に点在していた。
彼らのいた研究棟Cブロックの第2棟と第3棟の間も、数十メートルの距離と枝を張ったブナの林が二つの棟を分断していた。
林の前まで来ると、ふたりは強く地面を蹴り、そのまま宙に勢いよく飛び出した。数メートル先のブナの枝めがけ、大きくジャンプし舞い上がる。
枝が足に着くと再び蹴り出し、さらにスピードを上げその先の枝へと、浮揚能力を使いブナの枝から枝へと飛び移り、最短距離でテスがいた第3棟へと移動して行く。
念力とは、意志の力だけで物体を動かす能力である。
念動力とも観念動力ともいい、TK(Telekinesisテレキネシス)、PK(Psychokinesisサイコキネシス)と略称で呼ばれることもある。ふたつの大きな違いは、対象物の動かし方による。
このうちテレキネシスは、自身の念を対象物に送り込むことによって動かすことであるが、自分を対象にして自身が宙に浮くのが浮揚能力とか浮揚術と呼ばれるものである。
念動力の持ち主なら誰でもできるという簡単な能力ではないが、訓練次第で技能を取得することも可能だと言われている。
レチェル4でその訓練を受け、技能を取得したのが、アダムとディーのふたりだ。
自在に空を飛ぶ――とまではいかないが、彼らはかなりの技巧を駆使することが出来た。A級ライセンスを持った者でも、この能力を自在に操れる者はごく僅かである。
アダムとディーは身軽に枝を渡り、瞬く間に第3棟の裏手に出た。
ここでいったん林は途切れ、目の前には5階建ての第3棟が姿を現していた。林の出口付近のブナの枝の上で様子を探る。
「ところで。ディー、今テスはどこや?」
「第3棟の正面玄関から出て、第1棟の方向に向かって走り出しとる」
透視能力を使い、ディーがテスの行方を追う。
「どこ行く気やろな?」
「そりゃ、この研究所の敷地から抜けられそなとこ、探すんやないか? 脱走中やからな」
眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、ディーが答えた。
「ん~~。ホンマに脱走する気なんやろか」
「それ言うなら、脱走成功すると思うとるんやろか、やろ?」
アダムは、じろりとディーを見る。
地上3メートルのブナの木の上。ふたりの足元にある枝の幅は、太いところでせいぜい5~6センチ。その枝の上に、体格の良い青年ふたりが危なげなく立っている。
「冷たいオトコやなあ」
「なにが冷たいんや。テスが危ないことせぇへんかと、心配しとるやないか」
「へいへい、そういうことにしとこか」
ブナの枝は強靭ではない。
ブナでなくとも、青年がふたりも乗って折れない枝など、ある程度条件が整わない限り無いに等しいだろう。少なくとも、この林周辺には生息してはいなかった。
彼らは半分浮遊している状態なのだ。
物体が重力に逆らって空中に浮揚する場合、空気に対する浮力や磁力同士の反発力などを利用するのが一般的だが、彼らは念動力で重力を相殺する方法を取る。
そうして自らの念動力で自身を浮かせるのだが、その力加減のバランスが微妙な上に、ただ浮遊するだけでなくそこに様々な行動を盛り込むとなると、さらなる絶妙なバランス調整の技術が要求される。
たとえば飛行するとなると、そこには揚力、重力、空気からの抵抗力、推力がかかる。
水平に飛行するだけでも、これらのバランスを調整できなければ、飛び続けることは不可能だ。
ましてや空中移動中に体勢を変えたり、飛行から停止しその場に浮揚するなどと云う動作の流れが付くと、その都度4つの力のバランスの取り方は変わってくる。それに応じて、念動力もコントロールし続けなければならない。
理屈を頭で理解することは難しいことではないが、それを体現するには経験と感覚が必要だ。経験は努力でいくらでも積むことはできる。
しかし飛ぶことを習性としなかった人類には、この感覚は生来備わっているものではない。念動力で浮揚するといっても、バランス感覚を磨けない能力者に浮揚術を習得できない理由はこのあたりにあるらしい。
「ほなら、まあ、急ぎましょか」
ブナの枝を蹴ったアダムとディーの身体は第3棟の屋上まで舞い上がり、そこから反対側の地上に降り立つと、そのまま第1棟の方向へと続くブナ林へとさらに身を躍らせていった。
林の中を少し進むと、小さな背中が見えてきた。テスである。
「いたで!」
小声でアダムが、隣りで跳躍するディーに呼びかけた。彼は小さく頷くと、目線で合図を送ってくる。その意を察したアダムが、ニタリと口角を吊り上げた。
空中の影は素早く二手に分かれ、さらに加速して移動する。上体がふらふらと揺れ、足運びは乱れておぼつかない様子のテスを上空から追い越し、数メートル先まで先行する。彼女は、追跡者の存在に全く気付いていないようだ。
するとディーがポケットからトランプを取り出し、向かってくるテスの足元めがけて札を飛ばした。空を切る音がして、札は地面に突き刺さり、トランプ兵のように彼女の行く手を阻む。
テスの足が止まった。
「おう、テス。どこ行くんや。勝手にフラフラ出歩くンは、あかんで」
のんびりとした口調で問い掛けながら、ひらりと高い枝からアダムが降りてくる。
「マリアとケンカしたんか。派手にやりおったなあ。怒らんから、もう帰ろな」
同じようにディーも身軽に降りてきた。
「そやで。どこ行けばええんか、テスにはわからんやろ。それにテスはまだ訓練の途中やしな。
終わったら、俺らがデートに連れて行ったる。せやから、も~ちっと大人しくしとかんかいな」
「わかるな。テスはええ子やから、聞き分けられるやろ。それに体調もエライしんどそうやしな。ヨーネル先生に診てもらおな」
虚ろな目をしたテスは、ふたりの言葉をぼんやりとした表情で聞いていた。返答がない。いつもなら打てば響くように反応が返って来るのに、何のリアクションもない。
そしてふたりは、奇妙な感覚の違いに戸惑っていた。
(なんなんや。この違和感は……)
「アダム! これ、違うで!」
いち早く異変に気付いたディーがアダムに注意を促したが、その時テスは両手を上げ、開いた掌をふたりに向けていた。
「……おっ、ちょい待ち……」
アダムが言い切る前に白い閃光に視界を奪われ、強力な念動波がふたりに襲いかかった。
避ける間もなく、彼らの身体はテスの念動力の威力に吹き飛ばされる。後方のブナの木に身体を激しく打ち付けられ、爆風による暴走はようやく止まった。激痛に耐え、顔が歪む。
間を置いて、ようやくうめき声が漏れた。
「油断してたわ。大丈夫かぁ」
「……おお。なんとかな」
互いの無事を確認し、まずは立ち上がる。
テスがゆらゆらと体を揺らしながらこちらにやってくるのを確認すると、即座に臨戦態勢に入った。
――と云っても、このふたりの場合、見た目には何ら変化は感じられない。
「こら、テス! なにするんや。言うこと聞かん子は、お仕置きやで!」
アダムが声を荒げる横で、ディーが残りのトランプの札をポケットから取り出すと、空中にばらまいた。
勢いよく散らばった札は意志を持ったように列を組み、テスに襲い掛る。
彼女は臆せず右手を上げると、払う仕種をした。突撃体勢にあった札の編隊は、勢いを失いはらはらと木の葉のように落ちていく。
「う……うそやろ……」
しかしディーの攻撃は止まらない。テスの後方から、別の一隊が襲いかかる。
先程テスの足を止めた札たちが、隊列を組み直し、攻撃に転じてきたのだ。
彼女は大きく身体を揺らしそれらをやり過ごすと、腕を振り、札の勢いを殺いでいく。ディーの念動力を無効にして、ことごとく払い落としてしまうのだ。
「あれま、…なんやねん。いきなり能力の使い方、ごっつ上達しとるで!」
「著しいなあ……。成長期か!」
それでもディーはしつこく札の小班を、前後左右さらに上下と角度を変えて繰り返しテスへと襲い掛からせる。
払い落とすのに忙しいテスの足は、完全に止まっていた。
「なあ、教えてぇな。成長期に入ると、生体エネルギーの波動も変わるんか? テスのエネルギー波動はもっとホンワカしたもんやったで!」
「知るか。そんなことは、ヨーネル先生に訊けや。専門家やし。
――ってゆーか、これ、ホンマにテスかいな? そっちの方が、疑問やで!」
目の前の存在は、姿かたちは紛れもなくふたりの青年が妹のようにかわいがっている少女なのだが、感じられる波動は、先刻までのテスのものとは大いに異なり、戦闘的で負のイメージが付きまとっていた。
違和感の正体はこれであろう。夢を見ているようなとろんとした表情で、次々と攻撃を撃破していく。時折顔の筋肉が引き攣り、笑顔のように見えるのが不気味だ。
対峙するディーは、不快感に襲われた。
この時、アダムはテスの後ろに回り込んでいた。
持ち上げた右の掌に、直径3~4センチの光の球がある。光はどんどん強さを増し、目を刺すほどに眩しくなった。
テスの注意は、完全に相棒に向いている。
彼はこれ以上ないほど光度を高めた光の球を2~3度掌の上で転がすと、一気に地面に叩きつけた。
2019/12/13 挿し絵を追加しました。